うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

読書メモ

差延的な開かれ:岡田利規『三月の5日間』(白水社、2005)

岡田利規『三月の5日間』のあらすじをまとめるとなにかとんでもなくつまらない戯曲のように聞こえるかもしれないけれど、実際くだらない話なのだから仕方ない。3月のとある5日間渋谷の道玄坂のラブホテルにこもってやりまくった話。それが芥川龍之介の「藪の…

圧縮の解凍による饒舌な翻訳的再創造:岡田利規の『能・狂言』(池澤夏樹=個人編集『日本文学全集』10巻、河出書房新社、2016年)

岡田利規訳の能・狂言はもう猛烈に面白い。言葉の疾走感が違う。 「高密度に圧縮されてる能の言葉を現代ヴァージョンで解凍する、勢いとヴァイヴレーションで押し切る狂言の言葉の質を現代のそれに置換する。上演のためのテキストとして」とは岡田の言葉であ…

神と「かのように」をともに信じる:遠藤周作『メナム河の日本人』遠藤周作全集9巻

あのお声が忘れられませぬ。今一度、そのお顔を微笑まれて……お声をかけてくださいまし。山田長政、と。 だが秩序を司る者、政をする者は、かのように生きねばならぬ。なぜなら、この秩序とは、かのようにであるからだ。 わからぬものゆえ、人が信じるのでは…

「天才とはわれわれの未来である」:アーノルト・シェーンベルク、上田昭訳『シェーンベルク音楽論選――様式と思想』(ちくま学芸文庫、2019)

生産的な人間は自分が再現したいと願っているものを完全にイメージして心の中に抱くことができるのだ。(149頁)*1 天才論というコア シェーンベルクの芸術観の根底にはあるのは天才論であるように思えてならない。 独り天才のみが存在し、未来は天才のため…

繊細な深さ:オルガ・トカルチェク、つかだみちこ訳「番号」『ポケットのなかの東欧文学』(成文社、2006)

繊細な深さ。ホテルのメイドが紡ぎ出していく、どこかヌーヴォーロマン的な、ゆっくりとした執拗な描写。しかし、たんなる客観的な観察ではない。外部の観察が、自分の身体や感性へと折り返されていく。テクストが確かな肌理を、確かな手触りを作り出す。空…

禅問答のような、倫理のような:ジャック・デリダ、高橋允昭 編訳『他者の言語――デリダの日本講演』(法政大学出版局、1989)

デリダのテクストは、話し言葉であれ書き言葉であれ、ある種の泥臭さや垢抜けなさがある。けれども、それは彼の誠実な執拗さに由来するものだろう。 1983年の来日講演の多くは、デリダがすでにどこかで行っていた講義の抜粋や反復であり、日本講演ならではの…

リチャード・C・フランシス、西尾香苗 訳『家畜化という進化』(白揚社、2019)

家畜化がそもそも始まるためには、家畜化されることになる生物にself-tamingなところが必要だ、というのは興味深い。人間に自ら近寄ってくる性質であり、人間に慣れていける能力である。自ら家畜になる可能性を発現させていくこと、そこに、家畜化のはじまり…

「欲望を高貴にする」:ロラン・バルト講義集成『いかにしてともに生きるか』、『〈中性〉について』、『小説の準備』(筑摩書房、2006)

小説は世界を愛する、なぜならそれは世界をかき混ぜbrasser、抱擁するembrasserからだ。(『小説の準備』、19781209、25頁) 文学的な人 ロラン・バルトはやはり深く深く文学的な人だったのだと思わされる。書くこと、書き物のなかの生の可能性、それを追求…

万人による差別批判の表と裏:綿野恵太『「差別はいけない」とみんないうけれど。』(平凡社、2019)

以下の文章は必ずしも綿野の議論の要約にはなっていない。彼の議論の流れに沿いながら、それをすこしべつのかたちに翻訳したものであり、こういってよければ、綿野の主題による変奏曲である。 差別を差別として認識しない(できない)私たちにいかに差別を認…

「強制をともなわない欲望の再配置」:ガヤトリ・スピヴァク、大池真知子訳『スピヴァク みずからを語るーー家・サバルタン・知識人』(岩波書店、2008)

ある言語を学ぶたった一つの理由は、その言語で詩を読めるようになるためです。(34-35頁) ここには2003年から2004年にかけて行われた4つのインタビューが収められている。ポスト911の時代の空気がただよっているが、会話の中心となるのは、副題あるように…

