うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

クリントの感化力:『見えるもの、その先に ヒルマ・アフ・クリントの世界』

ヒルマ・アフ・クリントの絵はニューヨークのグッゲンハイム美術館で展覧会が開かれていたとき、学会に出るためにたまたまアメリ東海岸に滞在中で、クリント展だから見に行こうというのではなく——そのときクリントのことはまったく知らなかった———、「ニューヨークに来たからには何はともあれMoMAメトロポリタン美術館グッゲンハイム美術館には行っておかなくては」というノルマ的な気持ちで足を運んだのだけれど、正直、「よくわからない絵だな」という気持ちを抱いた。

「つまらなかった」というのではない。

興味はそそられた。

面白いとは思った。

けれども、どう受け入れたらいいのかがわからなかった。

困惑させられた。アウトサイダーアートのように思われたのだ。

 

今回、クリントについてのドキュメンタリー映画を見て、自分の印象がいろいろと間違っていたことに気がつくとともに、あながち間違ってもいなかったようにも感じた。『見えるもの、その先に』は、美術史に忘れられたヒルマ・アフ・クリントを取り戻そうというかなり挑戦的で好戦的なところがある。しかし、その一方で、クリントの絵のラインを、自然がかたちづくる輪郭と、映像的に重ね合わせていく。自然が接写される。すると、自然が抽象化され、ヒルマが見たのかもしれないヴィジョンが浮かび上がってきて、それが彼女の絵とシームレスにつながれていく。生命の手ざわり、惑星のざわめきが、映像となっていくが、その美しさの根底には、クリントがいる。

 

 

 

ヒルマ・アフ・クリント(1862‐1944)はスウェーデンにおいて正規の美術教育を受けた女性の第1世代に入るらしい。当時、未婚の女性の面倒を見るのは一家の父や兄弟だったが、彼らは、娘や姉妹に手に職を付けさせれば、経済的援助が必要ではなくなることに気がついていく。こうして、彼女たちは学校に送られ、金を稼ぐための技術を身につけていく。

そのかいあって、クリントは画家の基礎技術を習得し、医学書の解剖図を描いて収入を得ることができるようになる。美術学校時代の彼女の絵は、技術的に安定している。それは紛うことなきプロの手腕であり、アマチュアじみたところはまったくない。その時期の彼女の絵画は、写実的で、後年の抽象画を思わせるところはないように見える。

 

しかし彼女はその方向から外れて、抽象絵画の世界に入り込んでいく。その背景には、啓示のようなものがあったらしいが、ドキュメンタリーはヒルマの内心の回心を推し量ろうとはしない。クリントに肉薄しようとしながら、勝手な想像を膨らませることがない。このドキュメンタリーの倫理的な慎み深さを感じる部分だ。

だからここで雄弁に語るのは、現代におけるクリントの擁護者や賛美者、美術史家や科学史家である。前者は、カンディンスキーに先んじて抽象絵画に着手したクリントを締め出すメインストリームの美術史を、かなり辛辣な言葉でこき下ろすが、正しいものであるにせよ、この批判はやや強すぎて、ドキュメンタリー全体のトーンを損なっているように感じた。

後者は、クリントが、肉眼で見ることのできるものが世界のすべてではないどころか、世界の真実ではないことが科学的に明らかになった時代に生きた人間であり、彼女のいわゆる抽象画は、不可視の現実、五感では触知不可能な高次の世界を表象しようとする試みにほかならないことを、静かに、厳かに、わたしたちに告げようとする。

クリントが生まれたのは代々海軍士官を務める家であり、彼女もまた、海図の描き出す線のイメージに幼少期より親しんできたのだという。現実の抽象化は、彼女が突然変異的に獲得したセンスというよりも、ほとんど遺伝的に引き継いだものだったのかもしれないとすら思わされる。

 

クリントをかたちづくるもうひとつの重要なラインは、神智学である。ドキュメンタリーがいみじくも伝えるように、神智学は、女性が従属的なところに置かれる既成宗教とはちがって、女性が聖職者になることが是認されるものであり、そこには、フェミニズム的な解放性がそなわっていた。クリントの抽象画は、神智学のビジョンを絵画的に表象しようと試みたものであるらしい。事実、彼女は、神智学の著名人であるルドルフ・シュタイナーの支援を仰ごうとしたのだった(うまくいかなかったようだが)。

 

宗教的なものが抽象化/抽象画の起源にあることは、クリントの絵をメインストリームの美術史から排除する理由にならない、とこのドキュメンタリーに登場する美術史家たちは述べる。それを言い出すなら、オカルト的なものにかぶれることがなかった。オカルト的なものとまったく接触を持たなかったアーティストがはたして19世紀末から20世紀初頭にかけていたのか、と問わねばならないところである。

