「強制をともなわない欲望の再配置」:ガヤトリ・スピヴァク、大池真知子訳『スピヴァク みずからを語るーー家・サバルタン・知識人』(岩波書店、2008)

ある言語を学ぶたった一つの理由は、その言語で詩を読めるようになるためです。(34-35頁)

 

ここには2003年から2004年にかけて行われた4つのインタビューが収められている。ポスト911の時代の空気がただよっているが、会話の中心となるのは、副題あるように、家、サバルタン、知識人のことである。しかし、このインタビューを通して本当に浮かび上がってくるのは、ポール・ド・マンのもとでW・B・イエイツについての博士論文を書き、デリダの『グラマトロジー』の英訳と長大な序論を出版し、フェミニズムポストコロニアル研究といった分野において絶大な影響力を誇るコロンビア大学比較文学科教授ガヤトリ・スピヴァクの理論というよりは、いつでもサリーを着て、大学の休暇期間にはインドの田舎を訪れて初等教育に専心し、言葉習得の奇跡を信じ、言葉の力に賭けるスピヴァックというひとりの人間の姿だ。

スピヴァク*1のぶしつけな人柄はよく知られているし、それを知っていまさら驚くようなことではないけれど、インタビューを読むと、やはりそういう人なのだということに気づかされる。そして、彼女がそのことにきわめて自意識的であるということにも。

とはいえ、彼女はそうした人柄をわざと演出しているわけではない。いつもサリーを着ているのは、昔からそうだったからだけで、インド性を出そうとか、ニューヨークにおいて自分の文化的民族的アイデンティティを主張しようなどという戦略的な意図はないらしい。彼女のある種の粗さというか雑さは、意図せざる効果のようだが、それがまさに彼女という人をかたちづくっている。 

 

スピヴァクはとても勇敢な人だ。それは、彼女が自らの特権をふりかざさない――しかしその一方で、使えるものはきっちり使う―――からでもあるけれど、なにより圧倒させられるのは、彼女が有利不利とか損得の「計算」で動いていないところだ。アメリカに帰化してアメリカのパスポートを持てばいいのに、それをやらない(コロンビア大学というアメリカのトップレベルの私立大学の教授である彼女が、市民権を取れないことはないだろうに)。ちょっとした手間でかなりの面倒事がスムーズにいくだろうに、そこには手を付けない。

しかし、だからといって、強い意志的な選択でそうしているのではない(たしか故エドワード・サイードも市民権を取得しなかったと思うが、彼は明示的な意志表示として、故国喪失者であることを選んでいたように思う)。やる必然性を見いだせない、というのがスピヴァクの立場らしい。やらない理由はないが、やる理由もない、ならばいまのままでよい。不思議なまでに微温的だが、同時に恐ろしくラディカルな放置の仕方だ。

ある学生が、あなたは教室の中でも外でも言動が一貫していて、継ぎ目がなくて、それが怖ろしい、と述べたというのは、きわめて特徴的なエピソードだ(174頁)。

 

これらのインタービューのなかでスピヴァクが繰り返し語っていることは、そして彼女が本当の意味で心血を注いでいるのは、地方における教育である。彼女の教育観――知識ではなく想像力の教育を、知識詰めこみではなく欲望の再配置を――は、まさに彼女の実地の体験から出てくるものなのだろう。

カリフォルニア大学アーヴァイン校でのウェレック・レクチャーとして発表された『ある学問の死』(2003)でも彼女は同じようなことを語っているが、そちらでのプレゼンテーションの仕方は、はるかに洗練されており、理論的な言葉がちりばめられている。ジャック・デリダの友愛論を敷衍しつつ、比較文学という学をポストコロニアルの文脈に開いていこうという試み、まだ知らない他者に成るために想像力を拡張するための文学教育、それは彼女がまさにここで述べていることである。

しかし、講演のほうではそれがデリダであるとかアカデミズムのなかから出てきたもののように聞こえる部分が少なからずあったのにたいして、ここではその真の源泉が、彼女の教育実践にあったのだということが強く感じられる。スピヴァクがなぜメラニー・クラインに興味を持っているのかも、彼女の幼児の言語教育への関心を思うと、かなり腑に落ちる。

言葉にたいする問題意識――「言語習得とは、時代遅れの言葉を使わせてもらうと、いわば人間の魂のもっとも深遠な活動の一つであり、奪われることがありません。したがって、いわゆる外国語をあまりよく知らなくても、人はバイリンガルというわけです」(179頁)―――、翻訳の焦点化、それらは、彼女がポールド・マン・から引き継いだものでもあるはずだが、同時に、彼女の教育実践によって裏打ちされ、強化されている。

ですから、私が毎年あきもせず努力しているのは、子どもたちにむかってただ教示するのではなく、子どもたちのなかになにかが消えずに残り、子どもたちが*2公的な領域を直感でわかるまでにすることです。なぜって、法的な意識を高めたり、権利について話したりといったもろもろのことは、じっさいは残らないからです。子どもや若者、青年期の人たちを教えたことがある人ならよくわかりますよ。相手にむかって教示することが――私は合衆国という意識改革の土地から来ています――愚かで、完全ないんちきだということが。教師が変えるべきなのは、身についてしまっている精神構造です。そういう意味で私は、強制をともなわない欲望の再配置について先ほど言っていたわけです。こういう仕事を私はやっています。」(47頁[訳文を一部変更]) 

強制をともなわない欲望の再配置、それこそ、彼女の教育プログラムを要約するフレーズである。押しつけてはいけないが、相手に任せるだけではいけない。知識を教えこむのではなく、欲望の仕方そのものを組み替えていかなければならない。頭で理解するというよりは、体で直感できるように、人々の考え方や感じ方を鍛え直していかなければならないし、そのためには、これまで習得して内面化してきたものをいったん意識化し、その後、それらを意識的に捨て去ること――学び忘れる/学び捨てる unlearnこと――が必要になるだろう。

 

スピヴァクにとって、指導教官であったポール・ド・マンにたいする思い入れは深い。インドからアメリカにやってきた彼女を、ド・マンが、エキゾチズムの色眼鏡で見ることなく、研究者として扱ってくれたという感謝の念が根底にあるのだろう。それは彼女がアメリカに留学した1960年代の状況を考えれば、驚くべきことだった。大学院生のほうが彼女を僻目で見ていたのだから。

ド・マンの第二次大戦中の親ナチ的ジャーナリズムが暴き立てられてからすでに10年以上がすぎていたとはいえ、彼女のド・マンにたいする含むところのない称賛の言葉は、ちょっとした驚きではある。デリダをはじめとしてド・マンの近くにいた同僚たちを大いに悩ませ、ド・マン擁度のためにかなり苦しい議論を強いられたわけだけれど、スピヴァクはその点について釈明するような雰囲気はないし、それどころか、その点にまったく言及しない。ド・マンについてひとことも言い訳をしないところは、いかにもスピヴァクらしい。どこかハンナ・アーレントハイデガーの関係を思い出させる。 

彼女がド・マンから引き継いだのは、言葉そのものいたいする精緻で細やかな感性だろう。それはややもするとオールディーで、本質主義的なものかもしれない。神秘主義的で、宗教的と言ってもいいものだ。しかし、それこそが、彼女の言語観の根底にあることは間違いない。

私が思うに、子どもが言語を学ぶとき、言語が子どもに有機的に備わっているわけではまったくありません。というのも、そこで起きる奇跡とは、子どもすなわち幼児が、言語に似たなにものかを発明することだからです。発話の可能性こそ、人間を人間たらしめるものなのです。両親または周囲の人たちは、そこに言語を認めはじめますが、同時に、その子が参入させられるのは、その子が生まれる前から歴史があり、その子が死んだ後も未来があるようななにか、すなわち、一定の名前のある言語なのです。他方、その子が大人の女や男に育つにつれ、その子は、どれほど小さなものであろうとも、このなにものかが変化するのに貢献することでしょう。そのなにものかとは、外に存在していながら、同時に、一生をつうじて内側の道具になるもの、そうです、われわれが自分の内部を知るための道具になるもなのです。(30‐31頁)

スピヴァクの議論が、きわめて具体的な事例を論じているときでも、何か奇妙に抽象的で普遍的な雰囲気を醸し出しているのは、彼女の思考の根底にあるのが、歴史の具体性や限定性というよりは、言語の普遍性やオープンエンド性だからだろう。ある特定の言語ではなく、言語そのものへの信頼というか、賭けとコミットメントがある、と言ってもいい。

つまり言いたいのは、みなが言語に参入しますが、どれだけの数の言語に参入しようと、じつはそれは究極的に言語だということです。ですから、根づくという現象はいっそう進むのみです。悪い言語教育を受けると、そのためにとても自意識過剰になって、翻訳できることが多くの言語を知ることだと思いこんでしまうのです。そうなると、多言語を知るのは問題となりますが、じっさいは問題ではありません。(186)

ひとつの言語と本源的な関係を結ぶことができた者、言語に参入できた者は、つねにすでに、多言語的な可能性に開かれることになる。たとえひとつの言語しか話せないとしても、そのような人は、つねにすでに、バイリンガル的な生を、多言語的な生を、生きていることになる。重要なのは、複数言語を使いこなせることではなく、言語なるものに参入できているかという点なのだ。

スピヴァクが語るのは、言語有機体論とか、国語本質論ではない。というのも、すべての基礎となるひとつの言語は、何であってもかまわないからだ。何でなければならないというものではないからだ。

言語に参入することで、わたしたちは過去に連なり、未来に開かれていく。それはナショナルなものにとどまることはなく、言葉のもっとも広い意味での人間的な営為となるのだろう。言葉は歴史であり、現実であり、そしてユートピアであるのだから。

*1:スピヴァクなのかスピヴァックなのか。個人的なところを言えば、ひじょうに短い「ッ」があるように感じるのだけれど、日本語表記としては促音なしのほうが一般的らしい。

*2:they/their/themを機械的に「彼ら」とする翻訳は疑わしい。ジェンダーをなぜ片方に寄せてしまうのか。

教えることのいかがわしさ:エリック・ホッファー、田中淳訳『波止場日記――労働と思索』(みすず書房、2014)

真に生きているとは、すべてが可能と感じることである。(173頁;1959年3月4日)

 

学ぶことの歓び、教えることのいかがわしさ

ホッファーが湾岸での肉体労働のかたわらで書き溜めた日記のなかの思索をひとことでまとめれば、そうなるかもしれない。学びは歓びであり、教えることはいかがわしい。

なぜなのか。学ぶことはひとりでできるが、教えるためには他人が必要だからだ。そして教える相手を確保できるとなれば、権力者におもねることも辞さないからだ。その唾棄すべき集団をホッファーは知識人と呼ぶ。ホッファーは非知識人である。

 

ナチという曲がり角:傷つけられたプライドと大衆/知識人/権力者の三重の問題

ホッファーが1958年から6月から翌年の5月まで1年にわたって綴った日記は、彼が当時準備していた知識人論のためのメモのようなおもむきを呈しているが、彼がそもそも知識人論――知識人批判論――を書かねばならないという思いに至ったのは、ヒトラーの時代に遡る。

1902年にニューヨークのドイツ移民の家庭に生まれ、7歳で母を亡くし、突如として失明し、8年間の盲目生活ののち、突如として視力を回復し、再び盲目になるかもしれないという恐れに駆られながら貪るように本を読んで独学し、1920年に父と死別してからは、東海岸から西海岸に移る。ロサンゼルスの貧民街でどうにか糊口をしのいではいたが、自殺未遂を試みたのち、カリフォルニアを転々としながら渡りの農業労務者として働くことになる。失業者のための連邦キャンプを経て、最後にはサンフランシスコで沖仲士(船の荷揚げ荷下ろしに従事する労働者)として落ち着くことになる。

