うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

空虚な巨大さ:アイロニストとしてのロリン・マゼール

ロリン・マゼールの作り出す音楽の空虚な巨大さはひたすら不気味だ。全体の構えは大きく、音は停滞を嫌うかのように勢いよく流れていく。引き締まった硬めのリズムが小気味よい。それでいて、柔軟さに欠けているわけでもなく、しなやかさもある。抒情的な歌謡性もある。欠けているところはない。おかしなところもない。にもかかわらず、音響的には完璧に近い充実が、音楽的な充実につながっていない。そこがなんとも奇妙である。

マゼールのバトン・テクニックは怖ろしく的確だ。つねに実音の少し先の未来を空間にフィジカルに描き出す。すべてをコントロールするというよりも、入りをとくにはっきりさせることで、奏者を自らの方向に誘導しているようなところがある。

だから、歌い回しや音色の作り込みについては、奏者の自発性に任せているような部分もあって、わりと無造作な感じもする。暗譜力はすさまじいものだったとどこかで読んだ記憶がある。ことさら細部を強調するようなことはしないが、全体のバランス感覚が抜きん出ている。マゼールには音楽のアーキテクチャが、かたちとしてはっきり見えているのだろう。それも、静止画としてではなく、流動する動画としての見取り図が。

明晰なリズム感、確かなフレーズ感覚、どれだけ音が増えてきても冷静にさばくことができる莫大なキャパシティ、そして、低音から高音までバランスよく響かせることができる俯瞰的な耳。彼に欠けているものはおそらくほとんどない。にもかかわらず、マゼールの指揮する音楽ほど虚ろに響くものもない。

どこまでも外面的で、表層的で、内面を持たない――けれども、中身のなさを理由にマゼールを批判するのは完全に的を外している。物理的な音響としては充実しているにもかかわらず、どこか虚ろである音楽という特異さこそ、究極的なアイロニストであるマゼールの指揮が目指すところではないだろうか。

音楽一家に1930年に生まれたマゼールは完全な神童であり、8歳にして指揮を始め、11歳にしてトスカニーニのオーケストラであったNBC交響楽団を振っている。彼の指揮の先生であるロシア系のヴラディミール・バカレイニコフは、シンシナティ交響楽団音楽監督であったフリッツ・ライナーの招きで同オーケストラの副指揮者兼主席ヴィオラ奏者となり、ハリウッドに移り住んでクレンペラー時代のLAフィルの副指揮者になり、その後は、ピッツバーグ交響楽団音楽監督に就任したライナーの招きでふたたび彼の助手を務めた人物だった。メトロポリタン歌劇場で20年にわたって第一ヴァイオリンを務めたという祖父はユダヤウクライナ人、父は声楽家で、声楽とピアノの教師。フランス生まれでアメリカ育ちのマゼールの音楽のバックボーンには、ロシア的なものとハンガリー的なものがあると言っていいだろう。

多様なバックグラウンドを持つマゼールは、カテゴリー化を拒むところがある。バイオリンも弾くし、作曲もするマゼールの指揮レパートリーはかなり広かったし、VPOとはチャイコフスキーシベリウスマーラーを、クリーブランドとはベートーヴェンブラームス交響曲全集を録音しているし、バイロイト音楽祭に若くして登場し、『指環』全曲を振り、のちには声なしのオーケストラ版に『指輪』を編曲してもいるが、だからといって彼をワーグナーの専門家と見なす人はいないだろう。ディスコグラフィ的にはバロックが手薄で、このクラスの指揮者にしてはバッハの録音がない(と思う)のが珍しいところではある。

録音会社に恵まれなかった部分もあるかもしれない。最初期のヨーロッパでの録音はドイツグラモフォン、60‐70年代はデッカ、80‐90年代はSony、それ以降はグラモフォンと、契約会社が変わっており、たとえばハイティンクのように、ひとつの会社ひとつのオケとの長期にわたる仕事というものがない。

オーケストラにも恵まれているようで恵まれていない。ウィーン国立歌劇場の総監督にはなったが、任期は短く、ベルリンフィル音楽監督の座はアバドに奪われた。主流にすこしのあいだ身を置くことができた後で、マゼールはつねに傍流に逸れていってしまう。おそらく、彼にとっては、不本意ながら。

