うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

生真面目な歓喜、意図的な野蛮:アーノンクールの呼吸と身振り

アーノンクールの演奏を聴くと、目をぎょろつかせた、何かに烈しく怒っている顔が頭に浮かぶ。しかしその顔をしばらく見つめていると、その憤激の裏に奇妙なユーモアがあることにも気づかされる。あまりに生真面目で、あまりに真剣なので、とても笑顔とは言いがたいのだけれど、にもかかわらず、やはり愉悦としかいいようのない純粋な歓びが、表層的な不機嫌さの向こうから噴き出してくる。

 

ウィーン交響楽団のチェロ奏者として演奏家のキャリアをスタートさせたアーノンクールの指揮は決して上手いものではない。両方の人差し指を突き出しながら拍を大雑把に示す。

震えるような身振りは、数学的な正確さとは程遠い。しかし、アーノンクールの目指す音楽は、デジタルな精度とは無関係なところにある。かなりどぎついアタックを好むけれども、それはあくまで呼吸のレベルでのことであって、実際に出てくる音のレベルではないようなところがある。いや、もちろん、アーノンクールが音自体を軽視しているわけではないけれども、彼の関心は、音そのものというよりは、音を出す奏者の身体や精神に向かっているように思う。

そう書いていて、なぜかふと、学部時代に受講した能についての授業で、担当教員に、能の笛や太鼓の音のズレが西欧音楽のアンサンブルに慣れ親しんでいる身からするとすごく気になると言ったところ、能の演奏は呼吸で合わせるから、というようなことを言われたことが思い出された。もしかするとアーノンクールの音楽もそういうものなのかもしれない。

最終的な音は結果にすぎなくて、重要なのは、そこに至る過程。過程を徹底できれば、最終的な音のズレは些事である。

そういうことなのかもしれない。

 

アーノンクールは、洗練された粗野を求めているのだろう。古典的な西欧美学は、荒々しい生の力を、技術によって陶冶するというものであり、洗練こそが美ではなかったか。

アーノンクールはそれを意図的に覆す。

意図的に洗練を退け、洗練されるべきであった素材の生命力を加工なしに表出させようとする。正確さを忌避しているわけではないけれど、過剰な正確さは人為の現れにほかならない。

 

アーノンクールの音楽はおそらくきわめて身振り的であり、言語的なものなのだ。

フレーズのアーティキュレーションこそがアーノンクールの音楽を形づくる。響きでも、リズムでもなく、ディクションをこそ、統一させようとする。

言葉としての、言い回しとしての音楽。ディクションはアナログ的なものであるので、どうしても個々の奏者のシンギュラーな差異もそこでは音に出てしまうので、アーノンクールのアンサンブルにはつねに雑味がある。

 

どこか奇矯な音楽だ。生理的に気持ちよいところをあえて外してくる。なめらかさを拒否するくせに、わざとズラしてくるわけではない。学究的であるのに、理性的なものに安住しない。頭でっかちなところがあるのに、究極的には、身体的な勘を信頼している。しかし、生々しさを尊ぶくせに、媒介なしの生そのものは拒否する。それはきわめて狭いストライクゾーンであり、ハイコンテクストにすぎる音楽でもある。

デリダやド・マンの脱構築が、「脱」すべき「構築」のないところでは成立しないように、アーノンクールの人為的不自然さの美学は、彼が自らを差異化しようとしてする仮想敵の存在が共有されていないところでは、ただ単に、奇妙なようにしか聞こえないのではないか。

 

アーノンクールの音楽はパフォーマンスなのだと思う。受容者の存在はここで決定的である。彼の音楽は、一方的に聞くものではなく、双方向的に見聞きして体験すべきものである。アーノンクールの音楽にとって、彼の不機嫌な歓喜の表情は、本質的なものであるように思えてならない。

 

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小澤征爾という問題:東洋が西欧に喧嘩を売るために犠牲にしたこと

小澤征爾を聞くと、柄谷行人の言葉を思い出す。アメリカに行って、デリダやド・マンのようなことを英語でやることはできないと思ったが、言語の言語性に依拠しない純粋な論理が焦点となる分析哲学のような領域であれば渡り合えると思った、というような発言が思い出される。
 
小澤の音楽は、西洋音楽を、純粋な音の構築物、音そのもののダイナミズムに変換していくようなところがある。躍動する論理としての音楽、論理的な肉体としての音楽。
明晰であるほどに、その異形さが際立ち、不気味さがいやます。
 
