うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

2019-04-01から1ヶ月間の記事一覧

ふじのくに⇔せかい演劇祭2019、『Scala‐夢幻階段』

20190429@静岡芸術劇場 サーカス in C ミニマル・ミュージックにたいするサーカス・パフォーマンスの返答。とりあえずそう言い切ってしまっていいのではないか。比較的単純なテーマ群がある。左手のドアを開けて入ってくる。右手のドアを開けて出ていく。額…

ふじのくに⇔せかい演劇祭2019、宮城聰演出、唐十郎『ふたりの女』

20190428@舞台芸術公演「有度」 面白そうなテクストであることはわかったし、興味惹かれる演出ではあったけれど、正直に言うと、入りこめない感じがした。それはもうほとんど直感的なもので、言葉を費やして言い訳するより、ただシンプルに「合わなかった」…

持久力のある抵抗:鶴見俊輔「方法としてのアナキズム」『鶴見俊輔集9』(筑摩書房、1991)

結局は能率的な軍隊の形式にゆきつくような近代化に対抗するためには、その近代化から派生した人道主義的な抽象観念をもって対抗するのでは足りない。国家のになう近代に全体としてむきあうような別の場所にたつことが、持久力のある抵抗のために必要である…

上野千鶴子東大入学式祝辞

上野千鶴子の祝辞はノブレス・オブリージュを喚起してしまっているきらいはないか。つまるところ、上野千鶴子は、東大が、そして東大の卒業生が、社会の支配層に回ることを前提として話を進めているように聞こえる部分がある。 「あなたたちが社会を支配する…

植物というこの豊かな存在:ステファーノ・マンクーゾ『植物は<知性>をもっている』(NHK出版、2015)、『植物は<未来>を知っている』(NHK出版、2018)

動けないのではなく、動かない。中央集権的なシステムを持たないのではなく、そういったものを必要としない。どこか特定の部位でだけ感じたり考えたりするのではなく、全身のいたるところで感じたり考えたりしている。個体として生きるのではなく、群生し共…

中途半端なものをラディカルに肯定し続ける:アイザイア・バーリン「理想の追求」『バーリン選集4』(岩波書店、1992)

われわれにはできることしかできない。しかし、いろいろ困難があってもそれはやらねばならない。(27頁) いいとこどりはできない。アイザイア・バーリンはマキャベリを読みながらこの結論に思い至るが、それはショッキングなことだったと述懐している。キリ…

潜在的なものでしかない理性的能力(ブクチン『社会を作り直す』)

"The ability to reason out certain premises to their conclusion does not come too easily in what is, after all, a largely unconscious primate whose capacity to be rational is more of a potentiality than of an actuality." (Bookchin. Remakin…

特任講師観察記断章。最初の言葉。

特任講師観察記断章。「入学おめでとうございます、と言うべきところなのでしょうけれど、いま考えて欲しいのは、これからどうするのか、どうしたいのか、という問題です。これまでは大学受験というわかりやすい目標があったし、どのくらい点をとれば合格で…

何もなさなくていい状態に戻り続ける:三島由紀夫「邯鄲」『近代能楽集』

奇妙な戯曲だ。幼児回帰幻想のようなものが主題化されるが、それは、幼児化する青年と、幼児化を誘うかつての乳母的存在との相互依存によって出現するものである。それでいて青年には女性嫌悪と女性蔑視が入り混じっている。女を嫌い、女を見下す、それはど…

アメリカ観察記断章。カトラリーの使い方または片手の使わなさ。

アメリカ観察記断章。カトラリーの使い方については以前書いたことがあるけれど、アメリカ人は基本的に左手(利き腕ではないほうの手)を使わないし、使わないどころかテーブルの上にすら置かないのが普通で、ステーキのように両手でフォークとナイフを使わ…

アメリカ観察記断章。ニューヨーカーの信号無視。

アメリカ観察記断章。ニューヨーカーの信号無視。マンハッタンを歩いていると赤信号で飄々と道路を渡る歩行者に頻繁に遭遇した。律儀に信号を守っているほうが少数派だという気すらするほどに。この一見したところ無法状態に思われるものは意外と理にかなっ…

わたしたちは反抗する尊厳、わたしたちは尊厳ある怒り:ジョン・ホロウェイ『資本主義の中で資本主義に抗い資本主義を越える』(PM Press、2016)

John Holloway, In, Against, and Beyond Capitalism: The San Francisco Lectures. PM Press. 2016. わたしたちは犠牲者ではない、それが尊厳についての重要なポイントであることは間違いありません。尊厳について話すとき、わたしたちは「ちがう、そうじゃ…