うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

2018-10-01から1ヶ月間の記事一覧

償われなければならない過去の陶酔(トーマス・マン『ファウストゥス博士』)

"Not that I would have wished for what threatens us, for it is despair, it is madness. Not that I would have wished it, because my pity, my forlorn compassion, is far too deep for this unhappy nation; and when I think back ten years to its…

思想をかけて歩く(菅啓次郎『本は読めないものだから心配するな』)

「歩行とは、そのまま人類史の問題なのだ。もしわれわれのだれもが日常生活の中で毎日少なくとも20キロから30キロの距離を歩くことを基本として社会のあらゆる成り立ちが見直されたなら、物質的にも精神的にも、現代のいかに多くの問題が解決されることだろ…

日本語のなかの移民(多和田葉子『エクソフォニー』)

「子供の時に出逢った単語の幾つかは、日本語にやって来た一種の移民だったのだ。そして後にドイツ語を習うことで、これらの移民の故里を知って、ああ彼らはこのあたりの出身だったのか、としみじみ思うのである。漢字という衣装は、大和言葉も新造翻訳もみ…

外国語という鏡(多和田葉子『言葉と歩く日記』)

「外国語を学ぶのは、実際に使うためだけではない。外国語を勉強したことがなければ、母語を外から眺めることが困難になり、言語について考えようとした時にそれがなかなかできない。鏡を使わないで自分の目を見ろ、と言われたようなものだ。」(多和田葉子…

ネイティヴ・スピーカー、機械のスピーカー(多和田葉子『エクソフォニー』)

「日本の中学・高校での英語の授業で、たまに「ネイティヴ・スピーカーの発音を聞いてみましょう」ということがあった。その場合、ネイティヴ・スピーカーの声は必ずテープレコーダーから聞こえてきた。ネイティヴ・スピーカーとは機械のスピーカーのことだ…

自身の合理性にたいする不信(イオネスコ『授業』)

"Ne pouvant me fier à mon raisonnement, j'ai appris par coeur tous les résultats possibles de toutes les multipications possibles." (Ionesco. La Leçon.) 「わたしは自分の理性のはたらきを信用できないので、考えうるかぎりの結果をすべて暗記した…