観劇メモ
20241103@静岡芸術劇場「イナバとナバホの白兎」 劇評ではなく備忘録として、とりあえず一筆書き的に記しておく。 *2019年6月の再演を見ているので、2回目の観劇体験。大筋では内容を覚えていたし、元ネタであるレヴィ・ストロースの文章を読み、かつ、そ…
20241103@静岡芸術劇場ロビー、フランスのルーアン市立コンセルヴァトワール学生による「フランスの歴史をテーマにしたミニパフォーマンス」 王政時代を象徴するらしいラシーヌとリュリに始まり、フランス革命によって王殺しが成し遂げられる。近代市民社会…
20240702@静岡県立美術館「テオ・ヤンセン展」 テオ・ヤンセンを「芸術家」と呼ぶのは何かしっくりこない。カタカナで「アーティスト」とするほうが的を射ている気がする(実際、美術館のホームページでもそうなっている)。しかしそれは、ヤンセンのやって…
20240506@駿府城公園 岡倉天心作、宮城聰演出『白狐伝』 岡倉天心が英語で書いた、上演されることのなかった遺稿のオペラ台本『白狐伝』は、何とも不思議なテクストだ。20世紀初頭の英語にしては、19世紀的な過剰に修辞的なスタイルであり、英語を母語としな…
20240505@グランシップ6階 交流ホール 『マミ・ワタと大きな瓢箪』 メルラン・ニヤカムの身体は弾み、震え、曲がり、たわみ、ねじれ、躍動する。それは、厳密な規律訓練によって幾何学な不自然さを自明性へと昇華させたような西洋的なバレエの身体の対極に…
舞台の上に臨時に設置された客席は、舞台中央を取り囲むように三方に配置されており、舞台後方には無地の白い布が下りている。その前に、さまざまなかたちの椅子が横一列に並んでいるが、舞台装置と呼べそうなのはそれだけだ。不穏さと物悲しさをかき立てる…
20240429@舞台芸術公園と平沢地域 「かちかち山の台所」 「かちかち山」は、人間に土地を奪われたたぬきが投げかけた呪詛の言葉にたいして暴力をもってを応酬した人間が逆に仕返しされ、仕返しされた人間に代わってうさぎがたぬきを残酷にやりこめていく説…
不思議と言おうか、不気味と言おうか、「ひとり暮らしをする寂しいあなたの友達になってあげましょう」と善意の押し売りで何の前触れもなくいきなり部屋を不法占拠した一家七人による、お笑い的とさえ言いたくなるテンポのよい軽妙な言葉のやりとりと、それ…
完全な闇のなか、祭りの太鼓のようでもあれば、死者を送る葬送の知らせでもあるかのような「ドン、ドン」という鈍い音が響き渡るなか、楕円の舞台上手からゆっくりと登場するふたりの此岸的身体の彼岸的な存在感を強調するかのように、光が注ぐ。全体的にく…
多田淳之介の演出についてのいくつかの覚書。 *多田の演出をあえて挑発的に「貧しい演劇」と呼んでみたい。演出が質的に貧困だというのではまったくない。そうではなく、圧倒的に不十分な量しか与えられていないリソースをいかにして最大限活用し、最大限の…
20231007@静岡芸術劇場多田淳之介 演出・台本『伊豆の踊子』 いやこれは、『伊豆の踊子』ではなく、『The Dancing Girl of Izu』と呼んだ方がしっくりくるのではないか。川端康成の原作を裏切っているからでも、英語化されているからでもない。ここでは、わ…
今年の演劇祭は、「2023年東アジア文化都市」の開催都市に選ばれた静岡県と連動しているため、東アジア(中国と韓国)からの招聘演目が中心だった。そのせいというわけではないと思うけれど、それぞれの作品のベクトルがひとつひとつ異なるため、単純な優劣…
20230506@毎日江崎ビル 『Woman with Flower』(演出:アン・ウィスク) 演劇祭公式ページではジャンルが「バーティカルダンス」となっており、そういうものがあるのかとググってみると、たしかにある。ふたたび公式ページの紹介によれば、「垂直にそびえる…
20230507@静岡芸術劇場 『Dancing Grandmothers~グランマを踊る~』(振付・演出:アン・ウンミ) 舞台の奥の壁に韓国の道を行く車の窓からの眺めが投影されている。特筆すべきものがあるようには見えない。道路沿いにある、ありふれた山や森。構図もアン…
20230506@駿府城公園 泉鏡花『天守物語』(演出:宮城聰) 前日行われた「伝統」についての広場トークで、宮城はたしか、「伝統とは歴史について語ることであり、歴史は死者について語ることである」というような趣旨の発言をしていた(わたしの記憶違いで…
