うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

特任講師観察記断章。日本の縦長の教室。

特任講師観察記断章。先々週、学会発表のために、関東圏の私立大学と国公立大学を訪れることになって、そこでいくつかの教室を見て気づいたのだけれど、日本の教室はどうしてこうも縦長なのだろう。実家近隣の公立の小中高は、どこも正方形にちかい比率だったと思うけれど、それでもやはり縦が長くなる傾向にあったと思う。縦に長いと、最後列に座る人間と教壇に立つ人間の距離が開く。たとえば、4人掛けが6列と、6人掛けが4列では、空間のニュアンスはずいぶん変わってくる。アメリカだと、ホワイトボードは、前と後ろに合わせ鏡のように置かれるのではなく、前と横に斜めに向かい合うように置かれていて、教室を縦にも横にも使えるようになっていた部屋もあった。10人3列のような、横に長い教室さえあった。日本の縦長の教室は、権威=教師に近いゾーンを狭くすることで、そこに稀少性と親密性という特権を作り出し、空間を無意味に序列的なものにしてしまっているように感じるし――実際、教師は教壇と黒板のあいだに置かれた足台という一段高いところから語る――、教師から遠いゾーンを作ることで、教室内に大きな盲点をいくつも作り出してしまっているともいえる。しかしいちばんの問題は、デフォルトの空間を作り変える余地の少なさのほうかもしれない。黒板の固定性のせいで、立ち位置を変えられない。机も椅子も動しにくい。学生を動かすのも難しい。動くことに慣れていないからだ。この硬直した空間を流動化させるには、教えるほうが動いたほうがいいのかもしれない。教壇という高みから降りて。