たとえドイツ系移民だとしても、アメリカを転々としながら暮らしていたホッファーがなぜそれほどヒトラーの10年を自分の人生の曲がり角の10年まで呼ぶのかは、この日記だけではいまひとつよくわからないが、ホッファーの言葉をそのまま引いてみよう。

世界でもっとも才能があり、もっとも良い教育をうけた国民が、自分の意志でその運命を狂人の手にゆだねてしまった事実は、決して忘れられない。それは自由と繁栄のためではなくプライドのためであった。ヒトラーはドイツを世界最強の国にしようとした。教育のある人々――教授、学生、科学者、技術者、専門職にある人々――も、無知な人々に負けず劣らずヒトラーに身をささげた(196‐97頁;1959年4月4日)。

問題はヒトラーという狂人ひとりではない。そのような狂人に国を任せることになったのは、教育ある人も、教育なき人も、こぞってヒトラーに身をささげたからだ。ここにあるのは、国のさまざまな層の集団自殺のような状態である。

ホッファーによれば、ヒトラーの台頭を許したのは、第一次大戦後の経済問題のせいばかりではない。というよりもホッファーがここでもっとも重視しているのは、「プライド」であるとか、「屈辱」といった心理的なファクターなのだ。

日記で戦後の共産圏の問題がたびたび言及されることから察するに、ヒトラーの時代が突きつけた問題は戦前戦後と通じて残存しており、それが現在の社会を脅かしているという認識をホッファーは強く抱いていたようだ。

ホッファーがユートピアの問題に言及するとき、そこでイメージされるのは、共産圏の全体主義的で官僚主義的な空気だ。国家が巨大な教室と化し、国民が暴君的権力者に傾聴している図である。

共産主義社会がどうなっているかをみればよい。世界の半分は十億の生徒をもつ巨大な教室と化し、狂った教師たちの思いのままになっているではないか。(40頁;1958年8月17日)*1

ユートピアはなぜ統制された社会秩序を思い描き、家族、教会、学校、軍隊などを手本とするのか(187頁;1959年3月22日)と問うとき、彼の頭にはカフカ的な世界が浮かんでいたのかもしれない。4日後の日記では次のように書きつけている。

計画、規則、監督のない社会をありありと描いたユートピアがいったいあっただろうか。ユートピアがえがくのは、普通、潜在的な計画立案者、組織者、管理者、指導者である。したがって、空想される新しい社会は官僚にとって理想的な社会となる。(189頁;1959年3月26日)*2

問題は、このように構想されたユートピア社会では、「個人の自由の追求が実現された理想からの逃避という形をとる」(187頁)しかないという点だ。裏を返せば、ホッファーがつねに求めるのは、個人の自由である。

 

自由であること

ホッファーにとっての自由とは何か。それは自分の好きなことを他人からの干渉を受けずにやれることであり、自由な社会とは、そうした個人の欲望を受け入れるだけの余地や余裕のある社会である。ホッファーは決してアメリカ社会を手放しで称賛することはないが、それでも、彼のようなはみ出し者を放っておいてくれるアメリカ社会を、好ましいものと捉えていることは間違いない。アメリカの利点、それは干渉されないことであり、さらに言えば、干渉してくるものや承認したくないものと関与することなく生きていけいるところである。

干渉されることなく自己の能力と才能を発揮したい人々にとっては、この国は理想的な国である。この国では、自分が容認しないもの――無作法、虚偽、順応主義、追従、ねこかぶり、その他の頽廃的な影響や感化すべて――と関係を断つことが信じられぬほど容易である。(156頁;1959年21月11日) 

ホッファーはきわめてアメリカ的な思想をここで表明していると言っていい。隔絶した個人の容認、超絶する個人の称揚、それは19世紀半ばに花開いたアメリカ文学のひとつの絶頂期を思想的に主導したラルフ・ウォルド・エマソンが唱えた超絶主義であり、ウォールデンの森でひとり簡素でシンプルな生活を徹底的に追及し、奴隷制に反対する立場から税の納入を拒否して投獄されることも辞さなかった市民的不服従創始者であるヘンリー・デイヴィッド・ソローの生き方に連なるものだ。

変化を恐れないことも、自由の重要な要件である。ホッファーは革命家と出世家は類似しているという、一見すると突拍子のない比較を1959年3月4日の日記(173 頁)で行っているが、それはつまり、革命家と出世家は子どものような存在であり、現状に満足せず、変化を恐れない存在だからである。それに比べて、成熟した大人というものは、現状は完成していると思い込み、それ以上の変化を不快に感じる。可能性を信じること、それが真に生きることなのだ、とホッファーは力説する。

真に生きているとは、すべてが可能と感じることである。(173頁;1959年3月4日)

永遠の少年であること、純真無垢であること、それもまた、マーク・トウェインハックルベリー・フィンの物語に代表されるように、アメリカ文学の基調のひとつである。この点においても、ホッファーはきわめてアメリカ的な思想を表明している。意図してのことか、意図せずのことかはよくわからないが。*3

 

自由の代わりに権力を渇望する

しかし、永遠の子どもであればそれ充分なのかといえば、そんなことはない。ホッファーの語る自由は決してたやすいものではない。難しいもの、厳しいものである。歴史における個人の出現は、社会が成熟したせいではなく、社会の破局の結果であるとホッファーは主張するのだが、ホッファーの自由観にしても、個人観にしても、そこには何かおそろしく峻厳なものがある。

個人は、社会の成熟の結果ではなく、破局の結果、出現するのが普通である。最初の個人は放浪者、亡命者、浮浪者、敗残兵――氏族や部族や村から離れた者たち――であった。 (143頁;1959年1月24日) 

自由は気軽に行使できるものではない。自己信頼がいる。わたしの有用性、わたしの価値を証明するのに、他人を必要としないことが必要である。他人を利用することなく、自己の価値を証明できる者、それが自由な者なのだ。

この定義からすると、権力者も知識人も、自由ではない。どちらも自由を行使する能力や感性を欠いている。権力者は、自分の価値を自分で証明できないから、他人を支配することで、他人を従わせることで、自らの意義を証し立てようとする。「他人を非人間化することにおいて独自性を達成する」、それが権力者なのだ(191頁;1959年3月28日)。

自由という大気のなかにあって多くを達成する能力の欠けている人々は権力を渇望する。(191頁)

同日の日記のなかで、ホッファーは、もしヒトラーが芸術家として才能にあふれていたら、スターリンが一流の理論家になる能力を持ち合わせていたら、ナポレオンが偉大な詩人や哲学者になる素質を持ち合わせていたら、「絶対的な権力にすべてを焼きつくすような欲望をいだかなかっただろう」という、かなりスキャンダラスな仮定をしているが、心理的なファクターを重視する彼にしてみれば、この仮定は単なる思い付き以上のものであったはずだ。

代償の問題、昇華の失敗の問題が、ここにはある。権力はどうしても手に入れることのできない自由の代替物であり、そうであるからこそ、いっそう狂おしく権力を渇望するのだけれど、代替物では決して充たされることがないのかもしれない。

 

自由の代わりに他者承認を求める

権力者以上に批判の対象となるのが知識人である。ホッファーの知識人にたいする態度は、怒りといってもいいようなところがあるし、その舌鋒はおそろしく鋭い。それはもしかすると、知識人のほうが、権力者よりも陰険で罪深いからだろう。

権力者は自由を求めることができない自己の無力さを埋め合わせるように、他者を利用する。しかし知識人は、自らの有用性を自分ひとりで証明できないがゆえに、他人を必要とし、だからこそ、自己を承認してくれる他人を手に入れられるなら、権力者におもねることすらいとわない。

権力者はまだ衝動的な存在かもしれない。しかし知識人の欲望は、はるかに意識的であり、二枚舌的である。というのも、知識人は自らをエリートと見なし、他人を導く権利があると思っていながら、自己の存在証明のためには他人を利用しなければならないからだ。ホッファーに言わせれば、選民思想を作り出すのは、権力者ではなく、知識人である(41頁;1958年8月24日)。

こう言ってみてもいい。知識人は中間管理職的で、上には媚びへつらい、下には威張り散らす。傾聴してくれる生徒を確保するためなら、権力者にすりよることも平気でするし、権力を自己を同一化することで、自らが選民側にあるというプライドを慰めようとするし、権力に加担して大衆を統治する知的な仕事(「指導・指令・監督・運営・計画」)にかかわろうとする。しかしそのようにして自らを権力者のほうに引き上げる一方で、先生と持ち上げてくれる他者を絶望的なまでに必要としながら、教え諭す対象にすぎない他者を見下しの対象にする。本当は、知識人もまた、権力者に翻弄されるにすぎない脆弱な存在にすぎないというのに、である。

他人の上に立つ存在だと思い上がっていながら、他人なしでは自分を支えることができない。そして自分を支えるためならば、他人も何もかもすべてを手段として使おうとする。その恥知らずな態度に、ホッファーは強く憤る。短い序文の最後の段落は、ホッファーの反知識人の立場を明瞭に表現している。

知識人は傾聴してもらいたいのである。彼は教えたいのであり、重視されたいのである。知識人にとっては、自由であるよりも、重視されることの方が大切なのであり、無視されるくらいならむしろ迫害を望むのである。民主的な社会においては、人は干渉をうけず、好きなことができるのであるが、そこでは典型的な知識人は不安を感じるのである。彼らはこれを道化師の放埓と呼んでいる。そして、知識人重視の政府によって迫害されている共産主義国の知識人を羨むのである。(4頁) 

この一節からも、ホッファーの知識人論が決してヒトラー時代だけを射程に入れているわけではないことは明らかである。真の問題は、全体主義社会の知識人でも、ファシズム社会の知識人でもなく、民主的な社会における知識人なのだ。

知識人の問題、それは他人に干渉せずにはおけないところである。というのも、知識人の欲望とは、関心を集めること、注目してもらうことだからで、無関心がいちばん腹立たしいし、いちばんプライドを傷つけられる。

教えたいという欲望が現代の革命運動の中核にある、とホッファーは何度か書き付けている。それはある意味で、知識人の影響力を彼が認めているということでもあるのだけれど、それは決して肯定のために言及されるのではない。それがまさに問題である、と彼は言いたいのだ。

ときどき、教えたいという衝動――学びたいという衝動よりもはるかに強力で原始的――は大衆運動を盛り上げる一つの要因なのではないかと考えたくなる。共産主義社会がどうなっているかをみればよい。世界の半分は十億の生徒をもつ巨大な教室と化し、狂った教師たちの思いのままになっているではないか。(40頁;1958年8月17日)

知識人の創造性にとって理想的な条件は、明らかに、その役割を認めて身分と威厳を与えてくれる貴族的社会秩序である。知識人は一人になることを欲しない。おそらくこれが、知識人が他人を放っておけない理由である。(153頁;1959年2月6日)

知識人はなかんずく教師であり、無知な大衆に何をなすべきか教えることを自己の神授の権利と考えるからである。この教師コンプレックスを無視すると、知識人の中心的特徴を無視することになり、その熱望と不平をとくカギを見落とすことになる。教えたいという熱情が現代の革命運動興隆の決定的な要因である、と私は確信している。革命家がある国の支配力をにぎる場合、ほとんどはその国をおどおどとした捕われの身の生徒が彼の足下にまとわりつく巨大な教室に変えてしまう。彼が口を開くと国全体が耳を傾ける。(212頁;1959年4月21日) 

誰かを教え諭し、誰かに命令し、言いなりにすること、そのくせ、教える相手に認めてもらわなければ、疑心暗鬼に陥ってしまい、権力の犬となる者たち、この集団をきちんと批判しなければならない、それがこの時期のホッファーの頭を捉えて離さなかった思想であるように思えてならない。

 

自分を自分で証明できる

権力者と知識人が徹底的な批判にさらされているのとは裏腹に、大衆にたいする彼の視線はそこまで激烈ではない。それは大衆は、真面目に仕事に取り組むことで、まさにそれだけで、自らの有用性を自ずから証明できる存在だからだ。

