うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

2019-11-01から1ヶ月間の記事一覧

ルロイ・アンダーソンの音楽の圧倒的な多幸感

ルロイ・アンダーソンの音楽の圧倒的な多幸感は何なのだろう。どことなくクリスマスを感じさせるからだろうか。あまりに長い間クリスマス音楽として使われてきたせいで、クリスマス性を後天的に獲得してしまったからだろうか。Wikipediaを見ると、かなり面白…

創造すること、価値を与えること(クセナキス『武満徹 対談選』)

「クセナキス 芸術の分野における創造というのは、人間の改良していく、創造していく能力の中で一番豊かなものだと思うのです。その力を人間が持つことになれば、戦争の危険というものはより少なくなり、人間と自然との間に培われている関係の質というものは…

繊細な深さ:オルガ・トカルチェク、つかだみちこ訳「番号」『ポケットのなかの東欧文学』(成文社、2006)

繊細な深さ。ホテルのメイドが紡ぎ出していく、どこかヌーヴォーロマン的な、ゆっくりとした執拗な描写。しかし、たんなる客観的な観察ではない。外部の観察が、自分の身体や感性へと折り返されていく。テクストが確かな肌理を、確かな手触りを作り出す。空…

動物的部分の隔離(中谷礼仁『未来のコミューン』)

「つまり重要なことは、煙突とトイレ、配管というチューブの発明によって、人間は自らの生活に、屠殺や排泄といった動物的部分を隔離し、忘却することができたということである。この設備によって人間は自らをまるで「神」のように考える清潔な時間と空間を…

知性の涵養(ネグリ、ハート『宣言』)

"When we study we certainly gain knowledge, learn facts, and work with ideas, but above all we foster our intelligence; that is, we develop and train our power to think. In this sense education is at its most basic always self-education. N…

禅問答のような、倫理のような:ジャック・デリダ、高橋允昭 編訳『他者の言語――デリダの日本講演』(法政大学出版局、1989)

デリダのテクストは、話し言葉であれ書き言葉であれ、ある種の泥臭さや垢抜けなさがある。けれども、それは彼の誠実な執拗さに由来するものだろう。 1983年の来日講演の多くは、デリダがすでにどこかで行っていた講義の抜粋や反復であり、日本講演ならではの…

問いを上演する:ユディ・タジュディンおよび共同創作アーティスト『ペール・ギュントたち』

20191117@静岡芸術劇場 終演後、演出家のユディ・タジュディンさんとドラマトゥルグのウゴラン・プラサドさんと個人的に話すことができて、疑問点をいろいろと質問することができたのが、今日2回目を見に来た最大の収穫だったかもしれない。ユディさんに厄…

リチャード・C・フランシス、西尾香苗 訳『家畜化という進化』(白揚社、2019)

家畜化がそもそも始まるためには、家畜化されることになる生物にself-tamingなところが必要だ、というのは興味深い。人間に自ら近寄ってくる性質であり、人間に慣れていける能力である。自ら家畜になる可能性を発現させていくこと、そこに、家畜化のはじまり…

「欲望を高貴にする」:ロラン・バルト講義集成『いかにしてともに生きるか』、『〈中性〉について』、『小説の準備』(筑摩書房、2006)

小説は世界を愛する、なぜならそれは世界をかき混ぜbrasser、抱擁するembrasserからだ。(『小説の準備』、19781209、25頁) 文学的な人 ロラン・バルトはやはり深く深く文学的な人だったのだと思わされる。書くこと、書き物のなかの生の可能性、それを追求…

特任講師観察記断章。脱魔術化されすぎた世界での啓蒙の所在なさ。

特任講師観察記断章。「そうはなりたくはない他者」(忌避の他者)、「そうなることはできない他者」(畏怖の他者)、要するに、「いまここにいる自分とは異なった存在」のことにも思いをはせ、そのような存在をも理解しようとすること、そこにこそ、人文的…

「過去は忘れたい、未来は知らない」:ユディ・タジュディンおよび共同創作アーティスト『ペール・ギュントたち~わくらばの夢~』

20191109@静岡芸術劇場 多様性と多層性と多元性 おそろしく情報密度の高いパフォーマンスだ。幕開けから異常な感覚にさらされる。情報量で圧倒してくるのではない。情報が多様に多層的なのだ。弓のように軽く湾曲した棒を頭の上に載せ、スーツケースを運び…

特任講師観察記断章。余計なこと。

特任講師観察記断章。「余計なこと「を」しない」というのが今の学生の基本的態度だと思うのだけれど、それはいってみれば、近代資本主義の根底にある分業制を生活のあらゆる側面にまで拡大したようなものだ。フォーディズムにおいて、流れ作業につく労働者…

特任講師観察記断章。「安全」でない場所としての教室。

特任講師観察記断章。授業終了時間の理解について、学生たちと自分のあいだには明らかな齟齬があるようだ。こちらとしては、時間ピッタリには始めないのだから、時間一杯までやっていいと思っているのだけれど、学生たちは残り10分ぐらいの時間帯になると明…