うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

2020-09-01から1ヶ月間の記事一覧

純粋なシニフィアンのダンス:運動するイマージュとしてのカルロス・クライバーの音楽

カルロス・クライバーの音楽は純粋なシニフィアンなのかもしれない。何かを表現するのでも描写するのでもなく、音自体がある。音のダンスだ。その手前にも、その向こうにも還元できない、音そのものの運動のエネルギーが、クライバーの音楽なのだ。 極論すれ…

静けさと烈しさの協業的な同居:ミトロプーロスの魔術的な指揮

ディミトリ・ミトロプーロスがどのようにして音を合わせていたのか、どうしてもわからない。オーケストラの音の合わせ方など、そうそうヴァリエーションがあるものでもない。「点」で合わせるか(するとブーレーズのように、重なり絡み合う音が透けて聞こえ…

縦線の響きではなく、横線の動きを:ブルーノ・ワルターの旋律の運動性

ブルーノ・ワルターの音楽の説得力は破格だ。しかし、その力の出どころは、解釈の卓越性ではないような気がする。モーツァルトのト短調1楽章再現部のルフトパウゼがもっとも顕著な例だけれど、理性的にはどうにも理解できない部分はある。それでも感性的には…

記憶のありか(プルースト『花咲く乙女たちのかげに』)

「私たちの記憶の最良の部分は私たちの外、たとえば、雨を含んだ風や閉め切った部屋の匂い、最初に火が熾りかけたときの香りのうちに、そう、私たちの知性が使い道を知らずに軽んじていた何か──最後まで取り置かれていた過去であり、過去の最良の部分でもあ…

感情のひとり相撲(プルースト『花咲く乙女たちのかげに』)

「誰かを愛しているとき、あまりに大きくなりすぎた愛は、私たちの心のなかには入りきらなくなってしまう。愛は愛する対象のほうへ放射され、相手のある面にぶつかって止まると、出発地点に向かって送り返される。私たち自身の愛情のこうした跳ね返りこそ相…

翻訳語考。publicとsocialの違い。

翻訳語考。publicとsocialの違いが、どうもしっくりこない。どちらもラテン語を語源とする言葉だ。publicはpeopleに、socialはsocietyやassociationに通じるわけだから、当然、publicのほうが指示範囲は広い。publicがとある共同体の人々全員をカバーすると…

デヴィッド・グレーバーの訃報、死亡記事のリンク

9月2日に59歳で亡くなる。 1961年、ニューヨークの労働者階級の家庭に生まれる。父ケネスはカンザス出身で、スペイン市民戦争では反フランコ派の国際旅団 International Brigadesに加わって闘う。母ルースはポーランド出身で、1930年代に、労働組合による唯…