うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

2018-01-01から1年間の記事一覧

守ってあげたのだから(イシグロ『わたしを離さないで』)

"'...You have to accept that sometimes that's how the things happen in this world. People's opinions, their feelings, they go one way, then the other. It just so happens you grew up at a certain point in this process.'/ 'It might be just s…

話すことは信じること(アトウッド『侍女の物語』)

"But I keep on going with this sad and hungry and sordid, this limping and mutilated story, because after all I want you to hear it, as I will hear yours too if I ever get the chance...By telling you anything at all I'm at least believing …

翻訳不可能なもの(バトラー『アセンブリ』)

"Something of popular sovereignty remains untranslatable, nontransferable, and even unsubstitutable, which is why it can both elect and dissolve regimes. As much as popular sovereignty legitimates parliamentary forms of power, it also reta…

特任講師観察記断章。わからないのにわかったふりする。

特任講師観察記断章。「なぜわからないのにわかったふりをしているのか、しかも「誰もわからないと言わないから」という理由で。そんなつまらないことはやめましょう。そんなことのために大学に来ているわけではないでしょう。50万近い学費をドブに捨てるよ…

物語は手紙のよう(アトウッド『侍女の物語』)

"A story is like a letter. 𝘋𝘦𝘢𝘳 𝘠𝘰𝘶, I’ll say. Just 𝘺𝘰𝘶, without a name. Attaching a name attaches you to the world of fact, which is riskier, more hazardous...𝘠𝘰𝘶 can mean more than one./ 𝘠𝘰𝘶 can mean thousands." (Atwood. The Handmaid's T…

愛する能力と教えること(アドルノ「哲学と教師」)

"If I did not fear being mistaken for a sentimentalist, then I would say that culture requires love: what is lacking is probably the ability to love...anyone in want of this ability should hardly teach others." (Adorno. "Philosophy and Tea…

特任講師観察記断章。授業数が地味に重たい。

特任講師観察記断章。授業数が地味に重たい。今日は先月台湾に行くために休講にした分の埋め合わせがあったので昼休みを挟みつつ朝から4コマぶっ続けでTOEICを教えて自分の研究室に戻って次回授業の準備に取り掛かったはずなのに頭上から古いキーボードが立…

特任講師観察記断章。教養教育の可能性。

特任講師観察記断章。地方公立大学に通っていると勉強とは直接には関連しない一般教養的なものと遭遇するチャンスが限りなく低いのかもしれない。理系と文系の中間のような学部1年生30人相手に聞いてみたところ、誰ひとりとして、「ポリティカル・コレクトネ…

伝統と革新(マン『ファウスト博士』)

"For just as little as one can understand what is new and young without being at home in tradition, so, too, love for the old must remain inauthentic and sterile if one closes off to the new, which arises from the old out of historical nec…

母語で語ること(ヘーゲル)

"Properly speaking, it belongs to the highest cultural development of the people to say everything in their own language. The concepts that we mark with foreign words seem to us to be themselves something foreign and not to belong to us im…

特任講師観察記断章。マキャヴェリ的狡知、カント的倫理。

特任講師観察記断章。反抗的=抵抗的な主体になることを学生に勧めるべきか。中堅の地方公立大学における学生の基本モードは従順だ。それは必ずしも自発的隷属ではないし、完全に言いなりになっているというのでもない。「扱いづらい」学生がいないわけでは…

語学教師の理想(クロポトキン『ある革命家の回想』)

"He was to teach us Russian grammar; but, instead of the dull grammar lesson, we heard something quite different from what we expected. It was grammar; but here came in a comparison of an old Russian folk-lore expression with a line from H…

日本での外国語の授業1年=自然習得環境下の3週間(久保田竜子『英語教育幻想』)

「ファニンガーとシングルトンはこんな計算に言及しています。生後、自然環境で五年間ことばを習得するのは、外国語学習九〇年間に相当するというのです。あるいは、週五時間の外国語授業を一年に二〇〇時間受けても、自然習得環境の中での言語習得(一日一…

「難解だとケチをつけるのは、単なる怠慢。」(多和田葉子『カタコトのうわごと』)

「日本では売れる売れない、ということがデータとしてではなく、一種の価値観として通用してしまう。本が売れればその作家は庶民の心が理解できていると思っている人もたくさんいる。庶民の心を理解するのは政治家の仕事であって、小説とは関係ないのに、そ…

償われなければならない過去の陶酔(トーマス・マン『ファウストゥス博士』)

"Not that I would have wished for what threatens us, for it is despair, it is madness. Not that I would have wished it, because my pity, my forlorn compassion, is far too deep for this unhappy nation; and when I think back ten years to its…

思想をかけて歩く(菅啓次郎『本は読めないものだから心配するな』)

