うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

2022-01-01から1ヶ月間の記事一覧

物語収集家が物語になる(泉鏡花『夜叉ヶ池』)

「僕は、それ諸国の物語を聞こうと思って、北国筋を歩行いたんだ。ところが、自身……僕、そのものが一条の物語になった訳だ。――魔法つかいは山を取って海に移す、人間を樹にもする、石にもする、石を取って木の葉にもする。木の葉を蛙にもするという、……君も…

Covidにたいする態度と政治的イデオロギーの関係

NYTのPodcastのDailyの1月26日の放送「We Need to Talk About Covid, Part 1」はひじょうに面白い。昨年12月、NPRが、トランプ支持の州のほうがCovidの死亡率が高いという報道をしていたが、このポッドキャストに登場するDavid Leonhardtによれば、さまざま…

固定観念の最終的な勝利:ラース・フォン・トリアー『ダンサー・イン・ザ・ダーク』

20220122@シネ・ギャラリー ラース・フォン・トリアーの『ダンサー・イン・ザ・ダーク』は観る者の肉体を内側から揺さぶる。有無をいわせぬ映像の迫力がある。頭では納得していなくとも、押し切られてしまう。だから、物語のなかで突如として荒唐無稽にミュ…

問題化するステレオタイプ:チョ・ナムジュ『82年生まれ、キム・ジヨン』

この物語は小説として書かれなければならなかったのだろうか。ノンフィクションのドキュメンタリーではダメだったのだろうか。チョ・ナムジュの『82年生まれ、キム・ジヨン』を読みながら、そのような疑問がたびたび頭をよぎる。 それはおそらく、随所で差し…

歴史的必然としての印象派:ランス美術館コレクション 風景画のはじまり コローから印象派へ

20220122@静岡市美術館 リアリズムの風景画で自己表現をしようというのは、根本において矛盾を抱える営為ではないか。そんなことを考えながら、会期終了間際の「ランス美術館コレクション 風景画のはじまり コローから印象派へ」を足早に一巡りし、逆走して…

「正しく強く生きる」(宮沢賢治)

いまこそおれはさびしくない たったひとりで生きて行く こんなきままなたましひと たれがいっしょに行けようか(「小岩井農場」) ((幻想が向ふから迫ってくるときは もうにんげんの壊れるときだ))(「小岩井農場」) (考へださなければならないことを …

顕現しない神に祈ることの不安:ブリュノ・デュモン『ジャンヌ』

20220115@シネ・ギャラリー ブリュノ・デュモンの『ジャンヌ』は、メタルバンドのPV的な前作『ジャネット』とは大きく異なり、ずっと普通の映画になっている。歌と語りが交替するミュージカル的な前作では、言葉は詩句に凝縮されていた。論理を超越する祈り…

わたしは知っている(パゾリーニ「私は訴える」)

"Io so. Ma non ho le prove. Non ho nemmeno indizi.Io so perché sono un intellettuale, uno scrittore, che cerca di seguire tutto ciò che succede, di conoscere tutto ciò che se ne scrive, di immaginare tutto ciò che non si sa o che si tace; …

ゴシップとメタフィクション的な冒険:ローラン・ビネ『言語の七番目の機能』(東京創元社、2020)

ロラン・バルトの死をめぐる探偵小説。そこに、80年代のフランスの政治をめぐる問題が絡んでくる。記号学に精通した大学教員と刑事の捜査は、フランスからアメリカからイタリアへと及んでいく。20世紀後半を代表するフランス知識人や、フレンチ・セオリーに…

メタルな身体:ブリュノ・デュモン『ジャネット』

20220110@シネ・ギャラリー 2時間近くにおよぶメタルのPV。そんな雑な感想を書きつけて見たくなるほど、奇妙な映画だ。ジャンヌ・ダルクがジャンヌ・ダルクになる前の物語を、ブリュノ・デュモンは『ジャネット』で描き出していくのだけれど、服装であると…

特任講師観察記断章。教えながら教わる。

特任講師観察記断章。徒手空拳で進めてきた「強勢、抑揚、発音」の授業2コマをどうにか完走した。来週の期末試験の課題文章を探さなければいけないし、期末試験課題を採点して最終成績を出すという大仕事も残ってはいるけれど、そちらはエピローグのようなも…

AIを取り巻く社会関係の問題化:カズオ・イシグロ、土屋政雄訳『クララとお日さま』(早川書房、2021)

作者にはふたつのタイプがある。同じ物語を執拗に反復するタイプと、別の物語を決然と模索するタイプ。イシグロはあきらかに前者だ。 たしかにイシグロの小説の舞台や登場人物はさまざまではある。イギリスが舞台の話もあれば、日本が舞台のものもある。現実…

すべて洗い落とす(笈田ヨシ『見えない俳優』)

「しかし過去の遺産を現代に再現するのではなく、何かを未来に向けて新しく作っていく、それが僕の演劇を始めた理由でした。ブルックとの仕事で「今日の舞台は良くできた。明日はどうする」と言われて、今日良かったなら明日もその様にしたいけれども、他の…

無ではないサイレンス(笈田ヨシ『見えない俳優』)

「サイレンスとは無では有りません。戦争が起これば、自分自身のなかに膨大な疑問、思考、悲しみが沸き上がります。そのときに叫ぶのではなく、サイレンスを求めるのです。サイレンスとは受け入れることです。受け入れるとは受動的ではなく、能動的になるこ…

回想の拒否 (カズオ・イシグロ『クララとお日さま』)

「懐かしがらなくてすむって、きっとすばらしいことだと思う。何かに戻りたいなんて思わず、いつも振り返ってばかりいずにすむなら、万事がもっとずっと、ずっと…… [It must be great. Not to miss things. Not to long to get back to something. Not to be…

光のなかにうずくまる盲目の希望(『インゲボルク・バッハマン全詩集』)

「ただ希望だけが 盲目になって 光のなかにうずくまっている。[Nur die Hoffnung kauert erblindet im Licht.]」(「一つの国、一つの川そしていくつもの湖から Von einem Land, einem Fluß und den Seen」『大熊座の呼びかけ Anrufung des großen Bären』)…

動物が泣く(エルンスト・トラー『獄中からの手紙・燕の書』)

「人間よ、おまえは動物が泣くのを見たことがあるか? [Mensch, sahest Du je ein Tier weinen?]」(エルンスト・トラー『獄中からの手紙・燕の書』350頁)

浜松の街を歩く。

浜松の街を歩く。子どもの頃から月一か二月に一度のペースで来てはいたから、街の勝手は体感的にはわかっていたけれど、あらためてぶらぶらしてみて、やっとはっきりと見えてきたこともある。 静岡市と比べると、浜松は商店街的なところまで遠いという印象が…

演劇的な歓待と贈与:宮城聰 演出、ゲオルク・トラークル『夢と錯乱』

20211219@舞台芸術公園「楕円堂」 「夜の影が 石となってかれのうえに落ちてきた」という言葉とともに、パフォーマーは上半身を弓なりに反らせ、手を突き上げ、まるでいま口にした詩行が現実のものとなってその身にのしかかってきたかのように、まるで言葉…