だからこそ、と言うのは論理の飛躍があるけれど、マゼールの音楽がアイロニー的なものの化身であることは、やはりまちがいないように思う。マゼールの音楽にストレートな感情移入はありえない。たとえば、カラヤンナルシシズムは、どれほどフェイクであれ、どれほど演技的なものであれ、依然として、没入を前提とした態度であり、だからこそ、カラヤンが『パルジファル』の録音時に涙したというエピソードはいかにもありそうなことのように聞こえる。

しかし、マゼールにはそのような没我の瞬間はありえないように思う。どれほど音楽が昂揚しようと、マゼールの意識の過半数はその外部で冷めている。音だけを聞いていると、ずいぶん熱血だと思うけれど、音を統率するもうひとつ上の審級に耳を傾けると、決して熱することのない永久凍土のような理性の硬質な響きが聞こえてくる。

それはもはや分裂といっていい事態だ。抒情的な歌い合わしと、理性的なアーキテクチャーが、いわば相互に分離したままひとつの主体において共存させられている。

マゼールの指揮は、究極的には、中央集権的なものである。独裁的ではない。個々の細部のニュアンスまでコントロールしようとはしない。しかし、それらをどのタイミングで、どのように配置するのかについて、マゼールはどこか奏者を信用していないのではないかという気もする。奏者同士でコンタクトを取らせるよりも、個々の奏者と指揮者のあいだに一対一のコミュニケーション回路を開き、それを彼自身のなかで整理してしまう。その意味で、マゼールの音楽は室内楽的なアンサンブルからほど遠い。

マゼールの音楽において響きが溶け合わないのは、そういう理由ではないかという気がする。隈取は深く、輪郭線がはっきりしているが、倍音が共鳴し合って音が何倍にも膨れ上がっていく感じがない。

マゼールの音楽は、線の太さで空間を埋めようとする試みだが、彼自身が基本的な枠組みがあまりにも大きすぎて、不必要なまでの余白が残ってしまうのだけれど、そのような大きな隙間が音楽には転化しないところに、そのような隙間を雑に塗りつぶすことをよしとしないところに、マゼールの特異な美意識があるように思う。余白が、たんなる余白として残る。巨大なキャンバスと、それを埋め尽くすことがないクリアで強い線。マゼールの音楽ほどつまらなくおもしろいものもない。

youtu.be

『マイスタージンガー』のハンス・ザックスの革命性

ドイツ語再勉強のためにワーグナーの『ニュルンベルクのマイスタージンガー』のリブレットを読みながら、このオペラにおけるハンス・ザックスの立ち位置がわからなくなってきた。

彼がニュルンベルクにおいて尊敬を集める人物であることはまちがいない。ギルドの組合員たちに信頼されていることは、彼が3幕の歌合戦の前口上を任されていることからもわかる。

しかし、ザックスが絶対的な権威なのかというと、そういうわけでもない。1幕の議論であきらかになるように、彼は一貫して教条主義にたいして批判的であり、マイスターたちが作り上げてきた規則より、民衆のいわば無意識的な感性にこそ、芸術の生命を見出だそうとしている。

民衆のなかにあるものを体現する存在としての芸術家というビジョンを、ワーグナーは1848年の革命前後に執筆した文章のなかで提示している。ジョージ・バーナード・ショージークフリートバクーニンの姿を見ていたが、ザックスにもその片鱗は見て取れるように思う。

ザックスは実在の人物であり、ルターの宗教改革を支持したというが、そのあたりも含めて考えると、ザックスは決して一筋縄ではいかない多義的なキャラクターだ。

だとすれば、3幕最後のあのナショナリズム的問題発言――ドイツの民と王国(Reich)が、まやかしの異国[ロマンス系]の支配(falscher wälscher Majestät)に脅かされている――を、どう捉えればいいのか。この危機意識こそ、第三帝国におけるワーグナープロパガンダ的使用に繋がっていくものだろう。オペラ幕切れの「ザックスを讃えよ Heil, Sachs!」は、ヒトラー以後、完全に汚染されたフレーズといわざるをえない。

しかしながら、この直前でコーラスが繰り返すザックスの結びの言葉は、「神聖ローマ帝国は霧に溶けようと、真正なるドイツの芸術は変わることなく残りますように!(zerging' in Dunst/ das heil'ge röm'sche Reich,/ uns bliebe gleich/ die heil'ge deutsche Kunst!)」であり、それは政治による芸術の庇護というよりも、政治を超越する芸術への希望の表明であるようにも思う。VolkもKunstも、いわば、前‐政治的なものである(もちろん、だからといって、それらが政治的に利用されないわけではないが)。