それは正しい。

しかし、それを理解したうえで、はたしてクリントの絵を抽象画と呼んでいいのかという疑いがどうしても自分のなかに残る。クリントを拒んだMoMAは、クリントの絵にたして、抽象画ではないとコメントしたという。このコメントは、おそらく、確立された美術史の物語を根底から覆してしまうクリントのような存在を認めたくないという生理的な拒絶のあらわれでないはずがない。しかし、同時に、MoMAのコメントを単なる言い訳と受け取るのも、正しくないような気もする。クリントの絵画が十分に抽象的ではないと言いたくなるのは、直感的にはわかるような気もする。

 

クリントの絵はかなり巨大だ。ヒトの背丈を優に超えるようなサイズの連作である。まるで動画を構成するコマのように、同じような構図のバリエーションが多数あるし、ドキュメンタリーは彼女の絵のアニメーション的な連続性を強調するかのような構成になっている部分もある。

彼女が抽象画に没入していく最初期に、かなりのスピードで、一気呵成に連作が作られたという。その作成を再現したかのような映像が挿入されるが、それを見ると、プロの冷静な技術というよりも、アマチュア的ともいいたくなる宗教的な情熱と献身のようなものが、それらの連作を作らせたのではないかという気がしてくる。

彼女が大きな筆を走らせるのは、広げられた布であるように見える。実際、挿絵画家としてのキャリアを捨てて、神智学的なものにインスパイアされた抽象画にスイッチした彼女は、経済的に苦しい状況にあり、布を自分で縫い合わせてキャンバスを自作するほどだったというが、彼女の絵に感じるある種のアマチュア性は、彼女の技術的不作為のせいではなく、物質的制限によるところが大きかったのかもしれない。

 

スウェーデンでクリントの展覧会を開いたキュレーターは、これから数十年のうちに、クリントは、ノルウェーにとってのムンクのような存在になっていくだろうと述べる。その見立てはあまりに過大評価ではないかという気持ちが一瞬芽生えるが、世界各国でのクリントの展覧会が記録破りの来館者数となり、閲覧者がエモーショナルに深く揺さぶられているという話を聞くと、それもありえるのかもしれないという気がしてくる。

クリントの絵のカラートーンは独特だ。ピンク色にあざやかな黄色が入ったりする。それを女性的なセンスというのは、犯罪的なまでに陳腐な物言いであるし、そもそも正しくないだろう。彼女の色使いのセンスは、もしかすると、スウェーデン的なものといったほうがいいかもしれないからだ。IKEAの家具や雑貨の色調は、クリントの絵と同一線上とまではいわないものの、同一圏内にあるようにも感じる。彼女の絵の淡い色合い、それでいて、騒々しくはない。どぎついほどのコントラスト、嫌味な感じになるギリギリの手前にある、くすんでいるようで暗くはない、こう言ってよければ、不健康な輝き。

どこか生々しい。肉感的であるとさえ言える。

内臓をさらけ出すような、それどころか、生殖器官を抽象化したような。

しかし、生々しく、どこか俗っぽさを残しているのに、同時に、きわめて気高い。

スピリチュアルなものがリアルに響いてくる。エモーショナルなものが昇華されている。しかし、純粋な形や純粋な色のコンポジションやムーブメントではなく、具体性を帯びた抽象性のイラストレーションとして、ポップに迫ってくる。

 

 

クレーに一脈通じるところがあるような気もするが、ここにはクレーの翳りやメランコリーはない。不透明な明るさのラインが作り出すデザインは、曲線的でしなやか。

クリントの絵画は、カンディンスキーのような男のモダニストたちが確立した抽象絵画——硬く、鋭く、——とは質的に異なるジャンルの芸術実践であったというべきではないかという気がする。

彼女の絵画を、既存の美術史の中に組み入れることが、はたして本当に必要なのか。それはもしかすると、彼女を、美術の「権威」のなかに従属させることにしかならないのではないか。

クリントは世界の神秘をつかまえようとしたのではないか。そのために彼女は、自らの営為をノートに書き出し、厖大な量の巨大な絵画を作成したのではないか。

彼女を美術史に認可させることは意義あることだとは思う。

しかしそれは、クリントの意にかなうことだろうか。

 

しかし、たとえドキュメンタリーが提示しようとする対抗的美術史の物語がかならずしも成功していないとしても、映像作品としてはまちがいなく成功している。この映像自体が、クリントの絵にインスパイアされたものにほかならないからだ。クリントの作り出したものの感化力の強さを証明するなによりも有力な徴になっているのだから、この映像は。

「だがわたしは反抗するために生まれてきた」:バイロン、東中稜代訳『ドン・ジュアン』(音羽書房鶴見書店、2021)

