うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

心地よく消えていく音楽:サヴァールとル・コンセール・デ・ナシオンの第九

ジョルディ・サヴァールル・コンセール・デ・ナシオンのベートーヴェンは音が拡散していく。音楽が凝縮しないのだ。しかし、かといって、音が空間を充溢させるのでもない。音が輝かしく空間をただよい、すっと空気に溶けていく。これはもしかすると、バロック的なベートーヴェン演奏と呼んでいいのかもしれない。

サヴァールの指揮は見栄えのするものではない。身振りは控えめ。指揮棒はぎこちなさそうに、直線的に動く。視線は譜面台に置かれたスコアに注がれているときのほうが多い。ときおり、外に向かう大きな身振りが繰り出され、要所要所で合唱団とコミュニケーションをとるけれど、オーケストラとのアイコンタクトは少ない。停滞を嫌うかのように淡々と拍が刻まれる。

音楽が粘らない。ドイツ系の指揮者であればタメてしまうところ、音楽の継ぎ目に当たる箇所を、サヴァールは、それまでのフレーズの終点としてまとめるのではなく、次のフレーズの導入部として扱っているのだろう。

粘らない音楽は、オーケストラの演奏にも当てはまる。メンバーの顔触れは多彩だが、ラテン系が大半のようで、もしかすると奏者の気質やバックグラウンドによるところが多分にあるのかもしれない。サヴァールもスペイン出身であり、古楽畑といっても、折り目正しく禁欲的なオランダの音楽家たち(レオンハルトクイケンブリュッヘン)、ユーモアやウィットの効いたイギリスの音楽家たち(ノリントン)、アグレッシヴな諷刺精神を発散させるドイツ・オーストリアの音楽家たち(アーノンクール)とは、ずいぶん系統が違う。

あからさまに愉悦的というわけではないが、音色が明るく、外向的。カトリック的、というのは不適切かもしれないが、キリスト教的というよりも、普遍的という意味でとるなら、あながち的外れではないだろう。サヴァールヨーロッパ大陸以外の音楽――大航海時代を先導したのはスペインやポルトガルであった――の演奏に積極的であるし、そうした仕事をとおして内面化された脱西欧的な音楽感覚があるのかもしれない。演奏者の髪型を見ていると、わりとファンキーな感じの人もいる。

第9には、とくに4楽章には、オーケストラ奏者からするとわりと不毛な細かいパッセージからなるフーガがあるのだけれど、ル・コンセール・デ・ナシオンのメンバーはこれをエキサイティングに弾き切っている。それは、もしかすると、バロック音楽幾何学的なフレーズに慣れ親しんでいる部分があるからかもしれない。フレーズは有機的に歌うけれど、幾何学的な運動性、反復的な機械性を、無理やり人間化しようとはしないその一方で、ホルンがピリオド楽器をわりと難しそうに弾いていたりするのはとても面白いし、木管楽器がリコーダーのように聞こえたりして、不思議な人間味があるオーケストラでもある。

合唱団はドイツ語の歌詞をとても大切に歌っている(とくにMuß ein lieber Vater wohnen[きっと愛する父はいらっしゃるはず]の箇所。合唱団はドイツの団体なので、ドイツ語はネイティヴなのだろうけれど、ここまで言葉がはっきりと聞こえてくる――しかも、ことさら言葉を際立たせようしていないにもかかわらず――のは、かなりめずらしい部類に入ると思うのだけれど、サヴァールが合唱団とともに歌詞を口ずさんでいるところを見ると、これは合唱団が巧いだけではなく、指揮者の解釈によるところが大きいのだろう。

ソロの歌手たちも同様の歌い方(こんなふうにメインで歌う時だけステージ中央に出てきて、歌わないときは脇に退いていくという形式は初めて見た)。

ここまで音が空気に拡散して音楽が空気に溶けていくのは、演奏会場がコンサートホールではない部分はきっとある。World Conference Center Bonnは、国際会議場とでも訳したほうがいい場所で、ホールの音響はよくないはずだ。すくなくとも、オーケストラの演奏を前提にして設計された空間ではない。だから、音が散るのは、意図的な解釈のためではなく、不可避的な場の効果である可能性は否定できないし、コロナ対策のためだろうか(または、合唱団のために使えるスペースの関係上だろうか)、合唱団のメンバーが距離を取って立っており、かなり横に長い配置になっているせいもあるだろう。しかし、そうした現実的な要請があったことはまちがいないとしても、これはやはり、サヴァールの目指す音楽なのだと思う。

象徴的なのは、4楽章の歓喜のテーマが管楽器に引き継がれ、ヴァイオリンが重音を引く箇所(47:20あたり)だ。ここはベートーヴェン交響曲にはめずらしく(すくなくとも自分の知るかぎりでは)、ヴァイオリンに重音が連続する箇所なのだけれど、ここをサヴァールは、まるでギターのストロークのように、勢いよく弾き切らせている。縦ノリのリズム、ダンスのような身体的な躍動のパルスは、バロック的なニュアンスではないかという気がする。

サヴァールヴィオラ・ダ・ガンバ奏者で、これは弓を使っていく擦弦楽器だけれど、音響的には、ギターのような撥弦楽器的側面も持ち合わせているのかもしれない。*1サヴァールの音楽は、横に気持ちよく流れていくけれど、流麗というわけではない。縦をザンっと刻みはするけれど、それは流れを分断したり、異化的に切断したりするためではない。ストロークが流れを生み出していく、そんなタイプの音楽。

華やかだけれど、減衰していく音楽。外に向かって解き放たれるけれど、傲慢に居座り続けたり、未練たらしく残り続けたりはしない。気持ちよく消えていく音楽。それがとても心地よい。

youtu.be

*1:(たとえば、

youtu.be

をみると、そんな感じがする)