うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

接続法とは(西村牧夫『中級フランス語 読みとく文法』)

「話し手が〈X que Y〉と言うとき、情報の比重がYにかかっているときは直説法、Xにかかっているときは接続法という法則が成立しそうです。すなわち、主節が表す「喜怒哀楽」「判断」「頻度」などに情報のポイントがあるから、「従属節を接続法にしてその部分の主張を弱める」というのがフランス語独特の発想なのです。」(西村牧夫『中級フランス語 読みとく文法』189頁)

20240322 静岡県立美術館「天地耕作 初源への道行き」、または(現代)美術のひたむきさ

20240322@静岡県立美術館

「天地耕作 初源への道行き」の無料券をもらいながら、ずっと忙しくて行けないままでいたけれど、来週水曜で終わってしまうので、やや無理やりながら時間を作って足を運んだ。

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正直な感想は、「これは何なのだろう?」という当惑。誰もあえて足を運ばなさそうな山の中にあえて作ったオブジェ。それはたしかに、制作者たちのひたむきな創造ではあり、その真摯な態度に心を打たれるところはある。それでも、同時に、「だから何なのだろう?」という首をひねる感じは残る。

このような特定の場所の地勢を前提とした製作物は、どこからどこまで「作品」なのだろうか。今回の展覧会の場合、制作の前段階にあたるメモから、制作者たちによる言葉、制作物のなかで行われたパフォーマンスの写真や映像、ドキュメンタリー的な記録まで、多岐にわたるものが展示されているけれど、そのどれが果たして「天地耕作」と呼ばれるものの一部をなすと言えるのだろうか。

もちろん、そのすべてがその一部ではある。しかし、では、そのどれかがほかのどれかよりも特権的と言えるのかどうか。

県立美術館はその裏手に山を備えているので、今回のような展覧会の場合、自然を味方につけることができる。だから、過去の「天地耕作」の「記録」だけではなく、その再演とでも言うべきものを(再)現出させるためのスペースを確保できたわけではあるけれども、果たしてそれが、誰にも見られることがないかもしれないものを作り演じることをライフワークとしてきたアーティストの意に適うことなのだろうか。

美術館では、関連企画として、「静岡の現代美術と1980年代」をやっていたけれど、それを見ながらやはり考えてしまう。いったい何があれば「現代美術」とカウントされるのか、と。

現代美術にかぎらず、作家性を主張するには、特定の媒体——絵画であれ、パフォーマンスであれ、映像であれ——に依拠しない表現方法を発明する必要があるのだろう。ロラン・バルトがいみじくも宣言したように、「作家は死んだ」かもしれないし、すべての謎解きとしての作者は葬り去るべきかもしれないけれども、にもかかわらず、一連のテクストの署名者は残り続けるだろうし、現行の美術館体制においては、「作者の名」は依然として必要であり、だからこそ、同じ名前で名指すことができる特性は必要不可欠であるようにも思う。

では、それを担保するのは何なのか。

おそらく、もっとも理論的で、そうであるがゆえに、方法論的に反復可能であるのは、戦略的コンセプトの有無であり、そのもっとも成功した(良くも悪くも)例は村上隆だろう。それは、美術市場というゲームを、斜に構えた皮肉な態度で、あくまでゲームとしてプレイすることである。

そして、そのような皮相的な態度の対極に、このゲームをゲームと受け入れながら、その上で、批評的に、批判的にそれと関わろうとする態度がある。たとえば、森村泰昌の方法論がそれに該当するように思う。

コンセプトではなく、モチーフによる一貫性もありうる。死というテーマ系や、類似のキャラクターを反復した石田徹也をこのカテゴリーに入れてみても的外れではないだろう。それは、一目見て、「これはXXの作品だろうな」と思わせる力であり、見慣れたところがありながらマンネリとは感じさせない差異である。同じだけれど違うという矛盾を破綻なく継続させられるところに、依然として、作家性がある。

