うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

2022-09-01から1ヶ月間の記事一覧

複数的な演出原理の説明なき同居:石神夏希演出、三島由紀夫「弱法師」

20220917@舞台芸術公園稽古場棟「BOXシアター」 「扇風機もございませんし」とは言うが、扇風機はある。「喧嘩の場所じゃございませんのですから、ここは」とは言うが、段々になった観客席に四方から取り囲まれた正方形の白い床の舞台はまるでリングのようで…

ワーグナー『トリスタンとイゾルデ』「愛の死」の分析4(歌うとなると、音節は)

歌うとなると、音節は イタリア語が歌いやすいのは、音節が母音で終わる場合がほとんどだからだろう。それとは逆に、ドイツ語は、子音で終わる音節が多い。ということは、1音のなかで、母音部分と子音部分をわけて発音しなければいけなくなるということだ。 …

ワーグナー『トリスタンとイゾルデ』「愛の死」の分析3(楽譜を添えて)

楽譜を添えて では楽譜を添えてみるとどうなるか。1拍目と3拍目の入りと言葉のアクセントがシンクロしているところは太字の斜体にして、括弧で1拍目か3拍目を明記する。シンコペーションで言葉のアクセントが入ってくる箇所は赤字にする。また、詩行の終わり…

初めて交番に入る(落とし物を届けるために)。

交番に入ったのはもしかすると生まれて初めてのことだったかもしれない。落とし物を届けるために立ち寄ったのだけれど、それほど広くないスペースに4人もいて、そんなに人員が要るのかと反射的に思ったけれど、緊急事態、不測の事態に対応するためには、何が…

ワーグナー『トリスタンとイゾルデ』「愛の死」の分析2

音節で分ける 西洋語は音節に分割できる。音節は、母音を核として、その前後にひとつまたは複数の子音をまとう。たとえば、Liebe は Lie と be の2音節、Tod は1音節の単語になる。 ここで注意したいのは、母音は、レター(綴り)ではなく、サウンド(音)で…

ワーグナー『トリスタンとイゾルデ』「愛の死」の分析1

イゾルデは死んでいるのか? 慣習的に「愛の死 Liebestod」と呼ばれるワーグナー『トリスタンとイゾルデ』の最後の部分では、まったく興味深いことに、Liebe も Tod も歌詞には一度も現れない。 Mild und leisewie er lächelt,wie das Augehold er öffnet --…

言葉と肉体によるコンテンポラリーダンス:オマール・ポラス『私のコロンビーヌ』

20220503@静岡芸術劇場 舞台の最中に突然携帯電話の呼び出し音が鳴り響く。わたしたちはひどく驚き、不届き者はいったい誰なのかと苛立たし気に辺りを見回す。自分のものではなかったことに安堵しながら。スタッフすら不測の事態に浮足立っているようだに見…

トスカニーニがエリザベス2世のために振った国歌。

トスカニーニがフィルハーモニア管弦楽団を振った唯一(だと思う)の録音であるブラームス交響曲全集はたしか2000年代初めにTestamentから発売されて、その当時トスカニーニをよく聞いていたのですぐに渋谷のタワレコに買いにいったはず(もしかしたらHMVだ…

翻訳語考。Man of scienceは「科学者」か。

A man of science というフレーズがある。現在ではあまり使われない言い回しだが、19世紀の英語の文章でよく目にする。Google Ngram Viewer で見ると、1740年代後半から使用が始まり、1760年から70年にかけて急増した後、1872年まで増加傾向にあった。しかし…

翻訳語考。集合的な名称をどう訳すか。

翻訳語考。集合的な名称をどう訳すか。英語は -er や -ian のような接尾辞を土地の名前につけることで、「~人」のような意味の単語を作ることができる。たとえば、New Yorker であるとか、Californian というように。けれど、これを「ニューヨーク人」とか…

有機性による無機性:アルディッティ弦楽四重奏団+野平一郎によるオール・クセナキス・プログラム

20220903@静岡音楽館AOI クセナキスの音楽はもしかすると、ウェーベルン的と言いたくなるような断片的ブロックを、非有機的なかたちに繋いだような構造になっているのではないかと、譜面をめくる演奏家たちの所作を見ながら初めて思い至った。 アルディッテ…

狂気の約束を受け取った責任の行方:唐十郎、宮城聰演出『ふたりの女』

20220430@舞台芸術公園「有度」 唐十郎の『ふたりの女』は妄想の約束を受け取った責任をめぐる物語なのかもしれない。紫式部の『源氏物語』とチェーホフの「六号病棟」を本歌とするらしいこの戯曲は、ミイラ取りがミイラになるお話と言って差しつかえないだ…

意図された(されなかった)消化不良:アルベール・カミュ、ディアナ・ドブレヴァ演出、イヴァン・ヴァゾフ国立劇場『カリギュラ』

20220429@静岡芸術劇場 4カ月遅れの劇評、というか、記憶の発掘(これは観劇後のちょっとしたメモと、冒頭だけ書いて放ってあったものをいまさらながらに補完したもの)。 頭のてっぺんを観客に向け、足先を上にまっすぐ突き出し、白黒の格子模様の床に、俳…

職人的な芸術家:ミシェル・アルシャンボー、笠羽映子訳『ブーレーズとの対話』(法政大学出版局、2022年)

ピエール・ブーレーズは怠惰を嫌い、創意を愛していた。複雑さを好み、複雑なものを理解し鑑賞するために努力を払わない者を軽蔑していた。 いや、もしかすると、軽蔑していたというよりも、そのような怠け者の心情にたいしてこれっぽっちも共感を抱けなかっ…

接触の官能:オクタヴィア・E・バトラー、藤井光訳『血を分けた子ども』(河出書房新社、2022年)

オクタヴィア・E・バトラーは異生物との肉体的な接触を描き出す。節足動物にも似た多数の足に、または、軟体動物の触手のようなものに、全身を抱擁され、包み込まれるという経験。それはひどく肉感的なものであると同時に、おぞましいものでもある。ゼロ距離…

フランス語のリスニング力の向上、または綴りを経由しない音から意味へのダイレクトな変換

ここ半年ぐらいできるだけ毎日フランス語を聞くようにしている。10分程度のニュースを大学まで歩きながらしっかりと聞くときもあれば、作業をしながら2時間も3時間もBGM代わりに流すだけのときもあった。フランス語のセンテンスを英語で解説する5分ぐらいの…