うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

アナログな歌唱のデジタルな帰結:エルネスト・ブールの精密きわまりないフリーハンド

エルネスト・ブールの凄さを語るのは存外むずかしい。あまりにあたりまえに聞こえるからだ。凄さが当然のようにしか聞こえないからだ。それはおそらく、冷たい暖かさ、大雑把な正確さというふうに、オクシモロン的にしか語ることができないからだ。

ブールという指揮者の名前をどこで知ったのか、どうもうまく思い出せないのだけれど、たぶんウェブ黎明期だった2000年前後、Oma-Q(というサイト名だったと思う)という新ウィーン楽派の音源をレビューしている当時としてはかなり珍しいサイトだったと思う。しかし2000年前後は、音源を聞きたければ、自分で買うしかなかった時代であり、そのときブールの音源はほぼ絶版状態にあり、サイトの記述を見ながら、こういうものだろうかと想像と妄想を繰り返していたように思う(いまはだいたいYouTubeで聞けてしまうから文字の評論のありがたみが薄いけれども、当時はそうではなかった)。

Astreeから出ていたブールと南西ドイツ放送響の「20世紀の音楽」シリーズ1と2は、当時、ディスクユニオンでいつも探していたけれど、ドビュッシーラヴェルバルトークストラヴィンスキーの作品が収録されたシリーズ1を手に入れたのは、なんと、卒業旅行で訪れたイギリスの、オックスフォードだったかロンドンだったかは忘れてしまったけれど、なんとなく入った中古CD屋でのことだった。たしか40ポンドのシールが貼られていたけれど、ずっと売れずに棚ざらしになっていたからか、半額になっていた。まだそのときはほとんど英語を話すことができなかったにもかかわらず、そのCD店の店主に「このCDセットはずっと探していたんですよ」とつたない英語で伝え(ようとし)たときのあの抑えがたく湧き上がってくるワクワクするような興奮と驚きと感動は、いまでも不思議なまでに感触として自分のなかに残っている。

ブールはシェルヘンに指揮を学んでいるらしく、ロスバウトの後任として南西ドイツ放送響の指揮者に就任している。そういう思い込みがあるからかもしれないけれど、たしかに2人の系譜を感じるし、ブール自身がドイツとの国境地帯に生まれ、ストラスブールという国境沿いの街で学んだというのは、よくわかる気がする。

ブールには、色彩性と構築性、歌謡性と俯瞰性が、不思議なほどに自然に同居している。ロスバウトは、いわば、色彩性を犠牲にすることで、水墨画的な構築性や俯瞰性を獲得している。シェルヘンは、いわば構築性を犠牲にすることで、生き生きとした歌謡性を獲得している。ロスバウトやシェルヘンを仰ぎながら指揮者としての道に足を踏み入れていったブーレーズは、構築性や構造性を前面に出し過ぎるあまり、歌謡性や流動性が犠牲になっている。

1913年生まれのブールは、同世代のいわゆる大指揮者たち――たとえばチェリビダッケジュリーニクーベリックーーと比べると、レパートリーのうえでも音楽作りのうえでも、あきらかにモダンであるけれど、10歳以上下のブーレーズと比べると、音楽がずっと熱く歌っているし、音を奏でる肉体を強く感じる。もしブーレーズが定規を使って曲線を描こうとしたとしたら、ブールはフリーハンドで曲線を描こうとしたと言ってよいと思う。

音がすべて歌っている。細部の細部に至るまで、慈しむようにすべての音が愛されている。にもかかわらず、全体像が失われていない。

ここでは、ミクロとマクロが奇跡的なレベルで融合している。アナログ的な感性によるデジタル的な帰結とでも言えばよいだろうか。だからブールの録音には、多少の乱れを感じるものもある。というよりも、彼にとって、縦線を合わせることは目的というよりは手段でしかないと言うべきだろう。

にもかかわらず、彼の残した録音は、驚異的なレベルで音と響きが合っていて、なおかつ、どんな音も歌っている。ブールの録音は、レファレンス的でありながら、それだけではない。かといって、突出した特異例でもない。普通以上でありながら、特例ではない。

この微妙な極めて狭いゾーンに、ブールの演奏は、つねに位置づけられるのではないかと思う。ブールの音楽がつねに心地よいのは、すべての音符が、あたかもそう意識したのではないにもかかわらず、自然とピタリと歌いながら響き合っているからだろう。奇跡のような偶然でもあれば、偶然を奇跡のように引き寄せたものでもある。ブールの凄さはそこにある。

 

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