うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

20230623 静岡県立美術館「Sense of Wonder」展をざっと見る。

20230623@静岡県立美術館。「Sense of Wonder」(驚きの感覚)はレイチェル・カーソンの同名の書籍にインスパイアされたものとのことだが、「Wonder of the Senses」(五感の驚き)と引っくり返してみてもよいだろう。事実、副題は「感覚で味わう美術」であり、会場は五感のそれぞれをフィーチャーしたセクションで構成されている。

しかし、作品に直に触れることが基本的には禁止されている美術館において、五感をクローズアップした展覧会をやろうというのは、矛盾以外の何物でもない。なるほど、彫刻を取り扱った箇所では、素材を手に取れるようにはなっているし、レプリカを触れるようにはなっていた。しかし、それ以外の工夫はわりとお粗末であったように感じる。

音楽を表象する絵画を展示したセクションで、それらの絵画を念頭において作曲してもらったらしいBGMを流すのは、わかりやすいといえばわかりやすいが、安易といえば安易である(というよりも、作曲家の感性がはたしてどこまで画家のそれとシンクロするのか、また、それがどこまで鑑賞者のそれとシンクロするかはまったく未知数であるはずなのだけれど、このようなプレゼンテーションの仕方をされると、キュレーターがこの問題に無自覚であるように感じられてしまう)。

触覚を取り上げた絵画群のキャプションは、厚塗りの油絵を取り上げながら「触ってみたくなる」と煽るが、当然ながら、鑑賞者にそれは許されていない。せめてここは、キャンバスに絵の具を厚塗りしたものの断面図を用意する、厚塗りにした画布に触ったり、それどころか、嗅いだりさえできるような小さなキャンバスを用意するといった教育的=啓蒙的装置が欲しかったところ。

所蔵品をやりくりしての展覧会であり、台所事情的に苦しいところがあったのだろうとは思うけれど、もうすこし工夫があってもよかったのではないかという気がしてならない。

会場入り口には草間彌生の「水上の蛍」(2000年)があった。2メートル四方ぐらいの鏡張りの暗室の床には水が満ちており、天井から色とりどりの小電球がぶら下がっている。そこに閉じ込められると、方向感覚も距離感も失われてしまう。下に目をやると、水面には天井から吊り下げられた電球の光が立体的に映っており、ごく浅いはずの水は深淵に開けているかのような底なし感がある。周囲を眺めると、鏡に映る自分の姿が天井から生えてきているかのような電球の林に埋もれている。上を見上げると、何を見ているのかわからなくなってくる。空調の音だろうか、人工的な音がまるで異世界から響いてくるかのようだ。いや、異世界に運ばれたのはわたしのほうで、そこに現世の人工音がこだましているだけなのかもしれない。安全のためなのか、この部屋のなかにはわずかな時間しかいられないけれど、この単純と言えば単純な装置がもたらすとてつもなく不思議な感覚のためだけにこの展覧会に足を運ぶ価値はあると思う。

(とはいえ、草間のこの作品があまりにも見事にSense of Wonderを語りつくしており、だからこそ、出オチ感がはなはだしいということも、ここに付け加えておいてよいだろう。)

同時開催中の「太田正樹コレクション展」は、旧清水市出身で、長らく早稲田大学で教鞭をとった太田が寄贈した現代美術展。太田は自らの感性に従って、村上隆の世代の日本の現代美術作品に加えて、李禹煥を何点も所持していたとのころ。このコレクション展を見ると、近年この美術館で展示されていた現代美術作品うち、少なからぬ点数が、太田の寄贈によるものだったことに気づかされる。太田のコレクション原理を言葉で言い当てるこそは難しいけれど、そこには何か明確な方向性があったのだろうということは如実に感じられる。だから個人コレクションは見ていて愉しい。