うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

オブラートという日本語

図書館の新刊本の棚にあった小菅陽子『ウィーン菓子図鑑』(誠文堂新光社、2022)をパラパラめくっていたら、リンツァートルテというお菓子は「生地とジャムが混ざらないように間にオブラートを挟んで焼きます」(17頁)とあった。「そんな変わったことをするんだな」と驚き、「そういえばオブラートって何で出来ているんだ」と気になってWikipediaを調べると、オブラートは「一般的にデンプンから作られる水に溶けやすい可食フィルム」となっていた。

語源的にはオランダ語の oblaat、ドイツ語の Oblate から来ている。しかし、明治期に日本に入ってきたものは「丸い小型のウエハースに似た聖餅(硬質オブラート)」で、これが現在あるような薄型フィルム(軟質オブラート)として製品化されたのは、20世紀初頭になるそうだ。Wikipediaから引用しよう。

1902年、現在の三重県玉城町に在住していた医師小林政太郎*1が柔らかいオブラートを製品化した(当時は「柔軟オブラート」と呼ばれた)。1910年の日英博覧会で金牌を受賞。初期の柔軟オブラートは柔軟剤を添加していたが、その後の1922年には乾燥機を用いた生成法が編み出され、柔軟剤が不要となり大量生産が可能になった。

というわけで、オブラートは世界的には日本語あつかいになるのかもしれない。すくなくとも、英語ではないのだろう。なにせ、OEDに oblaat は掲載されていないのだから。ドイツ語の綴りの Oblate は、別の意味としては掲載されているけれど、「オブラート」に類する意味のエントリーはない。現在最大規模の英和辞典といえるリーダーズにもランダムハウスにも、oblaat / Oblate は掲載していないようだ。Wikitionaryで引くと「オブラート」というカタカナ語を筆頭として立項されている。

コトバンクで検索しても、出てくるのは百科事典や国語辞典のエントリーで、外国語辞書は引っかからない。

*1:小林政太郎については、三重県のホームページのなかにあったこのページが詳しい。

www.bunka.pref.mie.lg.jp

作曲の仕事を理解すること:チャールズ・ローゼン、キャサリン・テマーソン、笠羽映子訳『演奏する喜び、考える喜び』(みすず書房、2022)

テマーソン 音楽は演奏されなくても存在するのでしょうか?

ローゼン ええ、存在します。音楽を頭の中で演奏解釈したり、それを耳にすることなく、詩のように読んだりすることができますから。それは、演劇作品を読んだり、その演出を想像したりするのと同様、想像力の喜びです。(98頁)

 

なぜブーレーズの翻訳の第一人者にして、フランス音楽に造詣の深い笠羽映子が、アメリカ人ピアニストにして音楽学者でもあったチャールズ・ローゼンの対談集の翻訳を手掛けたのかと不思議に思ったが、原著はフランス語なのだという(英訳は最近出版されたとのこと)。

 

チャールズ・ローゼンは、ベートーヴェンの後期ソナタやバッハのフーガの技法ゴルトベルク変奏曲をはじめとして、ピアノ曲の主要レパートリーに入る作品を少なからず録音してはいるし、個人的に好きな演奏ではある。知的な抒情性、構築的な音の配置がとても好ましい。控えめというよりも、品の良い薄味。

しかし、純粋にテクニック的な意味では、ピアニストとして超一流とまではいかないのではないかという気もするところではある。タッチや指回りにすこし物足りないところがある。ピアノの響きがすこし浅い。ローゼンの演奏だけ聞いているとそこまで気にならないが、その後に他の有名ピアニストの録音を聞くと、あくまで相対的にではあるけれど、ローゼンの演奏に欠けている技術的な卓越性に気がつく。

 

チャールズ・ローゼンは、もしかすると、ピアニストというよりも、音楽家と呼ぶべき人物かもしれない。フランス文学で博士号を持っているのは、ピアニストのなかで彼ぐらいではないだろうか。彼が音楽について語るとき、そこでは必然的に、文学や芸術といった同時代の文化的潮流が、さりげなく、しかし、きわめて説得力のあるかたちで、引き合いに出される。そこにローゼンの芸術家としての感性の的確さを感じる。

ほとんどすべての連作歌曲、シューベルトシューマンベートーヴェンの連作歌曲は、連作風景画です。さて、十八世紀末頃に、詩や観光案内や学術書の中で書かれた風景描写を分析すると、それらが二つのレヴェルの時間を喚起していることが分かります。詩人や作家たちは現在のとてもはっきりした時間を選び、そこに過去の刻印、私的な感情の思い出、あるいは風景の中でつねに目立つ地質学的痕跡を付け加えます。ベートーヴェンシューベルトはそうした二つの時間レヴェルを音楽で表現する手段を見つけた最初の作曲家たちです。(71-72頁)

 

 

ローゼンの自伝的な語りも面白いが、本書の最大の魅力は、批評と分析をめぐる思索だろう。ローゼンが批評的センスを持った分析家であることは間違いない。彼の演奏は知的な解釈という言葉がぴったりくるような趣味の良さがあるからだ。

しかし、興味深いのは、ローゼンが分析を音楽家にとっての必須のものとみなしていないらしいところだ。それは他の音楽家についても、自分自身についても当てはまることらしい。

または、こう言ってももいい。分析とはかならずしも狭義のアナリーゼ、楽譜を前にして頭で考えることだけではなく、楽器の前に座って、指に弾かせながら咀嚼していくことでもある、と。ローゼンはエリオット・カーターピアノ曲「夜のファンタジー」について、そのようなアプローチをとっていたようだ(25頁)。

ここから引き出されるのは、分析とはするかしないかではなく、誰もがしている(その人なりのやり方で)というテーゼである。

結局のところ、すべての人がつねに分析します、少しは… 演奏とは、音楽に対する自己の考えを提示するひとつの方法です。演奏家はひとつの作品を演奏しつつその認識を深めていき、聴衆に提示できるような総合的な理解を手中にするに至るのだということは明らかです。けれども一般化はほぼ不可能で、分析と演奏の関係は各々の音楽家について、また各々の作品についてすら異なると思います。(25-26頁)

ここでローゼンがほのめかしているのは、分析はあくまで分析対象あってのものであり、できあいの分析手法を機械的に個々の対象に当てはめるのは間違っているという立場であるように感じる。その意味では、ローゼンはガチガチの原理主義者ではなく、柔軟な現場主義者(しかし、現場の要請に流されるままになることはない、独立の人)である。

 

ローゼンの柔軟さは、他の音楽家たちとのアンサンブルの仕方に如実に現れている。彼にとって分析に立脚した演奏スタイルはソロのものであるようだ。他人と音楽をやるときに重要なのは、作品や分析というよりも、他の音楽家たちのほうである。オーケストラとやるときは、「分析に頼ることなく、本能的に反応」するとさえ述べている(126頁)

 

分析は、演奏家にも批評家にも必要なものではあるけれど、それが必要な理由は異なるとローゼンは考えているらしい。あらゆる分析が演奏家にとって必要というわけではない。その意味で、批評家と演奏家は。「同じひとつの作品の異なる諸側面に注意を促してい」るのであり、補完関係にある(29頁)。