大衆の活性化――進んで仕事をし、努力する態度――は個人の自由の関数である、と考え始めた。大衆が多少とも放置されている場合には、大衆はその価値と有用性を証明するもっとも手近な手段として仕事にむかう。(153頁;1959年2月6日)

 労働が存在証明となる。だからこそ、ホッファーもまた、自らの肉体を使って働くのだ。

興味深いのは、独立独歩であることをこれだけ書きつけておきながら、彼は同時に、労働が他者との協働であることを、つねに意識している。日記のなかで繰り返されるのは、「今日の仕事のパートナーは…」という同僚についてのコメントである。

ひとりで立つこと、それは必ずしも他人を拒絶することを意味しない。他者と共にありながら、他者を支配しない。教え諭すべき下の存在と見なしたりはしない。おそらくホッファーの倫理はそこにある。

 

 非知識人であること

自分に他人を教え導く能力と権利があるという確信がもてないのは、私が非知識人であるしるしである。これが、重要なポイントである。(212頁;1959年4月21日) 

独学者とはいえ、これほど深く考えることのできたホッファーに、他人を「教え導く能力」がなかったということはありえないように思う。彼はその気になれば他人に教えることも、他人を導くこともできただろう。しかし彼はそれをやらなかったし、そもそもそんなことをやる「権利」が自分にあるのかと自問していたのだった。

学ぶことは歓ばしいかもしれないが、教えることはいかがわしい。というのも教えることは他人の上に立つことであるし、導くことは他人を道具化することであるからだ。 

世捨て人になることなく、他者との関わりのなかに生きながら、他者に干渉しようとはしないこと。誰かを貶めるのでも、誰かに認めてもらうのでもなく、自らの価値を自分自身によって証明すること。それこそが、ホッファーの考えた「真に生きる」ことであり、「すべてが可能であると感じる」ための唯一の生き方だったのかもしれない。

 

*1:「巨大な教室」というメタファーは翌年4月21日の日記(212頁)でも繰り返される。

*2:乱読を旨としていたホッファーだが、ウィリアム・モリスの『ユートピアだより』はもしかすると読んでいなかったのかもしれない。というのも、モリスのユートピアは、まさにそうした官僚主義的で管理主義的な既存のユートピアにたいする批判の書――とりわけエドワード・ベラミの『かえりみれば』という全産業の国営化を描き出し19世紀末のアメリカで大ベストセラーになった小説にたいする返答――として世に問われたからである。

*3:訳者によれば、ホッファーが愛した作家はフランス人であった。たとえばモンテスキューであり、ルナンである。

「われわれのフーリエ」:フェリックス・ガタリ、杉村昌昭訳・編『<横断性>から<カオスモーズ>へ――フェリックス・ガタリの思想圏』(大村書店、2001)

私は理論的資料や哲学的資料のなかから役にたちそうなものをつまみ食いする泥棒なのです。しかし、あまり情報に通じていない泥棒です。泥棒はよく壁にかかっている大家の絵の横を通りすぎて、自分の気に入った小物を盗んだりするのですよ。私の場合もそれと似ていますね。私は哲学的大家の作品の横を通りすぎて、私の理論を構築するのに有用と思われるようなものだけを拾い集めるわけです。(71頁)

 

「フェリックスはわれわれのフーリエである」(ルネ・シェレール

ガタリの思想はユートピア的なものであふれかえっている。ガタリが不可能な夢物語を語っているからではない。不可能なはずがない別の可能性について、すでに可能性として辺り一面にただよっていながら依然として潜在的なものにとどまっているオルタナティヴについて、そしてなにより、そうしたオルタナティヴを現実のなかに引き入れていくための道筋について、ガタリが、希望に充ちた力強い言葉を語ることができるからだ。 

ガタリはすでに来るべき未来を見据えていた。そしてそのために何が必要となるのかを考え続けていた。90年代の時点でガタリは地球環境がわたしたちの生にとって決定的な重要性を持つことを見抜いていたし、エコロジーの問題は人間と自然の関係に限ったことではなく、さまざまな領域――環境、社会、精神――を横断する問題系であることを見抜いていた。だからこそ彼はエコロジーではなく、エコロジーとフィロソフィーの合成語であるエコゾフィーについて語ろうとしたのだ。 

遺稿となった語り下ろしテクスト「エコゾフィーの実践と主観的都市の復興」が端的に示しているように、エコゾフィーを実践することは、既存の空間や構造――物質的なものも精神的なものも、自然的なものも社会的なものも――のなかで新しい関係を切り結んでいくことはでなく、既存の空間や構造そのものを組み替えていくことを意味する。

来るべきエコロジー的意識は、空気の汚染、地球温暖化による悪影響、多数の生物種の消滅といったような環境ファクターに取り組むことだけ満足してはなるまい。社会的領域や精神的領域におけるエコロジー的荒廃にも関心をむけなければならないだろう。集団的なメンタリティーや習慣を変えなければ、物質的環境にかかわる<回復>の措置しかとれないだろう……エコゾフィーの建設的な諸価値の周囲に結晶する新しい進歩的な機軸は、精神的貧困や感覚の麻痺――これが資本主義の城塞のなかで根こそぎにされ、見捨てられた人々の主観性にしだいに浸透している――を修復することを最優先の課題とみなさねばならない。(119-20頁) 

来るべきエコロジーのためには、わたしたち自身が変わらなければならない。だからこそ、ガタリは倦むことなく主観性=主体性subjectivitéの別のつくり方について語り続ける。ガタリは『エコゾフィー』のなかで「新しい優しさ」を作り出すことについて言及しているが、重要なのは、わたしたちがまったく別の存在になることではなく、既存の資本主義的体制によって蓄積されてきた感覚や思考のつくり方を学び忘れ、わたしたちの潜在的可能性を別の目的のために使っていくことである。わたしたちはすでに本源的には豊かであるはずなのだから、問題は、いかにしてその本源的な豊かさを取り戻すかである。

 

複数の領域を横断するものとしての主観性

主観性という哲学的に王道な問題を自己の思考の中心に据えるというのは、精神分析家にしてアクティヴィストでもあったノマドな人物の試みとしては、少々不思議な感じがするかもしれないが、ガタリの言う主観性はかなり独特だ。

第一に、主観性は複数的なものから出来ており、主観性を形作るものは、個人的なものには限定されないし、意識的なものに限定されるわけでもない。そこには社会的なもの、無意識的なもの――ガタリ独特の用語に従うならば、さまざまな機械――が絡んでくるし、何よりも重要なことに、無意識の形成もまた社会的で集団的なものである。「わたし」の主観性はわたしに帰属するものかもしれないが、わたしの主観性の形成はわたしひとりに還元できるものではないし、何かひとつのプロセスやモデルに還元することもできない。 

こう考えていくと、なぜガタリフロイトラカンにたいして批判的なのかが見えてくる。フロイトでは家族モデル――パパママ・モデル――という単一の型が特権的なパラダイムになってしまうし、ラカンでは言語的に構造化された無意識モデルがすべての個人の無意識の雛型になってしまう。ライヒの政治的な勇気を大いに称賛しながら、ガタリライヒにたいして依然として批判的なのは、よく言われるようにライヒが性的なものリビドー的なものを重視しすぎたからではなく、ライヒにおいては欲望の問題が個人的なものにとどまってしまっているからである。ガタリにしてみれば、無意識も欲望も、集合的に作られるものである。

「主観性の集合的生産」こそが、ガタリの思想の通奏低音をなしている。主観性が集合的に生産される「べき」だとガタリが言おうとしている部分はもちろんあるはずだが、主観性はつねにすでに集合的に生産されて「いる」というのが、ガタリの議論の肝である。この存在論的な事実=真実を出発点にしようというのだ。 

第二に、もし主観性が、意識的なものも無意識的なものも含めて、集合的なもの――さまざまな機械――のアセンブラージュであるとしても、どこから寄り集めてくるかの素材元が、あらかじめ決まっているわけではない。ある意味で、わたしたちはコンテクストの産物であるけれども、そうした複数のコンテクスト自体、わたしたちが作り出すものでもある。コンテクストはつねにすでに「そこにある」のではなく、わたしたちの主観性が作り上げられていくなかで、同時に分節されていくものでもある。このコンテクストの創造性があるからこそ、主観性もまた創造性をはらむのである。。 

ガタリラカン派の精神分析に批判的なのは、そこでは、無意識的主体の形成プロセス=コンテクストが単一であり、かつ、すでに確定しているから、要するに、創造的余地の入りこむ隙間が理論的に削除されているからだろう。ガタリにとって「逃走」が大きな意味を持つのは、創造性のためには、そうしたがんじがらめの単数的プロセスから脱出し、複数的なものを呼びこまなければならないからだ。「あらかじめ決定された主体――つまりマスメディアや集合的施設によって社会のなかに<もたらされている>主体――からの脱出」(11頁)が必要である。 

第三に、既存のもの=機械を組み合わせて作り出される複合的なもの=アセンブラージュである主観性は、既存の構成要素から出来ているにもかかわらず、それ自体は特異singulierなものである。というのも、アセンブラージュのプロセスは、わたしたちの存在の絶対的な特異性ゆえに、絶対的に特異なものだからだ。わたしとあらゆる点において同一の個体はこの世に存在しない以上、どれほど似かよっていようと、細部のすみずみに至るまで完全に一致する同一の体験をわたしたちが持つことはありえないだろう。 

もちろん、そのプロセスには規範性が存在する。集団や社会、制度や国家が強要する「あるべきプロセス」はもちろんあるが、わたしたちの主観性はまさにそうした規範的なものとのせめぎあいのなかで作り出されていくのであり、だからこそ、そこには、創造性の介在する余地が構造的に仕込まれているのだ。もしフーコーが主観性の形成における規律性の側面を強調したとしたら、ガタリは同じプロセスにおける創造性の側面を強調する。主観性の形成は特異なものであり、規範的なものとの緊張関係にあるが、特異なものと規範的なものとがせめぎ合うからこそ、創造的なものが生まれてくる余地がすでに潜在しているのだ。たとえ規範的なものが、特異なものや創造的なものを飼い馴したり抹殺したりするとしても、創造性のための余白がすでにある/あったことまでは消去できない。ガタリはそこに賭けるのである。

 

ガタリエクリチュールのムーブメント

ガタリがツリー・モデルを批判し、リゾーム・モデルを利用するのは、ツリーにおいては規範的なものが再強化されるばかりで、外や他に開かれることがなく、単一的なものに帰着してしまうからである。だからこそ、ガタリは、逃走し、逸脱し、多/他なるもののほうに開かれているのがデフォルトであるリゾーム・モデルを採るのではあるけれど、ガタリの文章の運びはきわめてレトリカルで、シンメトリー的なところがある。

文章のロジックが、二項対立的な図式を呼びこみ、それによって、転落は上昇に転化し、悲観性は楽観性にシフトするかのようだ。もちろん、ガタリの理論自体のなかに、反転や転化のモメントがあるのは疑いないのだけれど、同時に、ガタリエクリチュールがそうしたモメントをブーストしている部分は大いにあるのではないか。

人間は個人も集合体も、いまや破滅に向かっての走行に巻き込まれ、実在の領土に根づくいっさいの能力を失おうとしているのですが、こうした前方への逃走の動きのなかで、自分自身であることの回復の過程も生じるのであり、あるひとつのアイデンティティに収斂されない何かを見いだすこともできるのです。それは何か一般的なものへの適応ではなくて、そういった動きの途上で、墜落のなかですら、みずからを取り戻し、ある可能な時間性を構築し、対象を定め、自分の世界をつくりだすことができるということです。それはまさに芸術家がみずからに固有の世界を創造し、生産するのとまったく同じことです。(20-21頁) 