小澤征爾の指揮はかなり細かい。大きな身振り、肩口まで手を振り上げて手刀のように振り下ろす所作に目を奪われがちだが、小澤の技術的卓越性は、細かい拍や変拍子をまるでメトロノームのようにきっちりと振り分けるところにある。
ミクロなレベルでの鼓動を、マクロなレベルでの脈動にピタッとはめることができるのは、小澤のリズム感覚がいわばデジタル的で、好きなだけ細かく分割可能でもあれば、複層的な流れをいつでも好きなようにシンクロさせられる余力があるからだろう。
小澤ほど楽譜を虚心坦懐に音にしている指揮者も珍しいのではないか。彼の演奏と比べると、ブーレーズのような指揮者たちがいかに楽譜を自分の美学に従って再構成し、独自の音響世界を捏造しているかがわかる。ブーレーズが万華鏡の鏡のような増幅装置だとすると、小澤は何も足さず、何も引かずに自らを透過させる透明な媒体だ。
 
小澤の演奏では、楽譜のなかの幾何学的なパターンーーたとえば、低い声部と高い声部に割り振られているがゆえに、純粋な音としては対位法して聴認しがたいもの――がびっくりするほどクリアに響く。
しかし、このあまりにも正確無比な音の愉悦に身を任せていると、別の疑問もわいてくる。
はたしてこのような純粋な音の運動が、4拍子が完全に均等な4等分になっている数学的で幾何学的な音響世界が、音楽として愉しいのか、という疑問(それは、NHK交響楽団はもちろんのこと、サイトウキネンオーケストラにも通底する問題だ)。
 
それはもしかすると、小澤の音楽が、アタックの瞬間的な鮮烈さには気を配りつつも、アンサンブルとしての持続的な厚みにはわりと無頓着なところとも、関係しているのかもしれない。
つまるところ、西欧の音楽家たちのリズムやメロディには、微妙なタメやノリがある。それはデジタルに言えばズレなのだけれど、そうした微細なハズシがアジとなっている。
そのような伝統的な惰性をすべて洗い流し、すべてを書かれた音符を基点にして立ち上げた単なる純粋な音に還元したところに、小澤の卓越した無国籍的、無歴史的、無時間的な異化作用があったのだろう。
 
そのようなラディカルな抽象化は、中和剤としてはすばらしい。
 
しかしこれを単体で讃えていいのかとなると、どうしても言い淀んでしまう。
小澤の演奏の浅さ、薄さ、軽さは、かけがえのない美点であると同時に、東洋の島国の一個人が、西欧数百年の伝統に、徒手空拳で喧嘩を売るために引き受けざるを得なかった副産物であるようにも思う。
小澤のテクニックの純粋さが引き立つのが、アイヴズのような意図された混沌や、武満のような東からの西への挑戦、または、バッハのような幾何学的な秩序であるというのは、さもありなんというべきところである。
 
 

和声を操るリヒャルト・シュトラウス:グレインジャーのアレンジから聞こえてくるもの

リヒャルト・シュトラウスにとって、オーケストレーションは、作業的にこなせるものだったらしい。子どもが横で騒いでいるリビングであろうと、なんの問題もなくスコアの作成を機械的に進めていくことができた、とどこかで読んだことがある。
ポスト・ワーグナー世代であるシュトラウスは、肥大化するオーケストラを鳴らしまくる大味な曲を書いてみたり、そうかと思うと、小さなオーケストラを万華鏡のように夢幻的にきらめかせるミニチュア的作品を書いていたりする。
前者の路線の極北に位置するのは、ウィーンのコンツェルトハウス落成式のために委嘱された「祝典前奏曲」(Op. 61)か、大日本帝国の委嘱で作った本当に馬鹿みたいな曲「日本の皇紀二千六百年に寄せる祝典曲」(Op. 84)であり、後者の極点と言えるのは、クープランの編曲——舞踏組曲TrV 245)とディヴェルティメント(Op. 86)――だろう。
どちらの方向でもオーケストラの魔術師であったからこそ、オーケストラの多彩な音色のパレットに依存しないモノトーンな音楽をシュトラウスと結びつけるには、直感に逆らわなければいけない部分がある。しかし、もしかすると、シュトラウスのほうが、マーラーシェーンベルクなどより、音の色に頼らない音楽作りをしていたのかもしれない。 
「夕べ」(Op. 34-1)や「ダフネの木に」(TrV 272a)といった合唱曲を聞けば、シュトラウスの音楽の官能性が、それ単体で成立してしまう単音の存在感ではなく、和声という複数の要素の関係性の移り変わりといった動的構造によるものであることが、はっきりと聞こえてくる。
これは歌曲を聞くとさらによくわかる。「4つの最後の歌」は、ピアノ伴奏版でも、きわめて美しい。オーケストラ版だとソロ・ヴァイオリンがあまりにも印象的な「朝」(Op. 27-4)にしても、ピアノ前奏のアルペジオのゆらめくような和声がかきたてる憧れは、シューベルトシューマンピアノ曲や歌曲につながるものだ。
ということを、パーシー・グレインジャーによる「薔薇の騎士」の最後の二重奏を主題としたピアノ曲「Ramble on the Last Love Duet」(「幕切れの愛の二重奏について、とりとめもなく」)を聞いて、あらためて感じた。

