うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

モダニズムとはべつの仕方で:クレメンス・クラウスの言葉による音楽

クレメンス・クラウスのモダニズムを継承した指揮者はいなかった。それとも、誰も彼のモダニズムを継承することはできなかった、と言うべきだろうか。繊細なフリーハンド、鷹揚な正確さ、抒情的な客観性、プラグマティックな完璧主義。20世紀の前衛音楽の両…

Repulsive overwork (Kropotkin. "Anarchist Communism.")

"Overwork is repulsive to human nature--not work. Overwork for supplying the few with luxury--not work for the well-being of all. Work is a physiological necessity, a necessity of spending accumulated bodily energy, a necessity which is he…

SPAC『妖怪の与太郎』再演:コロナ禍時代の演劇の可能性と不可能性

20201205@YouTubeライブ配信 コロナ禍時代において演劇はもはや純演劇的であることを許されていないらしい。俳優はマスクを身に着けなければならないし、演出はソーシャル・ディスタンシングを内在化しなければならない。感染防止対策という演劇外のものを…

作為なき作為:フリッツ・ライナーの音楽の正しさ

フリッツ・ライナーのような指揮者はもう出てこないのではないか。ショーマンシップの真逆をいくような、魅せない指揮だ。オーケストラ奏者を従わせる指揮だが、聴衆を酔わせる指揮ではない。そこから生まれる音楽は峻厳で、諧謔味はあっても、陽気に微笑む…

流動する複層――エサ=ペッカ・サロネンの音楽の自然の秩序

流動する複層――エサ=ペッカ・サロネンの指揮する音楽をそのような言葉で言い表してみたい欲望に駆られる。サロネンの音楽は、多声的でありながら、和声的なところに回収されない。縦のラインで輪切りにして、それを連続させるのではなく、相互に独立した横…

ポスト・コロナ時代のオーケストラの響き:室内楽的な水平性、マスとしてのまとまりの希薄さ

「プルト」という単位は過去の遺物となってしまうのだろうか。 ここで弦奏者は、2人1組で譜面をシェアするのではなく、1人ずつ独立した譜面台を使っている。ひとりで譜めくりも演奏もこなさなければならないからだろう(プルト制であれば、ひとりが弾き続け…

キャス・サンスティーン『ナッジで、人を動かす』(NTT出版、2020):それとなく決定的な影響を与えることの倫理性

選択の誘導は、それ自体としては、たんなる技術でしかない。ある選択を優先的に促すようなアーキテクチャを作ることは、たんなる技術以上のものではあるが、それでも、ほかの選択が原理的にブロックされたり消去されたりしておらず、依然として選択者が自由…

的場昭弘『未来のプルードン』(亜紀書房、2020):孤独な思想家による所有と権力の批判

マルクスの永遠のライバルとしてのプルードン。マルクスの罵倒の常套戦略とは、相手の議論が誰かの二番煎じであることを徹底的な文献学的調査によって暴き立てることであるという。それはこじつけに近いところもあるが、論敵の信用を下げるうえでは一定の効…

「私たちは皆で一緒に世界を築くことができる」: ティム・インゴルド、奥野克己・宮崎幸子 訳『人類学とは何か』(亜紀書房、2020)

人類学は世界-他者「とともに」考える哲学であって、いわゆる哲学のような世界-他者「について」の哲学ではないとティム・インゴルドが挑発的に述べるとき、彼はある意味で、ヘーゲルが『精神現象学』の序文で述べたことを敷衍しているとも言える。認識され…

ドホナーニの無骨な充実または音の密度:ひとつの音楽世界の体現としてのコンサート

この充実ぶりは何なのだろう。豊穣というわけではない。みずみずしい弾力性ではなく、生硬な不器用さがある。音は磨き抜かれているけれども、角が取れて滑らかになるのではなく、地肌が露出して、ごつごつとした手ざわりになっている。 無骨なのだ。音がぶつ…

