うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

原‐テクストからのこだま:フォーレのエチュード・ヴォカリーズの個性と無個性

パリのコンセルヴァトワールの院長就任翌年の1906年に作曲されたエチュード・ヴォカリーズは、まずなにより教育的な「練習曲」として意図されていたのかもしれないが、ここには、その後に紡ぎ出されていく晩年のピアノ曲や歌曲や室内楽曲に通じるような雰囲気がある。行きつ戻りつする循環的な旋律線、移ろいゆく和声、余白を開くような付点のリズム、そして、それらの相乗効果として生まれてくる、物憂げでありながら、切なく苦しいまでの憧れの雰囲気。

表面にあるのは、技術修練のための音高の跳躍や音価の変動であるけれど、随所で使われる半音階という連続とオクターブという不連続を切れ目なく繋ぎ合わせるやり方は、この曲がポスト・ワーグナーの時代に属することを、和声の色彩は、これが20世紀のフランス音楽と文脈を共有していることを、疑いないかたちで告げているし、ピアノの中音域の静かに自発的なムーブメントには、フォーレの個性がはっきりと刻印されている。

それに、さまざまな空耳も聞こえてくる。まるでベリオのシンフォニアを先取りするかのように。冒頭はシューベルトの『冬の旅』第7曲「川の上で」とそっくりだ。いや、既存の曲からの引用で出来たインターテクスチュアルなピースというよりは、あらゆる曲ーーすでにある曲、いまだない曲をふくめてーーの素材であるような断片のコラージュというべきだろうか。西洋音楽の原‐テクストからのこだまがある。

まちがいなくフォーレの作品でありながら、フォーレの個々の音楽作品のむこうにある、フォーレを越えた西洋音楽世界との共鳴が、この小品から聞こえてくる。

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作為の彼方の無造作:Thomas Demengaのバッハ無伴奏チェロ組曲

超絶技巧もここまでくると、適当に弾きとばしているかのように聞こえてしまうが、もちろんそんなことはない。作り込まれた自然さであり、突き詰められた融通無碍だ。

この軽やかにスルスル前に進んでいく流れは、バロック弓と低いチューニングによるところが少なくないだろうけれど、ボウイングとポジション移動がとにかく上手いせいでもある。

それでいて、要になる音は、ほとんど耽美的なまでに楽器の胴全体を共鳴させる。朗々とした響きが、音楽の流れを緩やかにたわませるし、そのときの弓圧の抜き方やスピードの加速減速が絶妙なのだ。

ここまでチェロが小回りの効く小器用な楽器に聞こえる演奏も珍しいし、それでいながら、ここまでチェロという楽器特有の厚みある深い音色の魅力がわかる演奏も珍しい。

無伴奏チェロ組曲は、無伴奏ヴァイオリン組曲ほど曲が頭に入ってないからというのもあるだろうけれど、初めて聞いたような気がするし、何度聞いても毎回まったく新しい演奏のような気がしてしまう。

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ポスト古楽器な溶け合う響きにオールディーな構築性:Danish String Quartetのベートーヴェン

『ニューヨーカー』アレックス・ロスが褒めていたDanish String Quartetは久々に「これは!」という演奏だった。旋律の叙情性をエスプレッシーヴォで表現しつつ、どの音もほかの音と意識的に重ね合わされている。

音を時間的にシンクロさせるのはわりと機械的にできてしまうと思うけれど、互いの音の距離感――音符の楽譜上の距離でもあれば、実際に出てくる音の空間的な距離でもある――をリアルタイムで感じながら、それにリアルタイムで応えていくのは、どうやっても長い下ごしらえの時間を必要とするプロセスだ。

それが極めて高いレベルで結実している。セカンドとビオラビオラとチェロのような、音域の近いところだけではなく、ファーストとチェロのような遠いところまで、丁寧に突き詰めてある。

古楽器的な広がる溶け合う響きを経由したあとの音であるけれど、ここでは、重層的に構築的な縦の響きをもういちど作り直しているように感じる。響きがきれいに調和しており、実際の音量以上に広がって聞こえる。実演で聞いたらさぞや倍音が美しいだろう。

何となく音が出ているだけという箇所がない。それは音楽をやるうえで当たり前のことではあるのだけれど、その当たり前のことをすみずみまでやりつくした演奏は稀だ。そしてこの団体はその稀な演奏をコンスタントにできる団体のようだ。

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20200104 Day12(最終日) 帰国便を待つあいだにエジプトのビールStellaを啜りながら綴られた断章的フィナーレ。