それよりもさらに微妙なのは、空間的配置の妙であり、それは、直感的なアピールであると言っていい。たとえば、ポロックのアクションペインティングにしても、同じ方法論の繰返しに見えるロスコにしても、それが、にもかかわらず、どうしようもなく魅力的に見えるのは、それぞれの絵がもつ唯一的な構図の絶妙さにあるのであり、だからこそ、そのようなコンテンポラリーアートは反復可能でもあれば反復不可能であり、数多の亜流を生みながら、二番煎じのヒットにはつながらない。

現代絵画において、技術の卓越性はもはや焦点になっていないように思うし、極論すれば、一定の技術的水準を越えることがアート市場に参入するための条件だろうかとすら思う。途方もない技術の結晶であったはずのハイパーリアリズムすら、もはや単なる手段であり、それ単体では無意味ですらある。

そのあとに残るのは何なのか。ひたむきさであるよう気がしている。どう受け入れられるかは度外視して、アート市場も視野に入れず、ただただ、みずからが思い描くものと心中する勇気だ。天地耕作にはその覚悟が出来ているように思われた。

20240321 カナダ滞在最終日。教会とベーグルと図書館。

カナダ滞在最終日。とはいえ10時半ぐらいのバスで空港に向かわなければならないし、朝に空いているところも多くないので、必然的に選択肢は絞られる。

滞在先のホステルからわりとそばの Basilique-cathédrale Marie-Reine-du-Monde de Montréal は何度も前を通りながら入っていなかったので立ち寄る。普通、教会は、朝のミサのあいだは入れてくれないのだけれど、ここはなぜか入れてくれたので、ちょっと立ち聞き立ち見する。壮麗な建物に目を奪われるが、説教の声の反響にも耳を奪われる。入口のところに座っていた警備関連の仕事をしていると思わしき(格好的にそう思った)が、途中から職務を離れて中には入り、ミサの祈りに加わっていたのが印象的だった。

モン・ロワイヤルにある St-Viateur Bagle のカフェでスモークミートベーグルとレモネードで最後の朝食。ここのベーグルはいちど買って食べてはいたけれど、カフェで食べてみたいと思ってやってきた。普段着のおいしさとでも言おうか、毎日食べても食べ飽きない味。

ケベック州立図書館で貸出カードが作れるときいたので、もういちど行ってみた。問題なく作れてしまえて、むしろ唖然としたぐらい。パスポートと、滞在先の住所があれば誰でも作れるようだ(入力するところを見ていたけれど、記入していたのは氏名、生年月日ぐらいで、パスポート番号は控えていなかったと思う)。しかも無料で。ここはカフェもあれば古本屋もあり、ホールも持っているのだけれど、カナダの図書館はみんなそうなのかとカードを作ってくれた係の人に聞いてみたところ、ここの図書館がとくにそのようなコンセプトで作ったのだとのこと。図書館が地下鉄直結なのも地味にすごいところではないか。

空港内を自転車で見回っている警備員や医務員がいた。

20240321 カナダ滞在まとめ。

カナダ滞在のまとめ。

*「カナダの東側は英仏バイリンガル」というあまりに雑な認識と、「モントリオール交響楽団シャルル・デュトワのフランス音楽といえばフランスのオケよりもフランス的」という謳い文句ぐらいしか頭にない状態でやって来たけれど、最終的な結論としては、ケベック州は「フランス語的」ではあるけれど、かならずしも「フランス的」というわけではない、とまとめてみたい。

*先住民たちが暮らしていたところに作られた「ヌーベル・フランス」は、フランスのカトリック宣教師たちの布教の地でもあり、その意味では旧世界的な余韻がある。現在でもカトリックが人口の30%近くに上るという。この点で、プロテスタント系のアメリカとは異なるところだろう(ただし、現代のカナダはかなり世俗化されてもいるそうだ)。

