うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

2022-04-01から1ヶ月間の記事一覧

円熟的に批判的に老いること:エマーソン四重奏団の「晩年の様式」

弦楽四重奏団は、肉体的な老いによる演奏技術の衰えと、親密な交わりであるがゆえの人間関係の鈍化や深化と、音楽理解や演奏解釈のマンネリ化や円熟とのあいだの折り合いをつけていくのが難しい組織形態ではないだろうか。 うまく老いたカルテットは多くない…

ミニマルな人類学または詩(今福龍太、吉増剛造『アーキペラゴ――群島としての世界へ』)

「今福 「文学的」という表現を否定辞として使えるほどに学問世界は詩や文学への通路を失っているのが現在です。/僕にとっては、思考とか論理とか感情とかが身体とまだ分離しない状態に言葉を直接ぶつけて、そこから何が生まれるか――その生成の瞬間をそのま…

存在論的痛苦、ネガティヴ・ケイパビリティ、雑在や雑存:吉増剛造『詩とは何か』(講談社現代新書、2021)

それが一旦開いたら、そこから風がどっと流れ込んでくる。(227頁) 吉増剛造の詩は、彼を導管としてわたしたちの耳に届く別の宇宙、別の次元からの言葉を書き留めたものであり、そのような言葉ならざる言葉、言葉にならざる何かを、にもかかわらず、言葉に…

踊るように弾き、弾くように踊る:Terje TønnesenとNorwegian Chamber Orchestraの楽しい音

室内オーケストラは中途半端な存在だ。フルオケの縮小版か、四重奏の拡大版か。全体はどう組織されるのか。指揮者のごとき1つの統合点を持つのか。各パートのリーダーをハブとする階層構造か。 Terje Tønnesenが芸術監督を務めた時期のNorwegian Chamber Orc…

強制的告白と消極的殺人者の後悔:濱口竜介『ドライブ・マイ・カー』

村上春樹の同名の短編を原案とする濱口隆介の『ドライブ・マイ・カー』は、生き残ってしまった遺族の後悔、相手を見殺しにしてしまった消極的殺人者の罪悪感を基調とする物語であり、妻を亡くした夫が、母を亡くした娘が、自動車という閉鎖空間のなかで、過…