うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

類的な存在の個人的な寂しさの普遍性(『吉本隆明代表詩選』)

「若し場処を占めることが出来なければ わたしは時間を占めるだろう 幸ひなことに時間は類によって占めることはできない 」(吉本隆明「固有時との対話」『吉本隆明代表詩選』94頁)

 

「わたしはほんたうは怖ろしかつたのだ 世界のどこかにわたしを拒絶する風景が在るのではないか わたしの拒絶する風景があるやうに……といふことが 」(吉本隆明「固有時との対話」『吉本隆明代表詩選』96頁)


「三浦 孤独を語る時さえ「わたしたち」なんだ。それは、それこそ吉本さんがいちばんはっきり言っていたことだけれど、マルクスから学んだことは抽象することが力になるということ、抽象の重要性と、もうひとつ「個は類である」という認識でしょう。つまり、高橋源一郎が書斎のなかで苦しんで書いていると言った場合に、それは個的な苦悩なんじゃない、類的な苦悩、世界の苦悩なんだと。それこそ人間であるということなんだ、と。マルクスを飛び越してヘーゲルにいっちゃうようなものかもしれないけれど、それが全面的に出てくる。それこそが吉本隆明吉本隆明になったということなんだと、それはそうかもわからない。それにぼくらは圧倒されたわけだから。だけどほんとうは、その前の段階に「ぼくが罪を忘れないうちに」の「ぼく」というのがあるんだということです。」(高橋源一郎、瀬尾育生、三浦雅士「「豊かさ」の重層性――『吉本隆明全詩集』をめぐって」『吉本隆明代表詩選』207‐8頁)