演奏家と分析の関わり方についてはさまざまなアプローチを許容するのに、面白いことに、批評家の役割となるとローゼンはかなり厳格主義者になる。「私の考えでは、批評の役割は、作曲家の用いた技法的な手段を分析することです」(30頁)。

しかし、批評を独立した営為として認める方向性をローゼンが全面的に否定しているわけではない。むしろその点において、ローゼンはシュレーゲルのいう意味での批評、自律した営為としての、芸術作品と並び立つものとしての批評というスタンスを支持しているとさえ言える。

批評は十九世紀初めから独立した活動として認められています。一七九八年にフリードリヒ・シュレーゲルは、諸々の偉大な芸術作品はそれら自体、互いに解釈し合い、評価し合うものだと説明しています。したがって批評は、それもまた芸術作品でない限り面白味のないものです。(41-42頁)

それは裏を返せば、批評のハードルを怖ろしく上げるものでもある。

ただ、これに続けて、ローゼンは文芸批評がテクストから遠ざかり、それ自体が自立した作品となりうる――批評している作品を読んでいないとしても、読んでいて楽しい批評はある――のにたいして、音楽批評は「楽譜の[ママ]可能なかぎり近くにとどまる必要」あると付け加えている(42頁)。

ともあれ、ドイツ・ロマン主義の批評観——「批評の役割は説明することであり、価値判断を下すことではありません」(43頁)――にたつローゼンにとって、作曲家の視点から作品を見るべきであって、その視点からすれば、すべての作品は「つねに良いもの」なのだ(43頁)。つまりそれは、作品を相対的に評価するのではなく、絶対的に評価すること、作品それ自体を自律したものと捉え、その存在そのものを内在的に捉えようという立場であると言ってもいい。

それは、作曲家を絶対視することではない。重要なのは、作品を、一貫したかたちで分析できるかどうかなのだ。この意味で、ローゼンは作品至上主義とでもいうべき立場を取っていると言っていいだろう。たしかに作曲家の自伝的側面を理解することは有益かもしれないが、本当に重要なのは、「作曲の仕事を理解すること」である(46頁)。

 

巻末の書誌情報を見て、『ソナタ諸形式』(原著1980年)の翻訳があることを知った。1997年出版。しかし、「アカデミア・ミュージック」という聞いたことのない出版社からだ。近隣図書館に所蔵しているところはないし、古本は高値。

古典派音楽の様式』(原著1971年)は音楽之友社から出ていて、前にざっと読んだが、翻訳はいまひとつのように感じた。

シェーンベルク』(原著1975年)は昔読んだが、これはいい本だった。

もうすこし新しい本となると、『ベートーヴェンを”読む”』(原著2002年)、『ピアノ・ノート』(原著2002年)、『音楽と感情』(2010年)に翻訳がある。後者2冊は読んだと思うが、内容は覚えていない。

 

すぐれたエンタメ映画として、すぐれた商品として:新海誠『すずめの戸締り』

20221114@Cinezart

エンタメ映画としてはよくできていると思う。2時間を飽きずに見させてくれるし、最後の20分での盛り上がりも申し分ない。きちんと感動させてくれる。商品としての出来は申し分ない。

風の谷のナウシカ』と『もののけ姫』の物語をミックスして、それをエヴァの物語世界に移し替え、それを2010年代以降の日本の文脈に翻案すると、『すずめの戸締り』が生まれるのではないかという気がする。

新海誠の新作は偉大なるマンネリズムの具現化である。ボーイ・ミーツ・ガール物語(いや、ここでは、ガール・ミーツ・ボーイ物語というべきか)。記憶のなかの映像と似た男性と出会う女性主人公。ふたりはさまざまな困難を経て、最後にはめでたく結ばれる。ハッピーエンドに終わる物語という路線は、『君の名は』以降の顕著な特徴である。

『君の名は』以降の新海の作品が作り出す物語世界の根底にあるのは、震災が残した心理的なトラウマであり、物理的な被害の傷跡だ。そこではつねに、黙示論的な想像力が蠢いている。いちど世界が滅びかけたからには、ふたたび世界が危機に見舞われることはありえるし、それどころか、今度の危機は前回以上のものとなり、世界を完全に滅ぼしてしまうかもしれないという怖れがある。

前作『天気の子』に引き続き、ここでは、来るべき災厄をどのように抑え込むのかが物語を稼働させていく。そして、災厄が人間的なものではない以上、災厄が気象や地殻といった自然現象である以上、それにたいする対抗策は、必然的に、超自然な何か、ファンタジー的なものになる。ここでは民俗学的なものが、そのようなギミックとして機能する。だから、男性主人公は、土地に開いてしまう扉から暴れ出る地脈を沈める役割を代々担ってきた家系の人間という設定になっている。

男性主人公のほうに特殊技能(自然を鎮める)が備わっているとすると、女性主人公のほうには震災のトラウマがある。彼女は東北の震災(とはっきりは言及されないが、それが想定されていることはあきらかだ)で母を亡くし、叔母に引き取られ、熊本で育ち、いまは高校生で、母と同じ職業である看護士を目指している。彼女には男性主人公のような特殊技能はないが、地元の廃墟と化した遊園地に出現した扉を開け、それを封印していた要石を抜いてしまった結果、扉の向こうに常世を垣間見てしまう。彼女は世界の崩壊(大地震)のトリガーを引いてしまう。そして、引き抜かれた要石は猫となり、天敵である男性主人公を子ども椅子に変えて無力化し、逃走する。こうして主人公たちは、要石を捕まえるべく旅に出ることを余儀なくされる。

熊本から四国から神戸から東京から東北まで、フェリーにヒッチハイクに電車にドライブと、ロードムービー的な物語が続く。旅先での出会いと別れがある。

クライマックスの舞台は2つある。ひとつは、男性主人公が人身御供的なかたちで自らを要石と化すことによって東京を襲う大震災を食い止めるところ、そして、もうひとつは、そうなった男性主人公を救うべく、彼が閉じ込められている常世に入り込むべく、女性主人公のトラウマの地である東北に向かい、そこで常世から男性主人公を取り戻すところ。そのどちらもが、新海の代名詞とも言うべき美麗な風景によって描き出されている。

ただ、『天気の子』における空気や雨や雲が、アニメーションでなければ不可能な、アニメーションだからこそ可能な表現になっていたのに比べると、『すずめの戸締り』の自然描写はどこか物足りない気がした。常世の描き方にしても、美しくはあるが、驚かされるほどではない。大地の精霊の描写にしても、ありきたりとはいわないが、新味は感じなかった。とくに、わりと多用されていた360度回転のシークエンスは、もはや実写映像で見飽きているテクニックであり、それをアニメーションで再現するのはきっとかなりの技術力が要るのだとは思うけれど、いまさらという感じがぬぐえない。

 

来場者特典として配られていた「新海読本」のなかで、新海は、「場所を悼む」ことをこの映画のなかで描こうとしたのだと述べている。

なるほど、たしかに、いま日本のあちこちで、かつて栄えた場所が衰え、廃墟になっている。災害に見舞われなくとも、過疎や不況によって、共同体の記憶の場所が物理的に崩壊しつつある。そのような場所を訪れ、そこで生き、暮し、愉しみ、哀しんだ人々の記憶を、全体として見れば名もなき人々ということになってしまうけれど、ひとりひとりにしてみれば、かけがえのない生きられた経験があったことはまちがいない。それをいま、あらためて描き出すこと、そのような表象されざることをアニメーションとして具象化することには、大きな意義があるだろう。