作用は反作用を生む。抵抗がある。それは意志的な行為というよりは、物理的な真理のようなオーラを帯びているかのようだ。

人類はものすごい勢いで進化しています。多分このままいくと地上のすべての生命が一掃されるほどの勢いです。いまのような生産の仕方、汚染、主観性の解体といったものが原因でわれわれが陥っている危険の実相が明瞭になってくるにつれて、おそらく突然、びっくりするような唐突な仕方で、平静に戻る時期が訪れるのではないかと思われます。車や都市、あるいは財の使い方についても、これまでとはちがった仕方が登場するのではないでしょうか。そうすると、生きる目的もちがってくるでしょう。つまり、人々が対話や生活や身体との関係といったものをどう組織し直すかということを考えるようになるでしょう。要するに、いま現在、経済市場を機能させているものを生産し続けるのではなくて、もっとちがった人間の潜在能力を発展させる可能性をいかに組織するかということが重要なのです。(38頁)

「平成に戻る時期が訪れるのではないかと思われます」と述べるガタリは、具体的なデータにもとづく未来予想をしているというよりは、個人的な希望を告白しているようにも見える。極限的なところまで行く揺り戻しが起こるだろう、という仮説は、的外れなものではないし、事実、これまでの歴史をそのような往還運動と捉えることもできるだろう。しかし、過去がそうであったから未来もそうなるとはかぎらない。それどころか、ガタリユートピア性とは、これまでなされてきたのとは別のやり方をこれからやっていくことができると信じること、信じるばかりかそれを実践していくことにあったのではなかったか。だとすれば、ここで未来における反転のシナリオを、歴史の道筋の自動的なパターンであるかのように思い描くガタリは、エクリチュールのムーブメントに引きずられているのではないかと言いたくなる。

 

倫理的-創造的

ガタリの思想/実践とテクストのあいだには、微妙な亀裂が走っているのかもしれない。テクストはいわばシンメトリー的な、自動運動的に稼働している。ガタリが特異な用語法を駆使すればするほど、あたかも用語がガタリの思想をハイジャックし、テクストが自動生成されるかのような趣がある。ガタリの用語はいわば速記法的なものだと思うのだが、あまりに使い勝手がいいので、ツールのほうが使用者の思惑を越えて機能しすぎているのではないかという気がするのだ。

だがガタリが賭けるのは、つねに、レディーメードなものでは対処しきれない特異な瞬間であり、そこで立ち現れてくる倫理的なものである。というのも、もし既存のマニュアルでは対処不可能な出来事に遭遇することになれば、わたしたちはその状況のユニークさを受け入れ、そのユニークな状況にたいして自ら立ち向かうほかないからである。自らの行為を引き受け、新たなものを作り出すしかないからである。それは、ガタリの言い方を借りるなら、倫理が始まるのは、「科学主義的パラダイムと絶縁して、別の領域に入っていくとき」である。

私が倫理をもちだすときというのは、たとえば私が働いているラボルド精神病院において治療や仕事のなかで何か特異なことが生じたときです。それは再生産されることのないような何かであって、つまりある種の関係の持つ真理、唯一性、特異性といったものが生まれて、それが実在の特異性とでもいったものからなる環境をつくりだしていくのです。そして、この真理の刻印をおびたものが、疑似科学的世界、テクノロジー万能の世界、白衣の世界、単線的因果律に支配された世界といったもののなかから人々を救抜することになるのです。倫理的ファクターが発動するのはここからなのです。それはまた審美的ファクターでもあります。というのは、美的創造のなかには、これと同様の特異性に対する関心がつねにあるからです。(15-16頁) 

こうして、ガタリの思想のなかでは、倫理と美学が、特異性と創造性を介して、つながれることになる。芸術家であること、それはつまり、特異性の創造に関わることであるが、特異性の問題は倫理をも呼び込む。

芸術家が理想のモデルというわけではない。芸術家であれば何でもいいというわけではないし――たとえば彼が特権的なかたちで言及するのは、たとえばプルーストカフカのような「マイナー文学」の書き手たちである―――すべてのひとが芸術家にならなければいけないというわけではない。「芸術家のように」というワンクッションがある。

芸術家は、変化が困難な条件のなかでも変化することができる変異体だということです。たとえば、支配的なイメージや、マスメディアや、旧来のギャラリーのシステムといったものに芸術がコンロトールされている条件のなかでも、変化は生じるということです。音楽の世界も、高等音楽院が支配しているのではなくて、音楽消費の傾向性によって支配されているわけです。それはそれとして、芸術家というのは、みずからの存在を特異化の過程の上にのせようという勇気を持った人々であって、そうであるがゆえにわれわれにとって興味深いパラダイムを提供することができるのです。実際、私は、歴史のユートピア的地平において、芸術家がみずからの作品をつくるように人々がみずからの生を導くことができる可能性を夢見たりもします。あくまでも<芸術家のように>ということなのですがね。(48-49頁) 

わたしたちがみずからの生を、それがあたかも芸術家にとっての作品であるかのように、創造的に作り出していくこと、それは要するに、わたしたち自身の創造性を信じることでもある。どれほど既存の社会的規範や偏見のようなものにまみれていようと、それでも、そこから抜け出し、何か別の、何か新しい、何かもっと悦ばしいものを作り出す可能性はあるのだと信じることである。

  

横断する非超越的な主観性

ガタリは強固な主観を求めているのだろうか。強い確固たる自我を。

その傾向はあるかもしれない。すくなくともガタリ本人は、そのような主観性に憧れている部分があるのかもしれない。ガタリサルトルにたいする忠実さを、そのように理解することは、あながち誤読でもないだろう。

私はサルトルの思想に対してつねに忠実であったし、とても強く引かれてもきました。とりわけ、自分が間違ったり、逸脱したりすることをも恐れない、あのアンガジュマンへの意志、歴史への参加といった態度に対してですね。(27頁) 

しかしそれは、独我論的な、ひとりよがりの主観を求めることではないし、そうしたものを絶対化することでもない。

興味深いのは、ガタリが主観性の形成における複数的なプロセスを強調しつつも、主観性が単なる場当たり的な仮面の付け替えのようなものになってはならないと述べている点だ。行きあたりばったりに、カメレオン的に自分を変容させても、主観性の防衛システムとしては機能しない。主観性はそのうちに多様なものを含んでいなければならないが、多面的なものがただバラバラに散らばっているだけでは駄目なのだ。

しかし、必要なのは、それらを統合することではない。それはヘーゲル的な統合された主体を、すべてを自分のなかに飲み込み、あらゆる矛盾を解消して、高いところに昇りつめたちょうつ的な主体を、希求することにしかならないからだ。ガタリにとって大切なのは、超越ではなく、横断である。それは水平的に流れるものでもあれば、斜めに貫くものでもあるだろう。しかし、決して垂直的に串刺しにするようなことにはならないだろう。さらに言えば、横断においては、上下関係といった序列性は解体され、後景に退くはずである。

ガタリのスキゾ性や分裂性の擁護は、この文脈において理解されなければならない。分裂していることが重要というよりは、複数のものが統合され切らないまま、矛盾を抱えたまま、ひとつの主観性のなかでせめぎ合っていることが重要なのだ。

人々はいくつかの異なった次元を並行的に歩むのです。そうして、その各次元のあいだの矛盾を引き受けなければならないのです。(42-43頁)

矛盾は、解消するのではなく、引き受ける。矛盾を、生きた体験に転じる。

世界も主観性も、複数的で複次元的であり、完全にはひとつに縫い合わされていない。そこには必ず矛盾がある。だからこそ、その矛盾を無理やり解消し、無理やり統合された主観性や世界を作り出そうという行為は、必然的に暴力的で、必然的に歪なものになってしまうし、そうやって作り出された主観性にしても世界にしても、矯正という暴力の痕跡をとどめるものになってしまうだろう。

統合に取って代わるのは、一貫性 consistenceである。超越的な統合ではなく、横断によって作り出される主観性――さらにいえば、横断それ自体が主観性なのだろう――の一貫性である。雑多なものをまとめあげ、全体化する必要はないが、全体像が必要でないというわけではない。サルトルの用語を借りるなら、「非全体化」することが必要なのだ。

しかしその横断する一貫性にしても、同質的であるべきではない、というのがガタリの議論の方向性だ。ガタリハイデガーに批判的になのは、ハイデガーの「存在」がまさにそうした一貫性のための場の一種であるとしても、その場はあまりに同質主義的で、異種混淆的な可能性を排除しているからである。

しかし、私にとって関心があるのは、存在者の背後には、あるひとつの同質的な「存在」があるのではなくて、いくつもの異質混交的な存在論的次元があるのではないかということです。(86頁) 

全体を把握するが、全体をまとめあげるところまではいかず、その手前であえて踏みとどまる。多のなかで、多を多のままにキープする。

ガタリの思考においてすべては複数的であり、複数的なものは関係し合い、矛盾し合う。しかしだからこそ、それはレディーメードなプログラムにはならず、結果はつねにオープンで、開かれているのだ。 

 

反復のなかの分岐

では、その開かれはどこにあるのか。反復のなかに、というのが、ガタリの答えである。リトゥルネロの問題だ。 

反復からいかにして特異的なものが生まれるか、の問題である。それはミニマル・ミュージックの場合がそうであるように、機械的な反復から自動発生的に立ち現れてくる創造性のように聞こえる部分もあるけれど、ガタリが意志的なモメントを大切にしていることはまちがいない。 

私の関心は、日常生活のリトゥルネル、美的なリトゥルネルから出発して、どのようにしたら再特異化の過程を生み出す分岐点を見いだすことができるかということにあるのです。いいかえるなら、私にとって、特異性というのは、一般性や普遍性といったものに対する大いなる反対物としてあるのではなくて、ある実践的な分岐点、つまりひとつの選択として出現するものなのです。たておば、私はここで何をしているのだろうか、私はこの場所に何者として存在しているのだろうか、私がいまここにこうしているということについて私は責任があるのだろうか、しかもこれから生じることについて、ただ単に私だけでなくて他者に対しても、さらにはわれわれをとりまく意味の世界の総体に対しても、私には責任があるのではないだろうか、といったような疑問をいだくことが、すなわち倫理的な選択に通じるのです。(78-79頁) 

このモデルは主知主義的にすぎるかもしれないし、主観性のエージェンシーを過大評価しすぎているのかもしれない。カリフォルニア大学バークリー校で講義をしていた晩年のミッシェル・フーコーもまた、インタビューのなかで、自らの生の美的な自己形成について肯定的で好意的な発言をしていた。この楽観性を許した理論的なゆるさは批判されるべきものかもしれない

しかし、楽観的であることを選ぶことは、ひとつの理論的戦略でもある。

わたしたちは自らに問いかけなければならない。そして、選ぶのである。選ぶことは責任を引き受けることであり、一般性であるとか普遍性の声から逃れて自律することであり、倫理-美学の領域に踏みこんでいくことだ。歴史に潜在するユートピア性を、主観性のなかで、先取りしようとすることであるし、そのようにして先取りされた主観性が、世界をユートピア性の実践の場へと変容させていくことだ。

ガタリはいまなおわたしたちに語りかけている。

進化の予測(不)可能性:ジョナサン・B・ロソス、的場知之訳『生命の歴史は繰り返すのか?』(科学同人、2019)

進化は繰り返すか、繰り返さないか:グールドVSコンウェイ=モリス

進化は繰り返さない、よって予測不可能である(スティーヴン・ジェイ・グールド)。進化は繰り返す、よって予測可能である(サイモン・コンウェイ=モリス)。

正しいのはどちらか。ジョナサン・ロソスは『ワンダフル・ライフ』でグールドが述べた「生命テープのリプレイ」をめぐる論争やその後の顛末を、科学者たちの具体的なエピソードを交えつつ、巧みに描き出していく。

ロソスのスタンスは、基本的にコンウェイ=モリスの収斂進化――「似たような環境に対して、異なる種が同じ適応をとげる」(93頁)よりだ。実際、ロソスは「収斂進化という現象はある」という点を証明済みと受け取っている。収斂は生物の歴史を見渡しても、現存する生物を見回しても見ても、普遍的に観察される事象である。だから、彼が問題にするのは、収斂があるかないかという一般論ではなく、収斂はいつ起こりいつ起こらないのかという具体論である。