教えることのいかがわしさ:エリック・ホッファー、田中淳訳『波止場日記――労働と思索』(みすず書房、2014)

真に生きているとは、すべてが可能と感じることである。(173頁;1959年3月4日) 学ぶことの歓び、教えることのいかがわしさ ホッファーが湾岸での肉体労働のかたわらで書き溜めた日記のなかの思索をひとことでまとめれば、そうなるかもしれない。学びは歓び…

「われわれのフーリエ」:フェリックス・ガタリ、杉村昌昭訳・編『<横断性>から<カオスモーズ>へ――フェリックス・ガタリの思想圏』(大村書店、2001)

私は理論的資料や哲学的資料のなかから役にたちそうなものをつまみ食いする泥棒なのです。しかし、あまり情報に通じていない泥棒です。泥棒はよく壁にかかっている大家の絵の横を通りすぎて、自分の気に入った小物を盗んだりするのですよ。私の場合もそれと…

進化の予測(不)可能性:ジョナサン・B・ロソス、的場知之訳『生命の歴史は繰り返すのか?』(科学同人、2019)

進化は繰り返すか、繰り返さないか:グールドVSコンウェイ=モリス 進化は繰り返さない、よって予測不可能である(スティーヴン・ジェイ・グールド)。進化は繰り返す、よって予測可能である(サイモン・コンウェイ=モリス)。 正しいのはどちらか。ジョ…

相反するものが共存する新しい関係の発見:西脇順三郎『詩学』(筑摩書房、1969)

少々風変わりな読書体験 不思議な文章だ。前へ前へと進んでいくというよりは、同じところに何度も立ち返り、同じことを別のかたちで言いかえる。反復が奇妙なリズムを作り出す。あちらこちらへと逸れたかと思うと、いつの間にか別の議論が始まっている。同じ…

音そのものの豊饒な複雑さ:フランソワ・ドゥラランド、柿市如訳『クセナキスは語る――いつも移民として生きてきた』(青土社、2019)

音楽の捉え方を開く、音そのものの豊饒な複雑さを音楽にする クセナキスは西洋音楽のパラメーターを変えようとした。ブーレーズたちのトータル・セリエリズムはパラメーターを精緻化し、その複雑性のすべてをコントロールしようと試みたけれど、クセナキスは…

暴力が不平等を解体する:ウォルター・シャイデル、鬼澤忍・塩原通緒訳『暴力と不平等の人類史――戦争・革命・崩壊・ 疫病』(東洋経済新報社、2019)

暴力がもたらす平準化 歴史を統計的に見ることで、物理的現象のように扱うことで、くっきりと見えてくるパターンがある。不平等の進展こそが石器時代から21世紀までの歴史の常態であること、科学技術の発展も産業構造の変化も不平等を増大させてきたこと、そ…

遠い過去の恩に報いる義務:劉慈欣(リウ・ツーシン)「神様の介護係」、ケン・リュウ編『折りたたみ北京――現代中国SFアンソロジー』(早川書房、2018)

遠い過去の恩に報いる義務はあるか 人間文明に宇宙人という起源があったとしたら、そして年老いた宇宙人が地球にやってきて、人間文明の創造主であることを口実に、20億人にもおよぶ「神」の介護を求めるとしたら。劉慈欣の「神様の介護係」は、この壮大な奇…

指揮者の学び、指揮者の教え:ジョン・マウチェリ『指揮者は何を考えているか』(白水社、2019)

教育者でもある指揮者が書いた指揮の神秘と現実についての書 奇妙というか、不思議な本だ。ここでは率直さと神秘さが共存している。学究的姿勢とノスタルジーが共鳴している。 ジョン・マウチェリはレナード・バーンスタイン門下といっても差し支えないであ…

分析の学、実践の学:大澤真幸『社会学史』(講談社現代新書、2019)

ヘーゲルの『精神現象学』に、「誤ることへの恐怖こそが誤りそのものに他ならない」という言葉があります。これは学問について述べたことですが、同じことは、社会変革についての実践にも言えます。失敗への恐怖こそが純粋な失敗である、と。(630頁) すで…

加害者と被害者のあいだの非対称性:姫野カオルコ『彼女は頭が悪いから』(文藝春秋、2018)

小説は事実的に正しくなければならないのか この小説の「竹内つばさ」が東大生「すべて」を象徴していると考えるのは誤りであるし、東大生の「平均」を表していると受け取るのもやはり正しくないだろう。本書をめぐって駒場キャンパスで開かれたブックイベン…