ただし、ここで付け加えておきたいのは、主人公たちは、そのような記憶を瞬間的に想起し、追体験するものの、それは暴走する土地の力を鎮める力をブーストするためのトリガーにすぎない。「場所を悼む」ことは、物語のためのギミックとして使われているにすぎない。

 

端的に言えば、『すずめの戸締り』はセカイ系なのだ。ここでは「セカイ」と「わたし」がダイレクトにつながっており、その中間項はすべて、物語のための装置になってしまっているところがある。だから、「場所を悼む」というような重要な問題を提起しておきながら、それらが十分に発展させられていないというか、それらを物語の核心にまで取り込むことに失敗している。

この意味で、宮崎駿のアニメーションには思想があるが、新海誠のアニメーションには思想がないと言いたくなるところである。『すずめの戸締り』は、『ナウシカ』や『もののけ姫』に通じるような、人間と自然の問題――超人間的な自然の力を前にしたとき人間に出来ることは何か――を扱っているにもかかわらず、それは物語の主軸――ガール・ミーツ・ボーイ――の背景をなすばかりである。だから、『すずめの戸締り』における民俗学的なものは、民俗学そのものというよりも、サブカルチャーに現れる民俗学的なもののコピーという感じがする。偽物というのではなく、コピーのコピー、いかにもそれらしいもの、という感じがつきまとっている。

 

場所を悼むということは、その場に暮らした人々を描くということになるはずだが、その描写は瞬間的なものにとどまっている。だから、『すずめの戸締り』には、主人公たちの身の回りで起こる個人的な体験と、世界を揺るがす地脈という超自然的なものという二極しかない。

ただ、そのような身の回りで起こる個人的な体験の領域はとてもうまく描けている。ある意味、主人公たちのことをキャラクターとしてあまり印象に残らないのに、愛媛の民宿の子のこと、神戸のスナックのママとその双子のこと、女性主人公の育ての母である叔母、男性主人公の学友と祖父。脇役のほうがずっとキャラとして立っている。

これまで新海は、日常的なパートを、ミュージック・ビデオ的に処理していた。歌が流れ出し、日常の断片がプロモムービーのようにコラージュされていく。それとともに、物語は加速し、時系列が飛ぶ。その手法が『すずめの戸締り』では断念され、主人公たちの旅がとても丁寧に描かれていた。もちろん、それを評価するかしないかは、新海に(ひいては、アニメーションというメディアに)何を求めるか次第ではあるけれど、個人的には高く評価したいところ。

 

正直に告白すれば、こうして見た内容を思い出しながら書いていて、主人公たちの名前がどうにも思い出せないというか、主人公たちを名前と結び付けて思い出すことができない。というか、映画を見ながら、女性主人公が『君の名は』の女性主人公とかぶってしまう瞬間が何度もあった。脇役たちの名前を憶えているわけではないけれど、そちらについてはかなり明確なイメージを結ぶのに、主人公たちの印象はどうにも薄い。

とはいえ、主人公たちのキャラが薄いのは意図的なのかもしれない。新海において、主人公は視聴者が物語世界に没入するためのギミックであって、それ以上でもそれ以下でもないのかもしれない。その意味で、ふたりには、それぞれ、閉じ師という職と、震災トラウマという記憶以外、特殊な属性が付与されていないのは、そうすることで、物語をあたかも自分のものとして愉しむための処置なのかもしれない。

つまりここでは、視聴者のキャラクターへの感情移入ではなく——感情移入が起こるためには、まず、わたしとキャラが別個の存在であるという認識からスタートしなければならないだろう——、視聴者とキャラクターとの同一化――その場合、わたしとキャラは別々の存在とは捉えられていない――が目指されているのであり、そのためには、主人公たちこそがキャラとしては薄く、脇役こそ濃くなければならない――なぜなら、脇役たちは物語世界の真実性を高めるものだから――ということなのだろうか。

 

『すずめの戸締り』は、震災のトラウマ(母を亡くしたこと)の哀しみに沈んでいる子どもの自分を、いまの自分が赦すという物語なのだろう。過去の苦しみを、現在の自分が救うのであり、それは、出口のないように思われる現在だとしても、それはかならず、なにかもっと悦ばしい未来に通じているはずであるという希望を、わたしたちに贈るような物語ではある。

自分を本当の意味で救るのは自分しかいないというのには、おそらく、なにかしらの真実はある。映画が発するメッセージはけっして間違ってはいない。しかし、もしすべてが心理的な葛藤の解消によって片が付くわけでもない。

『天気の子』は、彼女を取り戻して世界を犠牲にするのか、それとも、世界を犠牲にしても彼女を取り戻すのか、というプロットの分岐にかなりの葛藤を盛り込んでいた。そして、後者を選んだことによって世界が変わってしまったこと——海面上昇が進み、地形が変わり、人々の生活に大きな影響があったこと———が、エピローグのかたちであるとはいえ、きちんと描かれていた。

『すずめの戸締り』も、彼か世界かという究極の二択を軸にして物語がクライマックスに向かっていくにもかかわらず、結局は、彼も世界もというご都合主義に落ち着いてしまっているように思う。そして、そのような「あれもこれも」のハッピーエンドは、一時的なものでしかないのである。

たしかに、地震をもたらす自然の力はけっしてなくなることはないのであり、その意味では、問題先送り的なエンディングの『すずめの戸締り』はリアルではある。直近の災害は回避された、だからわたしたちは、束の間かもしれないこの現実を大切に生きよう、というわけだ。

しかしそれでいいのだろうか。

 

『君の名は』と『天気の子』と『すずめの戸締り』は、どれも、2011年の震災を物語世界の基本構造と取り込んではいるが、それをどのように形象化するかは大きく異なっている。『君の名は』では隕石という地球外からの到来、『天気の子』は雨、『すずめの戸締り』は地震

どれも超人間的な力がもたらすものではあるけれど、そのなかでは『天気の子』の雨が唯一、わたしたちの現実世界における環境危機とつながりうるものである。つまり、『天気の子』のおける問題のみが、人的努力による食い止めの可能性が、可能性として存在していると言える。だからこそ、『天気の子』における彼女か世界かという問題には第三の可能性が折り込まれている。つまり、環境危機をわたしたちの手で食い止めることによって、彼女も世界もともに救うという最高のハッピーエンドが、(キャラクターたちや物語世界にとってという以上に)わたしたちにとっての希望として、残されているのである。

こう言ってみてもいい。『すずめの戸締り』では地震の発生を食い止めるために主人公たちは活躍するが、それはわたしたちの現実世界においては、不可能な道筋である。だからこそ、ここで女性主人公が、世界も彼もと両方を選択するとき、それはただたんに、彼女の選択にすぎなくなって、物語だから可能な楽観主義にすぎなくなってしまっている。