 

実験による進化の検証

収斂進化が本書のひとつに軸であるとすれば、もうひとつの軸は、実験による進化の検証だ。実験精神が旺盛なダーウィンではあったが、進化は地質学的な長期スパンで緩慢にしか起こらないだろうと考えたがゆえに、実験による進化の検証を試みようとはしなかったし、進化は実験不可能という考え方が生物学を長く支配していた。

ロソスが本書で強調するのは、進化はダーウィンが思っていたのよりずっと速くずっと短期間で進行しうるという点であり、実験室だけではなく自然環境下でさえ、進化を実験的に検証するのが可能であるという点だ。実際、さまざまな実験が行われ、さまざまな検証が成されてきている。

ロソスの本はさまざまなエピソードに充ちているが、こうした進化実験にまつわる苦労話がもっともヴィヴィッドで、読んでいて楽しい。それは生物オタクの科学者たちが――ロソス自身、子どものころは恐竜マニアで、その後、爬虫類オタクに鞍替えし、爬虫類研究者になった――DIY精神で実験器具を手作りしたり、灼熱の太陽のなか岩だけの島に行ってトカゲを捕まえたり、密林に分け入り渓流をさかのぼったり、雨の日も風の日も雪の日も大腸菌の培養を20年以上にわたって継続したり、というふうに、スリルというよりは危険や我慢が盛りだくさんの険しい道を、地道に堅実に少しずつ進んでいく物語でもある。

本書は収斂進化をめぐる議論として読むのが王道の読み方だろうけれど、科学者たちの苦労話エピソード集として読んでも充分面白いし、ロソスの筆致がいちばん生彩を帯びるのは、そうしたエピソードの波乱万丈さと、そこにあふれかえる知的興奮を、熱っぽく語るときだ。この意味で、本書は、ロソスの知的自伝であると同時に、実験による進化の検証を試みている科学者たちの伝記集のようでもある。

 

環境か個体か

ロソスはコンウェイ=モリスの収斂進化に与する立場から始め、最終的には、グールドを否定するというよりも、グールドの「生命のテープのリプレイ」というアイディアを精緻化し、進化は予測可能であり予測不可能でもあるという結論に至る。

もし同じ環境のなかに、同一の個体群を置いて、生命のテープをリプレイすれば、そこでの進化は収斂的である。しかし、もしそこに何か異なった要素を導入すると――スタート地点を変えたり、途中で異なるできごとがあったり――個体群には分岐が起こりやすく、大きく異なった進化的帰結が生じることがありえる(299‐300頁)。こう言ってみてもいいかもしれない。短期的にはある程度まで予測可能だが、長期になればなるほど的中率は下がる(356頁)。

要するに、ここで問題となるのは、進化を環境の側から考えるか、それとも有機体の側から考えるか、という点ではないだろうか。予測不可能性についても、両サイドで機能している。ここではいくつかのパラメーターを分けて考えてみるべきだろうか。もちろん、進化は、それらのパラメーターの関係の問題にほかならないのではあるけれど

環境の予測不可能性(たとえば自然災害)

環境の所与の恒常性

 

集団=個体群として引き継いできた所与の遺伝子

個体のなかで起こる予測不可能な遺伝子の突然変異

環境の所与の恒常性が強く働く場合、個体のなかでおこる突然変異すらも包含するような状況が作り出される。そこでは、環境が、生存のための最適の形態や生存戦略を規定し、個体群は必然的にそれに沿った方向に適応していくだろう。

しかし一個体のなかで起こった突然変異が、または、個体群のなかではマイナーだった遺伝子が、環境の突然の変異によって最適な形態や生存戦略が変わった結果、集団=個体群のなかで支配的になり広がっていき、個体群の形を変えていくこともあるだろう。

別の捉え方もできるかもしれない。収斂の議論はつまるところ表現型を中心にしている。「似たような環境に対して、異なる種が同じ適応をとげる」というのは、明らかに、環境から考えようという態度であるし、環境が求める最適のかたちになるための手段は問わない(どの遺伝子からそうなるかは問題ではない)という結果優先のスタンスである。しかし、突然変異を軸にして、個体群が引き継いでいく遺伝子の連鎖を考えるという立場は、当然ながら、遺伝子優先、個体(群)優先の見方である。

しかし、問題は、どちらが進化ファクターとして重要かではなく、両者がどのように変動し、どのように関係しあうか、という点だ。進化は共時的であると同時に通時的な問題であり、パラメーターのどちらかに寄せて考えるだけでは不十分である。

 

便利屋であってエンジニアではない

ここで興味深いのは、ノーベル賞を受賞したフランスの科学者フランソワ・ジャコブによる、「なぜ自然淘汰が必ずしも完璧なデザインを備えた生物を進化させないのか」のたとえ話的な説明である。ジャコブによれば、進化とは、長い目で見て最適になるように(そのために短期的なマイナスを受け入れるように)進んでいくことではなく、いまここの状況のなか、手持ちのカードのなかでのベストを作り出していくようなプロセスである。

自然淘汰は目の前の問題への最適な解決策をいちからつくりだすエンジニアではない。むしろ修理屋であり、手元の使える材料は何でも使って、間に合わせの解決策を実装する便利屋だ。その結果は、ありうるすべてのなかの最適解ではなく、そのときの状況において実現できるなかでベストであるにすぎない。(101頁)

進化がプロセス的なものである以上、個体群はつねに前から引き継いだものの堆積であるし、それはほとんど場当たり的に増築を加えたような不格好なものですらあるだろう。

ロソスは次のようにも述べている。

自然淘汰に先見性はない。ゆくゆくは最適な形質を生みだす道のりの最初の一歩だからという理由で、有害な形式が保存されはしないのだ。自然淘汰によって形質が進化するためには、途中のどの小さなステップも、前段階と比べて改良されていなければならない。たとえ進化の移行段階であっても、自然淘汰は劣った形質を決して優遇しないのだ。(102頁)

もちろん、進化がそうしたものであるにもかかわらず、あたかも最初からデザインされていたかのようにエレガントにみえるところに生命の神秘があるのかもしれないが、ここで重要になってくる進化論の歴史学的含意は、次のようなものであるはずだ。

歴史も生物も、ゼロから好きなように作り上げられるのではない。つねにすでに条件は決まっており、つねにすでに材料は与えられてしまっている。その「ある程度決まってしまっている」状況のなか、環境との兼ね合いで、いちばんうまくサバイブするための道が見つけられていく過程、それが進化である。

 

次善の適応、または偶発的進化の予測不可能性

ロソスは、収斂はあるかないかではなく、いつ収斂していつ収斂しないのかと問いを変えていたが、その議論の方向は正しいのだろう。進化がゼロからのスクラップ・アンド・ビルドでない以上、ある時間のある環境のなかのある個体群にとっての最善策は、その個体群にとっての絶対的な最適案ではない。

プロセスが需要なのだ。どのような順番でいまあるかたちにたどりついたか、そのためにプロセスの途上にあるも何か。そして、表現型としては見え難いとしても、遺伝子型として引き継いできたものは確かにある。ノイズのようなものにすぎなかったもの、ジャンクのようなものにすぎなかった遺伝子群が、環境次第で突如として有意な情報に代わることもありえる。

結果として、生物は次善の適応にとどまる場合がある。そのような種の祖先は、理由はどうあれ、適応に至る最適ルートを選択しなかった。そのため、自然淘汰をくぐり抜け、適応をとげたものの、ありうる最良の形質を獲得したわけではなかった。この推論から、偶発性が進化の行き先を定めるうえで重要な役割を果たす可能性が明らかになる。また結果的に、同じ環境条件におかれた複数の種が必ずしも収斂しない理由も、これで説明がつく。祖先の遺伝子型と表現型にみられる差異や、最初にどの変異が生じるかによって、生物は異なる適応をとげ、時には最適解に劣る形式に甘んじることもあるのだ。(102頁)

しかし本書を読んでいて最後までいまひとつ納得できなかったのは、進化と適応の差異である。教科書的に言えば、適応が遺伝的に次世代に引き継がれていくことが進化である。つまり、適応を可能にした要因が遺伝的なものである(たとえば肢が長いとか、ある特定の物質をエネルギーに変えることができるとか)ということが、進化としてカウントされるための絶対条件だ。

それは要するに、ラマルク的な「獲得形質の遺伝」説が現代遺伝学では認められない理由でもある。どんなに頑張って筋トレしたところで、筋トレで肥大した筋肉は子孫には遺伝しない、つまり、代々筋トレに励んだところで、子孫の筋肉量が累積的に増大していくことはありえない。進化で問題になるのは、次世代に生物学的に、遺伝子によって引き継がれうるものだけである。

とはいえ、この疑問はおそらく、ロソスが強調する進化のスピードにいまひとつついていけていないこちらの鈍さのせいなのだろう。ほんの数世代のあいだに個体群の表現型が大きく変わっていくような生物の場合であれば、適応と進化の距離は必然的に短くなるはずだからだ。

ロソスの議論は、これまでの遺伝学を一新させるようなものなのかというと、そういうことはないようだ。ダーウィンの議論は依然として大筋では正しい。進化に方向性はなく、所与の自然環境のなかでもっとも適応的な個体が生き残り、それらが再生産によって遺伝子を次世代に引き継いでいく。進化は個体と環境の関係である。

進化はいわば結果論的に、遡及的にしか語ることができない。なるほど、生命のテープをリプレイすることによって、遡及的に推論したことを実証的に検証することは可能であるけれど、それによって未来が完璧に予見可能性になるわけではない。生命は依然として可塑的で、可能性をはらんでいる。たとえその可能性がどんなものであるか、良いものか悪いものか、幸せをもたらすのか不幸をもたらすのかは、まったく予見不可能であるとしても。

 

広大な生物学的可能性の世界

進化は全くのランデムではない。自然環境は生物に淘汰圧をかけ、異なった種を似たような形に仕立て上げていく。ときには最適解にたどりつくこともあるし、ときには最適解にたどりつけないこともある。手持ちのリソースが足りなかったり、それまでに引き継いできたものでは不可能であったりするからだ。しかしながら、所与の環境における最適解が限定的である以上、そこでは、生物は収斂に向かう。

それが本書を通じてロソスが繰り返してきたことである。しかし本書の最後の数頁が提示するのは、ダーウィンが『種の起源』の最後で美しく描き出したように、生物学的可能性の世界の広大さだ。進化は収斂し、進化は繰り返すだろう。しかし、それでも、収斂しない進化はあるし、繰り返さない進化がある。

スタート地点での誤差のようなほんの小さな違いが、後々に大きな違いを生む可能性は否定できない。「たくさんのヒト型のドッペルゲンガーが進化し」、「有袋類人間」に加えて「キツネザル人間、クマ人間、カラス人間、トカゲ人間」が存在し、「それぞれに異なる進化系統の代表者たち」が国連に一堂に会していた可能性もありえたかもしれない。

ロソスが最後に表明するのは、生命にたいする驚嘆であり、畏怖であり、そして、生命への讃歌である。わたしたちは運命の奴隷などではない。わたしたちは幸運の産物であり、それは言祝ぐべきことであっていいのだ。

数十億年前の生命の起源に立ち返れば、どんな進化の結末も、ありえないものに思える。けれども、物事は実際の歴史のとおりに起こり、今わたしたちはここにいる。それは、数十億年にわたる自然淘汰と、歴史の気まぐれが、生命にほかならぬこのひとつの道を歩ませてきた結果だ。わたしたちはラッキーだった。運命づけられていたわけではない。幸運にも進化してつかんだこのチャンスを、存分に活用しない手はない。(357頁)

相反するものが共存する新しい関係の発見:西脇順三郎『詩学』(筑摩書房、1969)

