うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

20240321 カナダ滞在まとめ。

カナダ滞在のまとめ。

*「カナダの東側は英仏バイリンガル」というあまりに雑な認識と、「モントリオール交響楽団シャルル・デュトワのフランス音楽といえばフランスのオケよりもフランス的」という謳い文句ぐらいしか頭にない状態でやって来たけれど、最終的な結論としては、ケベック州は「フランス語的」ではあるけれど、かならずしも「フランス的」というわけではない、とまとめてみたい。

*先住民たちが暮らしていたところに作られた「ヌーベル・フランス」は、フランスのカトリック宣教師たちの布教の地でもあり、その意味では旧世界的な余韻がある。現在でもカトリックが人口の30%近くに上るという。この点で、プロテスタント系のアメリカとは異なるところだろう(ただし、現代のカナダはかなり世俗化されてもいるそうだ)。

*フランス先鞭を付けた開拓事業は、18世紀なかば、イギリスに奪われる。カナダがイギリス領となったため、アメリカ独立戦争の際は、アメリカから攻撃されている。第一次大戦時には、大英帝国の一部として出兵を余儀なくされている。インドやアフリカがイギリスの植民地であったのと同じ意味でカナダがイギリスの植民地であったわけではなかったものの、アメリカのようにイギリスから独立した存在であったわけでもなく、そこに、カナダの特異性——ヨーロッパとの地理的かつ心理的な距離感(アメリカとの共通点)、政治的な自律性の欠如(植民地との共通点)――があるように思う。

*英語だけで用が足りてしまった。ただ、こちらが「Hello」と口火を切らないかぎり、まずは「Bonjour」と話しかけてくるし、別れ際には「Bonne journée/soirée」のほうをよく耳にした気もするけれど、英語が通じないということはなかった。面白いのは、ケベック州の議事堂では、半で押したように「Vous parlez français?」と訊かれたこと。州の公用語がフランス語である以上、ここは譲れない一線なのだろう(ただ、英語で返答すると英語に切り替えてくれるので、そこはかたくなではない)。

*物価はやはり高い。いや、というよりも、日本が安いのだ。ちょっとしたレストランで食べれば、消費税込みで30CAD(3300円)はかかる。そこに飲み物やもう一皿を付ければ、50CAD(5500円)は軽く上回る。感覚的には、日本で同じようなものを食べたら、その半額とまでは言わないまでも、6-7割ぐらいに収まるだろう。そう考えてみると、インバウンド向けの海鮮丼が7000円オーバーというのは、海外からの旅行者の自国での外食にさいの金銭感覚からすると、異常なほど高くはないのだろう。

*ただ、ちょっと不思議なのは、昔ながらのレストランと、今風のレストランで、そこまでの価格差を感じなかったこと。たとえば、メインディッシュはどこでもだいたい25-35CADぐらいはするし、その価格差の基準は、鶏肉か牛肉かジビエ(トナカイ、バイソンなど)かにあるような感じもした。別の言い方をすると、ファーストフードではなく、きちんとテーブルに座って給仕してもらう店に入るのであれば、それなりの金額を出すことを覚悟しなければならないので、店選びには真剣になる。個人的には、伝統的なお店よりも、最近のトレンドを取り入れたお店のほうが好みでした。

*カナダは水道水が飲めるらしいけれど、そのせいなのか、どこでも水はたっぷりと出てきた。オリーブオイルの空き瓶だったり、ちゃんとしたカラフェだったり、出し方はまちまち。しかし、おおむね、ピッチャー的なものをテーブルに置いてくれていた。

*カナダでは食事にパンをつけないのか、パンは自動的には出てこない(頼むと出してくれるところもあるようだ)。カナダの主食(メインの炭水化物)が何なのかは、いまひとつよくわからないままだ。あえていえばポテトなのかとは思うし、プティン(フライドポテトにグレービーソースをかけて、チーズカードをトッピングしたもの)はその典型かもしれない。

*コーヒーはエスプレッソがデフォルトな感じがあるというか、コーヒーメニューのトップに来るのはエスプレッソのことが多かった。しかし、だいたい、「allongé」という見かけない選択肢がある。動詞 allonger は英語なら stretch や dilute の意味であり、「伸ばす」「薄める」と訳せるだろう(allongé は allonger の過去分詞形なので、この場合、「薄められた(エスプレッソ)」ということになる)。しかし、これは、エスプレッソをお湯で伸ばした「アメリカーノ」とはまた別物である(「アメリカーノ」はまた別カテゴリーとしてメニューに載っているからだ)。イタリア語だと「lungo」(長い)と呼ばれるものらしい。抽出する際に水を倍量使うようだが、そのようなことを知らずに飲んでいた身からすると、普通のエスプレッソの半分の濃さという感じはなく、いまこうし調べて、そういうものだったのか納得した次第です。

