うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

読書メモ

生物の生得的な数学的能力、人類史における数学の社会的有用性:ステファン・ボイスマン『公式より大切な「数学」の話をしよう』

数学を使えば、都市やある程度以上の大きさの社会集団の事務処理が簡単になる。課税・徴税は数を用いなくてもできるが、かなり込み入った仕事になるため、実質的には数学なしには無理だ。集落の規模が大きくなり、交易がさかんになれば、どこでも数学が発展…

猜疑と信頼をめぐる思想戦:劉慈欣『三体』

真実の宇宙は、ただひたすらに暗い . . . 宇宙は暗黒の森だ。あらゆる文明は、猟銃を携えた狩人で、幽霊のようにひっそりと森の中に隠れている。そして、行く手をふさぐ木の枝をそっとかき分け、呼吸にさえ気を遣いながら、いっさい音をたてないように歩んで…

プレーンな豊饒さ:連東孝子訳『W.S.マーウィン選詩集1983‐2014』

47年4月、精神病院に隔離されていたエズラ・パウンドを訪問し、文通が続く。パウンドから「枝葉ではなく種子を読み取るべし。EP」と書いた鉛筆書きのはがきが届く。(195頁) 抱くことのできないもので星は創られている from what we cannot hold the stars …

「この魚だって友だちだ」:ヘミングウェイ、今村楯夫訳『新訳 老人と海』

希望を抱かないことは愚かなことだ、と老人は思った。(99頁) It is silly not to hope, he thought. ヘミングウェイの『老人と海』を読み返したのは20年ぶりぐらいだろうか。と書きながら、『老人と海』はもしかすると初めて英語で読み通した本のうちの一…

作曲の仕事を理解すること:チャールズ・ローゼン、キャサリン・テマーソン、笠羽映子訳『演奏する喜び、考える喜び』(みすず書房、2022)

テマーソン 音楽は演奏されなくても存在するのでしょうか? ローゼン ええ、存在します。音楽を頭の中で演奏解釈したり、それを耳にすることなく、詩のように読んだりすることができますから。それは、演劇作品を読んだり、その演出を想像したりするのと同様…

ケアの価値転換:ケア・コレクティヴ、岡野八代、冨岡薫、武田宏子訳『ケア宣言——相互依存の政治』(大月書店、2021)

ケアにまつわる皮肉は多くありますが、そのなかの一つには、実際には富裕層こそが最も依存的であり、彼女たち・かれらは、数え切れないほどの個人的な仕方で、お金を支払う見返りにサーヴィスを提供してくれる人たちに依存している、という皮肉があります。…

「暗い情念の流動体」:ダレル『アレクサンドリア四重奏』(河出書房新社、2007)

なぜなら人間とは土地の精神の延長にほかならないからだ。(『ジュスティーヌ』219頁) 相対性原理の理論は、抽象画や、無調音楽や、無定形(あるいはとにかく循環形式しかない)文学に対して直接の責任がある . . . (『バルタザール』171頁) わたしたちア…

職人的な芸術家:ミシェル・アルシャンボー、笠羽映子訳『ブーレーズとの対話』(法政大学出版局、2022年)

ピエール・ブーレーズは怠惰を嫌い、創意を愛していた。複雑さを好み、複雑なものを理解し鑑賞するために努力を払わない者を軽蔑していた。 いや、もしかすると、軽蔑していたというよりも、そのような怠け者の心情にたいしてこれっぽっちも共感を抱けなかっ…

接触の官能:オクタヴィア・E・バトラー、藤井光訳『血を分けた子ども』(河出書房新社、2022年)

オクタヴィア・E・バトラーは異生物との肉体的な接触を描き出す。節足動物にも似た多数の足に、または、軟体動物の触手のようなものに、全身を抱擁され、包み込まれるという経験。それはひどく肉感的なものであると同時に、おぞましいものでもある。ゼロ距離…

「だがわたしは反抗するために生まれてきた」:バイロン、東中稜代訳『ドン・ジュアン』(音羽書房鶴見書店、2021)

バイロンの『ドン・ジュアン』は、名前は知っているけれど読んだことがない作品のひとつだったが、図書館の新刊の棚に東中稜代による上下2巻の新訳があったので、これ幸いとばかりに借りてきて、流し読みするようにページをめくりつつ、ところどころ気になっ…