バイロンの『ドン・ジュアン』は、名前は知っているけれど読んだことがない作品のひとつだったが、図書館の新刊の棚に東中稜代による上下2巻の新訳があったので、これ幸いとばかりに借りてきて、流し読みするようにページをめくりつつ、ところどころ気になったところだけ原文をチェックするという、雑に丁寧なやり方で読みとおしたのだけれど、思っていたものとずいぶん違うテクストだった。

いや、しかし、そう書きながら、はたして自分はバイロンについて、バイロンの『ドン・ジュアン』について、いったい何を知っていたのか、という問いが湧いてきた。そう、わたしはじつは、バイロンについてほとんど何も知らなかったのではないか。

バイロン卿 Lord Byron と呼ばれることもある人物であったこと、ギリシャのほうまで旅をし、軍事闘争に身を投じていたことぐらいは知っていた。文学史的に言えば、ワーズワースやコールリッジのようなロマン主義を切り開いた第1世代の後に来る第2世代であり、シェリーやキーツと同世代であることは知っていた*1

シェリーとキーツが短命であったことは知っていたし、バイロンが短命であることもなんとなくは知っていたが、36歳で亡くなっており、1819年から1824年にかけて出版されていった『ドン・ジュアン』は死によって中断を余儀なくされた遺作であることは、知らなかった。

なにより驚いたのは、モーツァルトとダ・ポンテの『ドン・ジョヴァンニ』(1787)で、ドン・ジョヴァンニ(イタリア語)/ドン・ファンスペイン語)といえば、好色放蕩なプレイボーイで、神をも怖れぬエゴイストであると思い込んでいたので、バイロンの「ドン・ジュアン」は純真なところすらある若き青年なのだ。たしかに、物語は放蕩者のようなエピソードで始まるが、情に厚いところがある。自分本位であると同時に、幼き者にたいする愛であふれている。戦争孤児のような不幸な者たちにたいする共感がドン・ジュアンからほとばしり出る。

この子には親がいません、だから僕の子なのです。(下51頁、第8巻100連)

This child, who is parentless, and therefore mine.

 

かなり分裂的な連作長編詩だ。イタリア語で「巻」に相当するCantoという名が与えられた巻は17巻に上るが、これは、若きドン・ジュアンの遍歴であると同時に、それを語る語り手の饒舌な言葉のパフォーマンスでもある。自己言及的に脱線的な、過剰な自意識があふれる詩行。

我が方式は初めから始めること。

そして構想は秩序整然としているので、

あらゆる脱線を最悪の罪として禁じる(上15頁、第1巻7連)

My way is to begin with the beginning;

 The regularity of my design

Forbids all wandering as the worst of sinning

と第1巻の最初で述べておきながら、その指令は守られることがない。自ら定めたルールを自ら破ってしまう。

わたしは認めねばならない、

わたしに短所があるとしたら、それは脱線だということ。(上293頁、第3巻96連)

 . . . I must own, 

If I have any fault, it is digression—

こうして、『ドン・ジュアン』は脱線を繰り返しながら進んでいく。

 

ドン・ジュアンはスペインからギリシャへ、ギリシャからロシアへ、ロシアからイギリスへとさまようが、その架空の旅路は、バイロン自身がたどった現実の旅路と重なりあう部分も多い。その意味で、ドン・ジュアンはまちがいなくバイロンの分身ではある。

しかし、そのようなドン・ジュアンの旅路を語る語り手もまた、バイロンの分身でないはずがない。語り手は、情の人ともいうべき純真な主人公とはちがって、ずっと皮肉で辛辣だ。

メタフィクション的でもある。『ドン・ジュアン』は頻繁に、現実世界の事柄に言及し、バイロンの論敵をこき下ろす。それは生々しいほどに具体的な、嫌らしいほどに卑俗な感情の垂れ流しである。

 

しかし、その一方で、情熱にたいする哲学的な思索が、烈しくも静かな強度をともなう詩行として表出する。

しかし情熱はつとめて外見を装うが、

見えなくすることで、一層秘密を漏らしてしまう、

漆黒の空がもっとも激しい嵐を告げるように、

見張っても役に立たない目にその動きを露見してしまう、

情熱がどう[ママ]のような衣を纏おうとも、

それはいつの時も変わらぬ偽善だ。

冷たさ、怒り、軽蔑あるいは憎しみなど、

情熱は仮面をよく被るが、いつも遅きに失する。(上48頁、第1巻73連)

But passion most dissembles, yet betrays

    Even by its darkness; as the blackest sky

Foretells the heaviest tempest, it displays

    Its workings through the vainly guarded eye,

And in whatever aspect it arrays

    Itself, ’tis still the same hypocrisy;

Coldness or anger, even disdain or hate,

Are masks it often wears, and still too late.