喜劇である『マイスタージンガー』は矛盾に充ちている。エヴァは歌合戦の「賞品」である。その父ポーグナーは、マイスターの芸術を讃えるために、愛娘を歌合戦の勝利者に妻として与えると高らかに宣言するが、彼女に拒否権を与えるかどうかでギルドの議論は紛糾する。ヴァルターに惹かれつつ、ザックスに歌合戦に出るように促すエヴァは、純真な町娘ではなく、『パルジファル』のクンドリーのような無意識的誘惑者に連なるキャラクターではないか。

ザックスやエヴァの多義性に比べると、ヴァルターはわりと1次元的で、ひねりがない。しかし、「騎士(Ritter)」と呼ばれ「貴族(Junker)」階級の彼が、自らの「地所と城(Hof und Schloss)」を後にして、「都市市民=ブルジョワ(Bürger)」になるためにニュルンベルクに来たという設定は、彼が、中世的な封建制都市国家(本作品の歴史的文脈)と、近代的な市民社会ワーグナーの生きた19世紀の状況)を架橋する象徴的存在ということなのかもしれない。事実、ヴァルターは、1幕のアナーキックな歌を、フォームにはめることによって、3幕の歌合戦をものにする。それはいわば、貴族階級が町人階級に絡めとられるプロセスでもある。

ベックメッサ―にたいする扱いには、徹頭徹尾、悪意が込められている。モーツァルトは、たとえプロット的にもキャラクター的にも悪辣な役柄にも、それらを贖うような音楽を贈った。たとえば『魔笛』のモノスタートスだ。部下たちにはあざけられ、上役からは残酷に扱われ、女性に言い寄っては拒まれ、姦計をつくして自らの望みをかなえようとするモノスタートスは、嫌われ役である。しかしそのような彼にモーツァルトは素晴らしく美しいアリアを歌わせる。それはワーグナーが決してやらなかったことだ。ベックメッサ―は、音楽においても、あざけられるばかりである。同じことは、ワーグナー反ユダヤ主義の表現と見なされるミーメにも当てはまる。彼らに割り当てられた旋律はひたすら滑稽で、馬鹿々々しい。ここにワーグナーという人間の本源的な悪意を感じないわけにはいかない。

ともあれ、リブレットを見ながら音源を聞いてみると、ドイツ語ネイティヴの指揮者とオーケストラとキャストの録音であれ、言葉が完全に音楽にはまっているわけでもないらしいことに気がつく。というより、かなりの部分で言葉は旋律にはならず、シェーンベルクがシュプレッヒゲザング(語られる歌)と後に呼ぶようなものに接近しているのではないかという気もしてくる。

重唱部分、とくにコーラスが入り乱れる2幕後半は、まさにカオスな喧噪であり、歌詞は聞き取れないのが正しいのかもしれないし、3幕におけるコーラスとザックスの対話は、形式的にいって(個と集団の対話の表象として)かなり革新的なのではないかとも思うが、ヴェルディの『ファルスタッフ』あたりと比べると、いまひとつうまくない。

豊饒な抒情性:ジャン・ジロドゥ、安堂信也訳『ジークリート』(白水社、2001年)

ジャン・ジロドゥの処女戯曲ではあるが、ジロドゥはすでに小説家としてデビューしていた。そしてこの戯曲はすでに出版していた小説の改作であるという。小説のほうは読んでいないので、小説から戯曲へのアダプテーションにおいてジロドゥが何を行ったのかを論じることはできないけれど、この作品がジロドゥの自伝的側面を反映していることはまちがいないように思う。

フランス人ジャーク・フォレスティとして第一次大戦に従軍し、記憶をなくし、ドイツ人の政治家ジークリートとして頭角を現し、彼を訪ねてきた過去の婚約者ジュヌヴィエーヴと再会して記憶を取り戻し、ドイツ人としての過去のない現在を捨てて、フランスという過去のある未来に帰還する。