実在の響き、または鳴り響くクラクション。聴覚的な意味でいちばん驚かされたのは車のクラクションだ。最初は威嚇なのかと思ったが、ずっとこのけたたましい音を聞いていると、これはこれで機能的な騒々しさなのだと思えてきた。ここにもノイズ的で即興的なコミュニケーションがある。ドライバーは、交通法規という抽象的なものに従って運転するのではなく、他のドライバーという存在と競合しながら共存している。クラクションは存在証明であり、実在の響きなのだと思うことにした。

言葉のわからなさ、または視認できない文字。視覚的な意味でショックだったのは、アラビア語が記号としてすら認識できないということだ。もちろんこれは自らのアラビア語の無知を恥じ入るべきところではあるのだけれど、ここまでわからないままであるとはさすがに予想していなかったし、ここまで英語では通用しないことを思い知らされるとは予想していなかったけれども、この裏切られた予想は心地よいものでもあった。わからないままであったにもかかわらず、アラビア語という文字の美しさにはずいぶん惹かれていった。アラビア語を書けるようになりたいと思った。

ラテン語のなさ、またはアラビア語の聖書。文化的な意味でインパクトがあったのは、ギリシャ語のアルファベットやアラビア語で綴られた聖書だ。古代ギリシャの知見がアラビア語をとおして西欧に逆輸入されたことは、世界の知識として知っていたにもかかわらず、それを目の当たりにすると、なぜか驚いてしまう。エジプトの歴史的重層性のことをわかっていなかった。いや、単なる知識として覚えていたことと、それを理解のレベルにまで落とし込めていなかったこと、そのあいだに開けている亀裂の広さと深さを思い知った。

無邪気な差別、または個人的敵意なきカテゴリー的悪意。エジプト人しかいないようなモールを好奇心から散策していたとき、何とも言いがたい視線を感じた。フードコートに行き、ただひとめぐりして去っていくと、メニューを持って寄ってきた数人の若者たちから、何とも言えないディスりの舌打ちをされた。これを「差別」と呼ぶことはためらわれるけれど、ここで向けられた好奇心と地続きの悪意は、「わたし」というシンギュラーな個人ではなく、「わたし」の単なる一属性にすぎない「日本人」というカテゴリーにたいして向けられたものであったように思う。そしてそれはもしかすると、「黒人」差別や「女性」差別と似たたぐいのものなのかもしれない。あの嫌な居心地は進んで味わいたい代物ではないとはいえ、それを体感できたのは、貴重な経験だったように思う。

 

ここからは補遺的な観察を。くわえタバコがここまでまだまかりとおっているとは思わなかった。喫煙が容認されているのはわからなくもないが、くわえタバコはまた別の問題だと思うのだが。

敷物を好むのは、もしかすると、エジプト的というよりはアラブ世界に共通のことなのかもしれないが、とにかく敷物がマストアイテムであるように思う。アレクサンドリアに泊まった安宿でさえ、ベッド足元やベッド脇に敷物があった。モスクの床は敷物で埋めつくされている。それはもしかすると、一枚の絨毯ですべてを覆う代わりに、小さな敷物を敷き詰めているだけなのかもしれないけれど、敷物がお祈りの道具でもあることを思うと――お祈りのさいに跪くから――敷物には単なる生活必需品以上の意味合いがあるのかもしれないけれど、たとえそうだとしても、敷物にたいする愛のようなものがなければ、それを家の床にまで敷き詰めようとは思わないようにも思う。

エジプトでオフィシャルに使われる英語はブリティッシュ・イングリッシュだ。日付も英国式(日/月/年)だし、階数の数え方も英国式(地階、1階、2階…)だ。とはいえ、街で話されているカタコト英語はそうでもない。アメリカ英語とも言いがたいし、エジプト的な(というかアラビア語的?)訛りのある英語になっている。

頭に載せるか肩に載せるか。エジプトでものを運ぶとき、女性は頭のうえに載せて背筋を伸ばして歩き、男性は肩と首のあいだに載せて背中を丸めるように歩く。本当の理由はわからないが、ふと気づいたのは、女性はスカーフを待ち針のようなもので留めている(しかも、スカーフの襞をそうしているだけではなく、スカーフと上着までをそうやって留めている)ので、肩に荷物を載せるとスカーフがズレて厄介なことになるからかもしれない。