軟体動物的に、明確な骨格もなく肥大していく詩行は、ときに、アフォリズム的な短行で、わたしたちを驚かせる。

人は急いで愛するが、憎む時には時間をかける。(下258頁、第13巻6連)

Men love in haste, but they detest at leisure.

 

 

ドン・ジュアン』を貫くテーマのひとつは反抗だろう。それはドン・ジュアンの行動についても、語り手の思索についても当てはまる。

大抵の人間は奴隷で、偉い奴が一番そうだ、

自分たちの気紛れや激情や何やかやの奴隷なのだ。

優しさを創造すべき社会自身が、我々が、手にしたごく僅かなものまでも破壊する(上374頁、第5巻25連)

Most men are slaves, none more so than the great,

To their own whims and passions, and what not;

Society itself, which should create

Kindness, destroys what little we had got

 

わたしは戦う、少なくとも言葉で(そして——

もし機会あらば——行動で)、思想と戦う者たちと

そして思想の敵の中でもっとも粗野なる者は、

今も昔も専制君主とおべっか使いだ。

誰が勝つのかは分からない、もしもわたしに

そんな予知能力があったとしても、それはあらゆる国の

あらゆる専制政治に対する、わたしの明白な、心に誓った、

この紛れもない憎悪には何の障害にもならないだろう。(下85頁、第9巻24連)

And I will war, at least in words (and—should
    My chance so happen—deeds), with all who war

With Thought;—and of Thought’s foes by far most rude,

    Tyrants and sycophants have been and are.

I know not who may conquer: if I could

    Have such a prescience, it should be no bar

To this my plain, sworn, downright detestation

Of every depotism in every nation. 

 

望むことは、人々が王と暴徒の

両方から自由でいることだ——わたしからも諸君からも。

その結果、わたしはどの党派にも属さないので

あらゆる党派を怒らせる——でも構わぬ!

わたしの言葉は、順風を受けて進もうと

する場合よりも、少なくとも誠実で本物だ。

何も得るもののない者は策を弄しない、

縛ることも縛られることも望まぬ者は、

常に自由にものが言える、わたしもそうする

そして「隷属の身分」のジャッカルの叫びには賛同しない(下86頁、第9巻25-26頁)

I wish men to be free/ As much from mobs as kings—from you as me.

The consequence is, being of no party,

    I shall offend all parties: never mind!

My words, at least, are more sincere and hearty

    Than if I sought to sail before the wind.

He who has nought to gain can have small art: he

    Who neither wishes to be bound nor bind,

May still expatiate freely, as will I,

 

しかし玉座と交換しても、わたしの自由な思想を変えはしない。(下208頁、第11巻90連)

But would not change my free thoughts for a throne. 

 

だがわたしは反抗するために生まれてきた。

しかし反抗も主に弱者の側に立つことだ。(下376-77頁、第15巻22-23連)

but I was born for opposition.
But then ’tis mostly on the weaker side; 

 

ドン・ジュアン』が描き出す世界は戦争が常態であり、そこでは暴力が日常茶飯事であるようだけれど、反逆者であるドン・ジュアンは力を憎み、戦争の偽善を批判する。

お前は「最高の人殺し」——ぎょっとするな、この文句は

シェイクスピアのもの、ここで用いても間違いではない——

戦争は「正義」によって神聖化されなければ

脳味噌を撒き散らし、喉笛を切り裂く術なのだ。(下75頁、第9巻4連)

You are ‘the best of cut-throats:’—do not start;

    The phrase is Shakspeare’s, and not misapplied:

War ’s a brain-spattering, windpipe-slitting art,

    Unless her cause by right be sanctified. 

きわめて男性的な物語と言えるかもしれない『ドン・ジュアン』は、他人を傷つけるような力の礼賛ではなく、他人を慈しみ、助ける心をこそ、礼賛する。

おそらく

戦争の価値は決して高まりはしないだろう、

過去の例が示すように、戦争はただ征服を促進するために、

ささいな浮きかすを求めて多大な金を浪費するものだから。

海なす血潮を流すことより、一滴の涙を

乾かすことの方に、より本物の名声がある。

なぜなのか――それは自分を称賛できるからだ。(下3頁、第8巻3‐4連)

perchance

. . .

War’s merit [history] by no means might enhance,

To waste so much gold for a little dross,

As hath been done, mere conquest to advance.

The drying up a single tear has more

Of honest fame, than shedding seas of gore.