「歩行とは、そのまま人類史の問題なのだ。もしわれわれのだれもが日常生活の中で毎日少なくとも20キロから30キロの距離を歩くことを基本として社会のあらゆる成り立ちが見直されたなら、物質的にも精神的にも、現代のいかに多くの問題が解決されることだろ…

日本語のなかの移民(多和田葉子『エクソフォニー』)

「子供の時に出逢った単語の幾つかは、日本語にやって来た一種の移民だったのだ。そして後にドイツ語を習うことで、これらの移民の故里を知って、ああ彼らはこのあたりの出身だったのか、としみじみ思うのである。漢字という衣装は、大和言葉も新造翻訳もみ…

外国語という鏡(多和田葉子『言葉と歩く日記』)

「外国語を学ぶのは、実際に使うためだけではない。外国語を勉強したことがなければ、母語を外から眺めることが困難になり、言語について考えようとした時にそれがなかなかできない。鏡を使わないで自分の目を見ろ、と言われたようなものだ。」(多和田葉子…

ネイティヴ・スピーカー、機械のスピーカー(多和田葉子『エクソフォニー』)

「日本の中学・高校での英語の授業で、たまに「ネイティヴ・スピーカーの発音を聞いてみましょう」ということがあった。その場合、ネイティヴ・スピーカーの声は必ずテープレコーダーから聞こえてきた。ネイティヴ・スピーカーとは機械のスピーカーのことだ…

自身の合理性にたいする不信(イオネスコ『授業』)

"Ne pouvant me fier à mon raisonnement, j'ai appris par coeur tous les résultats possibles de toutes les multipications possibles." (Ionesco. La Leçon.) 「わたしは自分の理性のはたらきを信用できないので、考えうるかぎりの結果をすべて暗記した…

翻訳語考。修飾語の距離。

翻訳語考。日本語の修飾語は距離に依存する部分がとても大きいと思う。単語をまたいで形容詞をかけることが難しい。「specific conflicts of class interests」を「特定の階級利害の衝突」としてしまうと、おそらく大多数の人が、「特定の階級利害/の衝突」…

翻訳語考。配置の問題。

翻訳語考。「世界を個体性の百花繚乱の実践の実験に転化する主体と客体の統合を投射する」。翻訳はつきつめていくと配置の問題になるのではないか。単語や句読点の位置までオリジナルと呼応させるというような逐語訳が狂気の沙汰であるのは当然だが、オリジ…

ハッピー・エンドを信じる義務(ブロッホ『希望の原理』)

"See the outcome of things as friendly, that is not always foolish or stupid. The stupid drive to a good end can become a clever one, passive belief a knowledgeable and summoning one...people who do not believe at all in a happy end impede…

翻訳語考。Theyを彼らとしないこと。

翻訳語考。Theyを彼らとしないこと。これは実はかなり骨が折れる。もちろん日本語にするだけでよければ簡単だ。しかし、しまりとしなりのある訳文にしようとするなら、パズルゲームじみてくる。主語だけならまだいい。しかし目的語themや所有格のtheirもある…

ふしあわせのための記憶の訓練(マルクーゼ『エロスと文明』)

"Nietzsche saw in the training of memory the beginning of civilized morality--especially the memory of obligations, contracts, duties. This context reveals the one-sidedness of memory-training in civilization: the faculty was chiefly direc…

あるべき存在、ありのままの存在(シラー『人間の美的教育について』)

"Think of them as they ought to be when you have to influence them, but think of them as they are when you are tempted to act on their behalf [Denke sie dir, wie sie sein sollten, wenn du auf sie zu wirken hast, aber denke sie dir, wie sie…

ユートピアによるきづき(ブロナー『批判理論』)

"Utopia makes us aware that what we have is not necessarily what we want and that what we want is not necessarily all we can have." (Bronner. Critical Theory. 70) 「わたしたちが持っているものは必ずしもわたしたちの望むものではないし、わたし…

非常勤講師観察記断章。手の遅さ、地力、センス。

非常勤講師観察記断章。手の遅さ、地力、センス。学生が自己採点するところを眺めていると、たしかに勉強のセンスとでもいいたくなるようなものの有無を強烈に感じる瞬間がある。たとえば採点にかかってしまうスピード、たとえば答案に書きこむ小計や合計の…

翻訳語考。「アンガージュマン」。

翻訳語考。「アンガージュマン」というカタカナ語をいま使ってもいいものか。かつては翻訳語として流通していたし、サルトルや実存主義が喧しかった時代にあっては、そこに輝かしいオーラがただよっていたことだろう。だが2010年代にこれをカタカナ語として…

非常勤講師観察記断章。文学的英語教育。

非常勤講師観察記断章。文学的英語教育。どうすれば英語教育は文学的になるのか。文学を教材に取り入れても、教育行為が文学的になるわけではない。重要なのは、内容ではなく、形式のほうではないか。何を教えるかではなく、どう教えるか。 文学的に教えるこ…