5倍の価格差。美術館や博物館のエジプト人価格と非エジプト人価格の差はだいたい5倍のようだ。400と80、100と20というように。

Made in Egypt。これは外貨の問題や国内労働力の安さの問題のせいなのだとは思うけれど、エジプトで売られている使われているものの多くはエジプト産であるように見えた。たとえばタオル。安宿でも、高級宿でも、タオルはエジプト産である。スーパーでわりといろいろな食品を見たけれど、エジプト産が多い。

穴があれば捨てる。エジプト人は自らのスペースを綺麗にする傾向にあるけれど、その一方で、パブリックスペースの清潔さや清浄さにたいしてわりと無頓着なところがあるようにも思う。街でも遺跡でも、穴があればゴミがある。熱心にショーウィンドウを磨いているところ、丁寧に道路を掃いているところを見るにつけても、この性向は不思議でならない。

 

耳にはまだクラクションのかん高い音と、粗悪な拡声器から流れてきて街中に反響する礼拝を告げるアザーンの旋律がこだましているし、書くこと、書くべきこと、書きたいことはまだ後からわいてきそうな気もするけれど、搭乗開始時間まであと30分。ここでこの滞在記とも旅行記とも言いがたい観察記断章を断ち切ることにする。

20200104 Day 12(最終日) マニアル宮殿と博物館。

観光に使えるのは午前中だけなので、近場でどこかひとつという話になり、ロンリープラネットが挙げるカイロで見るべき8ヵ所の8番目にランクインしているマニアル宮殿と博物観に行ってみる。ここは19世紀初頭にエジプトの近代化を成し遂げたムハンマド・アリーを祖とする王朝の人間が19世紀後半に作らせた邸宅だというが、まあ良くも悪くも、趣味が悪い。友人は「秀吉の茶室」と言うが、なるほどと思う。

成金趣味というとあまりな言い方ではあるけれど、装飾過剰というか、空白恐怖というか、とにかくスペースをいっぱいに埋めつくそうという執拗な欲望を感じて、それがちょっと薄気味悪いほどだ。贅沢ではあるし、手は込んでいる。内装を青いタイルで埋めつくしてみたり、装飾のある壁にさらに装飾のある家具を合わせてみたりと、組み合わせが上手くない感じがしてしまう。そしてそれはまさに、センスの問題であるように思うのだけれど、そう書いてみて、もしかすると日本人的な感性からすると、くどくてしつこいように見えるこの重ね合わせこそが、エジプト的な美意識の基調にあるのだろうかという疑問もわいてきた。

もちろんここで言う「エジプト」が何を意味するのかは、難しい。ムハンマド・アリはアルバニア系だったと言うし、オスマントルコの影響もあれば、イギリスの影響もある。だからここには、さまざまな文化趣味が混在しているはずであるし、それはもしかすると、明治近代の西洋趣味にたいして一般庶民が持ったかもしれない印象と、パラレルな部分があるようにも思う。借り物としての西欧趣味であり、そこで残存し続ける土着的な美意識である

とはいえ、ここに訪れている人たちを見ると、この装飾の豪奢さにストレートに感銘を受けているようにも見える。こちらの見方がひねくれているのは事実ではある。昨日、ハン・ハリーリで「質実剛健」(友人談)なものを立て続けにみたからこそ、逆にこの実質のある虚飾のけばけばしさが空しく見えてしまうだけなのかもしれない。

それにしても、動物好きと狩猟好きというのは、両立する趣味なのだろうか。

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20200103 Day 11 アズハル・モスクとムイッズ通り。

アズハル・モスクは10世紀終わり、ファティマ朝初期に建てられたモスクであり、カイロのイスラム建築のなかでも最初期に当たるばかりか、現在でもイスラム神学の中心的な地位を占める場所であるらしい。近くにはアズハル大学がある。東南アジアのイスラム教の若者が留学する場所らしく、東南アジア系の若者がモスクに向かて歩いていくのを多数見かけた。

モスクの建築様式の違いは結局最後までよくわからないままだったけれど、古いものは、柱が多く、そこまで天井が高くない気はする。しかし、広い石の広場があり、尖塔があるのは、時代を超えた共通の要素であるらしい。

イスラム教はイスラム教徒の生活の深いところにまで入り込んでいるというのは、毎日の生活が1日5回のお祈りというリズムによって動いているところに如実に現れているけれど、エジプトで目の当たりにしてみてなるほどと思ったのは、なんとも多くの人々がお祈りの時間にモスクに詰めかけ、静かに座り、説教に耳を傾け、お祈りをしているということだ。多くの人が同じ空間に集まり、同じ言葉を聞き、その空気を体内に取り入れているということだ。

