うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

20230513 ふじのくに⇄せかい演劇祭2023を振り返る。

今年の演劇祭は、「2023年東アジア文化都市」の開催都市に選ばれた静岡県と連動しているため、東アジア(中国と韓国)からの招聘演目が中心だった。そのせいというわけではないと思うけれど、それぞれの作品のベクトルがひとつひとつ異なるため、単純な優劣はつけられないように思う。そんなことをしてみても、個人的にどれを推すかということになってしまうのではないかという気がする。

というわけで、以下、短評と、もうすこし長めに書いた感想以上批評未満。

アインシュタインの夢』は中国の演劇エリートの圧倒的な身体性を見せつけられた。物語内容ではなく、ライブの生身のプレゼンスで魅せる舞台。勢いで押し切った感じもあるが、押し切り方があまりにも見事なので、圧倒されてしまって押し切られてしまった。

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ハムレット(どうしても!)』はヨーロッパの演劇の懐の深さを見せつけてくれた。演劇とは俳優が生起させる出来事であり、言葉であり、観客にたいする訴えかけであり、社会に開かれているものであり、世界実験の場であると同時に、世界の革命そのものであることを、パフォーマンス全体が雄弁に体現していた。

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『XXLレオタードとアナスイの手鏡』は韓国のティーンエージャーの葛藤を社会派劇的なフレームに落とし込んだ啓蒙的作品。しかし、それでいて、エンタメとして愉しめるバランスのいい舞台。ただ、このまま映像化しても違和感がないというか、映像作品を舞台化した感じがするというか、きれいにパッケージされすぎていたきらいもある。

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『パンソリ群唱』はとにかくPA(音響)が残念すぎた。声が割れ気味になってしまっていた。韓国の伝統芸能であるというパンソリ――語りと唄いの1人と、打楽器の1人のコンビ――をベースにした創作劇。民話のようでもあれば神話のようでもある、済州島に伝わる物語。基本的には、声の芸ひとつでさまざまな人物や情景を表現するのが伝統的なパンソリなのだと思うけれど、ここではプロモ映像のようなものが挿入されていたり、ソロの唄いが合唱になっていたりする。そのような現代的アップデートが伝統的なものをより面白いものにしていたのかというと、どうなのかなという気もした。個人的にはいちばんしっくりこなかった舞台。

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天守物語』を観て宮城の演出の原点を見た感じがした。しかし、彼がこの舞台できわめて方法論的に導入したシンメトリー(視覚的な意味でも、配役的な意味でも)を、いかにして脱構築し、複数化していったのか――コロス的な群衆の導入――に気づかされた。

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『Dancing Gramdmothers~グランマを踊る~』を観て、コンテンポラリーダンスが何をやろうとしているのかを多少は理解できたような気がしている。バレエのような踊りが、既存の言語を限定条件のなかでいかに運用できるかというものだとしたら、コンテポラリーダンスは、新たに創出された言語による新しい条件下でのパフォーマンスなのだろう。ここで提示される新たな身体言語は、韓国のおばあちゃん、おばちゃんたちの実際の動きを発展的に吸収したものであるから、表面的なわかりにくさの核には直感的な親しみやすさがあったように思う。

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客席の盛り上がりという点であえて順位をつけるなら、ダントツで『Dancing Gramdmothers~グランマを踊る~』。次点が『XXLレオタードとアナスイの手鏡』。『天守物語』は一部キャラクターの入退場や移動シーンで客席通路を使っていたのが印象に残っている。

ハムレット(どうしても!)』は予想どおりでもあれば、予想以上でもあったけれど、「こういうものだろう」という想定から大きく外れることはなかった。『アインシュタインの夢』がかなり想定外ではあったけれど、「こういうスタイルか」と自分を納得させたあとは、わりと困惑することなく観ることができた。