うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

滑らかに溶け合うシェーンベルク:Kohon String Quartet による不思議な再構築

シェーンベルクの音楽には何とも言えない軋みを感じる。旋律の占める要因が高いようには思うが、和声の問題でもある。要するに、音と音がどこか溶け切らず、ぶつかり合ってしまっているように聞こえるのだ。各音の自己主張が強すぎて、誰も譲ろうとしない。この傾向は初期のポストワーグナー、無調期、12音技法、最晩年のある種の古典主義をとおして一貫した傾向であるようにも感じる。

だからこそ、YouTubeで偶然見つけたKohon String Quartetによる弦楽四重奏曲1番の演奏には驚かされた。ここでは音同士が相互に溶け合い、ひとつにまとまっているのだ。和声面にかぎれば、これを達成していたカルテットは過去にいくつもあった(たとえばラサール弦楽四重奏団)。しかし、旋律面においてまでそれを成して遂げていた演奏はこれが初めてだ。

これはシェーンベルクの音楽をロマン派的に演奏するか、モダニズム的に演奏するかの問題ではないのだと思う。というのも、たとえば、新ヴィ―ン弦楽四重奏団はきわめてロマン派よりの解釈をほどこし、旋律を濃厚に歌うタイプの演奏を繰り広げたけれど、それでもやはり、シェーンベルクの音楽特有の臭みとでも言おうか、歪みと言おうか、ある種の意図された不自然さがどうしてもにじみ出てはいた。それが、Kohon String Quartetの演奏ではすっかり自然なものに置き換わっている。これは何とも不思議な演奏だ。

おそらくこのように聞こえるのは、音程の取り方によるのだと思う。本当にわずかな違いになるはずだが、前後の音との関係でわずかに音程を上げたり下げたりしているのではないかという気がする。その結果、シェーンベルクの人工的な旋律が、有機的に響き、その結果、もともと潜在していたブラームス的な構築性が前面に出てきている。

面白いのは、Kohon String Quartetの音自体は乾いた淡色であり、ロマン派的な豊饒さの対極にあるにもかかわらず、演奏解釈としては決して無味乾燥には聞こえない点。録音自体はかなりデッドだが、4人の技量はかなりのものであるらしく、細かな細部まできっちりと弾きこまれているし、アンサンブルとしてのまとまりも申し分ない。

どのような団体なのかと思ってググってみても、ほとんど情報が出てこないし、録音自体があまりない。そしてその限られたディスコグラフィがまた偏っている。YouTubeで検索して出てくるのはアメリカの19世紀20世紀の作曲家の弦楽曲ぐらいだが、アメリカの団体なのかというと、そこすらよくわからない。

団体名のKohonは、ファーストヴァイオリンのHarold Kohonから来ているようで、彼はパリでジョルジュ・エネスコにヴァイオリンを学んだのち、1940年代にアメリカでキャリアを築いていく。四重奏団を立ち上げたのは1963年で、1970年ごろまで活動したのに、スタジオミュージシャンに転向し、ジャズやR&Bのレコーディングに参加する。クラシックから足を洗ったのかと思いきや、1974年から79年にかけてはニューヨーク・フィルのメンバーだったというから、ますますわけがわからない。

しかし、この不思議な経歴を思い浮かべながら、彼らのシェーンベルクの演奏を聞いてみると、何か不思議と腑に落ちる部分もある。ヴァイオリン奏者エネスコの音程感覚はわりと独特であるし、彼の作曲には平均律には収まらない音がある。そのような東欧的な感性でシェーンベルクを再構築すると、このような演奏が生まれるのかもしれない。そして、もしかすると、このようなやり方は今後出てこないものかもしれない気もする。

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