考え方や感じ方のレパートリーは、そうした礼拝をとおして形づくられていくように思うし、もしそうだとすれば、そのようにして内面化されるレパートリーは本質的に共同的なものだろう。しかし、もしそうだとすれば、そこで西欧近代的な意味での個人主義というのはどのようにして芽生えるのだろうか。西欧近代個人主義が絶対的な善であるとか、絶対的な真であると言うつもりはない。アラビア語が分からないので、声の調子や速度、抑揚や声量にもとづく印象でしかないのだけれど、何かとても熱のこもった炎のような説教がスピーカーから流れてくるのを、モスクの外にまであふれた人びとが芝生のうえに座り、沈静するように、沈思するように、静かに厳かに聞いている神聖な姿を目の当たりにすると、そこで個人主義的な感性のレパートリーがそもそも可能性の地平に入っているのだろうかと、やはり、どうしても考えてしまう。

 

ムイッズ通りはハン・ハリーリのなかのほうにある。たった100エジプトポンドで8つもの施設を見ることができた。これはおそらくこれまで観光してきたなかで、もっともお買い得で、もっとも満足度が高いものだった。

これらの施設は13世紀から14世紀ぐらいに作られたものらしいが、アズハル・モスクと違って、天井が高く、装飾も壮麗である。

立て続けに密度の高い鑑賞をすることで、見えてきたものはある。たとえばイスラム建築は窪みにこだわっているのだろうという点だ。メッカの方向を示す壁の窪みがモスクのなかにあることは知っていたけれど、壁の装飾にしても、凹みが重要な要素をなしているのではないかという気がした。それはレリーフを基調としたファラオの建築物とは大きく異なるものだろう。

内観と外観には大きなギャップがある。たしかに入口の装飾は手が込んでいるし、扉は精巧な細工がある。けれども、壁はただの石積みだったりする。そしてそのただの石積みの内部には、ため息が出るほど細かな幾何学模様がある。

モスクは光を重視している。それは光がアラーの象徴であるからなのだろう――それを思うと、ハン・ハリーリでランプ的なものを売っているのは、宗教的に正しいのかもしれない。だからモスクにしても廟にしても、天井からランプを吊るす鎖というか紐のようなものがある。

ステンドグラスがあるのも、光を重視するがゆえなのだろう。しかし興味深いのは、そのステンドグラスにしても、外からだとそうは見えない。外から見ると、細工ものの格子で覆われているが、内側から見るとステンドグラスになっている。だからモスク内部に注ぐ光の効果はかなり穏やかであると言ってもいい。

モスクには天に開けた部分があるようだ。中庭というのとは違うように思う。それはキリスト教の教会が、たとえどれほど天井が高かろうと、究極的には閉じた空間であるのとは裏腹に、モスクはどこかで空に繋がっているような感じがするし、その空は、比喩的な意味での天空ではなく、この世にある実際の空であるような気がする。

色味の感覚は、時代によってずいぶん変わっていったのかもしれない。10世紀あたりのものだと、モノトーンというか、色というものを想起させない感じがあるけれど、13、14世紀ぐらいのものだと、ややくすんだ感じの白と黒の落ち着いたコントラストがあり、そこに暗めの青がある。これがオスマントルコ帝国時代になるともっと目の覚めるような青が入ってくるような感じがする。

扉の重要性。これは教会でもそうなのだろうけれど、イスラムのほうが、扉の装飾にこだわっているような感じもする。何となく木の扉は彫り物だと思っていたのだけれど、指物であることに気づいた。つまりパーツをはめ込んだものであり、細かな幾何学模様にしても、掘っているというよりは、パーツを組み合わせて出来ているのかもしれない。

シンメトリ。同じ模様が続いているようで、実はそうでもない。シンメトリという大原則はあるが、似たような模様のなかにさまざまなバリエーションがある。

コーランの一節がいたるところで図像化されている。アラビア語自体がすでにきわめて装飾的なのか、そのように描かれているのかはよくわからないけれど、文字がデザインであり、デザインが文字であるという部分はあると思う。文字は意味である以上に、かたちであり、神の存在証明であり、神の実在そのものであるかのように。

 

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20200103 Day 11 ハン・ハリーリ市場。

日本のガイドブックではショッピングの項目で真っ先に取り上げらる場所ではあるけれど、正直、そこまで面白い場所でもない。日本の観光地によくある土産物屋の大集合体という感じだ。安かろう悪かろうとまでは言わないが、オーセンティックとは言いがたいまさに土産物クオリティなものが、あちらでもこちらでも、所狭しと並べられている。

