観劇メモ
多田淳之介の演出についてのいくつかの覚書。 *多田の演出をあえて挑発的に「貧しい演劇」と呼んでみたい。演出が質的に貧困だというのではまったくない。そうではなく、圧倒的に不十分な量しか与えられていないリソースをいかにして最大限活用し、最大限の…
20231007@静岡芸術劇場多田淳之介 演出・台本『伊豆の踊子』 いやこれは、『伊豆の踊子』ではなく、『The Dancing Girl of Izu』と呼んだ方がしっくりくるのではないか。川端康成の原作を裏切っているからでも、英語化されているからでもない。ここでは、わ…
今年の演劇祭は、「2023年東アジア文化都市」の開催都市に選ばれた静岡県と連動しているため、東アジア(中国と韓国)からの招聘演目が中心だった。そのせいというわけではないと思うけれど、それぞれの作品のベクトルがひとつひとつ異なるため、単純な優劣…
20230506@毎日江崎ビル 『Woman with Flower』(演出:アン・ウィスク) 演劇祭公式ページではジャンルが「バーティカルダンス」となっており、そういうものがあるのかとググってみると、たしかにある。ふたたび公式ページの紹介によれば、「垂直にそびえる…
20230507@静岡芸術劇場 『Dancing Grandmothers~グランマを踊る~』(振付・演出:アン・ウンミ) 舞台の奥の壁に韓国の道を行く車の窓からの眺めが投影されている。特筆すべきものがあるようには見えない。道路沿いにある、ありふれた山や森。構図もアン…
20230506@駿府城公園 泉鏡花『天守物語』(演出:宮城聰) 前日行われた「伝統」についての広場トークで、宮城はたしか、「伝統とは歴史について語ることであり、歴史は死者について語ることである」というような趣旨の発言をしていた(わたしの記憶違いで…
20230505@楕円堂 『パンソリ群唱』(演出・作・音楽監督:パク・インへ) 済州島に伝わる神々についての民話を題材にした創作劇と言っていいのだろう。「家の神々の起源譚」とのことだが、それはいわば種明かし的なオチであって、メインとなるのは家族の離散…
20230503 『XXLレオタードとアナスイの手鏡』(演出:チョン・インチョル、作 パク・チャンギュ@静岡劇術劇場 社会派な題材をシリアスな仕方で、しかし、エンタメ的な完成度を犠牲にすることなく具現化した作品。そんなふうに語ってみたくなる作品だった。 …
202304029/30 『ハムレット(どうしても!)』(オリヴィエ・ピイ演出)@有度 シェイクスピアの『ハムレット』の上演であると同時に、『ハムレット』についての言説の表象であり、劇場と演劇とは何かという哲学的な問いを提起し、それをパフォーマンスとし…
きわめてアヴァンギャルドな舞台。というか、ポストモダンなキッチュと言いたくなるほどに、反解釈なパフォーマンス。 大澤真幸のプレトークによれば、カフカの「田舎医師」や『城』をコラージュ的にサンプリングしているとのことだが、たしかにきわめてカフ…
演出の核心に触れるネタバレを含んでいるので、観劇前には読まないほうがよろしいかと思います。 20230114@静岡芸術劇場 黒い大きな格子に妖しげな光が投じられている。舞台奥から観客席に向かって少し傾いで、どことなく威圧的に、どこどなく不気味にそびえ…
20221211@静岡芸術劇場 チープ・ポップ。舞台はいくつかのエリアに分かれている。中央の空白。下手奥には、Tシャツを暖簾のようにはためかせる、縁日の屋台のような音楽隊のスペース。その上手よりの隣に、オープンなクローゼット。上手奥にはオープンなガ…
宮城聰演出、ヘンリック・イプセン『ペール・ギュント』20221106@静岡芸術劇場 双六が舞台を支配している。サイコロの目がマスにあしらわれた、舞台奥が高くなるように傾斜した、とてつもなく巨大な双六盤が、舞台中央を覆うように、少し斜めに置かれている…
宮城聰演出、ヘンリック・イプセン『ペール・ギュント』 20221008@静岡芸術劇場 宮城聰は日本近代の問題を自身の演出に批判的なかたちで取り入れようと苦闘し続けている。ヘンリック・イプセンの最後の韻文劇『ペール・ギュント』自体がそもそも西欧植民地…
20220917@舞台芸術公園稽古場棟「BOXシアター」 「扇風機もございませんし」とは言うが、扇風機はある。「喧嘩の場所じゃございませんのですから、ここは」とは言うが、段々になった観客席に四方から取り囲まれた正方形の白い床の舞台はまるでリングのようで…