ジロドゥはポール・クローデルのように外交官兼文学者であり(ただし、官僚のランクとしては、大使クラスであったクローデルに比べると、ジロドゥは全権公使クラス止まりではあった)、ドイツ文化に深く通じていた。第一次大戦に従軍し、負傷によって生き延び、勲章を得た。

ジークフリート』は戦後のお話ではある。しかし、リアリズムを忌避し、象徴主義的なものに憧れた劇作家にふさわしく、特定の日付が絶対的な要件として想定されているわけではない。しかし、にもかかわらず、ここには戦後の歴史的状況の反響がたしかにこだましている。帝政ドイツを転覆した革命、ワイマール共和国の樹立。普仏戦争以来の独仏の微妙な関係の陰翳が浮かび上がってくる。

ドイツ文化を愛しながら、ドイツ的なものを全面的に受け入れるわけではないし、ドイツ的なものをフランス的なものに優越させるわけではないフランス人のアンビヴァレンスが哀しいまでに浮上してくる。

その一方で、「ジークフリート」神話が下敷きになっていることも明らかだ。はたしてこれがワーグナーの「ジークフリート」なのか、ゲルマン神話における「ジークフリート」なのかはよくわからないけれど、恐れを知らぬ者としてのジークフリートでも、ドラゴンの討伐者としてのジークフリートでもなく、記憶の忘却者としてのジークフリートワーグナーでいえば『神々の黄昏』のジークフリート)であることはまちがいない。

ジロドゥの神話的素材の扱いは、ラシーヌのような古典派による神話の本歌取りとは大きく異なる。ラシーヌにおいてもある種の「現代化」はあるとはいえ、そこでは歴史的アナクロニズムは不可抗力のようなものであったと思う。ジロドゥの場合、歴史的アナクロニズムこそが方法であり、現代化は作劇の条件となる。ジロドゥのジークフリートは、野生児ではなく、洗練された文明人である。しかし、それでいて、どこか神話的な倍音がある。

とはいえ、ジロドゥの真骨頂は、フレームワークにおける神話からの本歌取りの巧みな操作ではなく、個々の台詞が表出する微細な心理分析やその抒情性にある。大きな劇的なカタルシスではなく、瞬間に凝縮されたイマージュにこそ、ジロドゥのテクストの豊饒さがある。その意味で、ジロドゥは、モンテーニュパスカルなどに連なるエッセイストというべきなのかもしれない。

あなたのランプも、あなたを待っている。あなたのイニシヤルの入ったレター・ペーパーもあなたを待っている。あなたの大通りの並木も、あなたの飲物も、流行遅れになった洋服も。なぜだか、私は、それに虫がつかないようにしておいたわ。そして、あの洋服を着て、はじめてあなたは落ちつけるんだわ。ものの食べ方、歩き方、挨拶の仕方、そうしたものがいつの間にか着せる見えない洋服、私たちが子供の感覚で集めた味と色と香りの不思議な調和、それこそ、本当の祖国、それこそ、あなたが求めているものだわ . . . 動物たち、昆虫たち、草木、そして、同じ花から出ても国によって違うあの香り、そういうものをもう一度発見した時、はじめて、幸福に生きられるのよ、たとい、あなたの記憶が空虚でも。だって、そうした動物たちや草木こそ、記憶の織糸なんですもの。(109-10頁)

Ta lampe t’attend, les initiales de ton papier à lettres t’attendent, et les arbres de ton boulevard, et ton breuvage, et les costumes démodés que je préservais, je ne sais pourquoi, des mites, dans lesquels enfin tu seras à l’aise. Ce vêtement invisible que tisse sur un être la façon de manger, de marcher, de saluer, cet accord divin de saveurs, de couleurs, de parfums obtenu par nos sens d’enfant ; c’est là la vraie patrie, c’est là ce que tu réclamess. . . . C’est seulement quand tu retrouveras tes animaux, tes insectes, tes plantes, ces odeurs qui diffèrent pour la même fleur dans chaque pays, que tu pourras vivre heureux, même avec ta mémoire à vide, car c’est eux qui en sont la trame.