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ゲオルク・ショルティの反復的なモダニズム:強制的な興奮に抗うか、それに身を任すか

ゲオルク・ショルティの方法論化されたモダニズムは、その方法論性にもかかわらず、一回的なものだったのかもしれない。ショルティのあまりに健康的な音楽は、不思議なことに、歴史の袋小路でもある。

 

日本のクラシック音楽批評でショルティの録音が手放しで称賛されることはほとんどない。録音史上に燦然と輝くワーグナーの『指環』録音にしても、カルショーの録音プロジェクトであるとか、ウィーンフィルの記録として扱われることがあまりにも多いし、そこには「(クナッパーツブッシュ指揮であったら)」というような恨み節が見え隠れしている。

ショルティの指揮の呼吸が浅く、息苦しいところがあることは、否定できない。しかし、それと同時に、ショルティほど音楽の生理的な快感や、瞬間的なインパクトのストレートな快楽を感じさせてくれる音楽家もいない。

 

ハンガリー出身のショルティは、バルトークコダーイの下で学んでおり、トスカニーニに目をかけられてザルツブルク音楽祭で助手を務めてもいるし、エーリッヒ・クライバーの推薦も受けて戦後のキャリアを築いている。その意味で、ショルティもまた、20世紀前半のモダニズムの申し子ではあるはずだが、そのようには見なされていないように思う。

ショルティの指揮は、さまざまな伝統(ハンガリーの音楽教育、西ヨーロッパのモダニズムアメリカの合理主義)の結節点でありながら、そのどれにも還元不可能だ。

なるほど、ショルティのキャリアはDeccaの鮮烈な録音技術と不可分であるし、シカゴ響の金管楽器ヴィルトゥオーゾと切り離せない。ショルティの驚くほど明晰な水墨画的な濃淡の音離れのよさは、ハンガリーの指揮者――ショルティドラティ、ドホナーニーーーに連なるものである。

 

ショルティの音楽はたしかにやかましい。音が鳴りすぎている。気持ちよいのは間違いないが、デリカシーに欠ける部分もある。

けれども、抒情的なところがないわけではない。歌うところはたっぷりと歌わせている。

このメリハリがあまりにも見事で、システマティックなので、ショルティの指揮は、反復不可能な芸術家の作品というよりも、方法論的に安定した反復不可能な職人の手技という印象を醸し出す。

 

事実、ショルティのリハーサルは、怖ろしく細かい。三連符的なパッセージを「タタタ、タタタ」と弾かせるというのは、アマオケにこそふさわしい練習であって、プロにすれば屈辱的な指示ではないかという気がするのだけれど、その手の基礎の基礎を再確認させるようなトレーニングを臆することなく実践していく。

その反面、フレーズの歌い回しや音色については、きわめて紳士的な物腰で奏者に強要することがない。自分の望むところを頑として譲ることはないが、決して一方的に押しつけることはない。そのあたりが、我が道を何としても押し通すトスカニーニクライバーと違う。

 

ショルティの音楽は、楽譜の音を「単なる」音として表象するモダニズム的な潮流に与するものである。ショルティにとって、『エロイカ』のアレグロ・コン・ブリオは、トスカニーニが述べたように、アレグロ・コン・ブリオでしかないだろう。

しかし、ショルティが彼の先駆者同様、オペラ指揮者であった点も見逃すことはできない。過剰な解釈、誇張的な解釈を遠ざけているからといって、音楽の「意味」を拒否しているわけではない。『タンホイザー』序曲のリハーサルを見るかぎり、彼が、ライトモチーフの物語的な機能を完璧に意識していることは間違いない。純器楽的でありながら、フレージングは描写的なものでもあり、そのあたりの記述性は、リヒャルト・シュトラウスの系譜の連なるものでもある。

 

ショルティの音楽はあまりにも陽の気に充ちている。方法論がポジティヴなものに転化しすぎているとも言える。健康的すぎる。あまりにも押し出しがよくて、正しすぎて、聞くほどに体力を消耗させられる。デモーニッシュなところがない(そのようなデモーニッシュな予期せぬ脱線的な成就こそ、トスカニーニエーリッヒ・クライバーの指揮を特別なものにしているものでもある)。

 