少々風変わりな読書体験

不思議な文章だ。前へ前へと進んでいくというよりは、同じところに何度も立ち返り、同じことを別のかたちで言いかえる。反復が奇妙なリズムを作り出す。あちらこちらへと逸れたかと思うと、いつの間にか別の議論が始まっている。同じことが飽きもせず変奏され、積み重なっていく。すると、不思議な高揚感が生まれてくる。ある程度のスピードである程度の分量を一度に読まなければ、この感覚を味わうことはできないだろう。西脇のテクストは少々風変わりな読書体験になるだろう。

ガート・ルードスタインのゆるゆるの反復、エズラ・パウンドの切れ切れの断定、サミュエル・ベケットの途切れない冗語、そのような文体の対応物を日本語で作り出すとすれば、ここでの西脇の文章のようになるかもしれない。先行世代の英語モダニズム文学の文体実験を彼が念頭に置いていたかはわからないが、『詩学』がなにかとても奇妙なテクストであることは明白だ。

マニフェストではないし、エッセイでもない。論文でもない。しかし、それらの要素をことごとく含んでいる。ここには西脇流の西欧文学観が表現されているし、それは思想史を含みこむ壮大なビジョンである。ポスト象徴主義という文脈において、ボードレールマラルメを経てブルトンに至る系譜の後にくる詩人として、詩が果たすべき使命を規定しようとしているが、それは詩一般についてのものではなく、あくまでも彼ひとりの詩や詩学についてのものである。やや特殊ではあるものの、シャープでクリアな文学史観を背景に、簡潔だがいまひとつ要領をえない個人的な詩論が語られる。

おそらくここでは、ある種の混淆が起こっているのだろう。一方において、西脇は自らの詩論を説得的な議論に仕立て上げようとするが、同時に、個人的な詩学をリズミックにたたみかけるように提示していく。説明と表現、批評と創作とが、混ざり合っている。「詩学」についてのテクストというより、『詩学』というテクストそれ自体がひとつの詩であり、「詩学」という題をもつひとつの散文詩なのだろう。だとすれば、このテクストはあまり分析的に読みすぎるべきではないのかもしれない。

 

相反するものが共存する新しい関係を発見すること

とはいえ、西脇による詩の定義ははっきりしている。それは表現されるもののあいだに新しい関係を発見することである。西脇はそれをイロニイだのポエジイだの諧謔だの、さまざまに名づけるし、それらのあいだに厳密な区別が存在するのかどうかはよくわからないが、大雑把に言ってしまえば、相反するものの共存がかもしだす感興である「脳髄のよろこび」がポエジイ――「ポエジイはあくまで脳髄の現象であって心理的存在である」(155頁)――、相反するものを共存させる想像力の様態、現実に逆らって想像する想像力のあり方がイロニイ――「諧謔でないものを諧謔と考えることが最大な諧謔であると考えること」(157頁)――だろうか。

新しい関係とは、すでにある関係を脱臼させるようなものであり、そのためにこそ想像力が必要になってくる。新しい関係、それは、一般的な感性や知性からすると相反するように思われるようなものを共存させるものである。ロートレアモンのあの有名な一節「解剖台のうえでのミシンとこうもり傘の出逢い」を西脇は『詩学』のなかで引用してはいないが、これこそ、西脇が「新しい関係」で意図しているものの範例かもしれない。

「新しい関係」を発見するということは自然や現実を超越して想像することである。想像するということは自然や現実の関係を破壊することである。自然や現実の世界における通常の関係を断ち切って、二つのかけはなれたものを連結することである。しかし自然や現実そのものを破壊するのではない(19-20頁)

ポエジイのためには、この世にあるものだけではなく、この世にないもののことを想像する必要があるが、だからといって、超自然や超現実だけでは不充分である。西脇が追求するのは、つねに、ここにあるものとここにはないもの、現実と理念、自然と超自然といった、ふたつの存在論的カテゴリーに属する事物をつなぐことである。そのためには、あるものを適切に把握することがどうしても必要になってくる。というのも、自然が何であるかわかって初めて、超自然について想像することが可能になるからであるし、さらにいえば、自然と超自然の両方がわかっていなければ、自然や超自然のなかにそれぞれどのような関係がすでにあるのかがわかっていなければ、ふたつのあいだをつなぐ新しい関係を想像することなど、夢のまた夢だからである。

 

知性的な想像力と精神的な努力

詩はいまここですでに存在しているものそのものを変えるのではない。もの自体はそこにそのままあり続けるだろう。しかしながら、詩は、ものが自然に持ち合わせている関係を破壊し、べつのものと自然に逆らってつなぎあわせる。詩は想像することによって創造するが、ゼロからすべてを想像/創造するのではない。すでにあるものという素材を、いまだないものという糸によって、縫い合わせていくようなものだ。

ポエジイはものそれ自体をのべるのでない。ものそれ自体には関係しない。ただそのものがもっているいろいろの関係についてのべるのである。(58頁)

興味深いことに、想像力は理性の延長線上に位置づけられている。想像力も理性も、文学的なものも科学的なものも、知性というひとつの同じ起源に端を発するなのだ。フランシス・ベーコンから引き出されたものであるらしいこの想像力すなわち理性という知性的な態度は、ドイツ観念論における想像力すなわちスキーム化というスタンスを経由し、ボードレールマラルメ象徴主義を経て、ブルトンのシュルレアリズムへという系譜を成す。知性的想像力は西脇の詩学を貫く重要な主題のひとつである。

人間の想像力というのは人間の知性の重大なひらめきであって、昔の人たちとは反対に私は理性から想像力が産まれたものと考えたい……理性はすでにあるものを数えたり調整し組織立てる仕事をするが、また新しい関係の存在を発見するポエジイという想像力ともなる……人間の想像性も理性も人間の知性から産まれたものである。(37頁)

想像力は知性的なものであり、知性的な想像力が作り出す新しい関係を表象する詩もまた、知性的なものである。だからこそ西脇は、アヘンのような麻薬で知性の逆側に突き抜けようという試みや、幼児のような純真さによる無垢な試みにたいして、否定的な態度を取る。詩は思索されるべきであって、たんなるインスピレーションの産物ではないのだ。

ヴァレリーが言っているようにマラルメはフランスに「むずかしい作者」という観念を創造した。また彼は芸術には精神的努力をする義務があることをはっきり人に告げたのであった。詩の女神や偶然に頼ってもあてにはならない。(132頁)

西脇もまた精神的努力の義務をわたしたちにはっきり告げる。

 

関係づけられるもののあいだのたえざる緊張関係

新しい関係を創出すること、それは、関係の項のどちらかを特権化することではない。どちらかが上位に立ったり、一方が他方を包含したりするような、上下関係は好ましくない。重要なのは両者のあいだの緊張関係であり、緊張関係の強度である。そう考えれば、なぜ西脇が象徴(シンボル)にたいして留保をつけるのかが理解できる。というのも、シンボル的関係においては、象徴が象徴内容よりも重要なのは、明白だからで、言ってみれば、象徴は象徴内容のための手段でしかないからだ。西脇がイロニイや諧謔を強調するのは、超越に傾きすぎないための安全弁の役割もあるのだろうけれど、本質的な理由は、それらが関係づけられるもの同士の個別性を尊重し、両者の関係性の様態をこそ尊ぶからだろう。

しかしながら、ボードレールマラルメ象徴主義的な解決――その極点にくるのはジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』であると西脇は言う――には批判的であるとしても、フランス詩人たちの絶対への憧憬を、西脇が全面的に否定することは決してないだろう。絶対だけでは駄目だが、絶対がなくても駄目なのだ。世俗的であるだけではつまらないが、神秘的になるだけでもつまらない。反自然や絶対は必要だ。しかし、同時に、自然や現実も必要である。

 

音楽性でも比喩でもなく思考のイマージュを

すこし矛盾めいて聞こえるかもしれないが、西脇が思い描く詩は、参照的であり、参照的ではない。一方において、それは現実に実際に存在する何かについてのものであり、具体的にあるものについての描写であり、具体的にあるものへの参照である。それは詩人の脳髄のなかにしか存在しないものではない。しかしながら、他方において、詩はこの世にはないものを語る。詩は現実的に利用可能な情報のようなものを提供することはないだろうし、その意味で詩は科学技術的なものにはなりえない。詩は、詩それ自体で自律するような、独自の世界を表出する。西脇がマラルメの難解な詩を評価するのは、それらが、現実にある何かを参照しない、非参照的な詩であり、言葉それ自体の関係性が詩となっているからであるようだ。

とはいえ、マラルメのようなフランス詩人がそのような参照項を持たない詩を書く場合、そこで台頭してくるのは、つねに、言語の音楽性だった(103頁)。ところが西脇は詩の音楽性をそこまで重視していない。西脇にとって、新しい関係の学である詩とはまずなにより、イマージュの創出であり、それはいわば映像的なものなのかもしれない。西脇はさまざまな意味でブルトン分水嶺的存在と捉えているが、それはまさに、ブルトンが詩を文学からも、比喩からも、音楽性からも、独立させたからである(34、163頁)。

私はボードレールマラルメから宗教性を取り去り、今日のブルトンの詩論にも適用できるように、私はポエジイは新しい関係を発見することであると言いたいのである。(180頁)

西脇の詩学もまた、ブルトンの詩的独立宣言を引き継ぐものであると言ってよいだろう。

 

関係は発見されるのか創出されるのか

どうしてもよくわからないのは、新しい関係が、すでにあるのだけれど気づかれることなく隠されてきたものの「発見」であるのか、それとも、これまでいちども存在したことのなかったものの「創出」であるのか、という点だ。西脇の詩学マルティン・ハイデガー的な開示の学なのか、それともエルンスト・ブロッホ的なNoch-Nichtについての希望の学なのか。西脇において想像することはどこまで創造なのだろうか。

それはおそらく西脇本人も決め難く思っていたところかもしれない。たとえば「発見」と「発明」はどこまで質的に違うものなのか(36頁)。創作とは、すでにあるもののバランスを変えることにすぎないのか(112頁)。相対主義的なパースペクティヴの問題にすぎないのか、社会的に共有されている言葉の意味領域を拡大することにすぎないのか。「醜」と思われてきたものをを新たに「美」と呼んでみるようなことでしかないのか。複眼的であることが詩学なのか。

想像されたものはみな有限の世界にある自然と現実を超越している。有限の世界からみればポエジイは「矛盾」であり「混乱」であり「無秩序」である。ポエジイという超絶の世界からみれば有限の世界で言う「無秩序」はジャン・コクトーがいうようにポエジイの世界ではそれが「秩序」である。「矛盾」ということは有限の世界の現象であるが、ポエジイという超自然の世界ではその「矛盾」は「矛盾でないもの」となる。(175‐76頁)

すべてはトリッキーな言葉遊びにすぎないのか。

 

ノンポリティカルな西脇の詩学のポリティカルな含意

きわめて西欧的に展開される議論を、一足飛びにひょいと禅的な言葉「大空」とつないでしまう(たとえば177頁)のは、理論家としての西脇の思考の弱さの表れかもしれない。ハイデガーとナチズムの共犯関係のことを考えれば、このあたりの問題はもっと突っ込んで考えてみなければならないのだけれど、自然と超自然のように垂直的関係にあるものを水平的に捉え直し、両者のあいだの緊張関係をこそポエジイとして捉え、諧謔という知的なアイロニーのなかに封じ込めようとした西脇の脱‐自然的で人為的な寂寥たる態度は、ファシズム的な有機性の集団的美学とは、決定的なところでズレていたと言ってもいいのかもしれない。

ポエジイというものは人間の精神界に存在するものであって、「野に叫ぶ声」であり、「考える一本の葦」である。非常に淋しいものである。(176頁) 