あなたのランプがあなたを待ってる、あなたのレターペーパーのイニシャルが待ってる。あなたの並木道の木々、あなたの飲み物、わけもわからないままシミから守った、流行遅れの洋服。そういうものに囲まれて、あなたはやっとくつろげるようになる。この目には見えない衣、食べ方、歩き方、挨拶の仕方が織りなす着物、わたしたちが持ち合わせている子どものような感覚がつかまえた味、色、香りの妙なる調和――そこにこそ本当の祖国がある。そこにこそ、あなたの求めるものがある . . . あなたの動物を、あなたの昆虫を、あなたの草木を、同じ花でも国が違えば変わってくるあの匂いをもういちど見つけられたとき、そのときこそ、あなたは幸福に生きられる。記憶は戻っていないとしても。記憶の緯糸って、そういうものから出来ているから。(私訳)

 

アメリカ観察記断章。フランス語のon。

To which extent is the French language enriched by "on"? It seems to me that Zola's writing style is almost inconceivable without this impersonal but still participatory pronoun. Probably this is the case with any French writer. I mean, I was quite a bit surprised at finding how clearer English sentences sound compared to French ones. This might be comparable to the rich ambiguity of French music and the quasi-Germanic articulatedness of English music. Debussy and Elgar.

感情と時間を混ぜ合わせる(ウルフ『灯台へ』)

To her son these words conveyed an extraordinary joy, as if it were settled, the expedition were bound to take place, and the wonder to which he had looked forward, for years and years it seemed, was, after a night's darkness and a day's sail, within touch. Since he belonged, even at the age of six, to that great clan which cannot keep this feeling separate from that, but must let future prospects, with their joys and sorrows, cloud what is actually at hand, since to such people even in earliest childhood any turn in the wheel of sensation has the power to crystallise and transfix the moment upon which its gloom or radiance rests, James Ramsay, sitting on the floor cutting out pictures from the illustrated catalogue of the Army and Navy stores, endowed the picture of a refrigerator, as his mother spoke, with heavenly bliss. It was fringed with joy. The wheelbarrow, the lawnmower, the sound of poplar trees, leaves whitening before rain, rooks cawing, brooms knocking, dresses rustling—all these were so coloured and distinguished in his mind that he had already his private code, his secret language, though he appeared the image of stark and uncompromising severity, with his high forehead and his fierce blue eyes, impeccably candid and pure, frowning slightly at the sight of human frailty, so that his mother, watching him guide his scissors neatly round the refrigerator, imagined him all red and ermine on the Bench or directing a stern and momentous enterprise in some crisis of public affairs. (Woolf. To the Lighthouse.)

「彼女の息子にこれらの言葉が並みならぬ歓びをもたらしたのは、あたかも予定はこれで決まり、遠出は確定した出来事になったかのようだったからで、待ちに待った畏れと驚きが、さて、何年越しのものだろうか、あとは夜の暗闇と翌日の航行を待つばかり、それさえ済めば、手で触れられるところにあった。ほんの六歳にして、あの偉大な一族に名を連ねている彼女の息子は、一族の常として、あれこれの気持ちを切り離すことができず、これから先に起こるかもしれないことが、そこで感じるかもしれない歓びや哀しみと一緒になって、いまここで手の届くところにあるものに暗雲を投げかけるのを止めることができない――というのも、そのような人々はごく幼いときでさえ、感覚の車輪のわずかな回転に、陰りや輝きが安らぐ瞬間を結晶化させ、固定させる力が備わっているからだ――だからジェイムズ・ラムゼイは、床の上に座って、「陸海軍百貨店」の挿絵付きカタログのなかの写真を切り抜きながら、母が言葉を発したとき、冷蔵庫の写真に天上の幸福を授けたのである。切り抜きは歓びに縁取られていた。一輪の手押し車、芝刈り機、ポプラの木のざわめき、葉は雨の前に白色が濃くなる、カラスはカーカー鳴く、ホウキはコツコツと鳴る、ドレスはサラサラと衣ずれする――こうしたことすべてが、彼の心のなかでは、はっきりとした色や形を帯びたので、彼のなかにはすでに自分だけの暗号が、秘密の言語が出来上がっていたのだが、外から見た彼は、高い額と烈しい青い目、非の打ちどころのない純真無垢な面差しと相まって、妥協を知らぬ無骨な厳しさの化身であり、人間の弱さを見るとわずかに眉をひそめるので、彼の母が、冷蔵庫のカーブしたかたちをきっちりとなぞるようにハサミを動かす息子の姿を注視しながら思い浮かべたのは、赤い服に白い毛皮をまとって裁判官の椅子に座る姿、公事の危機に際して一大難題を指揮する姿であった。」(ウルフ『灯台へ』)