それは聞き手の問題であって、作り手の問題ではない。ショルティの指揮があまりにストレートで、あまりにあっけらかんで、あまりに陰翳がなく、対位法のエッジが効きすぎていると批判することは、ないものねだりにすぎる。

しかし、ショルティの音楽に裏がないことは、指摘しておかなければならないだろう。

スコアやリブレットに書かれていないものを拒否することは、ロマン主義が依然として残存する20世紀前半においてきわめて前衛的なやり方であったはずだが、それが方法論に転化していった20世紀中期から後期にかけては、むしろ時代の遺物と化していったのではないか。そのような潮流や流行の変化のなか、カラヤンバーンスタインも――ショルティ1912年生まれ、カラヤン1908年生まれ、バーンスタイン1918年生まれ――超主観的な方向に舵を切っていくが、ショルティは依然としてモダニズム的な反解釈に忠実であり、その態度を、カラヤンバーンスタイン亡き1990年中ごろまで貫きとおしたのだった。

 

ショルティほど細部の動機をクリアに運動させている指揮はない。さまざまな録音を経たあとでショルティの録音を聞き直してみると、ショルティがほとんど偏執的なまでに細かなパッセージを自然に不自然に際立たせようとしていることに気がつく。一聴しただけだと気づかないぐらいにさりげないが、他の録音と比べると、それがいかに特異であるかがすぐにわかる。

ショルティの鋭角的な指揮――指揮というよりは、幾何学的、器械体操的と言いたくなるほどの身体運動は、おそらく、この曖昧さのない透きとおったインパクトのための必然的な所作だったのだろう。ショルティの音楽は音量に支えられている部分もあるけれども、それは質的な迫力であって、量的なものではない。インパクトの鋭さ、クライマックスへ向けての盛り上がりであり、頂点での抜けのよさであって、客観的な音量はむしろ二次的である。

ショルティの音には、つねに、切り裂くような鋭さがある。そしてそれこそ、量的なものではなく質的なものであり、奏者の呼吸によってのみ可能になる代物である。

 

ショルティの音楽を受け入れられない者は、おそらく、奏者の呼吸を理解できない者である。ショルティの指揮を受け入れられない者は、おそらく、圧倒的な指導者による有無をいわせぬドライブに身を任せられない者である。

ショルティの音楽を愛せるかどうか、それはおそらく、聞き手の自律性の問題である。圧倒的な力を持つ指導者になすがままに指揮される歓びに身を任せられるかどうかである。

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朗読と手話による第9:シルヴァン・カンブルランとハンブルク響による創造的解釈

「3楽章と1場 In drei Sätzen und einer Aktion」と題されたハンブルク響とシルヴァン・カンブルランによるベートーヴェンの第九の映像は、基本的にベートーヴェンの音楽そのままでありながら、感触としては現代音楽的な古典の再解釈に近い仕上がりになっている。

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ソーシャル・ディスタンシングのために間引きされたオケは、室内楽に近い規模で、カンブルランの明晰な指揮と相まって、第九に仕込まれたくどいほどの対位法的構造がしつこいまでに浮き彫りになる。

4楽章の合唱部分はパイプオルガンが、独唱部分は語りと手話が担当している。シラーの詩にない言葉は、ベートーヴェンの「ハイリゲンシュタットの遺書」からの引用だ。

こうして、「歓喜の歌」の躁的なところが、鬱的なものによって中和される。いや、それどころか、Katharina Schumacherのアイロニックでアンニュイなセリフ回しのせいで、第9の陶酔的なハイテンションが、素面の観想に引き戻される。

ここではCovid-19の強いる物理的な要請が、形式と内容の両面において芸術的に取り入れられている。自らの聴覚の衰えに絶望する「ハイリゲンシュタットの遺書」は、医療と孤独と死と遺産と幸福の問題を前景化する。手話は、聴覚障害に悩まされていたベートーヴェンとリアルに重なり合う。そして語りと手話は、第9がシラーの詩のどの語句を強調しているのかをこのうえなく明らかにする。

アドルノ(だったと思う)が指摘したように、天上の創造主は存在する「はず muß」のものであって、すでにかならず存在しているものではないわけだが、その仮想的な存在論的在り方を、このパフォーマンスは執拗に強調していく。

悲壮的であると同時に皮相的でもあり、にもかかわらず、どこかコミカルで希望をただよわせてもいる。「兄弟たちよ Brüder」という排他的でもある男性的な呼びかけが、「姉妹たちよ Schwester」によって複数化される。

音楽はひたすらに陽に進んでいくし、手話を受け持つ3人の若者は、微妙な憂いを浮かべつつも、音楽に反応して身体を動かしてく。しかし語りだけは、つねに、疑いを隠さず、どこかニヒルのままだ。

