うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

2024-05-01から1ヶ月間の記事一覧

20240506 宮城聰演出、岡倉天心『白狐伝』@駿府城公園を観る。

20240506@駿府城公園 岡倉天心作、宮城聰演出『白狐伝』 岡倉天心が英語で書いた、上演されることのなかった遺稿のオペラ台本『白狐伝』は、何とも不思議なテクストだ。20世紀初頭の英語にしては、19世紀的な過剰に修辞的なスタイルであり、英語を母語としな…

20240519 リヒャルト・シュトラウスのオーボエ協奏曲のオーボエ編曲版を聴く。

リヒャルト・シュトラウスの音楽は何で出来ているのだろう。バッハであれば構造、ベートーヴェンやワーグナーやベルクであれば動機展開、モーツァルトやシューベルトであれば旋律、ドビュッシーであれば和声、ストラヴィンスキーであれば拍動と、とりあえず…

2024050 メルラン・ニヤカムの『マミ・ワタと大きな瓢箪』を観る。

20240505@グランシップ6階 交流ホール 『マミ・ワタと大きな瓢箪』 メルラン・ニヤカムの身体は弾み、震え、曲がり、たわみ、ねじれ、躍動する。それは、厳密な規律訓練によって幾何学な不自然さを自明性へと昇華させたような西洋的なバレエの身体の対極に…

数が増えることで失われる力(ニコラ・ライハニ『「協力」の生命全史』)

「数が多いほど力が増すというのが私たちの知識ではあるが、じつは船に乗せる奴隷の数を増やすと、反乱が起きやすくなるどころか、起きにくくなるのだ。たとえば、船に乗せる奴隷を100人増やすと、反乱のリスクが最 大80%減少すると推定されている。 その理…

20240503 オスターマイヤー演出、チェーホフ『かもめ』@静岡芸術劇場を観る。

舞台の上に臨時に設置された客席は、舞台中央を取り囲むように三方に配置されており、舞台後方には無地の白い布が下りている。その前に、さまざまなかたちの椅子が横一列に並んでいるが、舞台装置と呼べそうなのはそれだけだ。不穏さと物悲しさをかき立てる…

20240429 石神夏希演出「かちかち山の台所」@舞台芸術公園と平沢地域に参加する。 

20240429@舞台芸術公園と平沢地域 「かちかち山の台所」 「かちかち山」は、人間に土地を奪われたたぬきが投げかけた呪詛の言葉にたいして暴力をもってを応酬した人間が逆に仕返しされ、仕返しされた人間に代わってうさぎがたぬきを残酷にやりこめていく説…

20240504 唐十郎を追悼する、または、いままでに見たSPACの唐十郎の作品にたいする劇評のコピペ

20220430@舞台芸術公園「有度」 唐十郎の『ふたりの女』は妄想の約束を受け取った責任をめぐる物語なのかもしれない。紫式部の『源氏物語』とチェーホフの「六号病棟」を本歌とするらしいこの戯曲は、ミイラ取りがミイラになるお話と言って差しつかえないだ…

20240428 中島諒人演出、安部公房『友達』@有度を観る。

不思議と言おうか、不気味と言おうか、「ひとり暮らしをする寂しいあなたの友達になってあげましょう」と善意の押し売りで何の前触れもなくいきなり部屋を不法占拠した一家七人による、お笑い的とさえ言いたくなるテンポのよい軽妙な言葉のやりとりと、それ…

20240427 瀬戸山美咲演出、深沢七郎『楢山節考』@楕円堂を観る。

完全な闇のなか、祭りの太鼓のようでもあれば、死者を送る葬送の知らせでもあるかのような「ドン、ドン」という鈍い音が響き渡るなか、楕円の舞台上手からゆっくりと登場するふたりの此岸的身体の彼岸的な存在感を強調するかのように、光が注ぐ。全体的にく…