うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

2014-06-01から1ヶ月間の記事一覧

無主語の気軽な憎悪の発動(森達也・姜尚中『戦争の世紀を越えて』)

「森 一人称であるはずの主語が、「うち」とか「我々」とかの複数名詞になり、そうなると当然ながら述語は暴走する。「許さない」とか「恨みを晴らせ」に短絡するんですね……大切なことは、一緒になって「許せない!」とか「被害者の痛みを知れ!」と声を張り…

気がつけば朝の5時。

UCI

気がつけば朝の5時、鳥の鳴き声が聞こえる

元手の要らない貴重な宝物であることば(中沢新一『カイエ・ソバージュII』)

「「ことば」には元手が要りません。しかし誰もがそれを受け取ることができるのです。人間はなんと貴重な宝物を与えられているのでしょう。」(中沢新一『カイエ・ソバージュII』32頁)

「神経衰弱に罹る方が当り前」(夏目漱石「現代日本の開化」)

「西洋の新らしい説などを生噛りにして法螺を吹くのは論外として、本当に自分が研究を積んで甲の説から乙の説に移りまた乙から丙に進んで、毫も流行を追うの陋態なく、またことさらに新奇を衒うの虚栄心なく、全く自然の順序階級を内発的に経て、しかも彼ら…

月と星々と地球と孤独と(ビュヒナー『ヴォイツェック』)

"Once upon a time there was a poor little boy who had no father or mother. Everything was dead, and there was nobody left in the whole wide world. Everything was dead, and he went away and searched day and night. And because there was nobo…

底なしの穴(ビュヒナー『ヴォイツェック』)

"Every man is a bottomless pit; you get dizzy when you look down [Jeder Mensch ist ein Abgrund; es schwindelt einem, wenn man hinabsieht]." (Büchner. Woyzeck.) 「ひとはみな底なしの穴だ。下を見つめるとめまいがする。」

<非知>への自覚的な還流(吉本隆明『最後の親鸞』)

「<知識>にとって最後の課題は、頂きを極め、その頂きに人々を誘って蒙をひらくことではない。頂きを極め、その頂きから世界を見おろすこどでもない。頂きを極め、そのまま寂かに<非知>に向かって着地することができればというのが、おおよそ、どんな種類の<…

アメリカのひとり暮らしのたまの風邪

UCI

アメリカでひとり暮らしをしていてごくたまに風邪をひくとなんとなくとたんに弱気になる。

ジョイスと南方

UCI

ジョイスの牽強付会と博覧強記と衒学的神学と言葉遊びと豊穣な下ネタのアナーキーに構成された世界に日本語でもっとも接近したのは南方熊楠ではないかという気がする。

アメリカ観察記断章。シーチキンではなくツナ缶。

アメリカ観察記断章。日本で売っている「シーチキン」は「オイル漬け」が一般的だと思うがーーWikipediaによれば日本でも水煮は売っており、シーチキンは静岡に本拠を置く「はごろもフーズ」が商標登録しているとのこと。静岡県民なので子供のころから「ドラ…

学ぶように生まれついて(ジョイス『ユリシーズ』)

"—I foresee, Mr Deasy said, that you will not remain here very long at this work. You were not born to be a teacher, I think. Perhaps I am wrong./ —A learner rather, Stephen said." (Joyce. Ulysses. 2:401-3) 「「わたしの見立てでは」とディー…

アメリカ観察記断章。お世辞について。

アメリカ観察記断章。お世辞について。これが英語的なものかアメリカ的(カリフォルニア的?)なものかはわからないが、日本で教科書から英語を学んだ身としては、人を褒めるための語彙が不足していると感じるときがよくある。もちろんそういう表現で使われ…

成績付け終わり

UCI

grading is done!