 

高橋アキの直感的なピアニズム:高橋アキ『パルランドーー私のピアノ人生』(春秋社、2013)

高橋アキのなかにはかなりはっきりとした音響世界があるようだ。そしてそれは、サウンド的であると同時に、ビジュアル的なものでもある。通り抜ける風、きらめく水面。

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その系譜に連なるのが、武満徹であり、モートン・フェルドマンであり、そして、学生時代に先生に卒業課題として出されたというフランツ・シューベルトなのだろう。繊細な推移の音楽。音量というよりも、音色の濃密による変化の音楽。

今考えてみてもシューベルトを通してその頃学んだことは私にとって大事なことばかりであった。たとえば指先に神経をかよわすこと――つまりタッチによってさまざまな音色が得られることへの示唆。先生はよくclair-obscurという言葉を使われた。これは絵画でつかわれる濃淡、ぼかし、明暗法というような意味である。また、シューベルトの音楽の大きな特徴である一見平面的な流れの中の瞬間瞬間のきらめき――たとえば同じメロディを一オクターブ上下に動かすことによって、または同じメロディを長音階短音階の間でさまよわせることによって、また経過的にくりひろげられる店長の微妙さによって得られるこうしたきらめきを生かすための即興的ともいえるような自発的意志。(231頁)

高橋アキがサティに傾倒していることはよく知られている。サティはたしかに武満やフェルドマンの源流に位置する音楽家かもしれないが、高橋がサティを愛する理由は、武満やフェルドマンの音楽を愛する理由とはすこし違っているようにも思う。というのも、サティにあるのは、精妙な推移というよりも、「剥き出しにされて慄えている音たち」(247頁)だからだ。ここに「センシティヴな優しさ」(247頁)があることはまちがいない。しかしここにあるのは、無駄のない削り込まれた美である。

フェルドマンは「美しい音楽はすべて悲しい」と言ったそうだが(247頁)、もしサティ、フェルドマン、武満になにか共通するところがあるとすると、それは「ピュアで悲しい音楽」(247頁)かもしれない。そしてそれは、高橋のピアノにも共通する特徴である。高橋アキのピアノは、どこか憂いがある。

高橋アキは現代音楽のスペシャリストであるが、あらゆるジャンルの現代音楽を引き受けているわけではない。20世紀の戦後の前衛音楽は、大雑把に言って、シェーンベルクからウェーベルンに続く12音技法路線の徹底化(セリー音楽)と、ケージに代表されるような非音楽(偶然性、ノイズ、環境音)への船出に二分されると言ってよいだろう。前者は、いわば、楽譜上で完結するような、演奏以前にすでに完成しているような音楽を目指し、後者はパフォーマンスとしての音楽、出来事としての音楽――楽譜のなかの音楽は未完成で、現実の音、音を鳴らすパフォーマー、音を響かせる空間、それを受け取る聴衆が必要であり、演奏体験と聴取体験の総合こそが音楽になるというような考え方――を追求した。高橋アキは後者の系譜に親近感を抱く。

フェルドマンがよい例だろう。フェルドマンの音楽は、楽譜としてはかなり簡素な部類に入るが、それは演奏されてこそ、体験されてこそ、その真価が見えてくるようなたぐいの音楽である。というのも、フェルドマンの長大な音楽は、「“記憶を持つ音の対位法”によるいくつものパターンを組み合わせた巨大なモザイク構造」(156‐57頁)をしているからだ。

高橋は1980年5月に世界初演されたフェルドマンの弦楽四重奏曲のコンサート(ソーホーのグラフィック・センター)のことを次のように記している。その日、ホロヴィッツのリサイタルを聞いており、それを堪能してすでに疲れ切っていた。固い木のベンチは座り心地がよくないし、ホールの外から聞こえてくる車の音や話し声が気になってしまった。早く終わらないかと思いながら、何度も腕時計を見てしまう。しかし、斜め前に座っているジョン・ケージは身じろぎせずにじっと聴き入っている。

