うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

2022-03-01から1ヶ月間の記事一覧

忠実で正統で挑発的な伝統の王道:Voyager Quartetの超越的な穏健さ

弦楽四重奏はとても親密な交換なのであって、精密さを競うものではないということを、Voyager Quartetの演奏によってあらためて思い知らされている。 19世紀後半の量的にも質的にも肥大化するオーケストラは必然的に規律訓練を必要とするものになっていった…

問いかける存在として:レベッカ・ソルニット、東辻賢治郎訳『私のいない部屋』(左右社、2021)

自伝をいつ書くか、どう書くか。答えの出ない問題だ。人生の総決算として書くのか、これからのロードマップとして書くのか。編年体で客観的に綴るのか、連想で飛躍しつつ主観的に語るのか。 ここでソルニットは、その中間を行く。時系列を基調とするが、細か…

強いられたものではあるけれど、不快というわけではない親密さ:ウィム・ウェンダース・レトロスペクティブ

@シネ・ギャラリー ウィム・ウェンダース・レトロスペクティブで6作品をまとめてみた。『都会のアリス』(1974)、『まわり道』(1975)、『さすらい』(1976)、『アメリカの友人』(1977)、『パリ、テキサス』(1984)、『ベルリン・天使の詩』(1987)。…

「いつでも夢をみよう。」(ゾラからセザンヌへの手紙)

「しかし、僕に希望がないなんてことがあるだろうか。僕らはまだ若く、夢に溢れ、人生はやっと始まったばかりではないか。思い出や後悔は老人にまかせよう。それらは彼らの宝物で、震える手でページをめくり、めくる度にほろりとする、過去という書物だ。僕…

ダメージの存在しない世界を想像しなければならない(ソルニット『私のいない部屋』)

「この世界の半分には、女たちの恐怖と痛みが敷き詰められている。あるいはむしろ、それを否定する言葉で糊塗されている。そして、その下に眠っている幾多の物語が陽の目を見る日がくるまで変わることはない。私たちは、そんな風にありきたりで、どこにでも…

類的な存在の個人的な寂しさの普遍性(『吉本隆明代表詩選』)

「若し場処を占めることが出来なければ わたしは時間を占めるだろう 幸ひなことに時間は類によって占めることはできない 」(吉本隆明「固有時との対話」『吉本隆明代表詩選』94頁) 「わたしはほんたうは怖ろしかつたのだ 世界のどこかにわたしを拒絶する風…

「言語と言語の繋ぎ目に浮かびあがる /曖昧な亡霊」:四方田犬彦『人生の乞食』(書肆山田、2007)

詩を作ることはかつては魔術と同義だった。放たれた言葉は毒を塗った鏃となって目指す相手の肉体に突き刺さり、その妻を犯し、家畜を損った . . . 詩の本質が頌であると説く者は滅びてあれ。詩ははるか以前に痛罵であり呪文であって、挽歌とは死を願う律の零…

普遍的王様的幸福(ロバート・ルイス・スティーヴンソン「楽しい考え」)

"The world is so full of a number of things,/ I'm sure we should all be as happy as kings." (Robert Louis Stevenson, "Happy Thoughts" in A Child's Garden of Verses.) 「この世界には/いろんなものがいっぱいあるから/ぼくたちはみんな/王さま…

みんなに必要なジェンダー史、または歴史を学ぶことの愉しみ:弓削尚子『はじめての西洋ジェンダー史』(山川出版社、2021)

ジェンダー史を学ぶこと、それはわたしたちのジェンダー概念を問い直すこと、その起源や変遷をたどりなおすことでもあり、その意味で、歴史は現代における世界認識や世界理解に衝撃を与えるものである。 ジェンダー史は、女についてのもの(だけ)ではない。…

ただひたすらに純粋で上質な音楽:ケント・ナガノの傍流的一流

ケント・ナガノの指揮する音楽の魅力がどこにあるのか長いこと理解できないでいた。それどころか、魅力に乏しい指揮者だと思っていた。音楽が直截すぎる。ふくよかさに欠ける。かといって、まっすぐすぎるところが、触れれば切れるような鋭さにまで研ぎ澄ま…

サン=サーンスとフォーレの同時代性と時代錯誤性:ジャン=ミシェル・ネクトゥー『サン=サーンスとフォーレ――往復書簡集1862-1920』、ミヒャエル・シュテーゲマン『サン=サーンス』、ネクトゥ『ガブリエル・フォーレ 1845‐1924』

フォーレとサン=サーンスは、一八七〇年頃までは、その当時末だ色濃くのこされていたロマン派様式、一八八〇年代には世紀末様式へと進展してゆきつつ、それぞれの作品を築き上げてゆくが、一九〇〇年頃から二人の方向性は全く異なってしまうことに注目すべ…

テロとはなにか(小林エリカ『トリニティ、トリニティ、トリニティ』)

「しかしながら、いま、本当の記憶障害におかされているのは、わたくしではない。目に見えざるものたちを、過去を忘却しながら、微塵の苦しみさえ感じることのない人々の方ではありませんか。/もしも目に見えざるものを、その怒りや哀しみを、目に見える形…

滅私的な脱個人主義者としの三島由紀夫(『三島由紀夫 石原慎太郎 全対話』)

「三島 でも夢がある間はほんとうに有害な思想は出てこないよ。」(『三島由紀夫 石原慎太郎 全対話』48頁) 三島由紀夫が信じていたのはシステムとして、構造として、装置としての天皇「制」(ないしは、天皇という「存在」)であって、特定の天皇ではなか…

書かれなかったものを読む(ホフマンスタール「痴人と死」)

思えば人というものは、なんと不思議なものだろう。 解きあかすことのできなことも解きあかし いちども文字に書かれたことのないものも読み もつれたものを自由に結びつけながら さらに永遠の闇のなかで道を見出すのだ Wie wundervoll sind diese Wesen, Die…

与えることと受け取ることの非対称性(シュテファン・ゲオルゲ「苦悩の友 」)

惜しみなく己を与える人は受け取ることのなんと少ないことか Wer ganz sich verschenkt wie er wenig empfängt (シュテファン・ゲオルゲ「苦悩の友 [Schmerzbrüder]」『ゲオルゲ全詩集』136頁)

みずからの終末と向き合う人間の姿:マイリス・ベスリー『ベケット氏の最期の時間』(早川書房、2021)

マイリス・ベスリーの『ベケット氏の最期の時間』は、妻シュザンヌを亡くして介護施設に入ったサミュエル・ベケットが、いかにもベケットらしく、ベケットとして亡くなるまでの日々を過ごしていく様子を描き出す。 ベスリーは、医療関係者や介護人が綴る業務…

夢見られたこの未来の社会(ゾラ『金』)

「夢見られたこの未来はすべて不可能に思われますし、この未来の社会について、理にかなったものを人々に与えられるところまできていません。公正な労働からなるこの社会の気風は、わたしたちの社会とひどく違ったものになるでしょう。それは別の惑星の別の…

静かに幸せな感じ:ロレンツォ・マトッティ『シチリアを征服したクマ王国の物語』

プーチンによるウクライナ「侵攻・侵略 invasion」が進行するなか、『シチリアを征服したクマ王国の物語 La Fameuse Invasion de la Sicile par les ours』というタイトルは不吉に響く。邦訳は「征服」だが、原語は「侵攻・侵略 Invasion」。直訳すれば、「…