*フランス先鞭を付けた開拓事業は、18世紀なかば、イギリスに奪われる。カナダがイギリス領となったため、アメリカ独立戦争の際は、アメリカから攻撃されている。第一次大戦時には、大英帝国の一部として出兵を余儀なくされている。インドやアフリカがイギリスの植民地であったのと同じ意味でカナダがイギリスの植民地であったわけではなかったものの、アメリカのようにイギリスから独立した存在であったわけでもなく、そこに、カナダの特異性——ヨーロッパとの地理的かつ心理的な距離感(アメリカとの共通点)、政治的な自律性の欠如(植民地との共通点)――があるように思う。

*英語だけで用が足りてしまった。ただ、こちらが「Hello」と口火を切らないかぎり、まずは「Bonjour」と話しかけてくるし、別れ際には「Bonne journée/soirée」のほうをよく耳にした気もするけれど、英語が通じないということはなかった。面白いのは、ケベック州の議事堂では、半で押したように「Vous parlez français?」と訊かれたこと。州の公用語がフランス語である以上、ここは譲れない一線なのだろう(ただ、英語で返答すると英語に切り替えてくれるので、そこはかたくなではない)。

*物価はやはり高い。いや、というよりも、日本が安いのだ。ちょっとしたレストランで食べれば、消費税込みで30CAD(3300円)はかかる。そこに飲み物やもう一皿を付ければ、50CAD(5500円)は軽く上回る。感覚的には、日本で同じようなものを食べたら、その半額とまでは言わないまでも、6-7割ぐらいに収まるだろう。そう考えてみると、インバウンド向けの海鮮丼が7000円オーバーというのは、海外からの旅行者の自国での外食にさいの金銭感覚からすると、異常なほど高くはないのだろう。

*ただ、ちょっと不思議なのは、昔ながらのレストランと、今風のレストランで、そこまでの価格差を感じなかったこと。たとえば、メインディッシュはどこでもだいたい25-35CADぐらいはするし、その価格差の基準は、鶏肉か牛肉かジビエ(トナカイ、バイソンなど)かにあるような感じもした。別の言い方をすると、ファーストフードではなく、きちんとテーブルに座って給仕してもらう店に入るのであれば、それなりの金額を出すことを覚悟しなければならないので、店選びには真剣になる。個人的には、伝統的なお店よりも、最近のトレンドを取り入れたお店のほうが好みでした。

*カナダは水道水が飲めるらしいけれど、そのせいなのか、どこでも水はたっぷりと出てきた。オリーブオイルの空き瓶だったり、ちゃんとしたカラフェだったり、出し方はまちまち。しかし、おおむね、ピッチャー的なものをテーブルに置いてくれていた。

*カナダでは食事にパンをつけないのか、パンは自動的には出てこない(頼むと出してくれるところもあるようだ)。カナダの主食(メインの炭水化物)が何なのかは、いまひとつよくわからないままだ。あえていえばポテトなのかとは思うし、プティン(フライドポテトにグレービーソースをかけて、チーズカードをトッピングしたもの)はその典型かもしれない。

*コーヒーはエスプレッソがデフォルトな感じがあるというか、コーヒーメニューのトップに来るのはエスプレッソのことが多かった。しかし、だいたい、「allongé」という見かけない選択肢がある。動詞 allonger は英語なら stretch や dilute の意味であり、「伸ばす」「薄める」と訳せるだろう(allongé は allonger の過去分詞形なので、この場合、「薄められた(エスプレッソ)」ということになる)。しかし、これは、エスプレッソをお湯で伸ばした「アメリカーノ」とはまた別物である(「アメリカーノ」はまた別カテゴリーとしてメニューに載っているからだ)。イタリア語だと「lungo」(長い)と呼ばれるものらしい。抽出する際に水を倍量使うようだが、そのようなことを知らずに飲んでいた身からすると、普通のエスプレッソの半分の濃さという感じはなく、いまこうし調べて、そういうものだったのか納得した次第です。