だからこそ、『すずめの戸締り』は、そこで提起された問題を現実世界に持ち越すことを、わたしたちにかならずしも求めていないように感じてしまう。だからこそ、『すずめの戸締り』はエンタメの商品としては、わたしたちに解決不可能な宿題を与える『天気の子』よりずっとすぐれているとも言えるのではあるけれど、まさにそれと同じ理由で、つまるところ、たんなるエンターテイメントに終わってしまっているとも言えるのである。

峻厳な音楽、異化するモダニズム:ギュンター・ヴァントの醒めた超越性

峻厳という言葉がギュンター・ヴァントほど似合う指揮者はこれまでもこれからも存在しないのではないかという気がしてならない。ヴァントの音楽の鋭さは比類ない。ほとんど人を拒むような、音だけを求めるような、孤高の高貴さ。

1912年生まれヴァントは21世紀まで生きた。晩年はきわめて限られたレパートリーしか振らず、ドイツの交響曲作家、なによりブルックナースペシャリストであったけれど、それはあえての選択であり、同時代の音楽に背を向けて生きてきたわけではない。シェーンベルクからメシアンヒンデミットからツィンマーマンまで、いわゆる前衛音楽を、ベートーヴェンシューベルトブラームスと同じように愛し、演奏していた*1。 

晩年のレパートリーが想起させるのはドイツ伝統主義者の姿だが、ヴァントは自身きわめてモダンな、それどころか、モダニストな指揮者だったのだと思う。彼が求めたのは、どっしりとした低音を基礎にして高音を積み上げるといった静的秩序ではなく、それぞれのパートがダイナミックに舞い踊る動的生命だ。だからヴァントの指揮する音楽では、低音が重たくなることはないし、高音のパートが全体を圧倒することはない。それぞれの楽器、生き生きとしたラインを描き出し、それらが互いに自律したまま、生き生きと絡み合う。

かなり長い指揮棒は、ヴァントが古い世代に属していることを告げている。ひとつのオーケストラと長期にわたる関係を築いたというのも、きわめて旧時代的ではある。しかし、彼の作る音楽は、最後まで、20世紀前半の前衛の精神を引き継ぐものではないかったかという気もする。

1990年代の映像に見るヴァントには身体的な老いがはっきりと見てとれる。背骨は曲がり、痩せこけている。しかし、指揮棒の大きく軽快な動きや目線の力は、壮年期と何ら変わるところはない。肉体の必然的な衰えの結果、運動性は落ちてはいるものの、指揮スタイルは変わっていないように見える。体幹はブレないが、フットワークは軽く、とてもリズミック。

ヴァントの音楽は和声的というよりも旋律的だ。音と音は、溶け合うというよりも、ぶつかり合う。ヴァントと同世代で、ヴァントと同じくブルックナーに心酔していたチェリビダッケが、音を空間に溶け合わせるような、時間を空間に融解させるような方向を選んだとしたら、ヴァントは、空間のなかに音を屹立させるような、対抗性を志向した。それはエーリッヒ・クライバーを思わせるような、空間を切り裂くアグレッシヴな音楽だ。ヴァントの音楽は空間に挑み、空間なかでそびえたつ。

美音をあえて避けていたのではないかという気すらする。鋭い音はどこかぶっきらぼう。鋭利さの方向で洗練されているわけではない。ざっくりと切り込まれ、切り詰められる。切断面は切りっぱなしで、磨き上げられているわけではない。雑というのではない。ただたんに、無頓着なのだ。細部を/まで磨くことに価値を見出せないかのように、求めるべきは本質であって、それ以外のことはすべて切り捨てることを決めたかのように。

しかし、そこに愉悦がないわけではない。甘美ではないし、耽溺はない。ある意味、すべては異化されている。けれども、そのような人為性を愉しむような突き放した距離感が、ヴァントの音楽にはある。テクストそれ自体を追求したヴァントは、文学批評で言えば、ニュークリティシズムに近いのかもしれない。彼がドイツの交響曲作曲家たちを敬愛していたのはまちがいないとは思う。けれども、彼の敬愛の対象は、作曲家その人ではなく、作品それ自体のほうにあったはずだ。ヴァントの音楽は非主観的であり、非人称的である。

ブルックナーを振り続けたヴァントだが、彼の音楽からは宗教の匂いがしない。神秘性も薄い。超越的なところはあるが、それは言ってみれば、理性的な彼方であって、未知や不可知の彼岸ではない。ヴァントはわたしたちは向こう側に連れていくのではなく、此岸に、彼岸的なものを出現させ、それをわたしたちに垣間見させてくれる。

それは圧倒的な体験ではあるけれど、没入的でも、没我的でもない。圧倒的でありながら、異化的でもある。醒めた超越性、祈り憧れる冷静さ。バウハウス的なインダストリアル・デザイン。複製技術時代における、複製技術によるシンギュラリティ。モダニストによる、本質的に反近代的なロマンティシズムの、近代的な表象。

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*1:ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団とのシェーンベルクの「5つの管弦楽曲 op. 16」、バルトークの「ティヴェルティメント」や「弦楽とチェレスタのための音楽」、NDR放送交響楽団とのストラヴィンスキーの「火の鳥」は、ひじょうに縁取りの深い、ひじょうに見通しの良い演奏になっている。ブーレーズのようにすべての音が浮かび上がってくる構造型の演奏(20世紀中期以降の音楽から逆照射した解釈)でもないし、ロマン主義的な路線の延長にある旋律優先型の演奏でもなく、自律的に動き回る各パートが生き生き絡み合うタイプの演奏。もしかすると、ここにもっと愉悦的なものを注ぎ込み、耽美的に音を磨くと、ピリオド楽器を経由して20世紀音楽を再解釈している指揮者たち——たとえば、フランソワ=グザヴィエ・ロト——の音楽に近づくのかもしれない。

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ケアの価値転換:ケア・コレクティヴ、岡野八代、冨岡薫、武田宏子訳『ケア宣言——相互依存の政治』(大月書店、2021)

ケアにまつわる皮肉は多くありますが、そのなかの一つには、実際には富裕層こそが最も依存的であり、彼女たち・かれらは、数え切れないほどの個人的な仕方で、お金を支払う見返りにサーヴィスを提供してくれる人たちに依存している、という皮肉があります。確かに、彼女たち・かれらの地位や富は、ナニー、家政婦、料理人、執事から、庭師、そして世帯の外でそのあらゆるニーズや欲求に応える多くのワーカーたちに至るまで、常に支援と注視を提供してくれる人々がどれほど多くいるのかを、部分的に反映しています。それにもかかわらず、超富裕層が自分たちの行為能力について疑いを挟まず、自らをケアしてくれる人たちを支配し、つまり、解雇したり後任を雇ったりする能力をもっているかぎり、この深く根ざした依存は隠蔽され、否定されたままなのです。さらにいえば、裕福な者たちは、依存を、ケアワークの微々たる稼ぎに頼っている人々の経済的従属と同義とみなし、依存の意味をすり替えることによって、ケアをしてもらうためにお金を支払っている相手に、自らの依存を投影します。他方で、ケアされなければならないニーズを自らももちつづけているということを、認めることを拒んでいるのです。(39-40頁)

 

ケア・コレクティヴが試みるのは、わたしたちの世界の捉え方にパラダイムシフトを起こすことである、とまとめられるように思う。わたしたちが相互依存する存在であること、政治にも親族関係にもコミュニティにも国家にも経済にも世界もケアで回っていることは、これから達成すべき目標ではなく、すでに達成されている現実である。

