うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

2020-05-01から1ヶ月間の記事一覧

思考の苦悩、肉体の苦痛(プルースト、高遠弘美訳『スワン家のほうへ』)

「しかし、ときどき、ふとしたはずみで思考がそれまで気づかなかったその出来事の記憶に出会い、ぶつかったはずみにその記憶をさらに奥に追いやることがあり、スワンは心の奥底に届く深い苦悩を突然のように感じた。スワンがどんなに考えても一向に弱まらな…

特任講師観察記断章。不思議なサイクル。

特任講師観察記断章。不思議なサイクルになってきている。博士論文を書きあぐねていたときのような、ひたすら酒をあおりながら何かをひねり出そうとしていた留学時代の酔っ払った憂鬱のような、非生産的な生産性。 オンデマンド型の遠隔授業のためのレクチャ…

決して取り戻されることのない記憶:クナッパーツブッシュのローカルな特異性

ハンス・クナッパーツブッシュの指揮技術は傑出していたというが、残っている晩年の映像をみると、驚くほど何もしていないように見える。かなり長い指揮棒を使って、大きな身振りで、几帳面に折り目正しくリズムを刻んでいるだけに見える。音楽の要所で左手…

職人芸の極北:ラインスドルフのすこし滑稽な指揮の内在的な音楽性

エーリッヒ・ラインスドルフの職人芸の巧さはあまりに渋い。受け狙いの派手さがない。外面的効果を意図的に避けているとまではいわないが、聴衆にとっての聞きやすさのために、音楽の内在的な要求を犠牲にするようなことは絶対にない。 だから彼の正規録音(…

歪な均整、乾いた抒情性、諧謔的な透過性:クレンペラーの虚ろな音楽の響き

オットー・クレンペラーほど奇人変人譚にことかかない指揮者も珍しいだろう。歌手と駆け落ちし、オペラ劇場で亭主に殴られる。寝タバコがもとで全身大やけどを負う。罵詈雑言の逸話も多い。躁鬱症だったという。 しかしその一方で、彼の音楽の作り方はきわめ…

音楽としての指揮:カラヤンの指揮する身体

ヘルベルト・フォン・カラヤンがどのような音楽を目指していたのか、どうもよくわからない。ベルリンフィルとの録音は、スポーツカーのエンジンを全開で吹かして最大速度で駆け抜けていくような無神経な爽快感がある。しかしその一方で、オペラ録音になると…

工業的大量生産品をユートピア化する:静岡県立美術館「きたれ、バウハウス」展

20200523@静岡県立美術館 具体的に存在している物を抽象化し、抽象的なモノ――線や図形――に具体的な動きや流れやバランスを見いだし、それをふたたび物質として具体化する。具体的なものを純粋に具体的にするために、それを抽象的な要素として捉え直すという…

フリッツ・ブッシュの特異な普通:ダ・ポンテ三部作の初録音

フリッツ・ブッシュのグラインドボーン祝祭管とのモーツァルト=ダ・ポンテ三部作の録音は、いまなお新しい。ドナルド・キーンはブッシュの『フィガロの結婚』でイタリア語を覚えたというような話をどこかで読んだ記憶があるけれど、自分のイタリア語もまた…

鉱物的な鋭さ、音の線の運動:第二期ジュリアード弦楽四重奏団の異様さ

ジュリアード弦楽四重奏団はいまも存続しているが、自分にとってのジュリアードといえば、ラファエル・ヒリヤーがビオラを弾いていた時期、そのなかでも、50年代後半から60年代中ごろにかけての録音がまっさきに浮かぶ。バルトークの6曲、ベートーヴェンの中…

差延的な開かれ:岡田利規『三月の5日間』(白水社、2005)

岡田利規『三月の5日間』のあらすじをまとめるとなにかとんでもなくつまらない戯曲のように聞こえるかもしれないけれど、実際くだらない話なのだから仕方ない。3月のとある5日間渋谷の道玄坂のラブホテルにこもってやりまくった話。それが芥川龍之介の「藪の…