20220503@静岡芸術劇場 舞台の最中に突然携帯電話の呼び出し音が鳴り響く。わたしたちはひどく驚き、不届き者はいったい誰なのかと苛立たし気に辺りを見回す。自分のものではなかったことに安堵しながら。スタッフすら不測の事態に浮足立っているようだに見…
20220430@舞台芸術公園「有度」 唐十郎の『ふたりの女』は妄想の約束を受け取った責任をめぐる物語なのかもしれない。紫式部の『源氏物語』とチェーホフの「六号病棟」を本歌とするらしいこの戯曲は、ミイラ取りがミイラになるお話と言って差しつかえないだ…
20220429@静岡芸術劇場 4カ月遅れの劇評、というか、記憶の発掘(これは観劇後のちょっとしたメモと、冒頭だけ書いて放ってあったものをいまさらながらに補完したもの)。 頭のてっぺんを観客に向け、足先を上にまっすぐ突き出し、白黒の格子模様の床に、俳…
20220505@駿府城公園 4カ月近く経って何をいまさらという感じはするけれど、書き留めておく。 『ギルガメシュ叙事詩』はアンチクライマックスな物語だ。前半は冒険活劇。シュメール都市国家ウルクの王ギルガメシュが主人公。野人エンキドゥとの格闘を経て固…
星座の製作者、または時空旅行装置としてのパフォーマンス 20220508@日本平の森彼らはきっと星座の制作者なのだ、ブレット・ベイリーと大岡信は、おそらくは。 赤青緑の3つのグループにランダムにわけられた観客は、さらに3つの小グループにわけられて、す…
20220123@静岡芸術劇場 泉鏡花作、宮城聡演出『夜叉ケ池』 おそらくすべてはすでに死んでいるのだ。 宮城聰の演出する泉鏡花『夜叉ヶ池』は水の底から始まる。客席は明るく照らされているのに、舞台は暗い。 鳥たちの囀りが聞こえてくる。 次第に客席が暗闇…
20211219@舞台芸術公園「楕円堂」 「夜の影が 石となってかれのうえに落ちてきた」という言葉とともに、パフォーマーは上半身を弓なりに反らせ、手を突き上げ、まるでいま口にした詩行が現実のものとなってその身にのしかかってきたかのように、まるで言葉…
20211218@静岡芸術劇場 伊藤郁女、笈田ヨシ 演出・振付・出演『Le Tambour de soie 綾の鼓』 「今では私はもう演じるとか、歌うとか、踊るとかいうんじゃなくて、ただ舞台上にいて、生きようと思っているんですよね」とは言うが、笈田ヨシは舞台の上で依然…
自分ひとりではどうしようもないことを、誰かと共有することで、どうにかできるものにする――濱口竜介が『偶然と想像』で描き出す物語は、そういうものだろう。この映画をかたちづくる3つの短編「魔法(よりもっと不確か)」、「扉は開けたままで」、「もう一…
20211123/28@静岡芸術劇場 チェーホフ・アフター・ベケット spac.or.jp 静かで、翳っている。夜明けを待つ薄暗がりの舞台は、空虚に広がっている。毛足の長いくすんだ色の絨毯は、まるで砂浜のように、歩く人の足跡を残す。細いフレームだけで構成された直線…
20210606@静岡県舞台芸術公園 野外劇場「有度」 武士のアイデンティティを探す話――平田オリザ作の『忠臣蔵2021』のあらすじを一文で強引にまとめればそうなるだろう。250年以上にわたる太平の時代が始まって1世紀近くが過ぎた頃に勃発した出来事に巻き込ま…
20210505@駿府城公園 死に魅入られた芝居――そんな言葉を宮城聰演出のソポクレス『アンティゴネ』に投げかけてみたい誘惑に抵抗しなければならない。これは死者のドラマではない。水をたたえた暗い舞台、中央には灯篭のように積み上げられた人の身長よりも高…
「ピーチャム おれは気づいたんだ、この地上の金持ちどもは、貧困を生み出すことはできるくせに、貧困を直視することはできないってな . . . あいつら、腹が減ってぶっ倒れる人間を目撃して、知らんぷりをするってのは無理なんだ。だから、どうせぶっ倒れる…
20210425@駿府城公園 東御門前広場 特設会場 ジョルジオ・バルベリオ・コルセッティ演出『野外劇 三文オペラ』 4月末の18時は夜というにはまだ明るい。かといって昼の光が残っているわけでもない。中途半端な狭間の時間、ただっぴろい灰色の広場の中央奥に、…
20210429@舞台芸術公園「有度」 宮城聰演出、唐十郎『おちょこの傘持つメリー・ポピンズ』 舞台のうえには傘屋の仕事場とおぼしきものがポツンと立っている。色とりどりの傘が並んでいる。開いたものが手前に、閉じたものが下手側の天井からぶら下がってい…