とはいえ、彼女が強迫観念的に繰り返す詩句は、作曲者が反復する詩句にほかならない。第9の歓びの執拗さは、不安の裏返しに過ぎないのではないか。そんな疑いが浮かんでくる。陶酔的な歓びは、仮想的な夢想にすぎないのかもしれない。

しかし、欧州評議会がヨーロッパの統合の象徴として採択したこの曲を、どうしても信じたいという意志が、ここにはある。疑問はある。不信はある。「ヴェニスに死す」のアッシェンバッハのように、イゾルデのように、陶酔のなかで歓びに死に絶えるような身振りが幾度となく繰り返される。

にもかかわらず、ここで歌い上げられている全人類の同胞性にたいするコミットメントは失われていない。友への声なき呼びかけがある。そして歓びへの呼びかけが。

まことの悦び……おお、神よ、いつの日に――おお、いつの日に、――私は自然と人々との寺院の中で、その反響を再び見いだすことができるのですか!――もはや決して?――否――おお、それはあまりにも残酷です!――der wahren Freude - o wann - o Wann o Gottheit - kann ich im Tempel der Natur und der menschen ihn wider fühlen - Nie? - nein - o es wäre zu hart *1

オーケストラがいなくなった空白のステージを、手話を担当した3人の若者が、楽譜を覗きこんだり、上を見上げたりしながら、いぶかしげにさまよいながら去っていく最後のシーンは、不安をかきたてる。誰もいなくなった無音の舞台は、廃墟のようなニュアンスもある。しかし、おそらく、わたしたちはこの戦慄すべき可能性を噛みしめる必要がある。

そのような滅亡の未来の可能性をありありと思い浮かべることによってのみ、わたしたちはいまいちど、絶望のなかで希望を取り戻すことができるのだろう。

 

Von Katharina Schumacher im 4. Satz gesprochene Texte


„O ihr Menschen die ihr mich für Feindseelig störisch oder Misantropisch haltet
oder erkläret, wie unrecht thut ihr mir […]

おお、お前たち、――私を厭わしい頑迷な、または厭人的な人間だと思い込んで他人にもそんなふうにいいふらす人々よ、お前たちが私に対するそのやり方は何と不正当なことか!


bedenket nur daß seit 6 Jahren ein heilloser Zustand mich befallen, durch
unvernünftige Ärzte verschlimmert […]

しかし考えてもみよ、六年以来、私の状況がどれほど惨めなものかを!――無能な医者たちのため容態を悪化させられながら……


o wie hart wurde ich dur[ch] die verdoppelte traurige Erfahrung meines schlechten
Gehör's dann zurückgestoßen, und doch war's mir noch nicht möglich den
Menschen zu sagen:
sprecht lauter, schreyt, denn ich bin Taub!“

私は自分の耳が聴こえないことの悲しさを二倍にも感じさせられて、何と苛酷に押し戻されねばならなかったことか! しかも人々に向かって――「もっと大きい声で話して下さい。叫んでみて下さい。私はつんぼですから!」ということは私にはどうしてもできなかったのだ。


„O Freunde, nicht diese Töne!
Sondern laßt uns angenehmere anstimmen.
Und freuden-…, und freudenvollere“
„Freude! Freude! Freude!
Freude, schöner Götterfunken
Tochter aus Elysium,
Wir betreten feuertrunken,
Himmlische, dein Heiligtum!
Deine Zauber binden wieder
Was die Mode streng geteilt;
Alle Menschen werden Brüder,
Wo dein sanfter Flügel weilt.“


„[…] ach wie wär es möglich daß ich die Schwäche eines Sinnes angeben sollte, der
bey mir in einem Vollkommenern Grade als bey andern seyn sollte, einen Sinn
denn ich einst in der grösten Vollkommenheit besaß, in einer Vollkommenheit, wie
ihn wenige von meinem Fache gewiß haben noch gehabt haben […]“

ああ! 他の人々にとってよりも私にはいっそう完全なものでなければならない一つの感覚(聴覚)、かつては申し分のない完全さで私が所有していた感覚、たしかにかつては、私と同じ専門の人々でもほとんど持たないほどの完全さで私が所有していたその感覚の弱点を人々の前へ曝さらけ出しに行くことがどうして私にできようか!