ホラーのなかで生き続ける:キリル・セレブレンニコフの『The Student』

20200505@くものうえ世界演劇祭 2時間ほどのキリル・セレブレンニコフの長編映画『The Student』(原題:Ученик)は何かについての作品なのだろうか。大澤真幸のプレトークによれば、「信じること」をめぐる映画であるという。母子家庭の高校生男子ヴェーニ…

クィアに約束されたユートピア:オリヴィエ・ピィの『愛が勝つおはなし』

20200504@くものうえ世界演劇祭 ほんの1時間ほどのオリヴィエ・ピィの『愛が勝つおはなし』は、ピイが長年取り組んでいるグリム童話シリーズのひとつ、その下敷きとなるのは象徴主義劇作家メーテルリンクがその処女作に選んだのと同じ「マレーヌ姫」で、波乱…

特任講師観察記断章。オンライン授業のさまざまな問題。

特任講師観察記断章。オンライン授業は、教える方がさまざまな問題を背負いこむことであるらしい。たとえば講義素材をアップロードするサイトの仕様からくる問題。たとえば動画の技術的な不備。 うちの大学の学内システムがお粗末なのが元凶であると思うけれ…

アナログな歌唱のデジタルな帰結:エルネスト・ブールの精密きわまりないフリーハンド

エルネスト・ブールの凄さを語るのは存外むずかしい。あまりにあたりまえに聞こえるからだ。凄さが当然のようにしか聞こえないからだ。それはおそらく、冷たい暖かさ、大雑把な正確さというふうに、オクシモロン的にしか語ることができないからだ。 ブールと…

特任講師観察記断章。泥沼状態、擦り切れるような疲れ。

特任講師観察記断章。泥沼状態としかいいようのない。通常なら8割くらいの準備で授業にのぞんで、それでちょうどよいぐらいなのに――というのも、10割まで準備しすぎると、余白がなさすぎて、教室の場に反応することができなくて、一方的に話すことになってし…

Zoom in Trainingについてのまとまらないまとめ:天真五相についてのメモ

決してじっくり見ていたわけではないけれど、自分が演劇をやっているわけでもないのにわざわざ連日Zoom in Trainingを見ていたのはわりと珍しい部類に入る視聴者だったのではないかという気もするわけで、だからといってそれを自慢する気もなければ、ながら…

わたしたちは同じ夢をともに夢見ている:クリスティアヌ・ジャタヒーの『Utopia.doc』

20200506@くものうえせかい演劇祭 70分ほどのドキュメンタリー映画『Utopia.doc』のなかでクリスティアヌ・ジャタヒーは「わたしたちは同じ夢をともに夢見ているのか」という問いをたえず投げかける。その問いに応えるように、移住と定住をめぐるオーラルヒ…

死後の世界の救済、または現世の葛藤の永続という戦略的ジャポニズム:アヴィニョン法王庁前での『アンティゴネ』

20200503@くものうえせかい演劇祭 100分近くにおよぶ宮城聰演出のソポクレス『アンティゴネ』の2017年アヴィンニョン演劇祭のときの公演映像が描き出すのは、徹頭徹尾、死者の物語にほかならない。なるほど、ソホクレスの登場人物たちは生者であるし、舞台…

記憶と回想の絵物語:オマール・ポラス『虹のローブ』

20200503@ふじのくにせかい演劇祭 8分と少しのオマール・ポラスの映像は、記憶と回想の絵物語になっている。東日本大震災直後の演劇祭のために訪れてくれた静岡に捧げられオマージュであると同時に、出奔した祖国コロンビアへの想像的な帰還であり、自由の…

マニュアル化できない動きをメソッドで作り上げる(ことはできるのか?):Zoom in Trainingの難問

20200502@くものうえせかい演劇祭 戯曲と演出から演劇を鑑賞するということ、それは舞台を全体として捉える態度であり、そのなかで個々の俳優や小道具や背景はあくまでパーツにすぎず、全体との整合性や相乗効果においてのみ耳目を引くものでしかないところ…