こんな環境の悪いホールにもかかわらず、四人の奏者たちはいっさい動ずるところなく弾き続けていく。それは、水面に風が吹いてわずかな波紋が起こったり、光を反射してきらめいている、そんなわずかな変化を、ゆっくりと細大漏らさず捉えているかのような、優しく美しい音楽だった。そして、五、六分の間同じようなパターンの微妙な変化が続くと、アングルや距離を変えて同じ光景がスクリーン上に違って映し出されるように、異なったパターンが始まる。こうしたいくつものパターンが、長いスパンでランダムに何度かくり返される。知らず知らずのうちに、私の意識もこの甘美な音楽に集中させられていた。演奏が一時間を過ぎる頃には、周囲のノイズも身体的苦痛も全く忘れ、それぞれのパターンが再び現われるたびに懐かしさがこみ上げ、その微細な美しさの壊れやすさを思って悲しくなり、涙が出そうなほどだった。しまいには、いつまでもこのままであってほしいと、いつかこの音楽に終止符が打たれることに対する恐怖すら感じていた。まるで催眠術にかかったようであった。(156頁)

高橋は生粋のピアノ奏者なのだろう。彼女は、ピアノを、何か別の楽器(群)の代替物と捉えることを拒否する。そして、バッハの時代にはペダルはなかったのだからペダルは踏まないという考え方にも賛成しない(233頁)。高橋はピアノにできること、ピアノだからできることにこだわるが、だからといって、西洋音楽の正統派が追求し、確立してきたピアノ音楽や、ピアニストがやってきた伝統なるものに忠実であろうとするわけではない。彼女がサティを愛するのは、サティがそのような西洋音楽の自明性をユーモアたっぷりに、しかしラディカルに、揺さぶるからだろう。

クセナキスシュトックハウゼンピアノ曲に惹かれるのも、「個々ばらばらな音を集めて組み立てていくそのやり方に、新しいピアニズムを感じて感嘆」(144頁)したからであった。つまり、彼らは、ピアノをオーケストラの代用品とするのではなく、ピアノという楽器の構造を突き詰め、その機能を直截的に生かす方向性を追求しているからこそ、高橋からすると、面白いのだ。「クセナキス自身の言うように、エネルギー渦巻く音の星雲」(145頁)のようなものがあるから、面白いのだ。

高橋は現代音楽のスペシャリストと見なされているが、理論派というよりも直感を大切にし、非人称的な理性というよりも自分自身の感性をよりどころにするタイプであるように思う。自分にとって生理的にはまるテンポを模索する人なのだと思う。恣意的にやるというのではなく、楽譜を踏まえたうえで、最終的な決定は、自身の感覚にゆだねる。

その意味で、高橋のピアノは、歌というよりも、語りのようなものなのかもしれない。パルランド。大学生のときの先生であった、バルトークの弟子でもあった、シャヘーリ先生から受け継いだものだ(212頁)。語りかけるような弾き方。民謡のような歌。

とはいえ、理知的な音楽を全否定しているわけではなく、それがそれとして面白いことはしっかり認めているところが、彼女の柔軟さの現れでもある。シェーンベルクがやったことは「頭だけで考えることの始まり」(219頁)と批判的に言及するが、「それぞれが実験としてはおもしろくて、それなりにおもしろい曲もできたわけだからいんじゃないかと思う」(220頁)とも言う。それに、メシアンの「音価と強度のモード」はかなり評価しているようでもある。おそらく彼女が生理的に無理だと感じているのは、セリー音楽のようなものではなく、ミニマル・ミュージックの精密機械的な演奏だろう(278頁)。

 

つまるところ、彼女にとって音楽とは、「生きた運動体」(231頁)であり、「演奏される瞬間瞬間に生命を与えられてゆくもの」(231頁)である。頭ではなく、体が直接に結びつくもの。知的分析だけでは絶対に感知できない、「ある種の官能的とも言えるような運動の喜び」(232頁)含むもの。

長年にわたる短文をまとめた本書は、繰り返しが多く、本としてはいまいちまとまっていない部分があるとはいえ、高橋のピアノの向こうというか手前というか、彼女の依って立つ地盤のようなものが、この本からくっきりと浮上してくる。これはまちがいなく、本書をまとめあげた編集者の手柄だろう。

高橋は、プロジェクトの重要性を強調する文章のなかで、「良い演奏家はたくさんいるし、良い作品もたくさんある。だが、それらがバラバラに自己主張をしてもそこから運動は起こりにくい。そこで良い企画が必要になってくる」(285頁)と述べているが、これは出版についても当てはまることかもしれない。