とはいえ、西脇はそれに続けて言う。

またポエジイは人間の救済である。自然や現実の中にしいたげられている人たちや世をはかなむ人たちを精神的に救済することになる。マルクスは物質的に救済しようとした。(176頁)

ヴァルター・ベンヤミンが「複製技術時代の芸術作品」の末尾で述べたように、政治的問題を政治的に解決するかわりに、美学的な解決という偽の処方箋を与えるのがファシズムであるとしたら、西脇の態度はそれに近いものかもしれない。たしかに、物質的な救済によって精神的な救済までもがもたらされると考えるのは、薄っぺらな考え方だろう。しかし、精神的な救済によって物質的な救済までもがもたらされると考えるのは、考え方として純粋に間違っている。芸術絶対主義的で精神主義的な態度、それはもしかすると「芸術のための芸術 l’art pour l’art」という19世紀末的な美学から西脇が引き継いだものかもしれないが、このノンポリな態度の政治的含意について、『詩学』はあまりに無邪気であるように思う。西脇がこのような言葉を書きつけるより何年も前、ドイツでは、アドルノが「アウシュヴィッツのあとで詩を書くのは野蛮である」と述べていた。

あるものそのものではなく、まだないものやありえないものをこそ、言葉によって、言葉のなかに出現させようとした西脇には、たしかに反権力性の感性のようなものが流れているのかもしれない。

ニイチェは現象の世界の哲学であって、その主要な中心点は「権力への意志」というかなり政治的意識である。私のポエジイではそれと反対に「権力を認めない意志」である。この方が私にとってより愛すべき尊敬すべき人道的神聖な人間像を構成してくれるのである。(188頁)

音そのものの豊饒な複雑さ:フランソワ・ドゥラランド、柿市如訳『クセナキスは語る――いつも移民として生きてきた』(青土社、2019)

音楽の捉え方を開く、音そのものの豊饒な複雑さを音楽にする

クセナキス西洋音楽のパラメーターを変えようとした。ブーレーズたちのトータル・セリエリズムはパラメーターを精緻化し、その複雑性のすべてをコントロールしようと試みたけれど、クセナキスは音そのもの――音高のような楽譜に内在するものだけでなく、音色といった奏者の実践に属するところまで――を作曲の要素としていったのだろうということが、1981年にラジオ番組のために行われたインタビューを文字起こししたこのテクストからよく感じられる。

とくに面白いのは、クセナキス倍音にたいする感性だ。倍音は果たして誰が管理すべき用件なのか。作曲家か、奏者か。必然的に生み出されるべきものか、偶然的に生まれるものか。クセナキスにとって倍音は彼の音楽の一部であり、だからこそ彼はヴィブラートを嫌い、倍音を持続させることを弦楽奏者に求めたのだ。クセナキスを貫いているのは、狂おしいまでの一貫性への希求である。

―― たしかに私たちの耳は、音のそういう側面[楽譜に記された通りの音高であっても、弓の向きや圧で変化してしまう倍音]は考慮に入れないものになってしまっていますね。

ええ、といっても、もし自分自身厳密に一貫性を持ちたいと思うなら、自分の音楽において音の高さが重要であることを望むなら、倍音の中にも、つまりどんな音の音色の性質の中にも、複数の音の高さが存在していることを考慮しなければならないのです。そういうわけで、音の高さを本当にとても大雑把に捉える場合、たとえば、音階や音符を弾くだけの場合には一貫性を保てるのですが、音色が問題になってくると、もう一貫性はないことになる。音色の中では、ずっと微細で複雑に倍音の音高が組み合わさってできている。そこで、大きく一貫性を欠くことになってしまうのです。

―― 音に関する話となると、俄然、饒舌になりますね……(109-10頁)

クセナキスが本当の意味で複雑化するのは、音にたいする感性そのものなのかもしれない。楽譜にたやすく記すことのできる音高だけではなく、そこには明確なかたちでは書き込まれてこなかった別の音の要素を、音楽の一部としていくことであり、それこそを音楽の一部として捉えるという別の感性の醸成である。書かれた音と聞かれる音、マクロで捉えた音高とミクロに捉えられる倍音、それらの差異をひとつの現象として捉えることである。

この路線の先にトリスタン・ミュライルやジェラール・グリゼイのようなスペクトラル学派が位置づけられるのかもしれないが、クセナキスの方向性は、洗練による純化というよりは、切り詰めるによる裸の本質を迫り出たせるほうにあるようだ。クセナキスが西欧近代文明が生み出した工業生産品としての楽器ではなく、いわばプリミティヴな生の楽器のほうに惹かれているのは、まさにそこにこそ、音そのものが現出するからなのだ。

何が難しいかというと、音の美しさは、まさにそれを創り出す大胆さにあるからです。そしてそれこそが、人間の価値なのです。自分の機械仕掛けの器具である楽器を持って、その装置から何か基礎的なもの、単純で旋律もない、まったく何の飾りのない音そのものとして、それだけで一つの詩となりうる、音それ自体を生み出すことができるのです。そして、それこそが音の美点なのです……[アジアやアフリカの音楽文化が高度な文明のなかでは]音それ自体がたしかに存在する物なのです。それは想像の産物ではない。タブラの皮を叩いて、出る音は非常に美しい。それに対して、西洋の打楽器は産業化のせいでだめになってしまった。弾いてみる価値などない、醜い音の楽器ばかりです。ナイロンの皮に、多かれ少なかれプラスチックを使った胴、いいかげんな形、適当な張り具合、もう嘆かわしいかぎりです。それに対して、テレビやラジオなどに蝕まれていない、まだ生き生きとしている文明の楽器を使うと、音そのものがよく培われ、研ぎ澄まされていますね。それに対して西洋の音楽学校では、才能がないと音そのものの文化が欠けているという点を超えられない。だから西洋では、音の出し方を教えるのです。(107頁)

究極的には、たったひとつの音すら、音楽なのだ。

 

ノイズを音響として捉える感性

しかしクセナキスが知性的に音を構築しようと考えていたことはまちがいないし、知性主義的な音楽創作という意味ではヨーロッパの戦後前衛と軌を一にするものである。にもかかわらず、同時代の西ヨーロッパの作曲家とはちがって、このギリシャからの亡命音楽家は、音楽をなによりも空間に鳴り響くものとして捉えていた節がある。彼が作り出すの音楽は、音響空間であり、音響風景なのだ。だからこそ、クセナキスはヴァレーズの音楽を称えるし、都会の街角のノイズすら音響なのである。

ノイズを音響と捉える感性は、おそらくきわめて20世紀的なものだろう。アイヴズやヴァレーズが試みたように、ノイズを音楽化するのではなく――それではリヒャルト・シュトラウスの物語的な音響詩やドビュッシーの自然風景の描写音楽になってしまう――ノイズを音楽として再構成することであり、音楽をノイズとして創造することである。ドゥルーズガタリはたしか最後のコラボレーション作となった『哲学とは何か』のなかで、哲学とは思考においてカオスを再創造することだというような発言をしていたけれど、アイヴズ-ヴァレーズ-クセナキスの音楽もそうした試みとして捉えることができるだろう。

私は最近、街の音の性質というものを聴き分けられるようになりました。たとえば街の音質は、建物が三次元でどう空間を構成しているかによって異なります。ニューヨークのような街は、残響率や音質が素晴らしくいい。それに対してパリのような街は、音が響かない。パリの建物はニューヨークより低いので、摩天楼のような音の反響が起こらず、音が比較的早く消えてしまうからです。そういう意味で、ニューヨークは、まさに音量や、音の力強さ、内側に残る音のエネルギーがとても見事な例です。結果として、音の美しさがある。残響として残っている音がとても美しいからです。たとえ元の音自体がそれほど面白いものでなくてもかまわないほどです。これはまさに都市規模での体験の一つですね。(228-29頁)

こうした態度からいくつかの帰結が引き出されるだろう。

ひとつは、それまでの慣習的な記譜法が役に立たなくなる、という点だ。音高は記載できても、倍音は書き込めないし、ましてやマスとしてのオーケストラの倍音を五線譜のフルスコアに書き下ろすことはできないだろう。図形楽譜のような別の書記メディアが誕生したのは、新奇さのための新奇さではなく、クセナキスの音についての思考や感性が要求した必然的なものであった。 

ふたつめは、楽譜だけで音楽は成立しない、という考え方である。一方において、音は現象であり、実際に鳴り響かなければならない。そして、それは現象学的に体験されなければならない。作曲者と楽譜だけでは不充分であり、実際の音と、それを体験する聴者が必要である。

 

知性的な創作と感性的な鑑賞のあいだのズレ

ここから、さらに別の帰結が生まれてくる。一方において、クセナキスは、音楽は細部まで構築されなければならないという厳密な知性主義を奉じるが、他方において、そうした純粋知性的な聴取態度を聴者に求めているわけでもない。作曲のロジックと鑑賞のロジックは、クセナキスのなかでは、複線的なシステムを成しているのかもしれない。クセナキスは決して聞き手を作り手の下に置くようなことはしない。むしろ、それぞれに別の役割や感性を割り当てているのだ、と言ったほうがいいかもしれない。 

この文脈でとくに興味深いと思うのは、クセナキスが偶然性を理論化する手つきだ。クセナキスは数学的な手法を作曲に持ち込んだことでよく知られているが、ここでも、数学はむしろ手段であって、目的ではない。演奏者に任せれば手癖になるし、演奏者がすでに内面化してきている音楽的限界は越えられない以上、本当の意味で偶然に聞こえるような音楽を作るには、すべてを管理するしかないのだ。逆説的なことだが、偶然的な音楽を響かせるには、すべてをコントロールし、無意識的な反復やパターン化すらをも排除した楽譜を用意しなければならない、とクセナキスは主張する。

しかしながら、そこまで偶然性を体現する音楽を厳密に追及するクセナキスだが、複雑性の問題となると、ル・コルビュジエの建築事務所で働いていた亡命作曲家の態度はきわめて柔軟である。クセナキスは知性と分析によってわかるものと、耳で聞いてわかるものとを、はっきり区別している。それはつまり、理性的把握と感性的把握の質的差異を理解しているということでもある。だからこそ、理性的把握を推し進めたトータル・セリエリズムとは距離を取り、ミュージック・コンクレートのほうに親和性を示したのだろう。

作曲家としてのクセナキスと、クセナキスの思い浮かべる聴者のあいだには、明らかなズレがある。

数学的に音塊をコントロールしようというのは、クセナキスの理性的一貫性の現れであるし、原理の簡潔な優雅さを尊ぶ数学的感性の現れでもあるだろう。作曲家クセナキスが目指すのは、単一原理による複雑性の構築であり、無秩序性や確率的偶然といった現象を、厳密な秩序的思考によって創造することである。

しかしながら、クセナキスは、過度に複雑な音楽はもはやただのカオスにしか聞こえないだろう、ということもわきまえている。もちろん彼は聴衆が複雑な構造を完全に聞き取ることを期待しているわけではないが、創造された複雑性なのか単なる無秩序なのかが聴覚上まったく区別できないような音楽にたいして深い疑いを抱いているようでもある。

  

「常に移民であらねばならない Il faut être constamment un immigré」

このインタビューがひじょうに刺激的なのは、クセナキスが作曲技法のことだけではなく、その背後にある彼自身の世界観のようなものを語っているからだろう。それはクセナキスの音楽を、ギリシャにおけるレジスタンスといった政治的前史であるとか、フランスでの建築家としての仕事といった全人的芸術家のあり方というような具体的でわかりやすい事柄ではなく、クセナキスという人間その人の抱く理想や信念という視点から捉え直すことを可能にしてくれるからだろう。

クセナキスは、理想主義的であることと忘却的であることを、両立させようとする。どちらかだけではだめなのだと言う。強固でありながら、それを脱臼させ、茫然とさせるような一撃が必要なのだ、ということだろうか。凝り固まってはいけない、つねに寄る辺なき所から立ち上げていかなければならない。それが「いつも移民として生きてきた Il faut être constamment un immigré」という一文でクセナキスが言わんとしていることなのだろう。 

