うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

2019-01-01から1年間の記事一覧

20191223 Day 1 カイロの朝を歩く。

20191223 Day 1 カイロの朝を歩く。 車が猛スピードで駆け抜けていく大きな道路でも、街中の大きな通りでも、建物のあいだの小道でも、歩行者は車の前や後ろをすり抜けるようにやすやすと道路を横断していく。 信号などあってないようなものだ。信号がないわ…

20191223朝 Day 1 カイロ着。

20191223朝 Day 1 カイロ着。 成田2130発カイロ0445着というエジプト航空直行便は意外と空いていた。座席のスクリーンがタッチ式でなかったり、映画が少なかったり、旧式であることは否めないが、そんなものを期待しているのではない旅行者からすれば、この…

Unlearning isn't easy (Le Guin. "Firelight.")

"He had to unlearn it, and the unlearning was not easy." (Le Guin. "Firelight.")

特任講師観察記断章。「させていただく」の支配。

特任講師観察記断章。たしかにたったひとりの再テストのために再びテストを作成するような手間はかけられないとは言った。何をやればいいですかとこちらにただ聞くはやめてくれ、何をすべきなのか自分で考えてきてほしいとも言った。それから、徒労でしかな…

俗っぽさとコケティッシュ:みわぞうsingsブレヒト静岡スペシャル 音楽紙芝居『三文オペラ』

20191221 @マルヒラ呉服店 ブレヒト‐ワイルが求める俗っぽさ。なぜわざわざこのような場所で思ったが、意外や意外、なるほどという感じがした。『三文オペラ』自体は劇場で上演されているから、ちょっと事情は違うだろうけれど、20年代30年代のキャバレーソ…

翻訳語考。ルビという訳者の傲慢。

翻訳語考。ルビは訳者の傲慢だろうか。去年訳したものは、学術書よりの思想書だったから、あえて大量のルビを入れこんでみたけれど、ページがやかましくなりすぎた。ルビは日本語の特権であり、存分に生かすべきものだとは思うが、濫用すべきではない。 ルビ…

どんな小さな集まりでも(バークマン)

"For me there is no gathering too small to talk to. Count on me, I'll be there." (Alexander Berkman. Quoted in Avrich and Avrich. Sasha and Emma.193) 「わたしにとっては、どのような集まりも、話をするのに小さすぎるということはない。わたしを…

「インターネットは資本主義の自我」(ガブリエル、セドラチェク)

「ガブリエル システムは、すべてを包み込んだ途端に、内側から崩壊するのです。 セドラチェク システムが説明的になり過ぎた瞬間、否定的意見が出始める。 ガブリエル そうです。これがグローバル化した資本主義がユニバーサルになった時に起きたことです。…

翻訳語考。-ism/-ist。

翻訳語考。-ism(名詞「~主義」)の派生形である-ist(名詞「~主義者」/形容詞「~主義の」)をどう処理したものか。もちろん、-istが名詞で使われている場合は、「~者」にすればよいだけだから、何も問題はない。だが、-istが形容詞で使われていて、か…

翻訳語考。単数形のthey。

Theyをジェンダーニュートラルな3人称の代名詞として使うことは、重層的な問題をはらんでいる。代名詞の用法の問題には収まらないさまざまな文法的問題が含まれているし、それをさらに、社会的なものが横切っていく。 まず、英語は、フランス語やドイツ語と…

クラフトのセンスを持って働く人々(ライト・ミルズ‐セネット)

‘‘The laborer with a sense of craft becomes engaged in the work in and for itself; the satisfactions of working are their own reward; the details of daily labor are connected in the worker’s mind to the end product; the worker can control …

近代に西欧的知としての移入したオカルティズムのサブカル化(大野英士『オカルティズム』)

「日本ではすでに幕末期から、お雇い外国人経由、日本人留学生経由で催眠術や心霊術の知識が移入されていたが、一八八一年には東京帝国大学初代心理学教授外山正一(一八四八-一九〇〇)が日本で初めて「催眠術」を教えており、また、同じ一八八〇年代には…

「闇の霧から立ち上がろうとする黎明の知性」(今福龍太『ヘンリー・ソロー 野生の学舎』)

「ソローは「歩く」のなかでこんなことを書いていた。知識の光はときに過剰である。そもそも日中の太陽の光は岩石や金属の組織を破壊させてしまうので、石や金属は夜の闇によってようやくみずからをもとの状態に回復させている。同じように、文化もときに過…

「われわれ」をどこから始めるか(『高橋悠治 対談選』)

「語りかけというとつまり、自分が外にいて、その人たちへ語りかけるということでしょう。そうじゃなくて、その人たちと一緒に生きて、それで、“われわれ”というようななかで表現することですね。もちろん、表現することによってそのグループをこえて共感の…

「わたしの本に自由に夢をみさせる」(ダレル『ジュスティーヌ』)

"I dream of a book powerful enough to contain the elements of her — but it is not the sort of book to which we are accustomed these days. For example, on the first page a synopsisof the plot in a few lines. Thus we might dispense with the …

「あんまり明るい話がないほうが希望がある」(『高橋悠治 対談選』)

「何で明るい話ができないのか(笑)。しかし、希望がない、ないと言うけれども、期待と希望はどう違うかという話があるでしょう。何も期待することがないときに、希望が生まれる。そして希望は自分でつくり出すもの。期待は待っているものだ、だれかがやっ…