だから問題は、ケアがないことではない。問題は、ケアがあるにもかかわらず、そのことが認識されていないことである。では、なぜすでにつねに世界に遍在しているケアがわたしたちの認識からこぼれおちてしまっているのか。

それは一方で、ケアというものそれ自体の性質に起因するものだろう。ケアは相反する感情をかき立てるものであり、正の感情だけではなく、負の感情につながることもある。ケア自体が、アンビバレントなものである。

しかし、それよりもはるかに問題なのは、現行の世界秩序がケアを搾取している点だ。男性的価値観はケアを貶める。資本主義経済はケアを金銭的なものに還元する。国家による福祉(福祉国家)はケアを囲い込み、ケアを与える対象を国民に限定するし(ただし、すべての国民が無条件に福祉を受けられるわけではない)、そのような囲い込みは対外的にも発生する(難民や移民にたいする国家のケアは限定的である)。

目指すべきは、つねにすでに遍在しているケアを、そのような束縛から解放すること、ケアを自由にすることであり、そのためにはケアの価値を正しく認識する必要がある。つまり、二重の意味でケアを「見直す」こと――ケアを再考し、そうすることで、いまは貶められているケアの価値を取り戻すこと――が必要なのだ。

 

care という言葉は多義的であり、定義しづらいものではある。ケア・コレクティヴが参照するジョアン・トロントの定義にれよれば、まず区別すべきは、care about と care for と care with であり、care about は「他者への感情的な没入や愛着」を示し、care for は「直接ケアするという物理的な側面」が含まれており、care with には「この世界を変革するためにわたしたちがいかに政治的に動員されるか」を描いているという(38頁)。

訳者たちは、care about を「関心を向ける」、care for を「配慮する」、care with を「ケアを共にすること」と訳している。また、訳者たちによる脚注(38頁)によると、トロントはケアを5つの局面——① carring about、② caring for、③ care-giving、④ care-receiving、⑤ caring with——に分けているが、ケア・コレクティヴは「特に①②⑤に焦点が当てられており、かつ②は③と同様の意味で持ち入れられている」(39頁)とのことである。

英語の用法を踏まえてここで付け加えおくことは、すべての始まりは、「物理的な」意味で直接にケアすることではなく、「関心を向けること caring about」、つまり、興味を持つことである。しかし、さらにいえば、ケアする対象を、対等な対象として認識すること――無視しないこと、見下さないことも、そこには含まれているのではないか。

たしかに、対等ではない関係のあいだにもケアはあるだろう。大人と子ども、成年と老人、持つ者と持たざる者、というように。しかし、そこに上下関係が持ち込まれるや、ケアはネガティヴなものに、支配や上から目線に、従属や卑屈さに、容易に転換してしまうだろう。

なぜケアが「フェミニスト的、クィア的、反人種差別的、そしてエコ社会主義的視点を、精巧につくりあげていかなければならない」のかと言えば、そのようなヒエラルキー的なマインドセットがわたしたちの感じ方や考え方を規定しているかぎり、ケアはそのポテンシャルを十全に発揮することはできなからである。

ケアは他者にたいする関心(care about)から始まり、実際の行動(care for:気になるから何かする)につながり、そこから連帯(care with:ケアをとおした/という共生)の可能性が開けてくる。

だからこそ、ケアをめぐる価値転換は、わたしたちのマインドセット自体の価値転換をも同時に必要とするのである。

 

ケア・コレクティヴの議論をざっとまとめれば以上のようになるのではないかと思う。

それはそのとおりだと思う。しかし、そのためには、資本主義というシステムが、国民国家というシステムが、根本から転換される必要があるのではないか。ケアを解放し、「相互依存の政治 politics of interdependence」を現実のものにするには、弥縫策では不十分で、もっとずっとラディカルな革命が必要になるのではないか。

著者たちはその可能性から微妙に顔を背けているのではないか。現在のシステムのバージョン・アップで、ケアがわたしたちの生の核心にくるような世界のほうに、わたしたちは向かっていくことができるのだろうか。

そこが疑問として残る。

 

訳語について2点。

they を「彼ら」と機械的に訳していない点は大いに評価したいが、「彼女ら・かれら」という表記はちょっとひっかかる。「彼女ら」をつねに先行させているところではなく、「かれら」がひらがなになり、字面としてちょっと抜けた感じがする点がひっかかる。「彼女ら」、「かれら」の順番にした理由はよくわかるし、それは本書の精神——フェミニスト的視点の必要性――と整合するところではある。「彼ら」があまりのも長きにわたってあたりまえと思われてきたのだから、まずはこれを転換する必要があるのはそのとおりだ。しかし、「かれら」とひらがなに開く必要があったのかどうか。

各章のタイトルについている「ケアに満ちた」という形容詞の原語は caring。この訳語でいいのだろうか。ちょっと「careful」の訳語のように見える(まあ、careful を、本書が言う意味での care が 「いっぱいに full」あるという意味で使うことはまずないけれど)。

これは訳者とわたしの本書の捉え方が違うというか、care のどのレベルにおける価値転換を最重要視しているかの違いなのだと思う。わたしに言わせれば、「care があるがあるかないか」(正確に言えば、現実にはまちがいなく存在しているケアを、事実としてあると認めるのか、それとも、事実に逆らってないと言い張るのか――またはあることを認めつつも、その価値は認めない――)がもっとも力点を置くべきところだと思うのだけれど、訳者たちはその後に来る、care がその真の価値を認められたあとの世界を「ケアに満ちた」ものにすることを強調しているのかもしれない。つまり、わたしは現在=現状をフォーカスし、訳者たちはもっと未来志向なのかもしれない。

しかし、かりにそうだとして、ケア・コレクティヴが目指しているのは、この世界をケアで満たすことなのだろうか。ケアが満ちたらそれで問題は解決するのだろうか。

わたしが理解したかぎりでは、真の問題は、量的なものというよりも、質的なものだ。ケアが足りないことというよりも、ケアの真価の誤認や搾取が、真の問題である。ケアの真価が歪められている世界では、たとえケアが満ちていようと、そのケアは搾取されるばかりだろう。それは、資本主義経済のなかでは、たとえどれほど使用価値のあるものであろうと、どれほどそれ自体として価値があるもの、わたしにとってプライスレスな価値があるものであろうと、交換価値によってしか、プライスに換算されることによってしか、その価値を認められないように。質的な価値転換がなければ、量的な増加は不発に終わるばかりだろう。

もちろん、訳者たちもそのあたりはわかったうえで、「ケアに満ちた」という訳語を選択したのだろうとは思うけれど、この訳語のせいで、ケア・コレクティヴが意図した以上に、日本語訳はケアに満ちた優しい世界をわたしたちに想像させてしまっているのではないかという気もする。

ケア・コレクティヴが注意を促しているように、相反する感情をかきたてるものである以上、ケアは、あればあるほどいいというものでもないのではないか。そのあたりをどう捉えているのか、ぜひ訳者たちに訊いてみたいものだ。