And why?—because it brings self-approbation

なるほど、それはたしかに、純粋に利他的なものではなく、あくまで自己本位な、自己中心的な満足を語るものかもしれない。利己主義が必然的に利他主義としても機能するような精神の称揚でしかないのかもしれない。しかしながら、『ドン・ジュアン』の根本にあるのは、独白的な内面世界ではなく、他者に開かれたこの世の空間なのだ。

喜びを得んとする者は皆喜びを

共有せねばならぬ――「幸福」は双子で生まれたのだ。(上215頁、第2巻172連)

 . . . all who joy would win

Must share it,—Happiness was born a twin.

それは喜びを求め、喜びを共にせんとする、共同的な態度である。真面目さ、真っ当さを大切にせんとする、真摯な態度である。

 

ドン・ジュアン』は分裂を嫌う。

宇宙(ユニヴァース)をあまねく(ユニヴァーサル)存在する自己と考え

すべては観念で——すべては我々自身だとするのは、

何と崇高な発見だったことか わたしは世界を賭けて言う

(世界が何であろうと)、この考えは分裂を生まないと。(下164頁、第11巻2連)

What a sublime discovery ’twas to make the

Universe universal egotism,

That all's ideal—all ourselves: I’ll stake the

World (be it what you will) that that ’s no schism.

だからこそ、ここでは、不埒な、不確かな、見せかけだけを尊ぶような市場的態度が、皮肉なトーンで槍玉にあげられる。

人間は不思議な動物で、自身の本性と

様々な技を不思議な風に利用し、

特に自分の才能を見せるために、

何か新しい実験をするのを特に好む。

現代は風変わりなものが溢れる時代、

様々な才能が様々な市場を見出す。

まずは正道から始めるのが最善だ、そして

無駄骨を折ったら、いかさまには確かな市場がある。(上75頁、第1巻128連)

Man ’s a strange animal, and makes strange use

    Of his own nature, and the various arts,

And likes particularly to produce

    Some new experiment to show his parts;

This is the age of oddities let loose,

    Where different talents find their different marts;

You’d best begin with truth, and when you’ve lost your

Labour, there’s a sure market for imposture.

即物的な金の力は軽蔑に値するものとして描き出されるだろう。

様々な美徳も、もっとも高邁な美徳である「慈善」さえも、

節約するもの――悪徳は稀有なる物には金を惜しまない。(上359頁、第4巻115連)

The virtues, even the most exalted, Charity,

Are saving—vice spares nothing for a rarity.

変わりゆく歴史的世界を描きながら、テクストは、変わるはずのない普遍的真理に憧れているようなところがある。

何も続きはしないことを知っていたが、

今では変化でさえもあまりに変化しすぎる、

刷新されることもなく。(下204頁、第11巻82連)

I knew that nought was lasting, but now even

    Change grows too changeable, without being new

変化にたいする嫌悪にも似たものがある。

 

きわめて分裂的な長編連作詩である。シェイクスピアをはじめとして、さまざまな先行テクストにたいする引用がそこかしこにちりばめられている。現実の歴史どころか、バイロン本人の自伝的事柄と思しきものが、あたかも歴史的大事件と同じぐらいの重要性を持っているかのように、同じような手つきで言及されるだろう。ここでは些事と大事が、物事の重要性のスケールが、狂っていく。

とはいえ、理性的なものをまっこうから否定するというわけでもないし、理性的なものに変えて感性的なものを上位に置こうというのでもないだろう。

ロマン主義的な酩酊が讃えられている箇所は、たしかにある。

人間には理性的であるがゆえに、酔っ払わねばならぬ、

人生の最高のものは酩酊以外にはない(上219頁、第2巻179連) 

Man, being reasonable, must get drunk;

The best of life is but intoxication

しかし、ここで最終的に称えられるのは、反理性というよりも、理性の上手を行きつつ、それを帳消しにするのではなく、補完し、昇華するような想像力ではあるまいか。そのような想像力が、歴史的世界だけではなく、仮想的読者にも、望まれている。

――しかしどんな描写も

真の効果を歪曲してしまう、だからあまり

綿密になりすぎない方がよい、輪郭を示すのが最善だ――

後は生き生きとした読者の想像力が補ってくれる。(上498頁、第6巻98連)

—but all descriptions garble

The true effect, and so we had better not

Be too minute; an outline is the best,—

A lively reader’s fancy does the rest.

