2021-04-01から1ヶ月間の記事一覧
20210429@舞台芸術公園「有度」 宮城聰演出、唐十郎『おちょこの傘持つメリー・ポピンズ』 舞台のうえには傘屋の仕事場とおぼしきものがポツンと立っている。色とりどりの傘が並んでいる。開いたものが手前に、閉じたものが下手側の天井からぶら下がってい…
"All we have, we have taken from the earth; and, taking with ever-increasing speed and greed, we now return little but what is sterile or poisoned. Yet we can't stop the process. A capitalist economy, by definition, lives by growth...We ha…
2018年6月9日@静岡芸術劇場 渡邊守章が岩波の解説部分で書いていたけれど、4日目こそがクローデルの作品の前衛性であり、あそこが60年代の不条理劇やナンセンスを先取りしているのだというのはそのとおりであるし、あそこがあるから、劇がたんなる宗教劇的…
朝比奈隆の音楽は愚直に真摯であり、誠実な確信にあふれている。ときとして鈍重に響きはする。泥臭く、スタイリッシュではない。しかし、何かを真似ているのではない凄みがある。 朝比奈の指揮は決してうまくない。タクトだけでオケをドライブできる類の指揮…
「答えがあらかじめ決まっている問いというのもある。少なくとも問いかけた側にとっては、正解がひとつしかない類の問いだ . . . 答えはもう決まっていて、それを押しつけ罰を与えたいだけなのだ。わたしの人生の目標のひとつは . . . 答えが出ている問い [c…
「人の力でアナーキストになろうとするなんて . . . とにかくたしかなのは、真のアナーキズムにおいては、ひとりひとりが、自分の力で、自由を創造し、社会的虚構とたたかわねばならないということなのだ . . . この真のアナーキズムの道を歩もうという者は…
「酔いには、太陽や旅がもたらす陶酔から疲労やワインによる酔いまでさまざまな種類があるだけではなく、海の水深のように異なった「深さ」もあり、そうした酔いが私たちのうちで、まさに各々の深さのところにいる一人の特別な人間の存在を暴き出す。」(プ…
アーノンクールの演奏を聴くと、目をぎょろつかせた、何かに烈しく怒っている顔が頭に浮かぶ。しかしその顔をしばらく見つめていると、その憤激の裏に奇妙なユーモアがあることにも気づかされる。あまりに生真面目で、あまりに真剣なので、とても笑顔とは言…
「劇は、貧しいそして不安な生活が、その思想にたいする避難所を夢想のなかに求める、ということを前提とするものである。もしわれわれがもっと幸福でもっと自由であったら、劇の必要はないはずである . . . 幸福なそして自由な民衆には、もう劇などの必要が…
小澤征爾を聞くと、柄谷行人の言葉を思い出す。アメリカに行って、デリダやド・マンのようなことを英語でやることはできないと思ったが、言語の言語性に依拠しない純粋な論理が焦点となる分析哲学のような領域であれば渡り合えると思った、というような発言…
「訳文もまた、難所にかかれば、跳ばなくてはならない。出来るかぎりは細心に、気合もこめて跳ぶ。しかしどんなに跳越の姿勢と軌道を制御しても、哀しいかな、着地がいずれ、ずれる。少少の誤差がどうかすると、大きな差異となる。もともと、すぐれた詩文は…