うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

うまくいかない日本近代批判:宮城聰演出、ヘンリック・イプセン『ペール・ギュント』

宮城聰演出、ヘンリック・イプセンペール・ギュント

20221008@静岡芸術劇場

宮城聰は日本近代の問題を自身の演出に批判的なかたちで取り入れようと苦闘し続けている。ヘンリック・イプセンの最後の韻文劇『ペール・ギュント』自体がそもそも西欧植民地主義の誇大妄想的な欲望(の失敗)の物語ではあるけれど、宮城はこれを、明治から昭和にいたる大日本帝国帝国主義的な拡張政策(の瓦解)のなか、自らのアイデンティティを見出そうとして迷走する日本男児の物語に読み替える。野心的な読み替えである。しかし、これが演出的に、演劇的に成功しているかとなると、それはまた別問題ではある。

劇が始まる前から、双六が舞台を支配している。サイコロの目をあしらった双六盤が、舞台中央の大半を覆うように、舞台奥のほうが高くなるように傾斜して置かれている。後景にもそれと同じような双六盤が壁のようにそびえている。しかし、そこに投影されているのは、「日本人海外発展双六」と題された別の双六だ。大日本帝国の海外進出を題材に取ったものらしい。前景では軍国少年が夢中になって双六で一人遊びをしている。彼の手に握られているのは、軍人をかたどった駒と、ゼロ戦のような航空機。軍隊ごっこに興じるあまり、彼に話しかける妹の声は届かない。男の身勝手さが招く歴史的悲劇が、二重に象徴的なかたちで、わたしたちに暗示されている。

宮城のペール・ギュントは、破天荒な野人というよりも、近代日本における男性的価値観の象徴なのだろう。田舎を後にして出奔し、私生児をこしらえ、妻にしたい女を見捨てて大陸に渡り、死の商人となって山師的に富を築き、満州国の皇帝となって酒池肉林のかぎりを尽し、難破して一文無しになって敗戦後の故郷にみじめに帰還しながら、それでもなお、虚勢を張ることをやめられない。男らしさの悪あがき、その醜さ。それは個人的なものでも心理的なものでもなく、集団的で歴史的なものである。

ペール・ギュントが第1部で戦略的に婚姻関係を結ぼうとする山の民は、韓国や台湾のように大日本帝国の一部となることを余儀なくされた植民地と、宗主国たる日本との関係を想起させる。第2部における欧米各国との交渉は、国際連盟脱退を思わせるとともに、満州国を思い出さないわけにはいかない。事実、第2部の王国のシーンでは、中国風とも韓国風とも言い難い疑似アジア的な衣装を、ペール・ギュントも踊り子たちもまとっており、そこでは満州国の旗らしきものがはためいていた。

ペール・ギュントピカレスク的な道程——ローカルな暴れ者からグローバルな資本家から皇帝へという上昇、そこからの大転落、敗残者としての帰郷——は、双六の盤上における動きとして表象される。場面転換を彩るのは、たとえば、盤面で足踏みしながら疾走するペール・ギュントのパントマイム的な動きであり、後景の盤に浮かび上がるルートである。それらが執拗に繰り返されるので、わたしたちは、自然人であるかのように見えるペール・ギュントがはたして自発的に振る舞っているのか、それとも、歴史の必然に突き動かされて、すでに敷かれたレールのうえをなぞっているだけなのかが、わからなくなってくる。

そのような分裂的主体としてのペール・ギュント——自発的欲望の奴隷でもあれ、歴史的必然の駒でもある——を演じるには、武石守正の身体はあまりに健全すぎた。揺るぎない体幹をもつ武石の愚直なまでに誠実な身体は、逆説的ながら、ペール・ギュントのいかがわしさをどこか真摯で真っ当なものに昇華させてしまっていたように思う。母オーセ(榊原有美)のきわめて巧みな性格俳優的な演技がその方向性を後押ししていた部分もある。ふたりの真に迫った演技は、メロドラマ的なお涙頂戴になりかねない、死の床についたオーセとペール・ギュントの対話を、純粋に感動的な美談に仕立て上げてしまっていたように思う。輝かしい近代のうさんくさい舞台裏とその犠牲者たちを、ひねくれたアイロニーや、意図的にわざとらしい泥臭さをもって見事に体現していたのは、トロル王ドヴレ(渡辺敬彦)やその王女(舘野百代)であり、『ペール・ギュント』における狂言回し的なキャラクターたち——くねくね入道(吉見亮)、見知らぬ船客(牧山祐大)、ボタン作り(佐藤ゆず)——だったが、彼女ら彼らが近代の暗部を不気味な存在感をもって舞台に出現させるほどに、武石のペール・ギュントは、むしろハムレットにこそふさわしいような、正統派の悲劇のヒーローのように見えてきてしまう。