近代史への問いかけ、美学的な退行:宮城聰演出、ヘンリック・イプセン『ペール・ギュント』

宮城聰演出、ヘンリック・イプセンペール・ギュント
20221106@静岡芸術劇場

双六が舞台を支配している。サイコロの目がマスにあしらわれた、舞台奥が高くなるように傾斜した、とてつもなく巨大な双六盤が、舞台中央を覆うように、少し斜めに置かれている。後景には、それと鏡合わせになる双六盤が、奥にわずかに傾いで、上辺が右下がりになっているせいでどこか不安定に、アンバランスに、屹立している。芝居が始まる前、後景に投影されている画像の上部には、「日本人海外発展双六」と、右から左に記されている。大日本帝国の海外進出を題材に取った、実在の双六らしい。双六盤の手前に照らし出された前景では、軍国少年とその妹が、入れ替わりで双六で遊んでいる。一人遊びにのめりこんでいくのは、少年のほう。折り紙の兜をかぶり、紺色の半纏を羽織った彼の手に握られているのは、軍人をかたどった駒、ゼロ戦のような航空機。ときにひどく咳込む、病弱なのかもしれない彼に、妹の声は届かない。男の身勝手さが招きよせる歴史的悲劇が、きわめて象徴的なかたちで提示された後、劇が突如として始まる。

ヘンリック・イプセン(1828-1906)の最後の韻文劇である『ペール・ギュント』(1867)のタイトル・ロールは、ピカレスク的な道程を歩んでいく。ローカルな暴れ者からグローバルな資本家となり、預言者として皇帝に成り上がるものの、そこから大転落する。彼は敗残者として、善人でもなければ大悪人でもない凡庸な平均人として帰郷することになる。これを演出家の宮城聰は、戯曲が書かれたのと同時代の日本に置き換え、明治から昭和にいたる大日本帝国帝国主義的な拡張政策(の瓦解)のなか、自らのアイデンティティを見出そうとして迷走する日本男児の物語に読み替える。

野心的な読み替えである。しかし、これが演出的、演劇的に成功しているかとなると、それはまた別問題ではある。というのも、イプセンのペールは、放蕩のかぎりをつくして故郷に戻り、彼が結果的に見捨てることになったにもかかわらずいまだに貞淑に待ち続けていたソールヴェイによって、母にして妻にして女である彼女の子守歌によって、救われてしまうからだ。ペールの「行為」を赦すことは、日本近代史が他国で自国で犯した咎を免罪することになってしまう。それは日本近代にたいする宮城の批判的態度と真っ向から衝突するのだろう。だから演出家は、一方において、日本史的な参照項ふんだんに盛り込みつつ、他方では、『ペール・ギュント』の物語を、日本特殊的な歴史的文脈を媒介とした、日本に限定されない近代的(男性)自我の実存の問題へ、「内面」の問題へと開くという、なんとも苦しいアクロバティックな二面作戦を強いられていたように見える。

1幕のトロル王の宮廷のシーンは、鹿鳴館時代の日本が幻想した西欧的なものが召喚される。付け鼻をしたトロルたちが体現するのは、おそらく、明治人が想像した幻想の西欧人なのだろう。人形の衣装のような、外見はそれらしいが、中身がどうなっているかはまったく疑わしいハリボテのような装いが披露するダンスの滑稽さは、東亜入欧を目指した近代日本の戯画である。

2幕冒頭の紛糾する国際会議の模様は、テーブルクロスの League of Nations の文言から国際連盟への言及であることはまちがいない。欧米諸国と物別れし、別々の道を行こうというペールの通告は、日本の国際連盟脱退を想起させずにはおかない。テーブル中央で羽織袴姿のペールは、欧州諸国相手に高らかに語るが、欧州諸国の代表を演じる4人が話す外国語はまったくのでたらめである。それらしく聞こえる単語や音をでたらめに並べた発話を、傍らに控える通訳が真っ当な日本語に翻訳する。だから、この会議はなんともわざとらしい、滑稽な茶番劇に見えてくる。現実のシーンというよりも、日本が夢見た強い日本ではないかという気がしてくる。

2幕半ばの皇帝のシーンではためく満州国の旗めいたものは、ペールのたどる道程が大日本帝国の植民地的野心と軌を一にすることであったことをいっそう明らかにする。そこで舞うのは、中国風とも韓国風とも言い難い疑似アジア的な衣装をまとった踊り子であり、皇帝ペールがかぶる帽子にしても、彼が腰かける椅子にしても、中国風のものである。

日本の敗戦はきわめて象徴的なかたちで舞台化される。サイレンがうなり、白煙が上がり、空襲の被害にあったかのように、壁からも床からも双六のマス目が剥がれ落ちる。いたるところに穴が開く。そのような荒廃した舞台に再登場するトロル王の腰には、「うちてしやまん」と筆書きされた日の丸がまきつけられている。彼は物乞いのように、同じく無一文のペールにすがる。宮城の『ペール・ギュント』が行き着く先は、敗戦後の荒野にほかならない。

しかしながら、そのような道程をたどる宮城のペールはどこまで主体的なのだろうか。1幕冒頭でペールが「俺は王になる、皇帝になる」と宣言するとき、後景の双六盤が光り、彼がたどるであろう道筋が浮かび上がる。それは「振り出し」から「上がり」に通じるラインである。場面転換ごとに、音楽隊が暴力的なまでに打楽器を打ち鳴らすとき、すでに提示された線をなぞるように、振り出しから光が伸びていく。自然人であるかのように見えるペールは、自らの欲望にしたがって自発的に振る舞っているかのように見えて、実は、歴史の必然に突き動かされ、すでに敷かれたレールのうえをなぞっているだけなのかもしれない。劇が進むほどに、そのような思いが湧いてくる。

分裂的主体としてのペール・ギュント——自発的欲望の奴隷でもあれば、歴史的必然の駒でもあるペール——を演じるには、武石守正の身体はあまりに健全すぎたかもしれない。揺るぎない体幹をもつ武石の愚直なまでに誠実な身体は、逆説的ながら、ペール・ギュントのいかがわしさをどこか真摯で真っ当なものに昇華させてしまっていたように思う。母オーセ(榊原有美)のきわめて巧みな性格俳優的な演技がその方向性を後押ししていた部分もある。ふたりの真に迫った演技は、メロドラマ的なお涙頂戴になりかねない、死の床についたオーセとペール・ギュントの1幕最後の対話を、純粋に感動的な美談に仕立て上げてしまっていたように思う。

輝かしい日本近代のうさんくさい舞台裏とその犠牲者たちを、ひねくれたアイロニーや、意図的にわざとらしい泥臭さをもって見事に体現していたのは、トロル王ドヴレ(渡辺敬彦)やその王女(舘野百代)であり、本戯曲の狂言回し的なキャラクターたち——くねくね入道(吉見亮)、見知らぬ船客(牧山祐大)、ボタン作り(佐藤ゆず)——であったが、彼女ら彼らが近代の暗部を不気味な存在感をもって舞台に出現させるほどに、武石のペール・ギュントは、むしろハムレットにこそふさわしいような、正統派の悲劇のヒーローのように見えてきてしまう。