*VIA(カナダ国鉄)のシステムは、アメリカの Amtrack とよく似ている。チケット価格は変動制で、同じ区間でも、購入のタイミングや乗車する曜日で値段が違う。もちろん早めに買った方が安く、そして、週末のほうが高いようである。不思議なのは、予約も乗車券すべて電子化されているのに、乗車チェックは人力だし、車内確認も人力なところ。行き先に応じて、座席上の荷物入れのところに付箋のようなものを付けていく。車内販売はあるけれど、クレジットカードは使えるのに、現金は受け付けない。ハイテクなところとローテクなところが混在している。個人的に大いに驚いたのは、モントリオールからケベックシティに行くときに乗った列車は、車内数か所に次の停車駅を知らせる電光掲示があり、座席もとてもきれいだったのに、ケベックシティからモントリオールに戻るときの列車は、座席のカバーが破けそうなほどに年季が入っており、電光掲示もなかったこと。さらに言えば、帰りは「前向き Forward-facing」(進行方向に向いて座る)席を予約したはずなのに、席に行ってみれば「Backward-facing」になっていたこと。なぜかと思って係員に尋ねたところ、「いろいろあって、当初予定していたのとは違う車両で運行しているせいではないか」という回答があった。このあたりのグダグダ感を見せつけられると、JRのダイアの正確さが異常であるようにすら思えてくる。

モントリオールケベックシティも、歩行者用の信号はあって欲しいところすべてにあったと言っていい。アメリカ(西海岸)だと、車優先であるため、歩行者が割を食っている部分があるし、それは日本においても当てはまるだろう。しかし、ケベック州では、アメリカ(西海岸)と同じぐらい多車線で広い車道になっているにもかかわらず、車優先という感じはしなかった。

*男女ともにかなり背の高い人がいる。信号待ちでふと横を向くと、見上げるように背の高い人がいたことが何度もあった。ただ、それは往々にして白人なのだけれど、ヨーロッパでは背の高い人々がいるところですぐ思い浮かべるのは北欧であって、カナダに最初に入植したフランス人ではない。とすると、なぜカナダにいる背の高い人々の出自はどこになるのだろう。

歩きタバコをよく見かけた。とはいえ、カナダの喫煙率が取り立てて高いわけではない。モントリオールというカナダ第二の大都市だからとくに見かけただけなのかもしれない。マリファナを吸っているところを通りかかったことも1度や2度ではない。

*ホームレスを街のいたるところで見かけたということはない。それはもしかすると、カナダ東部の冬があまりにも厳しく、路上生活が事実上不可能だからかもしれない。しかし、日中、地下鉄の入り口とホームのあいだの地下空間で眠っているホームレスを少なからず目にした。とくに大きめの駅では。柱の隅に身を寄せるようにして、しかし、自分の前の通路のわりと真ん中あたりに小銭をせびるための紙コップを置いて、地面に横たわっていた。冷え込む夜(地下鉄は夜中も開いており、暖房が効いているのだろうか?)に寝るのは自殺行為なので、昼のあいだに寝ているのだろうか。

*3月でも寒いということだったので、かなり厚着できるように準備して行ったのだけれど、そこまで身構えなくてもよかったというのが正直な感想。ユニクロのウルトラヒートテック、ウールのセーター、ユニクロのライトダウン、マフラー、防風撥水の軽いダウンのロングアウターぐらいは必要かなと思って用意したものの、ユニクロのライトダウンが必須だったのは10日中、2日あったかどうか。もちろん、1日中外にいるということになればまた違うはずだが、外を出歩くのは限定的で、1日の大半は室内というのであれば、1枚減らしてもよかったと思う。

(そういえば、モントリオールを歩いていてユニクロを見かけなかったなと思って調べてみたら、モントリオールの街中にはユニクロは1店舗しかないそうだ。)

というわけで、10日間でずいぶん回ってきたような気もするし、典型的な観光地を勤勉に巡ってきただけ(『Lonely Planet』と『地球の歩き方』の導きに従って)という気もする。でも、ひとつ確かに言えるのは、カナダがずっと身近になったこと、カナダでこれから起こることがどこか自分に関係のある事柄のように感じられるようになったことだ。