„Gottheit du siehst herab auf mein inneres, du kennst es, du weist, daß
menschenliebe und Neigung zum Wohlthun drin Hausen, o Menschen, wenn ihr
einst dieses leset, so denkt, daß ihr mir unrecht gethan, und der unglückliche, er
tröste sich, einen seines gleichen zu finden, der troz allen Hindernissen der Natur,
doch noch alles gethan, was in seinem Vermögen stand, um in die Reihe würdiger
Künstler und Menschen aufgenommen zu werden“

神(Gottheit)よ、おんみは私の心の奥を照覧されて、それを識っていられる。この心の中には人々への愛と善行への好みとが在ることをおんみこそ識っていられる。おお、人々よ、お前たちがやがてこれを読むときに、思え、いかばかり私に対するお前たちの行ないが不正当であったかを。そして不幸な人間は、自分と同じ一人の不幸な者が自然のあらゆる障害にもかかわらず、価値ある芸術家と人間との列に伍せしめられるがために、全力を尽したことを知って、そこに慰めを見いだすがよい!

 

„Freude trinken alle Wesen
An den Brüsten der Natur;
Alle Guten, alle Bösen
Folgen ihrer Rosenspur.
Küsse gab sie uns und Reben,
Einen Freund, geprüft im Tod;
Wollust ward dem Wurm gegeben,
Und der Cherub steht vor Gott.“


„Froh, wie seine Sonnen, seine Sonnen fliegen,
froh, wie seine Sonnen fliegen
Durch des Himmels prächt'gen Plan,
Laufet, Brüder, eure Bahn,
Freudig, wie ein Held zum Siegen.
Freudig! Freudig! Freudig!
Laufet Brüder eure Bahn
Freudig wie ein Held zum siegen!“

 

„Freude, schöner Götterfunken
Tochter aus Elysium,
Wir betreten feuertrunken,
Himmlische, dein Heiligtum!“

 

„Seid umschlungen, Millionen!
Diesen Kuß der ganzen Welt!
Brüder, über'm Sternenzelt
Muß ein lieber Vater wohnen.
Muß! Muß! Muß!
Ihr stürzt nieder, Millionen?
über Sternen muß er wohnen.“
„Freude, schöner Götterfunken
Tochter aus Elysium,
Wir betreten feuertrunken,
Himmlische, dein Heiligtum!“

 

„Seien die Worte in der Welt
Auch wenn die Welt schweigt!
Seien die Töne in den Ohren
Auch wenn die Töne schweigen!
Seien Worte und Töne in der Menschen Herzen
Auch wenn die Menschen schweigen!“

 

„Brüder!“ – „überm Sternenzelt muß ein lieber Vater wohnen.“

 

„Tochter aus Elysium,
Freude, Tochter aus Elysium.“

 

„Tochter aus Elysium,
Freude, Tochter aus Elysium.“

 

„Alle Menschen werden Brüder,
wo dein sanfter Flügel weilt.“


„[…] o Vorsehung - laß einmal einen reinen Tag der Freude mir erscheinen – so
lange schon ist der wahren Freude inniger widerhall mir fremd“

おお、神の摂理よ――歓喜の澄んだ一日を一度は私に見せて下さい

 

„der wahren Freude - o wann - o Wann o Gottheit - kann ich im Tempel der Natur
und der menschen ihn wider fühlen - Nie? - nein - o es wäre zu hart“

まことの悦び……おお、神よ、いつの日に――おお、いつの日に、――私は自然と人々との寺院の中で、その反響を再び見いだすことができるのですか!――もはや決して?――否――おお、それはあまりにも残酷です!――

 

www.symphonikerhamburg.de

*1:朗読されるテクストはPDFで配布されている。「ハイリゲンシュタットの遺書」の日本語訳は青空文庫にある。ドイツ語の原本とその転記はWikisourceにある。英訳Wikisourceにある。

モダニズムとはべつの仕方で:クレメンス・クラウスの言葉による音楽

クレメンス・クラウスモダニズムを継承した指揮者はいなかった。それとも、誰も彼のモダニズムを継承することはできなかった、と言うべきだろうか。繊細なフリーハンド、鷹揚な正確さ、抒情的な客観性、プラグマティックな完璧主義。20世紀の前衛音楽の両方の系譜――調性に踏み留まる音楽と非調性に乗り出していく音楽――を取り上げる一方で、19世紀の後期ロマン主義を20世紀に持ち込むような時代遅れの音楽の擁護者。新音楽を取り上げすぎて聴衆から疎まれる一方で、聴衆に愛されたニューイヤーコンサート創始者にして、リヒャルト・シュトラウススペシャリスト。

クラウスの指揮は緻密にして繊細だ。見透しのよい立体感は、正確なリズムと凛としたアーティキュレーションの賜物だろう。しかし、クラウスの音楽の真の魅力は、技術的なところではなく、そのような技術的な卓越性から匂い立つ何ともいえない華やかさのほうにある。停滞を嫌うかのような速めのテンポを基調としながら、聞かせどころはしっとりと歌わせる。きわめて技巧的な、作為的でさえある音楽作りだが、その作為性がなぜか趣味の良さの証に聞こえてくる。理詰めでありながら、最終的にはセンスで音楽を作っているようにも感じられるし、感性に頼っているようで、根本的なところは理性でさばいているような感じもある。

