うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

ロスバウトの『マ・メール・ロワ』:非フランス的、しかし、ドイツ的というわけでもなく

ハンス・ロスバウトはとにかく構築力が抜群に高く、バウハウス的なモダニズムとでも言おうか、機能性を徹底的に突き詰めることでそれを音楽性へと転化しているところがある。しかし、そのような構築性を担うのは、きわめて生々しい、抒情的な(しかし、主観的というわけではなく、無人称的な)歌い回しであり、それがきわめて特異な(ミス)マッチを作り出している。

ここ数年、SWRは、マーラーブルックナーブラームスチャイコフスキーシベリウスハイドン交響曲の放送録音(だと思う)を立て続けにリリースしてきているが、フランスものが出ていたとは知らなかった。

どれもこれも聞いたことがないタイプの演奏。「ああ、たしかにロスバウトの演奏だな」というのは一聴してすぐわかる。隈取の強い音楽。太い筆で力強く描いた墨絵。揺るぎない構築。滔々たる流れ。しかし、そのようなロスバウト特有の特異な音楽性が、音響の独特な繊細さを追求したフランス近代音楽に適応されると、不思議な化学変化が起こる。

たとえばラヴェルの『マ・メール・ロワ』の終曲「妖精の園」。テンポは心もち速め。分厚い弦楽器の響きはマーラーの『交響曲第9番』の第4楽章の出だしを思わせるほど。管楽器が入ってきても、ハープが入ってきても、ソロになっても、全体の流れが全く乱れない。もちろん、タメのようなものはあるし、テンポはわりと動くけれど、オーケストラはつねにある一点に向かって滔々と流れ、徐々に徐々に、一度も途切れることなく盛り上がっていく。

最後のハープとチェレスタの華やかなグリッサンドティンパニの打ち込み、金管楽器の跳躍音型は、響きとして溶け合うというよりも、別々のレイヤーであるかのように独自に運動し、音楽の層を厚く増やしていく。

最後のフェルマータで伸ばされるハ長調の和音では、弦楽器が作り出す和音の層のなかから、管楽器のG音が浮かび上がり、金管楽器のE音が残響のように残る。。マーラーのようでもあるし、ワーグナー(たとえば『ワルキューレ』の最後)のようでもある、不思議な音の出し入れ。

フランス的ではないけれど、ドイツ的というわけでもなく、カテゴリー化できないし、似たような解釈をしている指揮者を思い浮かべられない。

 

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