うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

繊細な深さ:オルガ・トカルチェク、つかだみちこ訳「番号」『ポケットのなかの東欧文学』(成文社、2006)

繊細な深さ。ホテルのメイドが紡ぎ出していく、どこかヌーヴォーロマン的な、ゆっくりとした執拗な描写。しかし、たんなる客観的な観察ではない。外部の観察が、自分の身体や感性へと折り返されていく。テクストが確かな肌理を、確かな手触りを作り出す。空間が象徴となり、象徴となった空間にメイドの存在そのものが融解し、融合していく。

部屋が私を包み込む。それはこよなく優しさにみち、触れることのできない愛撫、そうだ、ただ閉ざされた空間でのみ可能な愛撫。この空間にこそ、私ははっきりと自分の存在を、それがピンクと白の征服のすみずみまで埋めつくしているのを実感する。ハイネックの襟と胸の間のファスナーの冷たい感触を味わっている。私のウエストをきっちり締めつけているエプロンの紐のように。自分の皮膚が生きているのだ、と。それ自体の匂いを持ち、湯気をたて、そして優しく耳をなでる髪の毛を感じる時、立ち上がって、鏡を見るのが私は好きだ。そしていつだって驚かないことはない。(487頁)

ホテルがまるで神殿のような超俗的な場へと変容していく。掃除は、さまざまな客たちの生活世界への旅であるけれども、そこに生身の客たちの姿はないだろう。不在の旅行者たちの痕跡を消すことが掃除婦である彼女の役目で、その清掃作業のなかで、彼女は旅行者たちの生をなまなましく、しかしあくまで想像のなかで、体験することになる。たとえば日本人の清潔さを、アメリカ人の乱雑さを。だからこそ、客が残っている部屋を掃除するというのは、ひどいストレスになる。仕事がやりにくいという実務的な理由でもあるのだけれど、掃除婦としての彼女の威厳を損なうものでもあるし、密室のなかで客である男とふたりきりという状況に潜在する本質的な恐怖のためでもある。

2019年ノーベル文学賞の受賞者であるポーランドの作家オルガ・トカルチェクの短編は、あるホテルに務めるメイドのある1日の仕事を綴っただけの短編である。特別なことは何も起こらない。しかし、この何ということはない日常業務の描写のなかに、トカルチェクは、1人称の語りが可能にする繊細な深さを表現してみせる。それと同時に、メイドの働く場の拡がりーーそれはあらゆる現代社会の全世界への不可避的な開かれのことでもあるーーをしなやかに描き出していく。

ホテルの裏方で働く人々の顔ぶれは多様で、それはホテルの周囲においても当てはまるらしい。この短編で描かれる物理的な空間はとても狭いけれど、にもかかわらず、ここにはまるで世界のすべてが収められているかのような感触すらある。

特筆すべきは、つかだみちこの翻訳のすばらしさだ。トカルチェクの主人公は、どこか気だるげで、部屋に残されたとりとめのない痕跡から滞在客の生活に思いをはせてしまうような彼岸的なところを持ち合わせているが、同時に、皮肉な感性を備えたプロ意識の高いメイドでもある。この二面性を、抒情性と批判性の両方を、つかがみちこの翻訳は見事にとらえきっている。