うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

20240322 静岡県立美術館「天地耕作 初源への道行き」、または(現代)美術のひたむきさ

20240322@静岡県立美術館

「天地耕作 初源への道行き」の無料券をもらいながら、ずっと忙しくて行けないままでいたけれど、来週水曜で終わってしまうので、やや無理やりながら時間を作って足を運んだ。

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正直な感想は、「これは何なのだろう?」という当惑。誰もあえて足を運ばなさそうな山の中にあえて作ったオブジェ。それはたしかに、制作者たちのひたむきな創造ではあり、その真摯な態度に心を打たれるところはある。それでも、同時に、「だから何なのだろう?」という首をひねる感じは残る。

このような特定の場所の地勢を前提とした製作物は、どこからどこまで「作品」なのだろうか。今回の展覧会の場合、制作の前段階にあたるメモから、制作者たちによる言葉、制作物のなかで行われたパフォーマンスの写真や映像、ドキュメンタリー的な記録まで、多岐にわたるものが展示されているけれど、そのどれが果たして「天地耕作」と呼ばれるものの一部をなすと言えるのだろうか。

もちろん、そのすべてがその一部ではある。しかし、では、そのどれかがほかのどれかよりも特権的と言えるのかどうか。

県立美術館はその裏手に山を備えているので、今回のような展覧会の場合、自然を味方につけることができる。だから、過去の「天地耕作」の「記録」だけではなく、その再演とでも言うべきものを(再)現出させるためのスペースを確保できたわけではあるけれども、果たしてそれが、誰にも見られることがないかもしれないものを作り演じることをライフワークとしてきたアーティストの意に適うことなのだろうか。

美術館では、関連企画として、「静岡の現代美術と1980年代」をやっていたけれど、それを見ながらやはり考えてしまう。いったい何があれば「現代美術」とカウントされるのか、と。

現代美術にかぎらず、作家性を主張するには、特定の媒体——絵画であれ、パフォーマンスであれ、映像であれ——に依拠しない表現方法を発明する必要があるのだろう。ロラン・バルトがいみじくも宣言したように、「作家は死んだ」かもしれないし、すべての謎解きとしての作者は葬り去るべきかもしれないけれども、にもかかわらず、一連のテクストの署名者は残り続けるだろうし、現行の美術館体制においては、「作者の名」は依然として必要であり、だからこそ、同じ名前で名指すことができる特性は必要不可欠であるようにも思う。

では、それを担保するのは何なのか。

おそらく、もっとも理論的で、そうであるがゆえに、方法論的に反復可能であるのは、戦略的コンセプトの有無であり、そのもっとも成功した(良くも悪くも)例は村上隆だろう。それは、美術市場というゲームを、斜に構えた皮肉な態度で、あくまでゲームとしてプレイすることである。

そして、そのような皮相的な態度の対極に、このゲームをゲームと受け入れながら、その上で、批評的に、批判的にそれと関わろうとする態度がある。たとえば、森村泰昌の方法論がそれに該当するように思う。

コンセプトではなく、モチーフによる一貫性もありうる。死というテーマ系や、類似のキャラクターを反復した石田徹也をこのカテゴリーに入れてみても的外れではないだろう。それは、一目見て、「これはXXの作品だろうな」と思わせる力であり、見慣れたところがありながらマンネリとは感じさせない差異である。同じだけれど違うという矛盾を破綻なく継続させられるところに、依然として、作家性がある。

それよりもさらに微妙なのは、空間的配置の妙であり、それは、直感的なアピールであると言っていい。たとえば、ポロックのアクションペインティングにしても、同じ方法論の繰返しに見えるロスコにしても、それが、にもかかわらず、どうしようもなく魅力的に見えるのは、それぞれの絵がもつ唯一的な構図の絶妙さにあるのであり、だからこそ、そのようなコンテンポラリーアートは反復可能でもあれば反復不可能であり、数多の亜流を生みながら、二番煎じのヒットにはつながらない。

現代絵画において、技術の卓越性はもはや焦点になっていないように思うし、極論すれば、一定の技術的水準を越えることがアート市場に参入するための条件だろうかとすら思う。途方もない技術の結晶であったはずのハイパーリアリズムすら、もはや単なる手段であり、それ単体では無意味ですらある。

そのあとに残るのは何なのか。ひたむきさであるよう気がしている。どう受け入れられるかは度外視して、アート市場も視野に入れず、ただただ、みずからが思い描くものと心中する勇気だ。天地耕作にはその覚悟が出来ているように思われた。