うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

2021-12-01から1ヶ月間の記事一覧

生きる哀しみの歓び:伊藤郁女、笈田ヨシ 演出・振付・出演『Le Tambour de soie 綾の鼓』 

20211218@静岡芸術劇場 伊藤郁女、笈田ヨシ 演出・振付・出演『Le Tambour de soie 綾の鼓』 「今では私はもう演じるとか、歌うとか、踊るとかいうんじゃなくて、ただ舞台上にいて、生きようと思っているんですよね」とは言うが、笈田ヨシは舞台の上で依然…

答えなき問いかけ(ホロウェイ)

"Perhaps we have to give up the idea of answers. We have no answers. It cannot be a question of opposing anarchist answers to state answers. The state gives answers, wrong answers. We have questions, urgent questions, new questions because…

誰かには特別なわたしの物語群:濱口竜介『偶然と想像』

自分ひとりではどうしようもないことを、誰かと共有することで、どうにかできるものにする――濱口竜介が『偶然と想像』で描き出す物語は、そういうものだろう。この映画をかたちづくる3つの短編「魔法(よりもっと不確か)」、「扉は開けたままで」、「もう一…

エピデミックの倫理的・政治的帰結批判の倫理的・政治的帰結にたいする盲目:ジョルジョ・アガンベン『私たちはどこにいるのか?』(青土社、2021)

アガンベンの問題意識はぶれていない。「エピデミックに関する科学者間の論争に入りこもうというのは私の意図ではありません。私が関心があるのは、そこから派生する、きわめて重大な倫理的・政治的帰結にです」(60頁)。 www.seidosha.co.jp COVIDというウ…

「現実感覚なるものがあるのなら、可能性の感覚なるものもあるにちがいない」(ムージル『特性の無い男』第1巻第1部第4章)

だが現実感覚 [Wirklichkeitssinn] があるのなら――そしてそれにはその存在理由のあることを誰も疑わないだろうが――可能性の感覚 [Möglichkeitssinn] と名づけてしかるべきものもやはりあるにちがいない。 可能性の感覚の所有者は、たとえば、ここでしかじか…

訳し重ね(『池澤夏樹、文学全集を編む』)

「鴻巣友季子 私がやっているのは改訳ではありません。訳し直しではなくて、訳し重ねです、ということなんです。新訳は過去を矯正するものではなく、積み重なってきたものに、さらに重ねていくという作業だと思います。だから新訳の完成とは常にあり得なくて…

本質的なものとしての翻訳(『池澤夏樹、文学全集を編む』)

「沼野充義 原作があって、その翻訳があって、それを読む外国の読者がいる、というふうに三つの領域を考えた場合、原作と外国の読者の中間にユートピアのような領域を作るのが翻訳だと思うんですね。だから翻訳は、必要悪や二次的なものではなく、むしろ本質…

正気を保つために変なことをする(岡田利規「六本木」)

「でもこの衝動には従ったほうがいい。従わないときっと自分はもっと変になる、たぶん、取り返しがつかないくらい。僕はそれがなぜかしら、わかってるんです、直観的に。自分を正気に保つには変なことをするのが賢明なときがある。僕はそれを知っている。ま…

ブルックナーの真実(田代櫂『アントン・ブルックナ――魂の山嶺』)

まさに魂のこもったテクスト。ブルックナーにたいする愛にあふれている。 しかし、ブルックナーを美化し、聖人に祀り上げるのは、著者のめざすところではない。本書は、一方においては、わたしたちのステレオタイプ的なブルックナー像を強化する。なるほど、…

ウィルソン夏子『エドマンド・ウィルソン――愛の変奏曲』『ガートルード・スタイン――20世紀文学の母』

ウィルソン夏子のテクストには独特の手ざわりがある。純粋な伝記としては、彼女の記述は粗いだろう。誠実ではあるし、的確ではあるが、厚くはない。 しかし、にもかかわらず、彼女の伝記は、電話帳のように分厚い伝記よりも圧倒的に鮮烈だ。それは、彼女が、…