もしかすると面白いのは店員の話すカタコトの日本語かもしれない。ピラミッド周りのラクダ業者や馬業者の呼び声が「Hey Japan!」的なぶしつけなものであったのにたいして、ここで投げかけられる日本語はもっと柔らかいものだし、どこでそのフレーズを仕入れたと聞きたくなるようなものがあったりする。たとえば、「価格破壊」。

ここでも声掛けは執拗ではあるけれど、彼ら(そう、声をかけてくる店員は男ばかりだ――いや、店員自体がそもそもほとんど男なのだから、当然と言えば当然か)はそれぞれの店の従業員であるからこそ、店先から離れてつきまとってくることがない。立ち去れば彼らの声は届かなくなる。それは気軽でいい。

土産物とはいえ、石彫りの動物の置き物のようなものになると、必然的に「ハンドメイド」になり、だからこそ、ひとつひとつの商品に微妙な出来不出来があり、なかにはなかなか味わい深いものがあったりする。

そんなカバの置き物を買おうとするが、ひとりの店員は150といい、彼が店の奥に引っ込んだ後もまだ店先で商品とにらめっこしながら迷いながら、そばに立っていた別の店員に聞くと、250と言う。さっきの店員は150だったぞというと、じゃあ150となる。「50」「それは無理だ、120」「80」「120」というようなやり取りを繰り返し、100で商談成立となる。これでもぼったくられているのだろうとは思うものの、100エジプトポンドは日本円にして700円ちょとであり、いつも言っている蚤の市価格を考えると妥当な気もしてしまう。

いい感じのブロンズ製の動物の置き物――ラクダとかアルパカとか――を、静岡の蚤の市で見かけるたびにいろいろ買っていた。買うたびに、「これはたぶんエジプトとか中南米に旅行に行った人が土産として買ってきたんだろうな」と思っていたのだけれど、今回、その仮説が実証された。自分が所持しているのと似たようなラクダの置き物を随所で見かけた。

ざっと見た感じ、大部分の売り手は大量生産品を売っているが、なかにはかなりちゃんとしたアンティークを売っている店もある。そうした店は、懐が深いというか、余裕がある。アグレッシヴに売りつけてくることはない。自分たちの売っているものが本当に価値あるものだと知っている者だけが持つことのできる悠然としたたたずまいがある。

そんな店で、アンティークな感じのタイルを3枚買う。一枚100エジプトポンドだというが、3枚あったのをまとめて買うから負けてくれというと、250という。真っ当なラインだと思い、買うことにすると、新聞紙で包む前にこれが買ったもので間違いないですよねという確認のためにタイルを実際にこちらに見せてから包み始める。包むにしても、タイル同士がぶつかり合わないよう、あいだに新聞紙をかませ、丁寧に折り込んできっちりと梱包し、その上からテープで留めてくれる。対応をしてくれたのは30代くらいの若い男性だったが、ほんの1畳くらいの間口の狭い店内には、中央にひとひとりがどうにか通れるぐらいの通路を残して、両側に商品がうず高く積まれていた。店先では、男性の父親だという人が、アンティークな感じの椅子にゆったりと腰かけ、コーヒーを飲みながら、悠然と新聞を読んでいた。きれいに梳かされた白髪、きれいに揃えられた髭、身体になじんだジャケット。かまびすしいテーマパークのような市場のなかで、彼だけが、別の文化圏に属し、別の時代を生き、別の世界に居るかのような雰囲気をただよわせていた。

市場の外れにある城門そばでは、10代ぐらいの若者が数多くいた。こちらのファッショナブルな若者のトレンドの髪型は、どうやら、上の毛はちょっと長めにのこして、サイドはツーブロック風に刈り込み、上の毛をモヒカンっぽく、しかしジェルできっち固めてしまうのではなく、ちょっとウェービーな動きのある感じにまとめる、というもらしい。そんな髪型をした若者をカイロの街角で見かけないのはなぜなのだろうかとふと思ったけれど、もしかすると、年齢層がちょっと違うのかもしれない。そして、そのちょっとの年齢差が、若年層の多いエジプトでは、大きな違いなのかもしれない。ハン・ハリーリで見た若者たちは基本的にティーン(10代半ば)だと思うけれど、カイロの街角で歩いている若者たちは若くても10代後半から20代前半なのかもしれない。確信を持って言い切れるほどにカイロを見たとは到底言えないけれど、年齢層と行きつけの場所のあいだには、ある種の相関関係があるような気はする。

 

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