*VIA(カナダ国鉄)のシステムは、アメリカの Amtrack とよく似ている。チケット価格は変動制で、同じ区間でも、購入のタイミングや乗車する曜日で値段が違う。もちろん早めに買った方が安く、そして、週末のほうが高いようである。不思議なのは、予約も乗車券すべて電子化されているのに、乗車チェックは人力だし、車内確認も人力なところ。行き先に応じて、座席上の荷物入れのところに付箋のようなものを付けていく。車内販売はあるけれど、クレジットカードは使えるのに、現金は受け付けない。ハイテクなところとローテクなところが混在している。個人的に大いに驚いたのは、モントリオールからケベックシティに行くときに乗った列車は、車内数か所に次の停車駅を知らせる電光掲示があり、座席もとてもきれいだったのに、ケベックシティからモントリオールに戻るときの列車は、座席のカバーが破けそうなほどに年季が入っており、電光掲示もなかったこと。さらに言えば、帰りは「前向き Forward-facing」(進行方向に向いて座る)席を予約したはずなのに、席に行ってみれば「Backward-facing」になっていたこと。なぜかと思って係員に尋ねたところ、「いろいろあって、当初予定していたのとは違う車両で運行しているせいではないか」という回答があった。このあたりのグダグダ感を見せつけられると、JRのダイアの正確さが異常であるようにすら思えてくる。

モントリオールケベックシティも、歩行者用の信号はあって欲しいところすべてにあったと言っていい。アメリカ(西海岸)だと、車優先であるため、歩行者が割を食っている部分があるし、それは日本においても当てはまるだろう。しかし、ケベック州では、アメリカ(西海岸)と同じぐらい多車線で広い車道になっているにもかかわらず、車優先という感じはしなかった。

*男女ともにかなり背の高い人がいる。信号待ちでふと横を向くと、見上げるように背の高い人がいたことが何度もあった。ただ、それは往々にして白人なのだけれど、ヨーロッパでは背の高い人々がいるところですぐ思い浮かべるのは北欧であって、カナダに最初に入植したフランス人ではない。とすると、なぜカナダにいる背の高い人々の出自はどこになるのだろう。

歩きタバコをよく見かけた。とはいえ、カナダの喫煙率が取り立てて高いわけではない。モントリオールというカナダ第二の大都市だからとくに見かけただけなのかもしれない。マリファナを吸っているところを通りかかったことも1度や2度ではない。

*ホームレスを街のいたるところで見かけたということはない。それはもしかすると、カナダ東部の冬があまりにも厳しく、路上生活が事実上不可能だからかもしれない。しかし、日中、地下鉄の入り口とホームのあいだの地下空間で眠っているホームレスを少なからず目にした。とくに大きめの駅では。柱の隅に身を寄せるようにして、しかし、自分の前の通路のわりと真ん中あたりに小銭をせびるための紙コップを置いて、地面に横たわっていた。冷え込む夜(地下鉄は夜中も開いており、暖房が効いているのだろうか?)に寝るのは自殺行為なので、昼のあいだに寝ているのだろうか。

*3月でも寒いということだったので、かなり厚着できるように準備して行ったのだけれど、そこまで身構えなくてもよかったというのが正直な感想。ユニクロのウルトラヒートテック、ウールのセーター、ユニクロのライトダウン、マフラー、防風撥水の軽いダウンのロングアウターぐらいは必要かなと思って用意したものの、ユニクロのライトダウンが必須だったのは10日中、2日あったかどうか。もちろん、1日中外にいるということになればまた違うはずだが、外を出歩くのは限定的で、1日の大半は室内というのであれば、1枚減らしてもよかったと思う。

(そういえば、モントリオールを歩いていてユニクロを見かけなかったなと思って調べてみたら、モントリオールの街中にはユニクロは1店舗しかないそうだ。)

というわけで、10日間でずいぶん回ってきたような気もするし、典型的な観光地を勤勉に巡ってきただけ(『Lonely Planet』と『地球の歩き方』の導きに従って)という気もする。でも、ひとつ確かに言えるのは、カナダがずっと身近になったこと、カナダでこれから起こることがどこか自分に関係のある事柄のように感じられるようになったことだ。

それがいいことなのかそうでないことなのか、それはわからない。しかし、自国を出て異国を旅することは、故郷を増やす行為にほかならないのではないかという確信はますます深まりつつある。そして間違いなく、わたしたちの誰もが、もっともっとたくさんの故郷を、この惑星の至る所に持つべきなのだ。それがきっと、すべての人の未来のために一番よいことなのだと思う。