しかし、それこそまさに、演出家の目論見だったのかもしれない。宮城の『ペール・ギュント』の強度が最高度に達するのは、2幕後半の難破のシーン、海に投げ出されたペールが、決して現実化されることのなかった思いを幻視する箇所である。そこで、決して生まれることがなかったさまざまな可能性が、コロスとして、対位法的に、不協和に、叫び出す。漂流するなか、命綱としてしがみつく丸太をめぐって他の遭難者を蹴落すという究極的な二者択一以上に、これらの仮想的なシーン、ぺールの心象風景のようなシーンこそが、このパフォーマンスにおける突出点であったように思う。しかしそこで問い質されるのは、ペールが犯した具体的な罪――それは数限りないだろう、日本近代が犯した罪が数限りないように――というよりも、もっとずっと内面的な、近代的自我のアイデンティティをめぐるものである。こうして宮城の『ペール・ギュント』は、劇がほとんど終わりかけたところで、一挙に象徴劇的なものにシフトする。

だから、ペールを演じる武石が、あたかもハムレットのように見えてきたのは、決して偶然ではないのだろう。武石が宮城演出の『ハムレット』でタイトルロールを演じてもいたことを思い出すにつけても、宮城は『ペール・ギュント』を近代的な内面劇と捉え、ペールに悩める近代的男性としての雄々しさと女々しさを付与したのではないか。

テクストをカットするという消極的な的介入はしても、積極的に書きかえるという攻撃的な介入はしない演出家である宮城は、ラストシーンでも、日本近代批判という自らの演出プランに戯曲を強引に従わせることはない。だから劇は、イプセンが描いたように終ってしまう。池田真紀子の演じるいつもどこかさびしげで、どこかよそよそしく、奇妙に神秘的だったソールヴェイが、突如として意志的存在に転化し、きわめて強い声で「あんたに罪なんかない」と叫ぶとき、ソールヴェイはペールを受け入れる、赦すべき存在として立ち現れる。

そこに演出家の批判的な問いかけが仕込まれていたことはたしかである。そのように叫んだソールヴェイは、舞台下手から上手まで移動したあと、双六盤の下で息絶えたように倒れ込んでいた指揮者であった。「あなたはずっとわたしの夢のなかにいた」と甘やかに応えるソールヴェイに、「父親は誰だ」とペールが絶望的な叫びを返すと、彼女は無言のまま、舞台の袖を指さし、観客席のわたしたちを指さす。ペールとオーセという母子的なつながりの強調にしても、ペールがトロル王女とのあいだになした子の否認にしても、そこで抑圧されてきたのは父的存在であり、『ペール・ギュント』はその意味で父(になること)の拒否の物語であったが、この最後の瞬間において、不在の父の責任が、突如として、わたしたちに差し向けられる。男性的な価値観と、近代の帝国主義と、日本の戦争犯罪の問題性に、わたしたちもまた、不可避的に加担していた/いること、共犯者であった/あることが、脈絡なく、突きつけられる。

しかし、この問いかけは不発に終わっていたのではないか。わたしたちを指さしたソールヴェイは、そのままその指をタクトのように用いて、指揮者として音楽隊を率いて、劇を終わらせていく。それはたしかに、本劇においてほとんどつねに受動的であった彼女が自律的な行為能力を発揮した瞬間ではあった。しかしそのような身ぶりとともに、彼女は、うなだれて立ち尽くす老いたペールの手に握られていた杖を優しく取り外し、そのかわりに、花を握らせる。子の手を引くようにして、彼を「振り出し」のマス目まで導いていく。ソールヴェイの子守歌に込められているのは、ペールが再び初めからやり直す可能性であった。うつむいた老人に光が注がれる。そのような可能性を受け取って再生し、若返り、ペールはほのかに輝いたように見えた。

それはたしかに美しい幕切れではあった。しかし、「あなたはわたしの夢の中にいた」というソールヴェイの告白と相まって、『ペール・ギュント』全体がペールの夢落ちであったかのように見えてきた。近代をリプレイすることができるとしたら、わたしたちはきっと、前よりもずっとうまくやれるだろう。しかし、歴史に「もしも」はない。なされたことはなされたことである。あったことはなかったことにできない。わたしたちに作り直すべきものがあるとしたら、それはすでに起こった過去ではない。これから先の未来である。わたしたちに必要なのは、いまある現実の延長線上にある歴史的必然のような予定調和的な「上がり」ではなく、そのような必然の名のもとに正当化された過去の歴史的悲劇を見つめ直すことで、未来において正当化されかねない歴史的悲劇を回避し、それとは別の未来を夢見ようとする批判的想像力である。しかしそのような批判的想像力が、宮城の『ペール・ギュント』においては、最終的には、胎内回帰的な夢へと、歴史の現実ではなく、内面的な自我へと、退行してしまっていたようにも思う。宮城の演出は、自身が提示した歴史的政治的な問題にケリをつけることなく、それを美学的なカタルシスにすり替えてしまっていたのではないだろうか。だからわたしたちは、現代にまでつうじる日本近代についての重大な問いが、美しいイマージュの中で霧散してしまったことに、なにか腑に落ちない思いを抱かざるをえないのである。

うまくいかない日本近代批判:宮城聰演出、ヘンリック・イプセン『ペール・ギュント』

宮城聰演出、ヘンリック・イプセンペール・ギュント

20221008@静岡芸術劇場

宮城聰は日本近代の問題を自身の演出に批判的なかたちで取り入れようと苦闘し続けている。ヘンリック・イプセンの最後の韻文劇『ペール・ギュント』自体がそもそも西欧植民地主義の誇大妄想的な欲望(の失敗)の物語ではあるけれど、宮城はこれを、明治から昭和にいたる大日本帝国帝国主義的な拡張政策(の瓦解)のなか、自らのアイデンティティを見出そうとして迷走する日本男児の物語に読み替える。野心的な読み替えである。しかし、これが演出的に、演劇的に成功しているかとなると、それはまた別問題ではある。

劇が始まる前から、双六が舞台を支配している。サイコロの目をあしらった双六盤が、舞台中央の大半を覆うように、舞台奥のほうが高くなるように傾斜して置かれている。後景にもそれと同じような双六盤が壁のようにそびえている。しかし、そこに投影されているのは、「日本人海外発展双六」と題された別の双六だ。大日本帝国の海外進出を題材に取ったものらしい。前景では軍国少年が夢中になって双六で一人遊びをしている。彼の手に握られているのは、軍人をかたどった駒と、ゼロ戦のような航空機。軍隊ごっこに興じるあまり、彼に話しかける妹の声は届かない。男の身勝手さが招く歴史的悲劇が、二重に象徴的なかたちで、わたしたちに暗示されている。

宮城のペール・ギュントは、破天荒な野人というよりも、近代日本における男性的価値観の象徴なのだろう。田舎を後にして出奔し、私生児をこしらえ、妻にしたい女を見捨てて大陸に渡り、死の商人となって山師的に富を築き、満州国の皇帝となって酒池肉林のかぎりを尽し、難破して一文無しになって敗戦後の故郷にみじめに帰還しながら、それでもなお、虚勢を張ることをやめられない。男らしさの悪あがき、その醜さ。それは個人的なものでも心理的なものでもなく、集団的で歴史的なものである。