それがいいことなのかそうでないことなのか、それはわからない。しかし、自国を出て異国を旅することは、故郷を増やす行為にほかならないのではないかという確信はますます深まりつつある。そして間違いなく、わたしたちの誰もが、もっともっとたくさんの故郷を、この惑星の至る所に持つべきなのだ。それがきっと、すべての人の未来のために一番よいことなのだと思う。

20240320 ケベックシティ3日目午後後半。

ケベックシティ3日目午後後半。急いで宿に戻る。川岸に広がる「Plaines d‘Abraham」は地図ではなんのことかと思っていたけれど、来てみて見てみてよくわかった。ここはすごく広い公園(長さ2キロ、幅400メートル)であり、冬はカントリースキーができるようになっているのだ。だから「plaines(平原)」ということなのだろう。

しかし、ここは「Parc des Champs-de-Bataille(戦場公園)」と呼ばれてもいる。1759年、侵略してきたイギリス軍と防衛側のフランス軍の合戦場でもあったからだ。ジャンヌ・ダルク像がある一画があるのも、それがわかると腑に落ちるし、大砲が野ざらしになっているのもわかる。

「ヌーベル・フランス」でのフランスとイギリスの衝突は、局所的なものではなく、世界規模で繰り広げられたヨーロッパ諸国の覇権をめぐる闘いの一部であったようである。それは神聖ローマ帝国の帝位継承問題を発端とするもので、ヨーロッパでは7年戦争(1756-63)とよばれるもので、ハプスブルク家の弱体化とプロイセンの台頭、プロイセンと結んだイギリスによるフランスの植民地の獲得をもたらし、アメリカ独立戦争フランス革命の遠因となったという。

それにしても、ケベックシティには、17世紀の植民地戦争にしても、第一次大戦にしても、戦争の記憶が記念碑のかたちで街中にあふれている。それはおそらく、カナダにとって、これらの戦争が正当化されるべきものであり、自国の歴史に肯定的なかたちで(イギリスにたいする敗北であろうとも)組み込むことができるからなのだろう。

(それとの比較で言えば、日本では、戦国時代以前の闘いは「国家」の歴史には回収しがたいローカルな「内戦」であり、明治維新の敗者たちは「国家」の歴史のなかでは否定的な存在でしかなく、大東亜戦争は耐え難きを耐え忍び難きを忍ぶものでしかありえず、戦争と軍隊を、自国のアイデンティティをポジティブに規定するようなかたちで、国家の物語のなかに書き込むことができていないのだろう。)

モントリオールに戻ってきて、ここがカナダ第二の都会であることをいまさらながらに痛感したのは、ケベックシティとの落差のおかげだ。

20240320 ケベックシティ3日目午後前半。ケベック美術館。

ケベックシティ3日目午後前半。議事堂見学で思った以上に時間を食ってしまったけれど、今日の本来の目的地であった美術館に向かう。その道は、『地球の歩き方』に言わせると、パリのシャンゼリゼ通りを彷彿とさせるとのことだが、どうだろう。広い道と並木はそうかもしれない。しかし、それよりも注目すべきは、議事堂があり、向かいにも政府関連の建物があるこの周辺は、ある特殊なビジネス街であるという点だろう。レストランはあるが商店がない。マンション的なものもアパート的なものもあり、人は住んでいるにもかかわらず、である。

ケベック美術館の入口右手には、ガラス張りで採光抜群のスペースがカフェになっている。メインビルディングは地下1階、地上3階で、今日は1階が特別展(カナダのとある企業家による20世紀を中心とするカナダ絵画の個人コレクション)、2階がカナダのコンテンポラリー、3階が先住民アート(イヌイット)と戦後のデザイン(椅子や器など)となっていた。