サドとヘルダーリンとベンヤミン:三島由紀夫『春の雪』

「なぜなら、すべて神聖なものは夢や思ひ出と同じ要素から成立ち、時間や空間によつてわれわれと隔てられてゐるものが、現前してゐることの奇蹟だからです。しかもそれら三つは、いづれも手で触れることのできない点でも共通してゐます。手で触れることので…

拡散し、集合するわたしたち:ヴァージニア・ウルフ、片山亜紀訳『幕間』(平凡社ライブラリー、2020)

ヴァージニア・ウルフの遺作である『幕間』はおそらくウルフの小説のなかで読み直した回数が最も多いテクストになるはずだ。大学院のゼミで読んだからその時にすでに何度か通読としたせいもあるけれど、アマチュアの野外劇として演じられるイングランドンの…

溶け合う身体、振動する共感:ヴァージニア・ウルフ、森山恵訳『波』(早川書房、2021)

不可能な願望に浸りたいのだ。歩いているおれは、不可思議な共感の振動、振幅でふるえてはいないだろうか。( 127-28頁) 「人生とは、分かち合えないものがあるといかに色褪せるものか . . . 」(304頁) 『波』はウルフがたどりついた極北だ。散文詩で書か…

多元性に向かう変容:大野和基『オードリー・タンが語るデジタル民主主義』(NHK出版、2022)

オードリー・タンがやっていることをひとつひとつ取り上げてみれば、それ自体は、とくには新しくはない。 民主主義的な価値観がある。透明性、普遍的参加、インクルーシブ、非暴力的な意思決定、討議的プロセス。 プログラミング的なマインドセットがある。…

存在論的痛苦、ネガティヴ・ケイパビリティ、雑在や雑存:吉増剛造『詩とは何か』(講談社現代新書、2021)

それが一旦開いたら、そこから風がどっと流れ込んでくる。(227頁) 吉増剛造の詩は、彼を導管としてわたしたちの耳に届く別の宇宙、別の次元からの言葉を書き留めたものであり、そのような言葉ならざる言葉、言葉にならざる何かを、にもかかわらず、言葉に…

問いかける存在として:レベッカ・ソルニット、東辻賢治郎訳『私のいない部屋』(左右社、2021)

自伝をいつ書くか、どう書くか。答えの出ない問題だ。人生の総決算として書くのか、これからのロードマップとして書くのか。編年体で客観的に綴るのか、連想で飛躍しつつ主観的に語るのか。 ここでソルニットは、その中間を行く。時系列を基調とするが、細か…

「言語と言語の繋ぎ目に浮かびあがる /曖昧な亡霊」:四方田犬彦『人生の乞食』(書肆山田、2007)

詩を作ることはかつては魔術と同義だった。放たれた言葉は毒を塗った鏃となって目指す相手の肉体に突き刺さり、その妻を犯し、家畜を損った . . . 詩の本質が頌であると説く者は滅びてあれ。詩ははるか以前に痛罵であり呪文であって、挽歌とは死を願う律の零…

みんなに必要なジェンダー史、または歴史を学ぶことの愉しみ:弓削尚子『はじめての西洋ジェンダー史』(山川出版社、2021)

ジェンダー史を学ぶこと、それはわたしたちのジェンダー概念を問い直すこと、その起源や変遷をたどりなおすことでもあり、その意味で、歴史は現代における世界認識や世界理解に衝撃を与えるものである。 ジェンダー史は、女についてのもの(だけ)ではない。…

サン=サーンスとフォーレの同時代性と時代錯誤性:ジャン=ミシェル・ネクトゥー『サン=サーンスとフォーレ――往復書簡集1862-1920』、ミヒャエル・シュテーゲマン『サン=サーンス』、ネクトゥ『ガブリエル・フォーレ 1845‐1924』

フォーレとサン=サーンスは、一八七〇年頃までは、その当時末だ色濃くのこされていたロマン派様式、一八八〇年代には世紀末様式へと進展してゆきつつ、それぞれの作品を築き上げてゆくが、一九〇〇年頃から二人の方向性は全く異なってしまうことに注目すべ…

滅私的な脱個人主義者としの三島由紀夫(『三島由紀夫 石原慎太郎 全対話』)

「三島 でも夢がある間はほんとうに有害な思想は出てこないよ。」(『三島由紀夫 石原慎太郎 全対話』48頁) 三島由紀夫が信じていたのはシステムとして、構造として、装置としての天皇「制」(ないしは、天皇という「存在」)であって、特定の天皇ではなか…

