2020-06-01から1ヶ月間の記事一覧
ジェフリー・テイトはサインをもらいにいった唯一の指揮者だ。2000年前後の読響とのエルガーだったと思う。正直、演奏会の内容はあまり覚えていないし、そこまで感動した記憶もない。しかし、なぜかテイトは自分にとって気になる指揮者であり続けている。 同…
地方の公立美術館が所蔵すべき品は何なのだろかと考えてしまう。地元にゆかりのある芸術家、地元を題材にとった作品だけを集めるのは、美術館というよりは郷土館の役割という気がするし、美を郷土愛=主義(パトリオティズム)に帰属させるのは的外れである…
特任講師観察記断章。非対称的な英語能力の必要性。必修のTOEIC科目の中間試験の附録として音読の課題を出し、それを採点していたのだけれど、いまの発音教育はどうなっているのだろう。なんとなくネイティヴ「風」の音声が目指されているような雰囲気は感じ…
まったく、ペストというやつは、抽象と同様、単調であった。(132頁) われわれはあたかも市民の半数が死滅させられる危険がないかのごとくふるまうべきではない、と。なぜなら、その場合には市民は実際そうなってしまうでしょうから。(76頁) 彼らに欠けて…
マリオ・ヴェンツァーゴの演奏は軽さと速さの遊戯である。CPOとのブルックナー全集の軽量級っぷりは、ほとんど常軌を逸していると言ってもいい。敏捷さをここまで前面に押し出した演奏は聞いたことがない。 とはいえ、この軽さが古楽器の影響なのかというと…
ロジェ・デゾルミエールがどういう指揮者だったのか、どうもよくわからない。ブーレーズはとあるインタビューで、50年代に現代音楽をきちんと触れる指揮者はほとんどいなかった(だから自分で振り始めた)と回想しつつ、そのような稀有な例外的存在のひとり…
イーゴリ・ストラヴィンスキーは指揮もする作曲家の系譜に連なるひとりではあるけれど、指揮するのが自作に限定されているという点で、きわめて特異な存在である。 もちろん、自作以外を振っていたことは間違いないと思うし、実際、LAフィルとのチャイコフス…
ベンジャミン・ブリテンの指揮からあふれ出す強い説得力の源にあるのは、流れていくものである音楽の生命力だ。すべてが生き生きと脈打っている。すべてが動き、前に進んでいく。音楽に死んだところがない。 あまりにあたりまえのことではある。しかし楽曲構…
シルヴァン・カンブルランは音楽を層や面において捉える珍しいタイプの指揮者だ。線でも点でもなければ、流れや色彩でもない。パートの音をひとつの帯にまとめあげ、それを地層のように積み重ねていく。 だからカンブルランの作り出す音楽はとこか響きが丸い…
特任講師観察記断章。やることで得られる利益を逃すことよりも、やらないことで発生する不利益を怖れている。学生たちの態度をまとめれば、そうなるような気がしている。 自分で読み込むよりさきに、とにかく聞いてみるというのが学生の基本態度であるらしい…
庭仕事はつづく。ツタの成長速度には目をみはるものがある。ツルはどこか昆虫のようだ。表面にびっしりと強い産毛が生えていて、少し赤味がかっている。先端は触覚や脚のようだ。ほかの植物の枝や茎を支柱のように使い、絡みつき、大きな葉を広げ、光を奪う…