イプセンペール・ギュントは、放蕩のかぎりをつくして故郷に戻り、彼が見捨てたにもかかわらず、いまだに彼を待ち続けていたソールヴェイによって、母にして妻にして女である存在によって、彼女の子守歌によって、救われてしまう。テクストをカットするという消極的な的介入はしても、書き足すという積極的な介入はしない演出家である宮城は、このラストシーンでも、日本近代批判という自らの演出プランに戯曲を強引に従わせることはない。この前のシーンでペール・ギュントがいまいちどトロル王と遭遇したとき、彼は「うちてしやまん」と書かれた日の丸を腰にまとっていたし、舞台は空襲の被害にあったかのように大きく破壊されていた。プログラムされた歴史が終わりを迎えたことを示唆するかのように、盤面は剥がれ、あちこちに穴が露出していた。だから、ペールギュントとソールヴェイの幕切れのシーンが敗戦後に相当することはまちがいないはずだが、ここで劇は、イプセンが描いたように終ってしまう。池田真紀子のさびしげなソールヴェイは、圧倒的で絶対的な母というよりも、依然としてはかなげで純真な娘として、老いたペール・ギュントを受け入れてしまう。

日本近代の男児のままならさをそのように赦して、女性的なるものによって救済してよかったのだろうか。宮城のソールヴェイがたんなる受動的キャラクターでなかったのは確かである。彼女は、劇が始まるまえに双六で遊んでいた軍国少年であり、劇随伴音楽を率いる指揮者であり、『ペール・ギュント』が劇としては幕を閉じた後、ふたたび指揮者として舞台のコアとなるだろう。この意味で、この演出のすべての黒幕にして中心であったのは、劇中での登場頻度としては決して主役級とはいえないソールヴェイだったのであり、ペール・ギュントの男性的なものは、ソールヴェイの用意した箱庭的双六のなかで戯れていたにすぎなかったと言えるのかもしれない。

しかし、それは、男性的なものだけではなく、女性的なものもまた、日本近代の麗しからぬプロジェクトに共犯関係にあったことを示唆するだけではないだろうか。宮城の演出は、その歴史的政治的な問題にケリをつけることなく、美学的なカタルシスにすり替えてしまっていたのではないだろうか。

 

おそらく、宮城による他の演出も、日本近代批判の試みに位置付けることができるはずである。フォーティンブラスというデウス・エクス・マキナによる『ハムレット』の幕切れを、宮城は、玉音放送を模した声だけの演説に仕立て上げ、その後に、ダメ押しとして、米軍からのチョコレートを空から床に落下させる。それは当然ながら、大東亜戦争の敗戦とその余波——天皇の神性の断念と、GHQによる政治的なパラダイムシフト――を痛烈なかたちで舞台化したものだろう。

『オセロー』もまた、大東亜戦争をめぐる物語に読み替えられていた。能に翻案された『オセロー』において、ワキが訪れるのは、撤退した軍に取り残され、体を売って命をつなぐしかない娼婦たちのいる土地であり、それは、慰安婦の問題、中国残留孤児の問題をわたしたちに思い出させずにはおかない。

『夜叉ケ池』の群衆シーン――狂気に駆られて人身御供を迫るシーン――は、『ペール・ギュント』の冒頭の婚礼と酒盛りとどこか地続きであり、それで描き出されていたのは、近代と前近代のせめぎ合いであった。

しかしながら、そのどれにおいても、宮城は日本近代批判にたいして、演出的な正解を提示できないでいるように思う。『夜叉ケ池』はカップルの心中によって幕切れとなるし、『オセロー』もまた、すでに死者となっているデスデモーナがオセローによる絞殺をリプレイしながら、それを舞いに昇華させて終わる。それらはどこか、近代天皇制について根本的な問いを突き付けながら、割腹自殺という道を選んだ三島由紀夫を思わせるものである。ただ『ハムレット』のみが、日本近代の政治的問題に、あくまで歴史的で政治的なかたちで演劇的介入を試みていたが、それが演出的に成功していたとは言い難いように思う。

宮城が提示した日本近代の問題を批判的に扱いきるには、それを美学的に昇華するのではなく、おそらく意図的に、統合されざるかたちで、分裂したかたちで、分裂するようなかたちで、無様に、不細工に投げ出す必要があるのかもしれない。しかしそれこそ、美学者であり、モダニストでありながら古典主義者でもある、方法的作為を引き受けつつも作品的統合をも作り上げようとする宮城にとって、どうしても選び取ることのできない可能性なのかもしれない。

 

だからわたしたちは、現代にまでつうじる日本近代についての重大な問いが、男女和合の美しいイマージュの中で霧散してしまったことに、なにか腑に落ちない思いを抱いたまま、劇場の席に取り残されるのである。