音響としての音、それは場で響くものであると同時に、その場にあって聞く者と響き合うものでもある。音は体験であり、体験は聞き手と深く響き合う。そうして音は人々のあいだに開かれ、それを通じて過去や未来とつながっていく。

私がある音楽を好きだと思うとき、その音楽に取り憑かれています。私は、音楽を自分自身の一部であるように感じるのです。わかるでしょうか。というのは、私の考えでは、実際あらゆる音楽、あるいは人を惹きつけるあるゆるものが、触媒のような役割を果たし、それによって、自分自身の中にあるものが掘り起こされたり、気がついてりすることができるからです。それは、そのときあなたが見たり聞いたりしたものの存在の効果によるものなのです。いわば麻薬に似ています。といっても、その人自身に関わる麻薬、精神的な麻薬で、それによって麻痺するのではなく、自己の才能、個性や理想に気づかせ、花開かせてくれるのです。それもさまざまな、多様なやり方で。ときには、とても深く。つまり私は、こういうふうにあなたの言う「力」や「支配」について捉えています。(243頁)

それはとても美しく、とても危険な力だ。そしてその力をこそ、クセナキスの音楽は表出しようとしてのだろう。いや、それどころか、クセナキスの音楽はそうした力そのものになろうとしたのかもしれない。そこにこそ、クセナキスの音楽の時代を超えた永遠性があるのではないだろうか。

暴力が不平等を解体する:ウォルター・シャイデル、鬼澤忍・塩原通緒訳『暴力と不平等の人類史――戦争・革命・崩壊・ 疫病』(東洋経済新報社、2019)

暴力がもたらす平準化

歴史を統計的に見ることで、物理的現象のように扱うことで、くっきりと見えてくるパターンがある。不平等の進展こそが石器時代から21世紀までの歴史の常態であること、科学技術の発展も産業構造の変化も不平等を増大させてきたこと、そのなかで均等化や平準化をもたらす巨大な要因として機能してきたのは暴力であったことだ。

こう言ってみてもいい。平等化は自然に起こるものでもなければ、社会的政治的に狙った通りに起こせるものでもなく、むしろ、起こってしまうものである。国のすみずみにまで、国民ひとりひとりにまで、避けようも防ぎようもないかたちで、襲い掛かってくる集合的な暴力――戦争、革命、崩壊、疫病――が、長年にわたる不平等によって確立された不平等の構造(たとえば、社会の上層1%が国の大半の富を所有するという資本の不均衡)を平準化し、そうすることで、不平等の構造によって現実の不平等がさらに深まっていくという負の連鎖(たとえば、金持ちはさらに金持ちになり、貧乏人はさらに貧乏になっていくというスパイラル)に終止符を打つのだ。

この意味で、邦訳タイトルは正確さを欠いている。邦訳では原語タイトルThe Great Leveler: Violence and the History of Inequality from the Stone Age to the Twenty-First CenturyがThe History of Violence and Inequalityであると誤解されてしまう。著者の主張を考慮に入れれば、暴力こそが「均すものLeveler」であることは明白であり、その意味では、暴力と不平等の歴史はむしろ緊張関係にあると言うべきだろう。一方に、不平等を有無を言わせず解体に追いこむ暴力があり、他方に、不平等の構造を深化させていく歴史の傾向がある。もちろん暴力が不平等を保存してきた面があることは事実であるし、それは決して忘れるべきでもなければ軽く取り扱うべきことでもないけれど、シャイデルの議論で取り上げられる暴力とは、不平等の構造を解体する否定的な力のことである。この邦訳だと、あたかも暴力が不平等の原因であるかのように、暴力と不平等のあいだに共犯関係があるように見えてしまうが、シャイデルの議論は、逆である。暴力こそが、人類史に平等をもたらしてきたのである。 

シャイデルの描き出す統計的な歴史物語といは、次のようなものだ。不平等という持続する傾向があり、そこに、暴力という短期的な衝撃が加えられる。すると、既存の社会構造や経済構造に平等化の契機が生まれ、限定的ながら、不平等の構造が均される。しかしながら、平等化の方向に均された不平等の構造は、時間が経つとふたたび不平等を蓄積していく。長期的な不平等の持続と、短期的な平等化の衝撃、この二つの力が、人類史のリズムを刻んでいる。  

 

プレーンでクリーンでニュートラルな科学的歴史記

シャイデルがこの物語を描きだすために利用するのは、統計的数字である。こうして彼は歴史的出来事の細部に拘泥することなく、世界史を縦横無尽に引用し、自らの主張の論拠を提出していくし、そこで歴史はいわばデータベース的に扱われる。古代中国と戦後日本と中世ヨーロッパとが、並列的に持ち出される。 

シャイデルの統計的ナラティヴに歴史的偉人の居場所はないし、2回にわたる20世紀の世界大戦のような世界史的出来事にしても、経済構造や人口構造の変化をもたらした要因以上の扱いは受けない。ヘイドン・ホワイトは『メタヒストリー』のなかで、19世紀の歴史学者たちの言説を分析しながら、歴史「記述」historiographyは必然的になんらかの物語祖型に依拠することになると論じたが、シャイデルの歴史物語はある意味でそうした祖型を持たない、プレーンでクリーンなものだ。

シャイデルにとって、不平等の持続的進展はいわば右肩上がりのグラフにほかならず、均等化という短期的断絶はグラフの描き出すシェイプの一大変化でしかないからだ。そこには、悲劇的諦観も、英雄的興奮も、書きこまれてはいない。すべてはまるで物理法則のようなものであり、シャイデルが興味を抱くのは、収斂する文明のパターンであるかのようだ。

事実、シャイデルが描き出すのは歴史のパターンである。それはもしかすると、これまで歴史家が感じてきたものであり、具体的な政策であるとか歴史的事件を調べることで、具体的に裏づけようとしてきたものだったのかもしれない。しかし、シャイデルはそれを、膨大な量の統計的データのみを――というとさすがに語弊があるが、ここではデータこそが主役である、たとえそのデータがときおりきわめて不正確であり、不充分であり、通史的比較史的に扱うには不適切かもしれないとしても、シャイデルはそれらの方法論的問題をすべて承知のうえで、なお、データ分析をみずからの研究の根底に据えるのである――比較的に検討することで、数学的に実証してみせた、と言ってもいいだろう。

シャイデルの手つきは、歴史家のものというよりは、経済学者のものに近いのかもしれない。彼が見るのは具体ではなく、総体である。個人ではなく、集団である。点ではなく、線や面や形である。そして、数字で見ることで、時代にも場所にも拘泥することなく、人類史一般を論じることができるのである。

シャイデルの方法論的な立場は、文学研究者フランコモレッティが提唱した「遠読」と比べることができるだろう。モレッティは「世界文学への詩論」のなかで、マックス・ウェーバーを引用しながら、理論とは、概念と概念の関係(人為的な思考物同士の関係)を考えるものであって、具体的な物と物との関係についてのものではないと述べ、現代のデジタル時代においてわたしたちは、少数のテクストを精読 close readingするだけではなく、膨大な数のテクストをビックデータ的に分析するべきである――それこそ、彼が遠読 distant readingと呼ぶものである――と挑発的提言をしている。

シャイデルの手つきにはモレッティの手つきと似たところがある。というより、彼らの仕事は、デジタル・ヒューマニティーズという最近の傾向のなかで捉えられるべきものだろうか。シャイデルが峻別するのは、具体的な歴史的出来事と、そこから抽出される数字である。シャイデルは後者に力点を置くことで、ある時代のある場所の数字を、別の時代の同じ場所の数字であるとか、同じ時代の別の場所の数字、別の時代の別の場所の数字との関係を、理論的に考えることを可能にするのである。

 

因果論なのか、後付けなのか

しかし、このように数量的に歴史を見る立場は、いくつかの疑問を掻きたてるだろう。たとえば、これは原因と結果の説明なのか、それとも、既に起こったことに後付けの解釈を与えているだけなのか、という疑問である。起こったことだけを考えており、反実仮想的な「起こらなかったこと」を完全に排除してしまっているのではないか、という疑問である。暴力があったから平準化が起こったのか、実際に起こった暴力がなかったとしても、実際に起こったものと類似の平準化が作用したのではないか、という疑問である。シャイデルはこの問いにたいしてきわめて自覚的であり、本書のなかで幾度もそこに立ち戻っていくが(とくに14章において)、彼としても明確な答えは出ていないようである。少なくとも、彼は自らの分析から明確な因果関係を引きだすことについて、一貫して慎重な態度を保っている。

ここからべつの疑問がわいてくる。不平等が歴史の常態であり、非暴力的な平等化の成果は限定的であるという知見が、これまでの人類史から引き出せるとして、それは人類の未来にも適応することなのか。こう問い直してみてもいい。もしこれまでの人類史において、偶発的な出来事によって平等化がもたらされてきたとしたら、現在の社会をより平等な方向に変えていくために、わたしたちができることはあるのか。

シャイデルはこの問いにもきわめて自覚的である。だからこそ、本書の最終部にあたる7部(15章と16章)がこの問題に捧げられているのだろう。しかしここでも、シャイデルは考えあぐねているようだ。というのも、彼の議論に従うなら、大規模な均質化は暴力的な出来事――戦争、革命、崩壊、疫病――によってしかもたらされえないし、それらが起こる可能性について、シャイデルは懐疑的であるようだ。その一方で、平和的な平準化の可能性――教育、スキルトレーニング、税制改革、政治介入―は限定的なものに留まるだろう、というのがシャイデルの暫定的結論である。

 

過去において作用してきた暴力という平準化の力を未来において行使すべきなのか

統計的手法によって人類史一般を縦横無尽に比較してみせたシャイデルにしても、自らの歴史分析の現実的有用性を語る段になると、ひどく慎重になるらしい。

それは当然かもしれない。というのも、シャイデルの分析からは、まったく相容れない現実的帰結を引きだすことはできるからだ。一方において、これは、現実における不平等の構造や連鎖を解体するために払う代価がいかに大きいのかの例証である。そこから引き出されるのは、保守的な、現状維持の態度だろう。しかし他方において、これは、革命のための論拠にも使えてしまう。現状を変えるには、漸近的でパッチワーク的な改善策では不充分であり、ラディカルで全面的な変革こそが唯一の処方箋であるという議論だ。そこから引き出されるのは、暴力革命をも厭わない過激な態度だろう。シャイデルは現状の不平等の問題を明晰に理解し、かつ、それが暴力的な手段によってしか根本的には変わらないかもしれないということを意識したうえで、暴力的平準化ではない別の可能性を模索し続けているように見える。

だから、シャイデルは本文にして550頁超、注だけで130頁以上になる大部の著作を、警告のトーンで締めくくっている。それを健全な中庸さとみるか、慎重な臆病さとみるかは、判断が分かれるところかもしれないが、どちらの解釈を取るにせよ、そこで、自らの分析が抉り出してしまった歴史の無慈悲なパターンと歴史家が誠実に対峙しようとしていることだけは間違いないだろう。

何千年にもわたり、歴史は、不平等の高まりあるいは高止まりの長丁場と、散在する暴力的圧縮を繰り返してきた。1914年から1970年代あるいは80年代までの60~70年間に、世界の経済大国と、共産主義体制に屈した国々の双方が、歴史上最大級の大幅な平準化を経験した。その後、世界の多くの地域が次の長丁場となりそうな期間に突入し、継続的な資本蓄積と所得の集中に回帰した。歴史的に見れば、平和的な政策改革では、今後大きくなり続ける難題にうまく対処できそうにない。だからといって、別の選択肢はあるだろうか? 経済的平準化の向上を称える者すべてが肝に銘じるべきなのは、ごく稀な例外を除いて、それが悲嘆のなかでしか実現してこなかったということだ。何かを願う時には、よくよく注意する必要がある。(563頁)