うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

アメリカ観察記断章。正しくない英語。

アメリカ観察記断章。偏見かもしれないが、日本の英語教育の根底にあるのは大嘘ではないかと思う。「英語圏の人々は正しい英語を話している」という措定だ。カリフォルニアで英作文を教えて6年目になる身からすると、これはまったく的を射ていないと言わざるをえない。カリフォルニアが移民世代の多い土地柄であることは承知しているが、2世ともなれば子供のころから現地校でずっと英語に触れてきたはずだ。にもかかわらず、彼ら彼女らの英語は(文体的に)きわめて不器用で、(文法的に)あまり真当でないことが珍しくない。しかしこれは、日本語話者の大学一年生の日本語が文法的に正しくもなければ文体的にも美しいこともないことが当然であることを思えば、まったく驚くに値しないはずだ。にもかかわらず、私は、こんなあたりまえの事実を前にしていつも困惑してしまう。「ネイティヴのくせにこいつらこんな基本的なことも知らないのかよ(ふざけるなよ、おまえら)」と。しかし次の瞬間、「こんな簡単なことがわからない奴らでも自分よりよほど流暢に英語を話すのだ(なぜ話せないのだ、おれは)」と思ってルサンチマンが噴き出しそうになる。