 

バイロンはこの長大な詩編を、押韻する詩行によって構成しようとしたのであり、その点において、彼は古典的であるとさえ言えるかもしれない。自由な形式のなかで自由な感性や思考を自由に羽ばたかせるよりも、バイロンは、自由な思念や情念を既存の型のなかに落とし込もうとしたのかもしれない。

ニヒリズム的なところはあるにせよ、無を志向するのではない。否定や反逆は、正なるものに向かうために必要な通過点であって、それ自体が目的ではないのだろう。

ポストモダン的なところがある『ドン・ジュアン』は、リアルとフィクションの境界線を撹乱し、世界史的出来事と私事を混ぜ合わせ、先行するテクストと大いに戯れる。キャラクタ―以上に、語り手が騒々しい。

しかし、そうした多様な遊びは、懐疑と肯定の健全な結合のために、用いられているのかもしれない。

すべてを疑う者は

何事も否定できない。(下409頁、第15巻88連)

He who doubts all things nothing can deny

 

現代においてバイロンを読むべき理由はいくつもある。

*1:ワーズワース(1770‐1850)、コールリッジ(1772‐1834)、シェリー(1792‐1822)、キーツ(1795‐1821)、そしてバイロン(1788‐1824)

凡庸な作品の饗宴:静岡市美術館、スイス プチ・パレ美術館展

凡庸な作品をここまでまとめて見ることができるというのは、それはそれで貴重な機会。ビックネームの背後には数多の亜流がいたこと、というよりも、いまでは忘れられてしまった圧倒的多数が作り上げた流行があればこそ絵画が市場として存在していたこと、そんなことを考えさせられる。

https://shizubi.jp/img/img_exhibition_69.jpg

 

どれもこれも、見た瞬間、「ああ、これはセザンヌに私淑してたんだな」とか、「ゴッホに影響を受けたか」とか、「キュビズムのメソッドを使ってみたんですね」とか、悪趣味なレッテル貼りをしてみたくなる(そしてその診断はおそらく的外れではない)。

しかし、キャプションをよくよく見ていくと、これらの絵画の蒐集者の意志のようなものを見逃した自分の至らなさに恥じ入ることになる。アーティスト・グループの周縁的な画家たちの作品に加えて、周縁の周縁に当たるような女性の作品、外国からパリにやってきた異邦人たちの作品が多い。

スイス人実業家の手になるこのコレクションが、どこまでそのあたりをメインストリームにたいするアンチな批判的美学意識として抱いていたのかは、正直、よくわからなかった(美的潮流の史的変遷の説明はあったが、コレクターについての解説はほとんどなかったので)。

けれども、そういうことに思いをめぐらせながら、この手の展覧会にしてはかなり少なめの点数しかない絵画を眺めていると、この凡庸な作品群の向こうにあるものがなにかとても面白いものであるかのように自分を騙すこともできてしまうのだった。

サドとヘルダーリンとベンヤミン:三島由紀夫『春の雪』

「なぜなら、すべて神聖なものは夢や思ひ出と同じ要素から成立ち、時間や空間によつてわれわれと隔てられてゐるものが、現前してゐることの奇蹟だからです。しかもそれら三つは、いづれも手で触れることのできない点でも共通してゐます。手で触れることのできたものから、一歩遠ざかると、もうそれは神聖なものになり、奇蹟になり、ありえないようやうな美しいものになる。事物にはすべて神聖さが具はつてゐるのに、われわれの指が触れるから、それは汚濁になつてしまふ。われわれ人間はふしぎな存在ですね。指で触れるかぎりのものを潰し、しかも自分のなかには、神聖なものになりうる素質を持つてゐるんですから」三島由紀夫『春の雪』

サドとヘルダーリンベンヤミンを混ぜ合わせたかのようなこの一節は、三島の美学的マニフェストでもれば、政治的マニフェストでもあり、倒錯的な近代批判として読める箇所ではないか。

唯物主義の彼岸(「手で触れることのできないもの」)にある神聖なものを称揚することによって、卑俗なる此岸は神聖なる彼岸の下位に位置付けられることになる。それは観念論的、精神主義的なスタンスだろう。

しかし、わたしたちの「いまここ」から隔てられたもの(夢や思い出のようなもの)が、「いまここ」に立ち現れることの奇蹟な美しさを謳い上げたそのすぐ後で、そのような奇蹟の冒涜(指で触れて汚すこと)があたりまえのように起こることが述べられる。そして、それにたいして表明される感情は、怒りではなく、驚きなのだ。不敬が断罪されるのではない。汚濁行為を、あたかも自然な摂理であるかのように、異論も反論もなしに、受け入れる。

神聖なものを、わたしたちから隔絶したものの奇蹟的な訪れと捉えるこの一節には、宗教的な畏怖の感覚が強く表れている。しかし、「神聖なものになりうる素質」がわたしたちのなかにつねにすでに宿っていると見なす点において、わたしたちがみな神的なものに化身しうる可能性を秘めていると信じる点において、この世界の人々すべてが神聖なものに転化するという奇蹟、現実的にはまずまちがいなく不可能ではあるけれど、可能性としては絶対にありえないわけではない世界を夢想するという点において、強烈な平等主義と普遍主義が、ここでは表明されているとも言える。神聖なものをヒエラルキーの上位に置きつつ、そこに至る可能性は万人に付与しているのだから。

