うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

2019-06-01から1ヶ月間の記事一覧

いまここにあるのよりもっといいものがある:チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ、くぼたのぞみ訳『男も女もみんなフェミニストでなきゃ』(河出書房新社、2017)

フェミニストじゃなくていい人なんてひとりもいない タイトルがすべてを語っている。「男も女もみんなフェミニストでなきゃWe Should All Be Feminists」。ナイジェリアの小説家アディーチェが2012年にTEDxEustonで行ったトークの加筆版である本書は、100頁…

「閉じた本まで開いた本として読んでいる」:市田良彦『ルイ・アルチュセール――行方不明者の哲学」』(岩波新書、2018)

閉じた本まで開いた本として読んでいる。本の不在も開いた本として読んでいる。(アルチュセール、フランカへの手紙、1964年2月2日、77頁) アルチュセールはマルクス本人が自ら語ろうとはしなかった「マルクスの哲学」を分節しようとしたが、市田良彦もまた…

狂気に隣接する愛の憧れのもどかしさ:スコット・フィッツジェラルド、上岡信雄訳『美しく呪われた人たち』(作品社、2019)

青年期の男の物語、または狂気に隣接する愛の憧れのもどかしさ スコット・フィッツジェラルドの長編第2作『美しく呪われた人たち』(1922)は、フィッツジェラルドがつくづく青年期の白人男の決して充たされえない愛の物語を書いたのだということを思わせず…

「世界の本質的な不可知性を抱きしめる」:レベッカ・ソルニット、井上利男訳『暗闇のなかの希望――非暴力からはじまる新しい時代』(七つ森書館、2005)

希望のクロニクル 希望のクロニクルを書くこと。ソルニットがポスト911時代のなか自らに課した仕事を、そのように性格づけてみてもいいかもしれない。ソルニットはテロから戦争へという暗く暴力的な時代に突入するなかにあって、非暴力的な希望の可能性を、…

科学の友フェミニズム:アンジェラ・サイニー『科学の女性差別とたたかう――脳科学から人類の進化史まで』(作品社、2019)

ヒトの可塑性 サラ・ブラファー・ハーディーは霊長類学者としてインド北西部でサルの一種であるハヌマンラングールの調査を行ない、雄ザルによる子殺しが、繁殖集団の外からやってくる雄ザルによる仕業であること(子ザルを殺すことで雌ザルを繁殖可能な状態…

特任講師観察記断章。英語的知性。

特任講師観察記断章。「みなさんは自分の英語がどれくらい知性的なものだと思いますか? みなさんは中高とおして少なくとも6年以上は英語を勉強している。そしていまは大学生です。にもかかわらず、日本語でならどうにか出来なくもないはずの、社会問題につ…

等価性の原理:フレデリック・ワイズマン『エクス・リブリスーーニューヨーク公共図書館』(2017)

20190616@静岡シネ・ギャラリー 変奏曲として、または多面性の表象 バッハの『ゴルトベルク変奏曲』の「アリア」がクレジットの入りとともに流れ出すとき、わたしたちは、このドキュメンタリーが変奏曲のようなものであったことに気がつく。同一主題の差異…

駿河の國浅間の御前にて(世阿弥『風姿花伝』)

「亡父にて候し者は、五十ニと申し五月十九日に死去せしが、その月の四日の日、駿河の國浅間の御前にて、法楽仕り、その日の猿楽、殊に花やかにて、見物の上下、一同に褒美せしなり。凡その頃、物数をば、はや今の初心にゆづりて、安き所を少な少なと、色ひ…

「ネイティブは日常、非ネイティブはユートピア」:多和田葉子『地球にちりばめられて』(講談社、2018)

重なり合う糸、閉じない端 無関係にみえた人びとが言葉をめぐる冒険をとおして撚り合わされていく。しかし、言語の冒険物語は、決して大団円にはたどりつかない。糸はほどけ、突如として断ち切られる。 それは、多和田の小説が解決をめざしていないからだろ…

存在がなければ生成はない:グレアム・ハーマン、上野俊哉訳『非唯物論』(河出書房新社、2019)

ポスト・ヒューマン いまひとつよく理解できないでいるのだが、ハーマンが「非唯物論 Immaterialism」という言葉で名指そうとしている思想は、ポスト・ヒューマン的なものであると言っていいような気はしている。人間というカテゴリーが完全に抜け落ちるわけ…

パーソナルな記録と告白の問題性:キャシー・ジェイ『The Red Pill』(2016)

20190512@常葉大学静岡草薙キャンパス 向こう側がどう感じているか コンセプトは決して悪くない。「向こう側」がどのように感じているか、真摯に知ろうとすること、それは重要なことだ。フェミニズムによって女性の社会的権利は拡大し、男女のあいだの不平…

宮城聰作・演出『イナバとナバホの白兎』

20190609@静岡芸術劇場 spac.or.jp 純粋な高揚感、または内容と強度 宮城の演劇が観客に与えるのは、感動というよりも高揚だ。身体的でもあれば精神的でもある高揚。もしかすると魂の高揚と言ってしまっていいのかもしれない。高揚であって感動でないのは、…

生物学的真実と社会学的現実の衝突:池上英子『自閉症という知性』(NHK出版、2019)

自閉圏の人びとのユニークな感性と知性 もし自閉症的なもの――「自閉圏のautistic」と著者が呼ぶもの――がスペクトラム的なものであり、欠損や欠如ではなく、差異でありグラデーションのように連続的なものであるとしたら、それはたしかに「認知特性」と考える…

寛容のなかでも譲れない一線:ダグラス・マレー『西洋の自死――移民・アイデンティティ・イスラム』(東洋経済、2018)

人種差別的と思われたくないから人種差別主義者をも受け入れるという倒錯 ミシェル・ウエルベックが『服従』で描き出した問題は、ダグラス・マレーにしてみれば、ヨーロッパの自死の核心にあるものらしい。「左右両方のエリート政治家たちが「人種差別主義者…

特任講師観察記断章。瞬間脳内対話。

特任講師観察記断章。ジェンダー二進法にからめとられないように話すこと。「彼」というところを「彼や彼女」とするだけでも微妙に文字数が増えるし、「○○な人たち」というのを機械的に「彼ら」とは受けずに「○○な人たち」と繰り返すのは冗長だ。限られた授…

市民教育をやりなおす:マーク・リラ、夏目大訳、リベラル再生宣言(早川書房、2018)

民主主義の主要な概念の一つである「市民」はフェイスブックのアカウントとは違う。市民は、個人の持つ属性とは無関係に、絶えず政治社会を構成する他のすべての市民と結びついている。そして、社会における権利を持ち、同時に義務を負っている……フェイスブ…

特任講師観察記断章。フリの重要性。

特任講師観察記断章。「真面目に聞けとは言わない。そこまでは言わないけれど、真面目に聞いているフリはできるようになってほしい。興味をもって熱心に聞くというのが最上なのは言うまでもない。興味がないから攻撃的につまらなさそうに聞くというのも大学…