ペール・ギュントが第1部で戦略的に婚姻関係を結ぼうとする山の民は、韓国や台湾のように大日本帝国の一部となることを余儀なくされた植民地と、宗主国たる日本との関係を想起させる。第2部における欧米各国との交渉は、国際連盟脱退を思わせるとともに、満州国を思い出さないわけにはいかない。事実、第2部の王国のシーンでは、中国風とも韓国風とも言い難い疑似アジア的な衣装を、ペール・ギュントも踊り子たちもまとっており、そこでは満州国の旗らしきものがはためいていた。

ペール・ギュントピカレスク的な道程——ローカルな暴れ者からグローバルな資本家から皇帝へという上昇、そこからの大転落、敗残者としての帰郷——は、双六の盤上における動きとして表象される。場面転換を彩るのは、たとえば、盤面で足踏みしながら疾走するペール・ギュントのパントマイム的な動きであり、後景の盤に浮かび上がるルートである。それらが執拗に繰り返されるので、わたしたちは、自然人であるかのように見えるペール・ギュントがはたして自発的に振る舞っているのか、それとも、歴史の必然に突き動かされて、すでに敷かれたレールのうえをなぞっているだけなのかが、わからなくなってくる。

そのような分裂的主体としてのペール・ギュント——自発的欲望の奴隷でもあれ、歴史的必然の駒でもある——を演じるには、武石守正の身体はあまりに健全すぎた。揺るぎない体幹をもつ武石の愚直なまでに誠実な身体は、逆説的ながら、ペール・ギュントのいかがわしさをどこか真摯で真っ当なものに昇華させてしまっていたように思う。母オーセ(榊原有美)のきわめて巧みな性格俳優的な演技がその方向性を後押ししていた部分もある。ふたりの真に迫った演技は、メロドラマ的なお涙頂戴になりかねない、死の床についたオーセとペール・ギュントの対話を、純粋に感動的な美談に仕立て上げてしまっていたように思う。輝かしい近代のうさんくさい舞台裏とその犠牲者たちを、ひねくれたアイロニーや、意図的にわざとらしい泥臭さをもって見事に体現していたのは、トロル王ドヴレ(渡辺敬彦)やその王女(舘野百代)であり、『ペール・ギュント』における狂言回し的なキャラクターたち——くねくね入道(吉見亮)、見知らぬ船客(牧山祐大)、ボタン作り(佐藤ゆず)——だったが、彼女ら彼らが近代の暗部を不気味な存在感をもって舞台に出現させるほどに、武石のペール・ギュントは、むしろハムレットにこそふさわしいような、正統派の悲劇のヒーローのように見えてきてしまう。

イプセンペール・ギュントは、放蕩のかぎりをつくして故郷に戻り、彼が見捨てたにもかかわらず、いまだに彼を待ち続けていたソールヴェイによって、母にして妻にして女である存在によって、彼女の子守歌によって、救われてしまう。テクストをカットするという消極的な的介入はしても、書き足すという積極的な介入はしない演出家である宮城は、このラストシーンでも、日本近代批判という自らの演出プランに戯曲を強引に従わせることはない。この前のシーンでペール・ギュントがいまいちどトロル王と遭遇したとき、彼は「うちてしやまん」と書かれた日の丸を腰にまとっていたし、舞台は空襲の被害にあったかのように大きく破壊されていた。プログラムされた歴史が終わりを迎えたことを示唆するかのように、盤面は剥がれ、あちこちに穴が露出していた。だから、ペールギュントとソールヴェイの幕切れのシーンが敗戦後に相当することはまちがいないはずだが、ここで劇は、イプセンが描いたように終ってしまう。池田真紀子のさびしげなソールヴェイは、圧倒的で絶対的な母というよりも、依然としてはかなげで純真な娘として、老いたペール・ギュントを受け入れてしまう。

日本近代の男児のままならさをそのように赦して、女性的なるものによって救済してよかったのだろうか。宮城のソールヴェイがたんなる受動的キャラクターでなかったのは確かである。彼女は、劇が始まるまえに双六で遊んでいた軍国少年であり、劇随伴音楽を率いる指揮者であり、『ペール・ギュント』が劇としては幕を閉じた後、ふたたび指揮者として舞台のコアとなるだろう。この意味で、この演出のすべての黒幕にして中心であったのは、劇中での登場頻度としては決して主役級とはいえないソールヴェイだったのであり、ペール・ギュントの男性的なものは、ソールヴェイの用意した箱庭的双六のなかで戯れていたにすぎなかったと言えるのかもしれない。

しかし、それは、男性的なものだけではなく、女性的なものもまた、日本近代の麗しからぬプロジェクトに共犯関係にあったことを示唆するだけではないだろうか。宮城の演出は、その歴史的政治的な問題にケリをつけることなく、美学的なカタルシスにすり替えてしまっていたのではないだろうか。

 

おそらく、宮城による他の演出も、日本近代批判の試みに位置付けることができるはずである。フォーティンブラスというデウス・エクス・マキナによる『ハムレット』の幕切れを、宮城は、玉音放送を模した声だけの演説に仕立て上げ、その後に、ダメ押しとして、米軍からのチョコレートを空から床に落下させる。それは当然ながら、大東亜戦争の敗戦とその余波——天皇の神性の断念と、GHQによる政治的なパラダイムシフト――を痛烈なかたちで舞台化したものだろう。

『オセロー』もまた、大東亜戦争をめぐる物語に読み替えられていた。能に翻案された『オセロー』において、ワキが訪れるのは、撤退した軍に取り残され、体を売って命をつなぐしかない娼婦たちのいる土地であり、それは、慰安婦の問題、中国残留孤児の問題をわたしたちに思い出させずにはおかない。

『夜叉ケ池』の群衆シーン――狂気に駆られて人身御供を迫るシーン――は、『ペール・ギュント』の冒頭の婚礼と酒盛りとどこか地続きであり、それで描き出されていたのは、近代と前近代のせめぎ合いであった。

しかしながら、そのどれにおいても、宮城は日本近代批判にたいして、演出的な正解を提示できないでいるように思う。『夜叉ケ池』はカップルの心中によって幕切れとなるし、『オセロー』もまた、すでに死者となっているデスデモーナがオセローによる絞殺をリプレイしながら、それを舞いに昇華させて終わる。それらはどこか、近代天皇制について根本的な問いを突き付けながら、割腹自殺という道を選んだ三島由紀夫を思わせるものである。ただ『ハムレット』のみが、日本近代の政治的問題に、あくまで歴史的で政治的なかたちで演劇的介入を試みていたが、それが演出的に成功していたとは言い難いように思う。

宮城が提示した日本近代の問題を批判的に扱いきるには、それを美学的に昇華するのではなく、おそらく意図的に、統合されざるかたちで、分裂したかたちで、分裂するようなかたちで、無様に、不細工に投げ出す必要があるのかもしれない。しかしそれこそ、美学者であり、モダニストでありながら古典主義者でもある、方法的作為を引き受けつつも作品的統合をも作り上げようとする宮城にとって、どうしても選び取ることのできない可能性なのかもしれない。

 

だからわたしたちは、現代にまでつうじる日本近代についての重大な問いが、男女和合の美しいイマージュの中で霧散してしまったことに、なにか腑に落ちない思いを抱いたまま、劇場の席に取り残されるのである。