リアリズムと印象派の融合、または非人称的な抒情性――吉田博展

20210829@静岡市美術館

吉田博が目指したのは、木版画におけるリアリズムと印象派の融合だったのだろうか。初期の水彩風景画から一貫して吉田は構図の妙、光のグラデーション、細部のニュアンスにこだわる画家であり続けた。しかし、風景を凍結された時間のなかに封じ込め、風景のイデアのようなものに迫るのではなく、瞬間的な移ろいを、やわらかなかたちのなかに浮かび上がらせるというのが、吉田のスタイルだろう。木版画であるにもかかわらず、吉田のタッチはつねにソフトで、線的というよりは面的で、かたちが解け出す。

細部の描写はリアル志向だが、写真的ではなく、印象派的な雰囲気がある。吉田は同一の版木を使いながら、摺りを変えることで、一日のさまざまな時間の光と陰翳を表現しているが、これは、モネのルーアン大聖堂の連作を思わせる。たしかに、吉田の木版は、モネの油彩ほどには、現実の細部が画家の印象にのみこまれていない。吉田の光の表現は、特異な私的印象ではなく、非人称的な抒情性と呼んでみたくなるものだ。

shizubi.jp

吉田は、アメリカで成功し、アメリカ、ヨーロッパ、インド、中国韓国と、世界をめぐり、名所紹介的な木版画を残している。日本国内では、自ら山に登ってはスケッチして木版画にしているし、東京や京都の街並みを題材にとったものもある。人物が描きこまれることもあるし、建物を描くものもあるがが、吉田の真骨頂はやはり、自然の風景にあったというべきだろう。しかし、題材にかかわらず、光のニュアンスや構図の妙、淡い色彩が作り出す深すぎない奥行は、どの絵にも見て取れる吉田のスタイルである。

とはいえ、ここまで精緻な光のグラデーションや仄かな奥行きを表現することが吉田の追求したものであったとすれば、そのような探求にはむしろ不向きであるはずの木版画というジャンルを選んだのだろうかという気もする。

木版画である以上、輪郭線は必要だろう。多色摺である以上、一枚の絵を部分に分解し、摺り重ねていくためのレイヤーを考えなければいけない。それはいわば、風景や画面の有機性を、意識的かつ人工的に解体することではないか。もちろんそれは、吉田本人というよりも、彫りや摺りを受け持つ職人たちの仕事だったのかもしれないが、下絵を描くだけではなく、すべての工程に積極的にかかわったというから、このあたりのことを考慮に入れて下絵を描いていたのではないかという気もする。題材を探っている段階のスケッチはまだしも、それを素材にして下絵に取り掛かるとき、吉田は絵をレイヤー的に捉えていたのではないか。

江戸期の浮世絵の多色摺は10数枚だが、吉田の木版は平均30枚ほどで、100枚近く重ね摺りしたものもあるという。たしかにそうした超絶技巧的な作品には華がある。たしかにそれは木版画の可能性の追求ではある。しかし、技巧的に卓越した木版画を見れば見るほど、木版画であるべき必然性は低下していくのではないか。

すくなくとも現在から振り返ってみたとき、吉田の多色摺木版は、雑誌の挿絵イラストや絵葉書の図案を思わせるところがある。もちろん、吉田がイラストや絵葉書をまねているのではなく、イラストや絵葉書が、吉田の作り出した風景表現を流用しているのだと考えたほうがよいところではあるだろう。ロートレックのキャバレーのポスターも、似たようなケースだろうか。

木版画は、一点ものの絵画に比べると、商品的であると言っていいかもしれない。アーティスト的というよりも、アルティザン(職人)的。しかしながら、原理的には複製可能ではあるとはいえ、吉田ほどに込み入ったものとなると、まさに職人的な手腕がなければ複製を作ることさえできないだろう。摺りは複数できるが、原版は一点ものだろうし、木版は恒久的ではなく、劣化は避けられないだろう。その意味で、吉田の木版画は、複製可能という意味では商品的だが、大量生産品ではありえないという意味では、作品的である。

吉田博の木版画は、さまざまな矛盾を抱え込んでいるように思う。木版画の生理に反するようなことをあえて木版画にやらせる、という意味で。しかしながら、面的な光のグラデーション、層的な光の奥行は、もしかすると、多色摺木版というジャンルだからこそ表現可能なものだったのかもしれない。