「主体を待ちながら」(バトラー『欲望の主体』)

"As the narrative progresses beyond the “this” and the “that,” the various deceptions of immediate truth, we realize slowly that this subject will not arrive all at once, but will offer choice morsels of himself, gestures, shadows, garment…

ルロイ・アンダーソンの音楽の圧倒的な多幸感

ルロイ・アンダーソンの音楽の圧倒的な多幸感は何なのだろう。どことなくクリスマスを感じさせるからだろうか。あまりに長い間クリスマス音楽として使われてきたせいで、クリスマス性を後天的に獲得してしまったからだろうか。Wikipediaを見ると、かなり面白…

創造すること、価値を与えること(クセナキス『武満徹 対談選』)

「クセナキス 芸術の分野における創造というのは、人間の改良していく、創造していく能力の中で一番豊かなものだと思うのです。その力を人間が持つことになれば、戦争の危険というものはより少なくなり、人間と自然との間に培われている関係の質というものは…

繊細な深さ:オルガ・トカルチェク、つかだみちこ訳「番号」『ポケットのなかの東欧文学』(成文社、2006)

繊細な深さ。ホテルのメイドが紡ぎ出していく、どこかヌーヴォーロマン的な、ゆっくりとした執拗な描写。しかし、たんなる客観的な観察ではない。外部の観察が、自分の身体や感性へと折り返されていく。テクストが確かな肌理を、確かな手触りを作り出す。空…

動物的部分の隔離(中谷礼仁『未来のコミューン』)

「つまり重要なことは、煙突とトイレ、配管というチューブの発明によって、人間は自らの生活に、屠殺や排泄といった動物的部分を隔離し、忘却することができたということである。この設備によって人間は自らをまるで「神」のように考える清潔な時間と空間を…

知性の涵養(ネグリ、ハート『宣言』)

"When we study we certainly gain knowledge, learn facts, and work with ideas, but above all we foster our intelligence; that is, we develop and train our power to think. In this sense education is at its most basic always self-education. N…

禅問答のような、倫理のような:ジャック・デリダ、高橋允昭 編訳『他者の言語――デリダの日本講演』(法政大学出版局、1989)

デリダのテクストは、話し言葉であれ書き言葉であれ、ある種の泥臭さや垢抜けなさがある。けれども、それは彼の誠実な執拗さに由来するものだろう。 1983年の来日講演の多くは、デリダがすでにどこかで行っていた講義の抜粋や反復であり、日本講演ならではの…

問いを上演する:ユディ・タジュディンおよび共同創作アーティスト『ペール・ギュントたち』

20191117@静岡芸術劇場 終演後、演出家のユディ・タジュディンさんとドラマトゥルグのウゴラン・プラサドさんと個人的に話すことができて、疑問点をいろいろと質問することができたのが、今日2回目を見に来た最大の収穫だったかもしれない。ユディさんに厄…

リチャード・C・フランシス、西尾香苗 訳『家畜化という進化』(白揚社、2019)

家畜化がそもそも始まるためには、家畜化されることになる生物にself-tamingなところが必要だ、というのは興味深い。人間に自ら近寄ってくる性質であり、人間に慣れていける能力である。自ら家畜になる可能性を発現させていくこと、そこに、家畜化のはじまり…

「欲望を高貴にする」:ロラン・バルト講義集成『いかにしてともに生きるか』、『〈中性〉について』、『小説の準備』(筑摩書房、2006)

小説は世界を愛する、なぜならそれは世界をかき混ぜbrasser、抱擁するembrasserからだ。(『小説の準備』、19781209、25頁) 文学的な人 ロラン・バルトはやはり深く深く文学的な人だったのだと思わされる。書くこと、書き物のなかの生の可能性、それを追求…

特任講師観察記断章。脱魔術化されすぎた世界での啓蒙の所在なさ。

特任講師観察記断章。「そうはなりたくはない他者」(忌避の他者)、「そうなることはできない他者」(畏怖の他者)、要するに、「いまここにいる自分とは異なった存在」のことにも思いをはせ、そのような存在をも理解しようとすること、そこにこそ、人文的…

「過去は忘れたい、未来は知らない」:ユディ・タジュディンおよび共同創作アーティスト『ペール・ギュントたち~わくらばの夢~』

20191109@静岡芸術劇場 多様性と多層性と多元性 おそろしく情報密度の高いパフォーマンスだ。幕開けから異常な感覚にさらされる。情報量で圧倒してくるのではない。情報が多様に多層的なのだ。弓のように軽く湾曲した棒を頭の上に載せ、スーツケースを運び…

特任講師観察記断章。余計なこと。

特任講師観察記断章。「余計なこと「を」しない」というのが今の学生の基本的態度だと思うのだけれど、それはいってみれば、近代資本主義の根底にある分業制を生活のあらゆる側面にまで拡大したようなものだ。フォーディズムにおいて、流れ作業につく労働者…

特任講師観察記断章。「安全」でない場所としての教室。

特任講師観察記断章。授業終了時間の理解について、学生たちと自分のあいだには明らかな齟齬があるようだ。こちらとしては、時間ピッタリには始めないのだから、時間一杯までやっていいと思っているのだけれど、学生たちは残り10分ぐらいの時間帯になると明…