うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

『ブックセラーズ』のまとまりのなさ

10人ほどのブックセラーの群像劇という感じ。ただ、ブックセラーといっても、基本的に稀覯本を扱う人々であり、一般の本屋を期待していたので、すこし裏切られた気分。 10‐15分ほどの短いシークエンスをつないだ作りで、アテンションスパンが短くなってしま…

『ノマドランド』のなかの美的なものと経済的なもの

@20210601 CineCity Zart いい映画だ。自然の映像が美しい。荒れ狂う波、広大な砂漠、遠景の山脈。それから作業場の機会の崇高さ。アマゾンの配送センター、掘削場のようなところ、バーガーレストランの調理場。 ファーンという女性を軸に物語は進んでいく。…

死に魅入られた芝居:宮城聰演出、ソポクレス『アンティゴネ』

20210505@駿府城公園 死に魅入られた芝居――そんな言葉を宮城聰演出のソポクレス『アンティゴネ』に投げかけてみたい誘惑に抵抗しなければならない。これは死者のドラマではない。水をたたえた暗い舞台、中央には灯篭のように積み上げられた人の身長よりも高…

カイルベルトの職人芸の人間性:ドイツ・ローカルな指揮者

ヨーゼフ・カイルベルトは洗練をあえて退けるようなことをする。音が割れることもいとわず金管に咆哮させる。終結部では、造形が崩れることもいとわずアッチェレランドをかける。まるで綺麗にまとめることを生理的に拒むかのように。 しかし、この熱血な忘我…

まねること、学ぶこと、考えること(ル=グウィン『オールウェイズ・カミング・ホーム』)

"As a kitten does what all other kittens do, so a child wants to do what other children do, with a wanting that is as powerful as it is mindless. Since we human beings have to learn what we do, we have to start that way, but human mindfuln…

マーラー交響曲5番4楽章アダージェットの映像化の可能性

もはやマーラーの交響曲第5番4楽章アダージェットをヴィスコンティの『ヴェニスに死す』と切り離してイメージすることができないこと、ゴンドラと水と甘美な死というイマージュが否応なしに喚起されてしまうことを引き受けた上で、なにかべつの美の可能性を…

嘆きの歌の慰め(エウリピデス『トロイアの女』)

「幸薄き者の雅びは/調べなさぬ悲運の嘆きのみ。」(エウリピデス『トロイアの女』120‐21行) 「苦しみになやむときは涙こそこよなき慰め、悩みを歌い、苦しみを語れば、おのずと心は安まるもの。」(エウリピデス『トロイアの女』608‐9行)

モンポウの間:中古CD屋めぐり

中古CD屋めぐりは大学時代の日課だったけれど、留学してからはずっと遠ざかっていた。 最近また静岡の街中にあるなんということはない中古CD屋に週1ぐらいで通うようになった。 思わぬ掘り出し物がたまにある。 先日見つけたのは、モンポウのピアノ曲集。50…

『三文オペラ』における群衆の可能性

「ピーチャム おれは気づいたんだ、この地上の金持ちどもは、貧困を生み出すことはできるくせに、貧困を直視することはできないってな . . . あいつら、腹が減ってぶっ倒れる人間を目撃して、知らんぷりをするってのは無理なんだ。だから、どうせぶっ倒れる…

戦略的ハッピーエンドの演出的なアンハッピーエンド:ジョルジオ・バルベリオ・コルセッティ演出『野外劇 三文オペラ』

20210425@駿府城公園 東御門前広場 特設会場 ジョルジオ・バルベリオ・コルセッティ演出『野外劇 三文オペラ』 4月末の18時は夜というにはまだ明るい。かといって昼の光が残っているわけでもない。中途半端な狭間の時間、ただっぴろい灰色の広場の中央奥に、…

ウィズコロナ様式の可能性と野外劇:宮城聰演出、唐十郎『おちょこの傘持つメリー・ポピンズ』

20210429@舞台芸術公園「有度」 宮城聰演出、唐十郎『おちょこの傘持つメリー・ポピンズ』 舞台のうえには傘屋の仕事場とおぼしきものがポツンと立っている。色とりどりの傘が並んでいる。開いたものが手前に、閉じたものが下手側の天井からぶら下がってい…

癌としての資本主義経済(ル=グィン、ブクチン)

"All we have, we have taken from the earth; and, taking with ever-increasing speed and greed, we now return little but what is sterile or poisoned. Yet we can't stop the process. A capitalist economy, by definition, lives by growth...We ha…

渡邊守章の知情:クローデル『繻子の靴』

2018年6月9日@静岡芸術劇場 渡邊守章が岩波の解説部分で書いていたけれど、4日目こそがクローデルの作品の前衛性であり、あそこが60年代の不条理劇やナンセンスを先取りしているのだというのはそのとおりであるし、あそこがあるから、劇がたんなる宗教劇的…

浮世絵のように:朝比奈隆の力強い隈取、2次元的な平面的深さ

朝比奈隆の音楽は愚直に真摯であり、誠実な確信にあふれている。ときとして鈍重に響きはする。泥臭く、スタイリッシュではない。しかし、何かを真似ているのではない凄みがある。 朝比奈の指揮は決してうまくない。タクトだけでオケをドライブできる類の指揮…

答えが出ている問い、答えのない問い(ソルニット『わたしたちが沈黙させられるいくつかの問い』)

「答えがあらかじめ決まっている問いというのもある。少なくとも問いかけた側にとっては、正解がひとつしかない類の問いだ . . . 答えはもう決まっていて、それを押しつけ罰を与えたいだけなのだ。わたしの人生の目標のひとつは . . . 答えが出ている問い [c…

