うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

アメリカ観察記断章。土曜日午前中の日本語学校でのボランティア。

アメリカ観察記断章。土曜日午前中の日本語学校でのボランティア。なぜかこのごろは習字を教えている。書道歴8年ブランク18年の腕の見せ場だが、気張ってお手本を書いてもあまり意味がないことに気づく。アジア圏(と言ってよいと思う)において、「まなび」は「まねび」であり、模倣は美的教育の第一歩にほかならない。手本をなぞること、それは個性の否定ではなく、のちのちの個性形成のための基礎固めである。しかしアメリカの子どもにはそうした感性がまるで備わっていない。こちらで育った他の先生たちに話を聞いてみたが、やはり、美術を除けば模写はアメリカの学校教育のレパートリーには入っていないとのこと。筆記体を習うにしても、最初は先生の手本を真似るけれど、その後は完全に自己流になるのだとか。そのせいか、アメリカ人の筆記体は本当に読みにくい。今日、中間試験を採点していたのだが、sとoをまったく同じように綴る学生がいて辟易した(societyがsscietyに見えた)。アメリカのこのやり方は個性なるものを伸ばすには適しているのかもしれないが、美的感覚の洗練にはまったく不向きではないだろうか。このことを突き詰めて考えれば考えるほど、フーコー的問いである「規律」の問題系は果たして現代アメリカでどこまで当てはまるのだろうかという疑問がわいてくる。