 

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1893年生まれ。バレーダンサーの母と、資産家の名士を父に持つ非嫡出児(貴族筋の私生児という噂もあった)。ウィーン生まれのウィーン育ち。合唱団出身で、オペラの合唱指揮から、歌劇場の音楽監督まで上り詰めたクラウスは、ナチの圧力で辞任を余儀なくされたエーリッヒ・クライバークナッパーツブッシュの後釜としてベルリンやバイエルンの国立歌劇場のポストを手中に収め、ナチの後押しを受けてザルツブルク音楽祭の総監督の座を手に入れている。

若手の発掘に熱心で、ユダヤ系音楽家の救出に尽力したが、日和見な態度があだとなり、戦後はナチ協力を疑われることになる。1947年に非ナチ化裁判で無罪を言いわたされてからは、各地に客演し、Deccaに多数の録音を残すことになる。1952年のザルツブルク音楽祭では、戦前にドレス・リハーサルまで済ませながら本番を行うことができなかったリヒャルト・シュトラウスの『ダナエの愛』を初演し、1953年にはバイロイト音楽祭で保守派の反感を買ったウィーラント・ワーグナーの新バイロイト様式に寄り添うような指環全曲とパルジファルを振っている。

しかし再建予定のウィーン国立歌劇場音楽監督をめぐる争いに敗れ、失意のうちにメキシコへの演奏旅行に出かけ、客死する。1954年のことだった。*1

 

「Prima le parole - dopo la musica!」クラウスがリヒャルト・シュトラウスと共同執筆したシュトラウス最後のオペラ『カプリッチョ』のなかで、詩人はそう言うが、このセリフはクラウスの音楽にも当てはまる。クラウスほどオペラの言葉を音楽に昇華させている指揮者はいない。言葉のひとつひとつがどのように旋律に当てはめられ、どのようにオーケストラの音と呼応するのかを、すべていちど検証しているのではないかと思わされる。ことらさらに言葉が強調されているわけではないけれど、クラウスの指揮では言葉が音楽と完全にフィットしている。旋律の添え物として言葉があるのではなく、言葉そのものから歌が生れてくる。言葉に内在するリズムや響きが、旋律を媒介して、音楽に昇華されている。

クラウスの音楽は、きわめて言葉的で、歌的なのだ。どんなに大オーケストラの曲であろうと、すべてのパートをひとつずつ歌ってみることで音楽を組み立てているようなところがある。だからどのような旋律であれ、どのようなリズムパターンであれ、横の流れに乱れがない。クラウスの音は、マスとしてのオーケストラを幾何学的に統率したものではないと言ってもいい。少し年上のライナーやクライバーと比べると、オーケストラの音の出し入れの折り目正しい整理という意味では劣る部分があり、そのせいでクラウスの音はやや旧世代的な、鄙びたところがあるのだけれど、一回り年上のフルトヴェングラーなどと比べれば、ずっとモダンなたたずまいになっている。内へ内へと潜るように没入してすべてをひとつに融解させるのでも、上から外から全体を俯瞰的に掌握するのでもなく、個々のフレーズをソロのように解き放ちながらそのひとつひとつをあたかもひとりの奏者が奏しているかのようにシンクロさせていく。複雑な大オーケストラの曲が、奇妙なことに、わりと数の多くないソリストたちによるわかりやすいアンサンブルになる。

 

それを繊細さと讃えるか、スケールに欠けると貶すかは、聞き手の趣味の問題だろう。しかし、オペラという劇場音楽のスペシャリストにしては、クラウスの音楽はあまりドラマティックとは言えない部分があることも否定できないし、巨視的なレベルでのクライマックスを築くよりも、微視的なレベルでの細部のニュアンスに拘泥しすぎているきらいもある。音楽の盛り上がりは楽譜や台本それ自体の盛り上がりに委ねられているようなところがあるし、ことさらに美しい音を目指してもいない。クラウスが求めるのは、まずなにより楽譜的な正確さであり、音色はあくまで手段なのだろう。それは、もしかすると、リヒャルト・シュトラウスの求めるところと重なるのかもしれない。

そう考えてみると、ヴィオリカ・ウルスレアクがなぜシュトラウスの信頼する歌手であったのかが理解できる。現存するウルスレアクの録音を聞くかぎり、彼女の声はどちらかというとくぐもった陰気な響きで、歯切れが悪い。音程の取り方がすこし低めで、細かなビブラートを多用するせいか、つねに泣きの表現になってしまっているように聞こえる。