本当は他に別館がいくつかあるようだが、あいにくなことに、そのすべてが改修中とのこと。時間がなかったのでちょうどよかったとの言えるし、これだとややボリューム不足とも言える。そのなかで圧倒的に面白かったのは建物自体かもしれない。かなり天井を高くしており、開放感があるし、空間がとにかく広々として、伸びやか。白という色がそのよう印象を増幅させるとともに、清潔感と清廉さを演出している。だからこそ、そのなかにポツンと置かれた色鮮やかな積み木のようなかたちのソファーがいっそう映える。

カナダ美術はまったく知らなかったので、「the Group of Seven」からして初耳だったけれど、ヨーロッパから距離的に遠い地で彼の地のトレンドをリプレイするときのジレンマという意味では、日本の西洋画家たちの苦境と共通するところがあるのではという気がした。要するに、亜流の領域でもがいている感じがした、ということだ。西洋絵画で言えば、時代も地域も微妙にずれるものが、奇妙に混交している感じ。

そのなかで面白いと思ったのは、七人組のひとりのローレン・ハリス。すべての絵が面白いとは思わなかったけれど、構図を作るセンス、どのトレンドを取り入れるかのセンスが、頭一つ抜けている。

その後のカナダ美術(と言っても、くだんの個人収集家のコレクションにあるカナダ美術ということだけれど)を見ていると、どこかで、先住民アートの隠然たる影響があるような気もしてくる。どこか具象的で、西洋的な透視図法とは別の空間構成が顔を出すような気がする。

全体的に、ニューヨークのアートシーンに例えるなら、ブルックリン的な感じなのかなと思う(モントリオールの美術館をメトロポリタン美術館MoMAに比べるとしたら)。しかし、やはり、ひと粒もふた粒も小さいというのが正直な印象かもしれない。

その中でやはり突出しているのは先住民アートであり、イヌイット品々は数でも質でも見るところがある。

社会見学なのか、小学校中学年ぐらいの
子たちが、先生たちと、キュレーター(だろうか?)に率いられて美術館を回っていた。解説がわりと本格派だったのに驚いた。

ローカルな美術館の可能性について考えさせられた。

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オレンジワインはどこのものだったか忘れたけれど、なんというか、模範的にオレンジワイン的な味がした。白ワイン的な軽やかな酸味が、もうすこしどっしりしたものになっている。

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人参スープはやや人生の人参の臭みが強いとも言えるし、人参のフレッシュさが出ているとも言える。カイワレ的なグリーンがちょっとした苦みとフレッシュさをプラスすると共に、歯ざわりにバリエーションを付けている。

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ブダン、または、血のソーセージ。中身はレバーっぽい感じで、外はカリッとしている。それがスピナッチのうえに置かれており、スピナッチの下にはまろやかなマッシュドポテト。その隣に梨のピューレをベースとしたソース。どれも、単体でも十分美味しいけれど、合わせるとさらに美味しい。

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Lawren S. Harris, Snow on Trees (c. 1915)

 

Tom Thomson, Moonlight (c. 1915)

 

Kent Monkman, Study for mistikôsiwak (Wooden Boat People)--Resurgence of the People (Final Variation) (2019)

 

Brenda Draney, Casson's Monster (2019)

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Jean Paul Riopelle, Tribute to Rosa Luxemburg (1992)

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20240320 ケベックシティ3日目午後後半。カナダにあるジャンヌ・ダルク像。

なぜカナダにジャンヌ・ダルク像と思ったけれど、これは1915年にNYCが委嘱したもののレプリカで、このレプリカはフランスやアメリカの他のいくつかの場所にもあるそうだ。開園は1938年9月1日で、「1759-1760年の英雄たちの愛国心と勇気」に捧げられているそうだが、それはフランスが支配していたカナダがイギリスに侵略されて敗北した戦いの年であり、そう考えてみると、イギリスからフランスを救った救国の少女がフランス系カナダ人の住むケベックシティにあるのは筋が通っている。