「自然本来の無宗教」(フェルナンド・ペソア「アナーキストの銀行家」)

「人の力でアナーキストになろうとするなんて . . . とにかくたしかなのは、真のアナーキズムにおいては、ひとりひとりが、自分の力で、自由を創造し、社会的虚構とたたかわねばならないということなのだ . . . この真のアナーキズムの道を歩もうという者は…

酔いの深さが暴き出すわたしたちのかけがえのなさ(プルースト『ゲルマントのほうI』)

「酔いには、太陽や旅がもたらす陶酔から疲労やワインによる酔いまでさまざまな種類があるだけではなく、海の水深のように異なった「深さ」もあり、そうした酔いが私たちのうちで、まさに各々の深さのところにいる一人の特別な人間の存在を暴き出す。」(プ…

生真面目な歓喜、意図的な野蛮:アーノンクールの呼吸と身振り

アーノンクールの演奏を聴くと、目をぎょろつかせた、何かに烈しく怒っている顔が頭に浮かぶ。しかしその顔をしばらく見つめていると、その憤激の裏に奇妙なユーモアがあることにも気づかされる。あまりに生真面目で、あまりに真剣なので、とても笑顔とは言…

劇か祭か(ロマン・ロラン、大杉栄訳『民衆芸術論』)

「劇は、貧しいそして不安な生活が、その思想にたいする避難所を夢想のなかに求める、ということを前提とするものである。もしわれわれがもっと幸福でもっと自由であったら、劇の必要はないはずである . . . 幸福なそして自由な民衆には、もう劇などの必要が…

小澤征爾という問題:東洋が西欧に喧嘩を売るために犠牲にしたこと

小澤征爾を聞くと、柄谷行人の言葉を思い出す。アメリカに行って、デリダやド・マンのようなことを英語でやることはできないと思ったが、言語の言語性に依拠しない純粋な論理が焦点となる分析哲学のような領域であれば渡り合えると思った、というような発言…

着地がずれる詩の翻訳(古井由吉『詩への小路』)

「訳文もまた、難所にかかれば、跳ばなくてはならない。出来るかぎりは細心に、気合もこめて跳ぶ。しかしどんなに跳越の姿勢と軌道を制御しても、哀しいかな、着地がいずれ、ずれる。少少の誤差がどうかすると、大きな差異となる。もともと、すぐれた詩文は…

和声を操るリヒャルト・シュトラウス:グレインジャーのアレンジから聞こえてくるもの

リヒャルト・シュトラウスにとって、オーケストレーションは、作業的にこなせるものだったらしい。子どもが横で騒いでいるリビングであろうと、なんの問題もなくスコアの作成を機械的に進めていくことができた、とどこかで読んだことがある。 ポスト・ワーグ…

文化の生産者として、文化への参加者として(ヘンリー・ジェンキンズ『コンヴァージェンス・カルチャー』)

「結局のところ、ファンダムとは魅了された状態 fascination と欲求不満の状態 frustrationとのバランスから生まれる。もし、メディアのコンテンツが私たちの強い興味をそそらなければ、そのコンテンツと関わろうとする欲求は生まれてこないだろう。しかし、…

ゲオルク・ショルティの反復的なモダニズム:強制的な興奮に抗うか、それに身を任すか

ゲオルク・ショルティの方法論化されたモダニズムは、その方法論性にもかかわらず、一回的なものだったのかもしれない。ショルティのあまりに健康的な音楽は、不思議なことに、歴史の袋小路でもある。 日本のクラシック音楽批評でショルティの録音が手放しで…

朗読と手話による第9:シルヴァン・カンブルランとハンブルク響による創造的解釈

「3楽章と1場 In drei Sätzen und einer Aktion」と題されたハンブルク響とシルヴァン・カンブルランによるベートーヴェンの第九の映像は、基本的にベートーヴェンの音楽そのままでありながら、感触としては現代音楽的な古典の再解釈に近い仕上がりになって…

モダニズムとはべつの仕方で:クレメンス・クラウスの言葉による音楽

クレメンス・クラウスのモダニズムを継承した指揮者はいなかった。それとも、誰も彼のモダニズムを継承することはできなかった、と言うべきだろうか。繊細なフリーハンド、鷹揚な正確さ、抒情的な客観性、プラグマティックな完璧主義。20世紀の前衛音楽の両…

Repulsive overwork (Kropotkin. "Anarchist Communism.")

"Overwork is repulsive to human nature--not work. Overwork for supplying the few with luxury--not work for the well-being of all. Work is a physiological necessity, a necessity of spending accumulated bodily energy, a necessity which is he…

SPAC『妖怪の与太郎』再演:コロナ禍時代の演劇の可能性と不可能性

20201205@YouTubeライブ配信 コロナ禍時代において演劇はもはや純演劇的であることを許されていないらしい。俳優はマスクを身に着けなければならないし、演出はソーシャル・ディスタンシングを内在化しなければならない。感染防止対策という演劇外のものを…

作為なき作為:フリッツ・ライナーの音楽の正しさ

フリッツ・ライナーのような指揮者はもう出てこないのではないか。ショーマンシップの真逆をいくような、魅せない指揮だ。オーケストラ奏者を従わせる指揮だが、聴衆を酔わせる指揮ではない。そこから生まれる音楽は峻厳で、諧謔味はあっても、陽気に微笑む…

流動する複層――エサ=ペッカ・サロネンの音楽の自然の秩序

流動する複層――エサ=ペッカ・サロネンの指揮する音楽をそのような言葉で言い表してみたい欲望に駆られる。サロネンの音楽は、多声的でありながら、和声的なところに回収されない。縦のラインで輪切りにして、それを連続させるのではなく、相互に独立した横…