しかし、美声をひけらかすテノールを嫌い、主要なタイトルロールにバリトンを配置することが多かったシュトラウスの声楽趣味を思うと、アルトのような声質で、決して歌い崩すことがなく、理知的で、きわめて正確なリズムで音節を旋律に乗せていけるばかりか、言葉の意味をつねに音楽のニュアンスに翻訳していくことができるウルスレアクは、たしかに作曲家にとって理想的な表現者だったのだろう。戦中のザルツブルク音楽祭で上演されたドイツ語版の『フィガロの結婚』を聞くと、ドイツ語の音節や響きが余ったり浮いたりすることなく、イタリア語の台本のために書かれたモーツァルトの音楽にまったく違和感なくはまっていることに気がつくが、それはまちがいなく指揮者の手腕のおかげだ。シュトラウスにとっても、クラウスにとっても、声は、純粋器楽的なものではないし、ナルシスティックな陶酔から一線を画するものだったのではないか。

 

言葉の抑揚を基盤とするクラウスの音楽は器楽的な正確さとはべつの正確さを持っているし、軸とする音域も独特だ。Deccaとの録音は、高音と低音が強調されている(というか、中音域が抜け落ちている)せいで、全体的に痩せこけた音がするけれども、クリアな低音とつややかな高音を埋める人声に近い中音域こそが、クラウスの指揮の基調を成していたように思うし、言葉の表現媒体としての声を素材とするクラウスの音には、わたしたちの声が必然的にそうであるように、雑多で雑味がある。響きは澄んでいるが、透き通っているわけではない。リズムは的確だが、メトロノーム的な意味で完全に同期しているとは言いがたい。濁ってはいないが、わずかに不透明な響き。ズレてはいないが、点ではなく面としてのアンサンブル。Deccaとのリヒャルト・シュトラウスの録音にしても、オーケストラがトゥッティで大音量で鳴り響くところではなく、ソロが絡み合うところ――「英雄の生涯」のバイオリンソロ、チェロとビオラのソロが前面に出る「ドン・キホーテ」、「家庭交響曲」の緩徐楽章――が演奏として傑出している。

準備段階において個を完全に従属させることで、本番では、あたかも個が自ら望んでそうするかのように指揮者の理想を体現させるのだが、そこには、奏者自身の自発性の余地がどういうわけか大きく残っている。ソリストたちの饗宴のような音、すべての音を統率する中心的存在はまちがいなく存在するが、にもかかわらず、その存在は遍在的で、どこにでもいるようで、どこにもいない。

 

クラウスの音楽はきわめて人為的なものだった。言葉が自然に音楽に寄り添う音楽、それは実はきわめて不自然な代物だ。言葉を音楽化し、音楽を言語化する。言葉にとっても音楽にとっても互いに不自然なことを、あたかも自然であるかのように偽装する。そのためにこそ、クラウスは徹底的なリハーサルによってアンサンブルを鍛え上げたはずだ。そしてこの自然化された不自然さにこそ、クラウスの指揮のモダニズムがあると言ってよいだろう。これらの要素のひとつひとつは、クラウスの教え子たち――カラヤン、スイトナー、ヴァルヴィーゾ――にたしかに引き継がれてはいるが、その微妙なバランスをそのままに継承することは、誰にもできなかったようだ。

しかし、作曲家の意図なるものを具現化するために、このようなモダニズムが要請されたわけではないような気がする。シュトラウスと同じように最小限の身振りできわめて抑制された振り方をするクラウスの解釈は主知的なもので、主観的なものではない。もちろん、そこに表出する粋なセンスや華やぎは、クラウスという音楽家を育てたウィーンの伝統に端を発するものであると同時に、クラウス個人のものでもあっただろう。けれども、クラウスの音楽の核心にあり、また彼の音楽を統合しているのは、なにかきわめて非主観的な、さりとて主観性なき客観性でもない、構築的な劇場感覚であったようにも思う。それがクラウスの音楽を、20世紀前半の遺物にすると同時に、時代性を超越した演奏の記録にしている。

*1:クラウスの生涯については、HMVのサイトに詳細な年譜がある。

Repulsive overwork (Kropotkin. "Anarchist Communism.")

"Overwork is repulsive to human nature--not work. Overwork for supplying the few with luxury--not work for the well-being of all. Work is a physiological necessity, a necessity of spending accumulated bodily energy, a necessity which is health and life itself. If so many branches of useful work are so reluctantly done now, it is merely because they mean overwork, or they are improperly organized." (Kropotkin. "Anarchist Communism.")