うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

2022-06-01から1ヶ月間の記事一覧

クリントの感化力:『見えるもの、その先に ヒルマ・アフ・クリントの世界』

ヒルマ・アフ・クリントの絵はニューヨークのグッゲンハイム美術館で展覧会が開かれていたとき、学会に出るためにたまたまアメリカ東海岸に滞在中で、クリント展だから見に行こうというのではなく——そのときクリントのことはまったく知らなかった———、「ニュ…

枯れ木に棲むものたち(アンヌ・スヴェルトルップ=ティーゲソン『昆虫の惑星』)

「枯れ木の幹や枝や根は、生きものたちの家だ。北欧では、六〇〇〇種近い生きものが枯れ木を棲みかにしている。北欧に棲む生き物は一万八〇〇〇種以上と考えられている。つまり、全体の三分の一の種が枯れ木で暮らしていることになる。枯れ木に棲む種のおよ…

皮膚に触れる、脳に触れる(モンティ・ライマン『皮膚、人間のすべてを語る』)

「皮膚は一見すると何もない吹きさらしの土地のように映る。だがじつは、私たちの身体はドキュメンタリー映画が撮れそうなほど多彩な生物の生息地で覆い尽くされている。そこで暮らす「野生の」生物たちにとっては、私たちの皮膚こそが世界なのだ。」(モン…

「だがわたしは反抗するために生まれてきた」:バイロン、東中稜代訳『ドン・ジュアン』(音羽書房鶴見書店、2021)

バイロンの『ドン・ジュアン』は、名前は知っているけれど読んだことがない作品のひとつだったが、図書館の新刊の棚に東中稜代による上下2巻の新訳があったので、これ幸いとばかりに借りてきて、流し読みするようにページをめくりつつ、ところどころ気になっ…

凡庸な作品の饗宴:静岡市美術館、スイス プチ・パレ美術館展

凡庸な作品をここまでまとめて見ることができるというのは、それはそれで貴重な機会。ビックネームの背後には数多の亜流がいたこと、というよりも、いまでは忘れられてしまった圧倒的多数が作り上げた流行があればこそ絵画が市場として存在していたこと、そ…

サドとヘルダーリンとベンヤミン:三島由紀夫『春の雪』

「なぜなら、すべて神聖なものは夢や思ひ出と同じ要素から成立ち、時間や空間によつてわれわれと隔てられてゐるものが、現前してゐることの奇蹟だからです。しかもそれら三つは、いづれも手で触れることのできない点でも共通してゐます。手で触れることので…

「独り静けさのなか」(ヨネ・ノグチ「序詩」)

"Alone in the tranquility, I see the colored-leaves of my soul-trees falling down, falling down, falling down upon the stainless, snowny cheeks of this paper." (Yone Noguchi. "Prologue" in Seen and Unseen.) 「静けさのなかで僕は独りきりで見…

星座の製作者、または時空旅行装置としてのパフォーマンス:ブレット・ベイリー演出(日本版キュレーション:大岡信)『星座へ』

星座の製作者、または時空旅行装置としてのパフォーマンス 20220508@日本平の森彼らはきっと星座の制作者なのだ、ブレット・ベイリーと大岡信は、おそらくは。 赤青緑の3つのグループにランダムにわけられた観客は、さらに3つの小グループにわけられて、す…

commitmentを「推し」と訳せないだろうか

commitmentが厄介な言葉であることは常々思っていることではあるけれど、いまだに適切な日本語を見つけられないでいる。思想史的な文脈を踏まえるなら、思い切って、「アンガージュマン」としてしまうのもひとつの手ではあるけれど、2022年のいま、このカタ…

特任講師観察記断章。暗誦の教育的効果。

特任講師観察記断章。漢文の素読はとても意味のあることだったのではないか。読み下し文には独特のリズムがあり、定型的な表現がある。韻文とまではいわないが、散文というにはあまりにも定式化されたリズムとメロディがある。だから、暗誦するところまでや…