うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

特任講師観察記断章。音にたいする不感症。

特任講師観察記断章。今年度の教育業務はほぼ終了した。英語を教えるほどに、日本の英語教育のなかにある根本的な欠落を痛感するようになってきた。

おそらくその欠落を生み出したのは会話やコミュニケーション偏重という動きだろう。もちろん、それによって獲得されたものは少なくない。自分が大学生だったころと比べれば、エントリーレベルでのスピーキング力は遥かに高くなっているように思う。プレゼンをやらせれば、どのレベルの学生もそつなくやってくる。会話の試験をやってみても、まったくの沈黙に陥るということはなく、ある程度の言葉はそれなりに出てくる。かなり限定された意味でしかないとはいえ、英語でアウトプットすることができる。それが大きな進歩であることにまちがいはないし、否定されてはならない大きな達成である。

しかしその一方で、置き去りにされてきたものも計り知れないほど大きい。本当に不思議なのは、ここまで英語を「話す」ことを強調しているくせに、英語の音楽的側面とでも言うべきものには恐ろしく無頓着なことだ。

音にたいする不感症を意図的に育ててきたとしか思えない。発音記号がわからない。区別しなければならない発音(たとえばsとth、lとr、bとv)を実践レベルでは区別できない。フレーズの切れ目がわからない、だから、どこで息継ぎをするべきなのかがわからない。Yes/No質問文とWH質問文のイントネーションがわからない。音節感覚がない。アクセントの意義がわかっていない、または、アクセントがどこにあるかは理解していてもそれを実践することができない。単語レベルでのアクセントはわかっていても、フレーズレベルでのアクセントがわからない、だから、フレーズやセンテンス内での加速減速ができない。

今年度はかなり音声的・音楽的側面を強調しながら音読をやらせてきたけれど、学生の音読をいかにも英語らしく響かせるには、いくつかのハードルを段階的に越えさせていくのが効果的なのかもしれない。

ひとつめのハードルはポーズの感覚だ。なぜかこの当然のことが出来ない。ピリオドのあとで休止せずにそのまま読み進めていく学生のなんと多いことか。まずここを徹底させる必要があるらしい。それはつまるところ、読むことにたいする意識をオンにすることであり、音読行為とは、繊細な注意を要する複雑なプロセスであることを叩き込むことでもある。

ふたつめのハードルはコンマの感覚だ。これは実際に打たれているコンマのことでもあれば、コンマはないがフレーズの切れ目ではある箇所(たとえば主語/述語/目的語/場所というような切れ目)のことでもある。前者は目に見えるから比較的容易だけれど、視覚的ヒントのない後者はそうでもない。というのも、後者は確かな文法意識が必要だからで、それはオーラル偏重の英語教育がなおざりにしてきたものであるらしいから。しかし、フレーズ感覚をここで身につけさせないと、先には進めない。

みっつめのハードルは音を伸ばす感覚だ。日本語は基本的に音節ひとつひとつの長さは一定なのだと思う。というよりも、「あ・り・が・と・う」というとき、わたしたちはどの音がどの音よりも長い/短いとか、どの音がどの音よりも強い/弱いということを、意識的には意識しないのだろう。しかし、それは日本語が母語だから可能なのであって、それを英語に持ち込まれては困るし、英語は日本語よりもはるかにアクセントが強く、伸び縮みする言語なのだから、無意識的なアクセント感覚の密輸入はいっそう厄介な問題だ。これをクリアするには、英語の音の強弱と長短を直感レベルにまで刷り込まないといけない。強弱の感覚であるアクセントはまだ辞書を調べればわかるが、長短の感覚はずっと直感的なものかもしれない。実際、これを身に着けさせるのはかなり難しく、このあたりまでマスターできる学生は多くはない。3分の1ぐらいだろうか。

よっつめのハードルは音を飛ばしたり縮めたりする感覚だ。シラブルの感覚と言ってもいい。ある意味、上記の3つのハードルは、カタカナ発音でもギリギリなんとか越えられる。しかし、このよっつめのハードルだけは、カタカナ発音を卒業しなければ、英語特有の音節感覚を身につけなければ、どうにもならない。カタカナで転写する限り、Thank youは「サ・ン・キュー」は3音節にしかならないが、英語なら2音節だ。one of themは「ワ・ン/オ・ブ/ゼ・ム」と6音節になってしまうが、英語なら3音節だ。英語のほうがカタカナより絶対的に音節数が少ない。この少なさから生まれてくる独特のリズム感がある。必然的な疾走感がある。イントネーションのもとになる細かなウネリのようなものも、英語の個々の音のあいだにある不均衡というか、エネルギーの偏りのようなものに起因するものだ。しかし、正直に言えば、これはどう教えたら伝わるのか、いまだによくわからない。音楽を使ってみたり、詩の朗読をさせてみたり、いろいろと試行錯誤してみたものの、いまひとつ正解が見えない。

来年度はこのあたりに焦点を合わせてみたいと思う。強い弱い、長い短い、速い遅い。これらのパラメーターのあいだにある複雑な関係を直感レベルで身に着けさせること。

 

それから、語末の子音に母音を付け足させないということを、付け足しとして挙げておきたい。英語は子音で終わる単語のほうが圧倒的に多いのだから、語末の子音という差して難しくはないところがきちんとできるようになれば、それだけで発音の正答率は跳ね上がる。実際のところ、lとrの区別というかなり難しいところよりも、語末の子音という簡単な発音を徹底的にやらせるほうが、はるかに効率はいい。