うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

2020-02-01から1ヶ月間の記事一覧

反効率的な愚直さから作り出される流動的で水彩画的な透明感:グッドールのワーグナー

響きを透きとおらせるには何が必要なのか。個々の奏者が正確な音程を出せることは大前提ではあるが、それ以上に決定的なのは、個々の音のあいだのバランスであり、マスとしての全体の音のあいだに出現する重層的で複数的な関係性なのだと思う。指揮者はそれ…

線の太い武骨な丁寧さ:マンフレッド・ホーネックの狭い深さ

最近ニューヨーカーが届くとまずアレックス・ロスの音楽評論があるかをチェックして、そこから読むことにしているのだけれど、それは彼の審美眼(審美耳?)の正しさにますます信頼を置くようになってきたからでもある。いや、もしかすると、客観的な正しさ…

「個人的な時間の流れに降りて行く」(多和田葉子「文法のすれちがいと語りの声」)

「小説を書くということは、非常に個人的な時間の流れに降りて行くということですので、規則を守りきれなくなることがあります。規則を破ろうとして破るのではないのですが、気がつかないうちにはみ出してしまうのです。」(多和田葉子「文法のすれちがいと…

料理と学問の両立?(岡野弘彦『最後の弟子が語る折口信夫』)

「[大正十年(一九二一)]三月三十一日、折口宅で柳田の渡欧壮行会を催す……折口は二十人分ぐらいの天婦羅を一人で揚げてもてなし、柳田から「こんなに熱心に料理をする人の学問は大成するだろうか」と心配されたという。」(岡野弘彦『最後の弟子が語る折…

「天才とはわれわれの未来である」:アーノルト・シェーンベルク、上田昭訳『シェーンベルク音楽論選――様式と思想』(ちくま学芸文庫、2019)

生産的な人間は自分が再現したいと願っているものを完全にイメージして心の中に抱くことができるのだ。(149頁)*1 天才論というコア シェーンベルクの芸術観の根底にはあるのは天才論であるように思えてならない。 独り天才のみが存在し、未来は天才のため…

特任講師観察記断章。真面目過ぎること。

特任講師観察記断章。「先生は真面目過ぎますよ」と今日TOEICの特別補講に参加していたかつての学生から言われた。評点のつけ方が辛いとか、接し方が厳しいというようなこともひっくるめてのことなのだとは思うが、この学生がいちばん槍玉にあげていたのは、…

特任講師観察記断章。音にたいする不感症。

特任講師観察記断章。今年度の教育業務はほぼ終了した。英語を教えるほどに、日本の英語教育のなかにある根本的な欠落を痛感するようになってきた。 おそらくその欠落を生み出したのは会話やコミュニケーション偏重という動きだろう。もちろん、それによって…

純粋に内的な状態(プルースト、高遠弘美訳『スワン家のほうへI』)

「架空の、という新たな範疇に入る人物たちの行動や情動がほんとうのものに見えたとして、いったい何が問題だというのだろう──小説のなかの彼らの行動や情動はすでに私たちのものでもあるのだし、そして、そうした行動や情動が生まれるのも、また、それらが…

精神の仕事 (プルースト、高遠弘美訳『スワン家のほうへI』 )

「真実を見つけるのは精神の仕事だ。だが、どうやって? 精神が自らを制御できないと感じるたびに必ず生ずる深刻な不安、精神全体が暗黒の世界と化してなお、探求者としての精神は探求を続けなくてはならず、しかも、それまでの蓄積がいっさい通用しないとき…

ベルクとプッチーニの近さ:イタリア人指揮者とイタリアオケによるイタリア語歌唱のドイツオペラ

イタリア語で歌われるとベルクがプッチーニからさほど遠いところにいるわけではないことが直感できる。 彼らの室内楽的なアンサンブルは、リヒャルト・シュトラウスのものと比べると、響きの層に中抜けがある。それはマーラ―の9番の系譜に連なる不安定な音響…

西欧を普遍化するために、またはお姫様と王様は金髪に白い服でなければならないのか:オリヴィエ・ピィ作、宮城聰演出『グリム童話~少女と悪魔と風車小屋~』

20200202@静岡芸術劇場 神話を持たない民族は存在しない。ヴィーコは『新しい学』のなかでそんなことを書いていたと思う。自然発生的に生まれた共同体はかならず何かしらの物語を共同で作り上げ、世代を超えて引き継ぎ、修正や変更を加えながら語り続けてき…

特任講師観察記断章。「不可」を与えることにたいする抵抗。

特任講師観察記断章。「不可」を与えることに感じてしまうこの抵抗は何なのだろう。最終成績は、もうすでに確定しているセクションごとの小計を合わせるだけのことだ。各セクションの得点にしても、中間期末を除けば、短答式のものだから、恣意性の入り込む…

思考を感覚する、身体が思考する(ロバート・リデル『カヴァフィス 詩人と生涯』)

「カファヴィス詩においては「思考が感覚される」場合だけではない。逆もまた真である。――(意図はかなり異なるが)ジョン・ダンのエリザベス・ドルーリーのように、カヴァフィスの身体は「思考している」。カヴァフィスが大詩人であろうとなかろうと、彼が…

アンサンブルとデモクラシー:模倣と交替、または感応

アンサンブルほどデモクラシーの原理にのっとっているものもない。そこでは、互いに異なる存在たちが、まさにその多様性ゆえに尊重される。本質的に異質な存在が、同じひとつの目的のために、様々な役割を演じる。どれほどちっぽけなパートであれ、たとえほ…

ソリストの伴奏、伴奏ピアニストの伴奏:音楽の内的必要性、音楽以外の必要性

微妙な見下しのニュアンスがある「伴奏ピアニスト」――ソリストとしては一本立ちできない二流のピアニスト――という肩書はいまも使われているのだろうか。 室内楽における伴奏は、ソロと同じように、動機を発展させ、和声を確保し、リズムを刻んでいく。たしか…