20230505@楕円堂 『パンソリ群唱』(演出・作・音楽監督:パク・インへ) 済州島に伝わる神々についての民話を題材にした創作劇と言っていいのだろう。「家の神々の起源譚」とのことだが、それはいわば種明かし的なオチであって、メインとなるのは家族の離散…
20230503 『XXLレオタードとアナスイの手鏡』(演出:チョン・インチョル、作 パク・チャンギュ@静岡劇術劇場 社会派な題材をシリアスな仕方で、しかし、エンタメ的な完成度を犠牲にすることなく具現化した作品。そんなふうに語ってみたくなる作品だった。 …
202304029/30 『ハムレット(どうしても!)』(オリヴィエ・ピイ演出)@有度 シェイクスピアの『ハムレット』の上演であると同時に、『ハムレット』についての言説の表象であり、劇場と演劇とは何かという哲学的な問いを提起し、それをパフォーマンスとし…
きわめてアヴァンギャルドな舞台。というか、ポストモダンなキッチュと言いたくなるほどに、反解釈なパフォーマンス。 大澤真幸のプレトークによれば、カフカの「田舎医師」や『城』をコラージュ的にサンプリングしているとのことだが、たしかにきわめてカフ…
演出の核心に触れるネタバレを含んでいるので、観劇前には読まないほうがよろしいかと思います。 20230114@静岡芸術劇場 黒い大きな格子に妖しげな光が投じられている。舞台奥から観客席に向かって少し傾いで、どことなく威圧的に、どこどなく不気味にそびえ…
20221211@静岡芸術劇場 チープ・ポップ。舞台はいくつかのエリアに分かれている。中央の空白。下手奥には、Tシャツを暖簾のようにはためかせる、縁日の屋台のような音楽隊のスペース。その上手よりの隣に、オープンなクローゼット。上手奥にはオープンなガ…
宮城聰演出、ヘンリック・イプセン『ペール・ギュント』20221106@静岡芸術劇場 双六が舞台を支配している。サイコロの目がマスにあしらわれた、舞台奥が高くなるように傾斜した、とてつもなく巨大な双六盤が、舞台中央を覆うように、少し斜めに置かれている…
宮城聰演出、ヘンリック・イプセン『ペール・ギュント』 20221008@静岡芸術劇場 宮城聰は日本近代の問題を自身の演出に批判的なかたちで取り入れようと苦闘し続けている。ヘンリック・イプセンの最後の韻文劇『ペール・ギュント』自体がそもそも西欧植民地…
20220917@舞台芸術公園稽古場棟「BOXシアター」 「扇風機もございませんし」とは言うが、扇風機はある。「喧嘩の場所じゃございませんのですから、ここは」とは言うが、段々になった観客席に四方から取り囲まれた正方形の白い床の舞台はまるでリングのようで…
20220503@静岡芸術劇場 舞台の最中に突然携帯電話の呼び出し音が鳴り響く。わたしたちはひどく驚き、不届き者はいったい誰なのかと苛立たし気に辺りを見回す。自分のものではなかったことに安堵しながら。スタッフすら不測の事態に浮足立っているようだに見…
20220430@舞台芸術公園「有度」 唐十郎の『ふたりの女』は妄想の約束を受け取った責任をめぐる物語なのかもしれない。紫式部の『源氏物語』とチェーホフの「六号病棟」を本歌とするらしいこの戯曲は、ミイラ取りがミイラになるお話と言って差しつかえないだ…
20220429@静岡芸術劇場 4カ月遅れの劇評、というか、記憶の発掘(これは観劇後のちょっとしたメモと、冒頭だけ書いて放ってあったものをいまさらながらに補完したもの)。 頭のてっぺんを観客に向け、足先を上にまっすぐ突き出し、白黒の格子模様の床に、俳…
20220505@駿府城公園 4カ月近く経って何をいまさらという感じはするけれど、書き留めておく。 『ギルガメシュ叙事詩』はアンチクライマックスな物語だ。前半は冒険活劇。シュメール都市国家ウルクの王ギルガメシュが主人公。野人エンキドゥとの格闘を経て固…
星座の製作者、または時空旅行装置としてのパフォーマンス 20220508@日本平の森彼らはきっと星座の制作者なのだ、ブレット・ベイリーと大岡信は、おそらくは。 赤青緑の3つのグループにランダムにわけられた観客は、さらに3つの小グループにわけられて、す…
20220123@静岡芸術劇場 泉鏡花作、宮城聡演出『夜叉ケ池』 おそらくすべてはすでに死んでいるのだ。 宮城聰の演出する泉鏡花『夜叉ヶ池』は水の底から始まる。客席は明るく照らされているのに、舞台は暗い。 鳥たちの囀りが聞こえてくる。 次第に客席が暗闇…