ビニ・アダムザック、橋本紘樹・斎藤幸平 訳『みんなのコミュニズム』(堀之内出版、2020):「わたしたち全員の物語」

未来のコミュニズムの妨げになるのは、過去のコミュニズムなのです。(130頁) 「Xはすべてだめ、Yならすべてうまくいく」という物言いは、詐欺師の口上だ。レトリックとして注意深く使うならわかる。意図的に使うならわかる。しかし、これを本当の言葉とし…

チェリビダッケとベルリンフィルの出会い:リズミックな硬さと雄大なしなやかさ

チェリビダッケのスローテンポは、近くによりすぎると止まっているように見えるけれども、離れてみればすべてが動いていることがわかる悠然とした大河の流れを思わせる。でっぷりと腹の出たチェリビダッケの座った身体が水面下の動きのない動きをマクロに体…

ジャネット・サディク=カーン、セス・ソロモノウ、中島直人 監訳『ストリートファイト――人間の街路を取り戻したニューヨーク市交通局長の闘い』:「都市革命のためのハンドブック」、または既存の都市空間の効率的な人間化

公共領域に著作権は発生しない。(130頁) ジャネット・サディク=カーン、セス・ソロモノウ、中島直人 監訳、石田祐也、関谷進吾、三浦詩乃 訳『ストリートファイト 人間の街路を取り戻したニューヨーク市交通局長の闘い』 都市空間は誰のためのものか。都…

メノ・スヒルトハウゼン、岸由二・小宮繁 訳『都市で進化する生物たち―― “ダーウィン”が街にやってくる』(草思社、2020):都市環境という自然での進化

都市環境を進化のための土壌として捉えること、または都市もまた自然の一部であると考えること。それはつまり、人間と自然の二分法を改定することだ。人間が作り出した「人工的」な空間に生物が生息する以上、それもまた生物にとっては「自然環境」であり、…

湯浅博雄『贈与の系譜学』(講談社選書メチエ、2020):西欧キリスト教世界における「贈与の系譜学」?

バタイユ/ブランショ/レヴィナスのラインで考えればそうなる(ニーチェからモース、そしてヘーゲル)のは当然だが、ネタがわかっている側からすると、このような贈与についての思索には、何番煎じかという印象を抱かざるをえない。それに、キリスト教精神…

雑な全体性のむこうにある精神:音楽家としてのダニエル・バレンボイムの音楽

ダニエル・バレンボイムの演奏は微妙に雑だ。彼の音楽は確かに全体性を捉えている。だからとても見通しがよい。旋律が歌っている。抒情性がある。勘所は外さない。しかし、瑕疵がある。 音楽のことを本当によくわかっている音楽家の音楽。バレンボイムによる…

バレンボイムの晩年の様式

バレンボイムも80歳近くなり、さすがに体が利かなくなってきた部分があるのか、足を揃えてすっと指揮台に立ったまま、ほとんどそこから動かない。上下運動が基調となるタクトの振れ幅は大きくない。もしかするとあまり肩が上がらないのかもしれない。しかし…

デフォルメする権利:ブルーノ・マデルナの恣意的な非主観性の音楽

ブルーノ・マデルナの指揮はデフォルメと切り離して考えることができないけれども、なぜデフォルメがあるのかの理由を語ることは難しいし、彼のデフォルメを方法論的に説明することはさらに困難だ。 情念的な粘っこい歌い回し、スローテンポ、引き伸ばし、ゲ…

特任講師観察記断章。「金は出すが口は出さない」と「金を出したから口を出す」。

特任講師観察記断章。「金は出すが口は出さない」と言えるほどの金を持ったこともなければ、そのようなことを言いたくなる相手にもいまだめぐり合っていない身では、あくまで想像するだけなのだけれど、この言葉の根底にあるのは賭けなのだと思う。博打精神…

コロナ以後の演劇を再興する:『蜘蛛の糸』(作:芥川龍之介、演出:吉見亮)

20201004@やどりぎ座、『蜘蛛の糸』(作:芥川龍之介、演出:吉見亮) コロナ禍が強いるものがどこまでこの舞台を縛っているのか、そして、強制されたものでしかなかったものがどこまで舞台のために役立てられているのか。吉見亮演出の『蜘蛛の糸』を見なが…