みずからの終末と向き合う人間の姿:マイリス・ベスリー『ベケット氏の最期の時間』(早川書房、2021)

マイリス・ベスリーの『ベケット氏の最期の時間』は、妻シュザンヌを亡くして介護施設に入ったサミュエル・ベケットが、いかにもベケットらしく、ベケットとして亡くなるまでの日々を過ごしていく様子を描き出す。 ベスリーは、医療関係者や介護人が綴る業務…

資本主義を作り直す理想主義の国家:マリアナ・マッツカート、関美和・鈴木絵里子訳『ミッション・エコノミー』(ニューズピック、2021)

船を造りたいのなら、男たちに木材を集めさせたり、仕事を割り振り命令する必要はない。代わりに、果てしなく広大な海への憧れを説けばいい」 ――アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ (「第7章 新しい資本主義へ」のエピグラフ、247頁) 目次だけでこの本…

言語習得という驚異と奇跡:白畑知彦『英語教師がおさえておきたいことばの基礎的知識』)

人間は、2つの要素を組み合わせることによって、限りなく長い文を作り出すことができるという性質を持っているのです。ですから、人間言語には「最も長い文」というものは存在しない、ということになります。(白畑知彦『英語教師がおさえておきたいことばの…

無数のなにものかがわたしのなかでうごめいている:池上岑夫編訳『ポルトガルの海――フェルナンド・ペソア選集』(彩流社、1997)

わたしたちのなかには なにものかが無数に生きている わたしが思考したり感覚したりしても わたしにはわからぬ、 思考したり感覚したりするのが誰であるのか。 わたしは思考や感覚の 場にすぎないのだ。 わたしの魂は一つだけではない。わたし自身より多くの…

やわらかい知能、やわらかさという知能:鈴森康一『いいかげんなロボット』(科学同人、2021)

「孔子は「學則不固(学ぶことによって考え方や行動が柔らかくなる)」と言いましたが、彼らは「やわらかいものには知能が宿る」と捉えているのです。」(鈴森康一『いいかげんなロボット』119頁) キッチン用品でシリコン製のものがポピュラーになったのは…

自伝的小説かもしれないもの:小林エリカ『最後の挨拶 His Last Bow』(講談社、2021)

小林エリカは不思議な書き方をする。 パラグラフが短い。 一文で一段落ということもめずらしくない。 個人的にはノベルゲームを思わせる形式だが、ライトノベル的と言えるかもしれない。すくなくとも、いわゆる純文学に特有の重厚で粘着質な文体の対極。軽く…

信じることを信じない:J・M・クッツェー、鴻巣友希子訳『エリザベス・コステロ』(早川書房、2005)

現代小説は長くなる一方ではないか。もちろん短編や中編は依然として書かれているが、長編となると、やたらと長大になりがちである。だから、J・M・クッツェーは例外的存在と言っていいかもしれない。クッツェーの小説はつねにコンパクトで、長すぎるという…

問題化するステレオタイプ:チョ・ナムジュ『82年生まれ、キム・ジヨン』

この物語は小説として書かれなければならなかったのだろうか。ノンフィクションのドキュメンタリーではダメだったのだろうか。チョ・ナムジュの『82年生まれ、キム・ジヨン』を読みながら、そのような疑問がたびたび頭をよぎる。 それはおそらく、随所で差し…

ゴシップとメタフィクション的な冒険:ローラン・ビネ『言語の七番目の機能』(東京創元社、2020)

ロラン・バルトの死をめぐる探偵小説。そこに、80年代のフランスの政治をめぐる問題が絡んでくる。記号学に精通した大学教員と刑事の捜査は、フランスからアメリカからイタリアへと及んでいく。20世紀後半を代表するフランス知識人や、フレンチ・セオリーに…

AIを取り巻く社会関係の問題化:カズオ・イシグロ、土屋政雄訳『クララとお日さま』(早川書房、2021)

作者にはふたつのタイプがある。同じ物語を執拗に反復するタイプと、別の物語を決然と模索するタイプ。イシグロはあきらかに前者だ。 たしかにイシグロの小説の舞台や登場人物はさまざまではある。イギリスが舞台の話もあれば、日本が舞台のものもある。現実…