うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

思考が形をなす前の淵によどむものとしての日本語(江藤淳『アメリカと私』)

「習慣と努力によって、私は自分の不完全な英語をかなり完全なものにすることが出来るかも知れない。今ですら、必要に迫られて、私はしばしば英語でものを考えている。しかし、リチャード・ブラックマーが「沈黙の言語」と呼ぶところのものーー思考が形をなす前の淵によどむものは、私の場合、あくまで日本語でしかない。そして、言葉は、いったんこの「沈黙」から切りはなされてしまえば、厳密には文学の用をなさない。なぜなら、この「沈黙」の部分を通して、私は日本語がつくりあげて来た文化の堆積につながっているからである。」(江藤淳「国家・個人・言葉」『アメリカと私』319頁)