アメリカ観察記断章。ジャック・ランシエールのレクチャーがあったので行ってきた。たぶん200人は入るはずの部屋が満杯で、立ち見さえ出ていたほど。実際、少し遅れて到着した自分は必然的に立ち見になった。うちの大学はさまざまなレクチャーシリーズがあり、相当有名どころからまだそうでもない人まで、ラインナップはさまざまだけれど、単発のレクチャーでここまで賑わうのは本当に珍しい。レクチャーの内容は、まあ、ランシエール読者にしてみればさして新味のない手慣れたトピックだったので割愛。しかし生のランシエールを見聞きできたので個人的にはとても満足した。当然ながら、ランシエールは英語で話したのだけれど、かなりフランス語っぽい英語で、ちょっとわかりにいところがあった。何年か前にバディウがきたときにも思ったけれど、この世代のフランス哲学者たちの英語には強いフランス訛りがある。たとえばrealityを「リィアーリテ」、equaltiyを「イークァリテ」というふうに発音する。語頭は英語の音なのに、語尾がフランス語になってしまうのだ。とくにおもしろいと思ったのは、質疑応答のとき、ランシエールの英語がだんだん崩れていき、英語を話しているにもかかわらず、言葉のリズムや抑揚、息継ぎや体の動きが、あたかもフランス語を話したがっているように見えてきたことだ。アメリカにいるといろいろな英語を耳にするし、英語がアカデミズムの共通言語であることを否応なく実感させられる。