自律と啓蒙のススメ:中野好夫『私の憲法勉強』(講談社現代新書、1965;ちくま学芸文庫、2019)

一般市民の果たすべき義務と責任についての倫理的問いかけ 倫理的に考えれば騙す方が悪い。しかし、だからといって、騙された方に責任がないわけでもない。騙された方が責任を問われないわけではない。とくにそれが個人同士の事柄ではなく、国全体を巻き込む…

れいわ新撰組山本太郎政見放送

イデオロギー的にも心情的にも、理性的にも感性的にも、山本太郎の言っていることに大いに賛同していいはずであるにもかかわらず、彼の語る言葉にたいしてうまく言葉にできない微妙なひっかかりを感じてしまう。なぜなのかと自分でも不思議に思う。だからこ…

虚構をまるで現実のように読ませる:カルラ・スアレス、久野量一『ハバナ零年』(共和国、2019)

探偵だと思っていたのにいつのまにか追われる方になっていた、操っている方だと思っていたらいつのまにか操られる方になっていた。いつのまにかエージェンシーが侵食され、他人の駒を演じさせられていることに気づいてしまう。自分が主役の現実世界の話なの…

いまここにあるのよりもっといいものがある:チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ、くぼたのぞみ訳『男も女もみんなフェミニストでなきゃ』(河出書房新社、2017)

フェミニストじゃなくていい人なんてひとりもいない タイトルがすべてを語っている。「男も女もみんなフェミニストでなきゃWe Should All Be Feminists」。ナイジェリアの小説家アディーチェが2012年にTEDxEustonで行ったトークの加筆版である本書は、100頁…

「閉じた本まで開いた本として読んでいる」:市田良彦『ルイ・アルチュセール――行方不明者の哲学」』(岩波新書、2018)

閉じた本まで開いた本として読んでいる。本の不在も開いた本として読んでいる。(アルチュセール、フランカへの手紙、1964年2月2日、77頁) アルチュセールはマルクス本人が自ら語ろうとはしなかった「マルクスの哲学」を分節しようとしたが、市田良彦もまた…

狂気に隣接する愛の憧れのもどかしさ:スコット・フィッツジェラルド、上岡信雄訳『美しく呪われた人たち』(作品社、2019)

青年期の男の物語、または狂気に隣接する愛の憧れのもどかしさ スコット・フィッツジェラルドの長編第2作『美しく呪われた人たち』(1922)は、フィッツジェラルドがつくづく青年期の白人男の決して充たされえない愛の物語を書いたのだということを思わせず…

「世界の本質的な不可知性を抱きしめる」:レベッカ・ソルニット、井上利男訳『暗闇のなかの希望――非暴力からはじまる新しい時代』(七つ森書館、2005)

希望のクロニクル 希望のクロニクルを書くこと。ソルニットがポスト911時代のなか自らに課した仕事を、そのように性格づけてみてもいいかもしれない。ソルニットはテロから戦争へという暗く暴力的な時代に突入するなかにあって、非暴力的な希望の可能性を、…

科学の友フェミニズム:アンジェラ・サイニー『科学の女性差別とたたかう――脳科学から人類の進化史まで』(作品社、2019)

ヒトの可塑性 サラ・ブラファー・ハーディーは霊長類学者としてインド北西部でサルの一種であるハヌマンラングールの調査を行ない、雄ザルによる子殺しが、繁殖集団の外からやってくる雄ザルによる仕業であること(子ザルを殺すことで雌ザルを繁殖可能な状態…

「ネイティブは日常、非ネイティブはユートピア」:多和田葉子『地球にちりばめられて』(講談社、2018)

重なり合う糸、閉じない端 無関係にみえた人びとが言葉をめぐる冒険をとおして撚り合わされていく。しかし、言語の冒険物語は、決して大団円にはたどりつかない。糸はほどけ、突如として断ち切られる。 それは、多和田の小説が解決をめざしていないからだろ…

存在がなければ生成はない:グレアム・ハーマン、上野俊哉訳『非唯物論』(河出書房新社、2019)

ポスト・ヒューマン いまひとつよく理解できないでいるのだが、ハーマンが「非唯物論 Immaterialism」という言葉で名指そうとしている思想は、ポスト・ヒューマン的なものであると言っていいような気はしている。人間というカテゴリーが完全に抜け落ちるわけ…