うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

生きる哀しみの歓び:伊藤郁女、笈田ヨシ 演出・振付・出演『Le Tambour de soie 綾の鼓』 

20211218@静岡芸術劇場 

伊藤郁女、笈田ヨシ 演出・振付・出演『Le Tambour de soie 綾の鼓』 

「今では私はもう演じるとか、歌うとか、踊るとかいうんじゃなくて、ただ舞台上にいて、生きようと思っているんですよね」とは言うが、笈田ヨシは舞台の上で依然として演じ、依然として歌い、依然として踊る。オリーブのカーゴパンツにベージュのワークコートをはおった老掃除夫の身体はしょぼくれている。背骨は曲がり、ガニ股。動きはぎこちない。まるで生きていることを恥じるかのように、とぼとぼと不器用に歩く。しかし、こわばった彼の肉体の内では熱い想いがたぎっている。   

しなやかに躍動する伊藤郁女の演じるダンサーはそれと対照的だ。彼女の身体はやわらかくのびやかで、関節は可動域いっぱいに曲がるかと思えば、遠くまで大きく伸びる。指の先の先まで意識が行き届いた自由闊達さが、傲慢なまでの存在感を放つ。しかし、熱量が全身に充ちているが、発せられる言葉は冷めている。 

自らの妖艶さを知る冷淡な誘惑者である彼女は、サロメというより、ヘロディアスに近いかもしれない。そして掃除夫にしても、自身の願望充足のために権力を濫用するヘロデ王ではない。だから『Le Tambour de soie 綾の鼓』は、無自覚な少女の魅惑に狂う愚かな中年の身勝手な物語ではない。身分違いの恋をした男が死して女を恨む話だけではないし、自らの誘惑がもたらした死を女が悔いる話だけでもない。たしかにふたりの情念はすれちがい、絡み合うとしてもほんの一時のことだけで、それが起こるのはこの世ならざる死の領域でのことだけかもしれない。しかし、だとしても、伊藤が言うように、「もう年を取ってきたと感じる女性と、まだ若いと感じている年配の男性とのあいだで、なにかが引き継がれていく」。 

『Le Tambour de soie 綾の鼓』は、笈田の親友にして、ピーター・ブルック演出作品の翻訳翻案をしていたジャン=クロード・カリエールの手がけたテクストであり、三島由紀夫の「綾の鼓」が下敷きになっている。笈田は三島の「近代能楽」から60年経った今、自らの試みを「モダン能」と呼んでいるが、それは的を射ているだろう。ここでは言葉と身体と音楽が、明示的な意味を超えたところで融合する。 

怨霊と化した掃除夫が恨み節を歌うとき日本語になるし、本公演で演奏を担当した吉見亮との舞台上での言葉のやりとりは日本語だが、この舞台の基本言語はフランス語である。しかし、説明調の散文ではなく、切り詰められ圧縮された詩的対話や詩的独言。三島とも親しくていた笈田によれば、演出含めてのものである能楽や歌舞伎のテクストを、シェイクスピアラシーヌのようにテクストとして自律させることが、三島の狙いであったという*1が、『Le Tambour de soie 綾の鼓』はテクストをいまいちど演出に融合させる試みと言うべきものだろう。言葉が単独で存立するのではなく、身体と共立する。それどころか、言葉は身体表現の一部となる。そして激しく打ち込まれる非旋律的な打楽器の強いパトスは、踊る身体に寄り添いながら、同時に、肉体の運動をリードし、それを加速させ、凝縮させる。 

三島の『綾の鼓』にしても、その元となる能楽の『綾鼓』にしても、救われない物語だ。三島は、怨霊としてあらわれた男が鼓を100回鳴らそうとしたあげくついには諦めてしまったことを惜しむかのように、女に、「あたくしにもきこえたのに、あと一つ打ちさえすれば」と言わせることで、ふたりが結ばれえた可能性を開きはするものの、その成就それ自体は演じられることがない。カリエールの舞台でも、ふたりが結ばれて終わるわけではないが、にもかかわらず、そこでは、掃除夫とダンサーのあいだで交換されるものがある。言葉であり、踊りであり、身体に託された想い。 

『Le Tambour de soie 綾の鼓』は枠物語になっている。掃除夫が床掃除を始める。そこはどうやらリハーサル室らしい。まもなく演奏家とダンサーがやってきて、リハーサルが始まる。ラテンな感じの音楽をバックに繰り広げられる踊りと戯れはカルメン的だ。破滅をただよわせながらも、どこかしら喜劇的に、踊りが繰り広げられる。最後に鼓を渡された男はそれを鳴らそうとするが、鼓は鳴ることがなく、嘲られたと思った男は舞台後方に消えていく。そこまでが現し世のシーンだとすると、それに続くのは別の世のビジョンなのだろう。金色に、青色に妖しく照らし出された舞台後方の天井から床まで細長く垂れ下が紗幕をくぐり抜けて舞台に登場する血まみれのコートをはおった掃除夫とダンサーのデュエットは、三島の『綾の鼓』をなぞるように不発の結末を迎えるが、『Le Tambour de soie 綾の鼓』では、男の自殺もその後の怨霊化もまるで舞台の上の虚構であったかのように、冒頭と同じリハーサル室のシーンが回帰し、そこで男と女は言葉をとおして通じ合う。それはおそらく、生あらざる領域を通過したがゆえに可能となった、苦痛から生まれる命なのだ。「苦痛があり、わたしは踊り、わたしは生きる」とダンサーが言うと、掃除夫は親しげに、「苦痛があり、あんたは踊り、わたしは生きる」と答える*2。そしてリハーサルは終わり、演奏家は去り、ふたりは別れる。 

ふたりが結ばれて終わる幸福な物語ではない。しかし、最後に男がひとり、ラジカセを床に置き、そこから流れてくるポップな曲をバックに、キスをするように唇を突き出しながら、モップを彼女に見立ててひとりデュエットを始める。コミカルでもあれば滑稽でもあり、哀れに見えてもおかしくないところだ。しかし、ラジカセから流れる音楽がサラウンディングに拡散し、不思議な多幸感が劇場全体を包み込む。激しい旋回をともなう伊藤の踊りは、しなやかにダイナミックな身体によって陰影を帯びた情念を表出する動のパフォーマンスであり、コンテンポラリーダンスにつらなるものだったが、笈田の最後のパフォーマンスは、舞踏のようなものだったのかもしれない。そのとき彼は、老いた掃除夫を演じてはいたが、キャラクターとしてだけではなく、この舞台で生起した出来事のすべてを引き受ける存在として、静かに幸せに舞っていた。眉の震え、表情の痙攣が、無限のニュアンスをまとい、ぎこちなさをとどめたままの肉体が作り出す姿が、表現のための手段を超えた何かに、圧倒的な幸福感を放出するものへと転化していった。それは、生きる哀しみのなかにある歓びの表出であったように思う。そしてそのような存在のあり方こそ、ただ舞台上にいて生きる、ということであったのだと思う。 

*1:「三島先生は、西洋の戯曲はウィリアム・シェイクスピアであれジャン・ラシーヌであれ、現代の演出で作り直すことができるけど、日本の能楽とか歌舞伎のテキストは演出を含めての古典であって、テキストだけでは自立できないという考えをお持ちでした。なので、古典を自立したテキストにするという思いで、先生は1960年代に「綾の鼓」をお書きになったわけですけど、僕はそれからさらに60年経った今、“近代能楽”ならぬ“モダン能”と名付けて演出しています。」ステージナタリーに掲載された宮城聰との対談より。

*2:原文はPDFで入手可能。