純粋なシニフィアンのダンス:運動するイマージュとしてのカルロス・クライバーの音楽

カルロス・クライバーの音楽は純粋なシニフィアンなのかもしれない。何かを表現するのでも描写するのでもなく、音自体がある。音のダンスだ。その手前にも、その向こうにも還元できない、音そのものの運動のエネルギーが、クライバーの音楽なのだ。 極論すれ…

静けさと烈しさの協業的な同居:ミトロプーロスの魔術的な指揮

ディミトリ・ミトロプーロスがどのようにして音を合わせていたのか、どうしてもわからない。オーケストラの音の合わせ方など、そうそうヴァリエーションがあるものでもない。「点」で合わせるか(するとブーレーズのように、重なり絡み合う音が透けて聞こえ…

縦線の響きではなく、横線の動きを:ブルーノ・ワルターの旋律の運動性

ブルーノ・ワルターの音楽の説得力は破格だ。しかし、その力の出どころは、解釈の卓越性ではないような気がする。モーツァルトのト短調1楽章再現部のルフトパウゼがもっとも顕著な例だけれど、理性的にはどうにも理解できない部分はある。それでも感性的には…

記憶のありか(プルースト『花咲く乙女たちのかげに』)

「私たちの記憶の最良の部分は私たちの外、たとえば、雨を含んだ風や閉め切った部屋の匂い、最初に火が熾りかけたときの香りのうちに、そう、私たちの知性が使い道を知らずに軽んじていた何か──最後まで取り置かれていた過去であり、過去の最良の部分でもあ…

感情のひとり相撲(プルースト『花咲く乙女たちのかげに』)

「誰かを愛しているとき、あまりに大きくなりすぎた愛は、私たちの心のなかには入りきらなくなってしまう。愛は愛する対象のほうへ放射され、相手のある面にぶつかって止まると、出発地点に向かって送り返される。私たち自身の愛情のこうした跳ね返りこそ相…

翻訳語考。publicとsocialの違い。

翻訳語考。publicとsocialの違いが、どうもしっくりこない。どちらもラテン語を語源とする言葉だ。publicはpeopleに、socialはsocietyやassociationに通じるわけだから、当然、publicのほうが指示範囲は広い。publicがとある共同体の人々全員をカバーすると…

デヴィッド・グレーバーの訃報、死亡記事のリンク

9月2日に59歳で亡くなる。 1961年、ニューヨークの労働者階級の家庭に生まれる。父ケネスはカンザス出身で、スペイン市民戦争では反フランコ派の国際旅団 International Brigadesに加わって闘う。母ルースはポーランド出身で、1930年代に、労働組合による唯…

超客観的演奏の非人称的な抒情性:プリズムとしてのハンス・スワロフスキーの音楽

ハンス・スワロフスキーの超客観的演奏には、不思議な抒情性がある。誰のものでもないが、誰かのものではあるのかもしれない、非主観的で非人称的な匿名的感性だ。全体として乾いた音だというのに、潤いに欠けているわけではない。 あまり人好きのしない、ぶ…

気負いもなく、気取りもなく:共創造するシャーンドル・ヴェーグの音楽そのものの生命

シャーンドル・ヴェーグの音楽は、あたりまえのように表情が濃い。ひとつひとつの音が極限まで磨き上げられているけれども、アンサンブル全体としての音は、不思議なまでに音離れがよく、密集していない。凝縮しているのに、隙間があって粘らない。 静的な面…

リチャード・O・プラム、黒沢令子訳『美の進化ーー性選択は人間と動物をどう変えたか』(白揚社、2020)

生き物の世界では機会さえあれば、動物の美に対する主観的経験と認知的選択によって生物多様性は進化し、形成されてきた。自然界における美の歴史は終わりのない雄大な物語なのだ。(143頁) 進化生物学をそのルーツである優生学から完全に切り離すためには…