長さの必然性(フレデリック・ワイズマン『ボストン市庁舎』)

長い。274分に及ぶこのドキュメンタリーを見てそのような印象を持たない者はいないのではないか。もちろん、この長大さを「長すぎる」とネガティヴに捉えるか、「長いにもかかわらず」と留保をつけるか、「この長さだからこそ」とポジティヴに捉えるかは、人…

チェーホフとジャンヌトーの『桜の園』についていくつか思い出したこと

20211123/28@静岡芸術劇場 ダニエル・ジャンヌトー演出、チェーホフ『桜の園』@静岡芸術劇場 『桜の園』はチェーホフが言うように本当に喜劇なのだろうか。ロラン・バルトは「現実効果」と題されたエッセイのなかで、フローベールの短編「純な心」の冒頭で…

質のいい動き(笈田ヨシ『見えない俳優』)

「舞台での動きは質のいいものであるべきです。僕は舞台で行う全ての行為を丁寧に演じるよう心がけています。水を一杯飲むにしても、まずは指でそのコップの感触を味わい、それを持ち上げる時に全身御神経をそれに集中し、コップを口にあてた時にその感触を…

技術と想像力(笈田ヨシ『見えない俳優』)

「いい役者であるためには、職人としての「技術」と芸術家としての「想像力」の両者を兼ね備えていなければなりません。「技術」はある程度訓練すれば近づけるかも知れませんが、「想像力」の方はそう簡単には行かないようです。想像に停車駅はなく、絶えず…

ガートルード・スタインの日常のルーティーン(ウィルソン夏子『ガートルード・スタイン』)

「ガートルード・スタインは遅く起き、朝食をテラスで食べた。食べては寝る生活。そのうち、起きている時は、手紙を読み、書き、犬と遊んだ。風呂に入り、ランチを食べた。本は、パリのアメリカの図書館から送られてきた。彼女は探偵小説が好きで、一日一冊…

特任講師観察記断章。「それではみなさん、よいお年を」

特任講師観察記断章。今年も終わりに近づいている。学生の大半がPCないしはタブレットを持っているというデジタル・インフラのパラダイムシフトを踏まえて、電子データだからこその課題を出してみたというのに、手書きにこだわる学生が一定数いる。これはい…

「流れる水」(三島由紀夫「邯鄲」)

「ああ、でも、あなたさまのお顔を見ていると、流れる水をみているような気がいたします。」(三島由紀夫「邯鄲」『近代能楽集』20頁) "It's simple enough to become a hero. Any man can become one, provided he has no desires. You get more power and…

喃語というユートピア(ダニエル・ヘラー=ローゼン『エコラリアス』)

「発音に関しては、幼児にはすべてが可能だとヤコブソンは断言している。幼児は人のあらゆる言語のどんな音をも例外なくやすやすと発声することができる . . . はたして、成人が話す諸言語は、かつてそこから生まれ出た限りなく変化に富んだ喃語のなにがしか…

フランシス・ドゥ・ヴァール『動物の賢さがわかるほど人間は賢いのか』、『道徳性の起源 : ボノボが教えてくれること』、『共感の時代へ 』

雑な読書メモを書いておこう。読んでいるテクストにたいする直感的で瞬間的な反応。テクストを正しく説明しているかどうかは気にしない。客観的な正しさではなく、主観的な気づきを記してみたい。 「忌まわしい過程は必然的に忌まわしい結果を生むという考え…

ダニエル・ジャンヌトー演出、チェーホフ『桜の園』@静岡芸術劇場

20211123/28@静岡芸術劇場 チェーホフ・アフター・ベケット spac.or.jp 静かで、翳っている。夜明けを待つ薄暗がりの舞台は、空虚に広がっている。毛足の長いくすんだ色の絨毯は、まるで砂浜のように、歩く人の足跡を残す。細いフレームだけで構成された直線…