神聖なるものの確かな手ざわりを、神聖なるものの現出それ自体ではなく、現出している神聖なるものの冒涜行為のなかに捉えようとしたところに、三島の美学的袋小路があったのではないか。崩壊のなかでしか存在を実感できないとしたら、それは悲劇にしかならないのではないか。

三島のなかで、涜神行為がそれ自体として神聖なものであったのかどうかはよくわからないけれど、冒涜の只中では、冒涜する側とされる側の両方が、神聖なるものに触れることになるのではないかという気がする。冒涜する側は、神聖なるものを汚していく行為のなかで、そのような行為によって神聖なるものが汚されるのを目撃することによって。される側は、神聖なるものが自らのうちで汚されていくことを感じることによって。神聖なるものの手ざわりを感じることが目的であれば、SでもMでも、究極的にはどちらでもいいということになるのかもしれない。

「独り静けさのなか」(ヨネ・ノグチ「序詩」)

"Alone in the tranquility, I see the colored-leaves of my soul-trees falling down, falling down, falling down upon the stainless, snowny cheeks of this paper." (Yone Noguchi. "Prologue" in Seen and Unseen.)

「静けさのなかで僕は独りきりで見ている。内なる魂の木から色づいた思索の葉っぱが、原稿用紙の、しみひとつない、真っ白な頬をした頁の上に、落ちていく、落ちていく、落ちていくのを。」(ヨネ・ノグチ「序詩」『明界と幽界』29頁)

星座の製作者、または時空旅行装置としてのパフォーマンス:ブレット・ベイリー演出(日本版キュレーション:大岡信)『星座へ』

星座の製作者、または時空旅行装置としてのパフォーマンス

20220508@日本平の森
彼らはきっと星座の制作者なのだ、ブレット・ベイリーと大岡信は、おそらくは。

赤青緑の3つのグループにランダムにわけられた観客は、さらに3つの小グループにわけられて、すこしおかしな名前を持つガイド役を演じるSPAC俳優に導かれて、夜が近づくほどに闇に包まれていく日本平の森のなかでわたしたちの訪れを待っている3人のガーディアンたちのスペースを回遊することになる。照明はオイル・ランタンのみ。音響設備はないアンプラグド。

森に入る前、目を閉じて深呼吸し、耳を澄まし、五感を研ぎ澄ますことを求められた。森を後にするとき、わたしたちは、それが、世界との関係を質的に変容させるための下ごしらえであったことに気づくのだった。

ブレット・ベイリー演出(日本版キュレーション:大岡信)の『星座へ』は、闇のなかの森が神秘的なイニシエーションの場であった太古の昔へわたしたちをいざなうタイムマシーンのような夢の出来事だった。

虫や蛙の声、木や風のざわめき、星のきらめきが、パフォーマンスの本質的な一部となる。森の向こうから聞こえてくる自動車やバイクの排気音さえもが、ノイズではなく、耳を澄まして受け入れる環境音となる。いわゆる野外劇場なるものが、所詮は、人為的な公園という空間に一時的に設えられた人工的な舞台でしかなかったことに気づかされてしまう。

『星座へ』のなかでわたしたちが体験するのは、ガーディアンのパフォーマンスだけではないし、そのような出来事が生起する場と時だけでもない。森と夜と星というヒトとはべつの時空間にチャネリングすることで、わたしたちは、日本の静岡の日本平の森にいながら、そのとき世界のどこかで同じように暗闇に包まれながら星空を仰ぎ見ている誰かと、この星や月の光を浴びて森の中を歩み佇んだ誰か、歩み佇むかもしれない誰かと、接続されてしまう。

『星座へ』の発案者であるベイリーが「演出家」として、日本版を担当した大岡が「キュレーター」としてクレジットされているのは、当然かもしれない。ガーディアンたちがどのようなパフォーマンスを行うかは、演出家=キュレーターの支配範囲外にあるようだから。彼らの役目は、誰を招くかを決めることであり、何をしてもらうかを制御することではないようだから。孤独に輝いている個々の星が、自らの個性を失うことなく照応する場を作り出すことで、ベイリー=大岡は、潜在的なものでしかなかったパターンを顕在化させたのだ。

このパフォーマンスの全貌を体験する人間は、原理的には、存在しない。参加者を3組に分け、一夜で3つのパフォーマンスを巡るというのが日本版キュレーターである大岡のプランであり、そのために各夜9人のパフォーマーが揃えられていた。3夜連続で足を運べば、運が良ければ、3組すべてをコンプリートすることはできたかもしれないが、日によって出演者が異なっていたところもあったので、おそらく一般客がすべてのパフォーマンスを制覇することはできなかったのではないだろうか。