アメリカ観察記断章。Ivory Coastと象牙海岸とコートジボワール。

アメリカ観察記断章。隣町のこじゃれたショッピングモールにあるコーヒーショップで5時間ほどかけて期末試験の採点をどうにかこうにか終わらせた後、ブックオフに立ち寄ると、めずらしく、音楽ではなく音声がスピーカーから聞こえてきた。今日ワールドカップ…

成功の悲しみ(永井荷風「ふらんす物語」)

「僕は絶望の悲みと云ふ事があるならば、成功にも又特種の悲しみがあると思ふ。」(永井荷風「ふらんす物語」荷風全集3巻485頁)

「思想の病人が出て来たのは、即ち日本の社会が進歩した複雑になつて来た証拠ぢや無いか。」(永井荷風「ふらんす物語」)

「進歩とか文明とか云ふものは、つまり複雑と云ふ事も同様だ…思想の病人が出て来たのは、即ち日本の社会が進歩した複雑になつて来た証拠ぢや無いか。私は喜ばしい事だと思ふ。」(永井荷風「ふらんす物語」荷風全集3巻497頁)

「未知の二人が寄合つて……」(永井荷風「あめりか物語」)

「誰に限らず未知の二人が寄合つて、幾分なりとも互に思想の一致を見出した時ほど、愉快な事は恐らくあるまい。それと同時に又此れ程相互の感情を親密にさせるものも他にはあるまい。」(永井荷風「あめりか物語」荷風全集3巻34頁)

思考が形をなす前の淵によどむものとしての日本語(江藤淳『アメリカと私』)

「習慣と努力によって、私は自分の不完全な英語をかなり完全なものにすることが出来るかも知れない。今ですら、必要に迫られて、私はしばしば英語でものを考えている。しかし、リチャード・ブラックマーが「沈黙の言語」と呼ぶところのものーー思考が形をな…

「諸因果総体の一層上の因果」としての縁(南方熊楠、土宜法竜への手紙)

「今日の科学、因果はわかるが(もしくは分かるべき見込みあるが)縁が分からぬ。この縁を研究するがわれわれの任なり。しかして、縁は因果と因果の錯雑して生ずるものなれば、諸因果総体の一層上の因果を求むるがわれわれの任なり。」(南方熊楠、土宜法竜…

言葉を拘束しているものの正体を見定めたい(江藤淳・吉本隆明『文学と非文学の倫理』)

「うかがっていて、吉本さんもずいぶん楽観的だと思いましたね。吉本さんは私の仕事についてつまらぬことにかまけていると言われますが、私のいまやっていることはなんら政策科学的な提言などではありませんよ。そんなものに熱中できるわけがない。私はこれ…

ドストエフスキーかストリンドベリか(アドルノ『マーラー』)

"On an excursion with Schoenberg and his fellows, Mahler is said to have advised him to study less counterpoint and read more Dostoevsky, only to hear Webern's heroically timid reposte: "Pardon, Herr Direktor, but we have Strindberg."" (Ad…

単なる精神的雑居の非生産性(丸山真男「日本の思想」)

「私がこの文でしばしば精神的雑居という表現を用いたように、問題はむしろ異質的な思想が本当に「交」わらずにただ空間的に同時存在している点にある。多様な思想が内面的に交わるならばそこから文字通り雑種という新たな個性が生まれることも期待できるが…

貴き人(福沢諭吉‐丸山真男)

「世の中にむつかしきことをする人を貴き人といひ、やすきことをする人を賤しき人といふなり。本を読み、物事を考へて世間のために役に立つことをするはむつかしき事なり。」(福沢諭吉 quoted in 丸山真男「「である」ことと「する」こと」)

感覚的なうねりが論理によくついている人(吉本隆明「歴史・国家・人間」)

「書いているものからいうと、[フーコーは]一から十まで徹底的に論理的な思考を展開していますから、そういう人柄を想像していたんですが、会った印象では、本当は微妙な感性のうねりみたいなものが、論理のなかにくっついている人なんだなとおもいました……