うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

2019-09-01から1ヶ月間の記事一覧

様式性のなかの写実性:「円山応挙から近代京都画壇へ」

20190916@東京藝術大学 円山応挙の写生画はいったいどこまでリアリズム的なのか。応挙がスケッチに心を砕いていたことは、彼の写生帖を見ればよくわかる。そこではまさに写実的に草花が写し取られている。デフォルメも誇張もなく、葉の一枚一枚、花びらのひ…

特任講師観察記断章。日本の縦長の教室。

特任講師観察記断章。先々週、学会発表のために、関東圏の私立大学と国公立大学を訪れることになって、そこでいくつかの教室を見て気づいたのだけれど、日本の教室はどうしてこうも縦長なのだろう。実家近隣の公立の小中高は、どこも正方形にちかい比率だっ…

「強制をともなわない欲望の再配置」:ガヤトリ・スピヴァク、大池真知子訳『スピヴァク みずからを語るーー家・サバルタン・知識人』(岩波書店、2008)

ある言語を学ぶたった一つの理由は、その言語で詩を読めるようになるためです。(34-35頁) ここには2003年から2004年にかけて行われた4つのインタビューが収められている。ポスト911の時代の空気がただよっているが、会話の中心となるのは、副題にあるよう…

名前のないモノ(サルトル『嘔吐』)

”Things are divorced from their names. They are there, grotesque, headstrong, gigantic and it seems ridiculous to call them seats or say anything at all about them: I am in the midst of things, nameless things. Alone, without words, defenc…

教えることのいかがわしさ:エリック・ホッファー、田中淳訳『波止場日記――労働と思索』(みすず書房、2014)

真に生きているとは、すべてが可能と感じることである。(173頁;1959年3月4日) 学ぶことの歓び、教えることのいかがわしさ ホッファーが湾岸での肉体労働のかたわらで書き溜めた日記のなかの思索をひとことでまとめれば、そうなるかもしれない。学びは歓び…