しかし、たとえ制覇できたとして、それで果たして『星座へ』の全貌を体験したと言えるだろうか。いや、こう問いかけてみるべきだろうか。果たして、一夜しか見ていない観客の観劇体験は、必然的に不完全なものにとどまるのか、と。

そんなことはない。

『星座へ』は、その場で何を見たかではなく、そこで何を体験したのか、そこから何を日常に持ち帰ることになったのかをこそ、わたしたちに問いかけるものだったからである。

そこまで書いておきながら、個々のパフォーマンスについて語るのは、あまりにも自己矛盾的ではあるけれど、足裏でカサカサとかすかに蠢く木の葉と夜空の星をつなげ、幾光年の過去であるはずの星の光が未来の可能性を映し出す未来かもしれないことを、まるでひとりひとりに語りかけるささやきかける渡辺玄英のポエトリー・リーディングは、『星座へ』というタイトルをもっとも真摯に、ポエティックに引き受けるものであり、一言も声を発すことなく、あたかもプレレコーディングされた効果音であるかのように周囲で鳴き出す蛙の鳴き声に反応しながら、奇怪な生物の誕生と成長を、幾重にも折り重ねられた白いドレスと黒い仮面を巧みに操作しながら、純粋に身体的なパフォーマンスだけで神秘的に体現して見せた黒谷都は、『星座へ』の超時空旅行へと観客を誘うものであり、ネルソン・マンデラの黒も白も超越する絶対的なヒューマニズムの言葉を引用しながら、骸骨を思わせる衣装をに身を包みながら、ドイツ語からイディッシュ語からアフリカーンス語から日本語まで、多言語的な多元的世界を華やかに、しかし、哀しみと励ましをも込めて、歌唱と演奏で語り掛けてきたこぐれみわぞうのパフォーマンスは、おそらく、理念的なレベルで演出家の魂に迫るものではなかっただろうか。

しかし、これらを果たして「パフォーマンス」と呼んでいいのだろうか。わたしが列席したみっつのパフォーマンスには、終わりも始まりもなかった。彼女ら彼らのパフォーマンスはいつのまにか始まっており、いつのまにか終わっていた。別のガーディアンのもとへわたしたちを回遊させるために強制的に始まりと終わりを刻んだのは、ガイドたちであった。わたしたちは後ろ髪を引かれるような気持ちで、いまだ動きを止めない彼ら彼女らたちを後にしたのだった。

とはいえ、手放しで称賛できるともいえない公演であったことは、言及しておかねばならないだろう。ガーディアンとガーディアンのあいだのスペースが近すぎたのではあるまいか。音が互いに干渉してしまい、ほかのスペースで何をやっているのか、行く前からわかってしまっていた部分がある。それぞれのスペースをもっと離してしまってもよかったのではないか。

もちろん、それは、演出側の理念的な都合というよりも、場所の現実な条件(確保できるスペースの限界)、行政の法制的な要求(安全のためにやらなければいけないこと)、参加者の肉体的な能力(どれだけ長く歩かせることができるか)を勘案した結果の苦渋の選択だったのだとは思う。日本における野外上演の合法的なリミットが浮き彫りになった公演であったと言っていい部分はあったと思う。ガイド役のSPAC俳優たちにしても、観客に寄り添いすぎて、役になりきるというよりも、保護者的に振る舞いすぎたきらいはあるのではないだろうか。

しかしながら、『星座へ』は、やはり、格別の体験であったように思う。バスで芸術劇場前まで送り届けられて、夜の暗がりのなかをひとり静かに歩いて帰宅するなか、ふと夜空を見上げたとき、星がいつもとはちがう光を放ち、それを見上げるわたしのなかでも、わたしならざるわたしが我が身の内から豊かに湧き出してくるように思われたのだった。別の場所、別の時間、別の宇宙に、それどころか、いまだ生まれてはいないし、決して生まれることはないかもしれない別の可能性の次元に開かれ、繋がっている、「わたし」というよりも、「わたしたち」と言いたくなるような複数的で歓待的な一人称複数のユートピアが。

commitmentを「推し」と訳せないだろうか

commitmentが厄介な言葉であることは常々思っていることではあるけれど、いまだに適切な日本語を見つけられないでいる。思想史的な文脈を踏まえるなら、思い切って、「アンガージュマン」としてしまうのもひとつの手ではあるけれど、2022年のいま、このカタカナ語にヴィヴィッドなイメージを持てる層は果たしているだろうか。

commitmentのハードルを下げる必要があるように思う。

だとしたら、「推し」という訳語はどうだろうか。

軽すぎるとは思う。軽薄すぎるのではという疑いはある。しかし、これぐらいカジュアルに、軽やかにしてしまってもいいのではという気もしている。

SDGs推し、とか――案外悪くない思い付きではないか。