うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

2020-07-01から1ヶ月間の記事一覧

世界という劇場の悲しいショー(シェイクスピア『お気に召すまま』)

"Thou seest we are not all alone unhappy:/ This wide and universal theatre/ Presents more woeful pageants than the scene/ Wherein we play in." (Shakespeare. As You Like It. 2.7) 「おわかりでしょう、わたくしたちだけが不幸せなわけではありま…

「わたし」を理解すること、理解してもらうこと:増田雄の『私』、関根淳子の『わたし』

「わたし」を理解すること、理解してもらうこと――それが『わたし』の核心にある主題だ。増田雄が2016年に執筆した『私』を脚色した関根淳子の『わたし』は、関根が言うように、「当事者演劇」と呼んでいいものなのだろう。原作者の増田はADHDであり、関根は…

デフォルメする権利:ブルーノ・マデルナの異形の音楽

ブルーノ・マデルナの演奏は異形としか言いようがない。これほどデフォルメした演奏は稀だ。突然のスローモーション、突然の加速、特定パートの誇張、濃厚なカンタービレ。 それらはおそらく、場当たり的なものではない。楽譜分析にもとづいた理知的なもので…

稀有な凡庸、特異な凡庸:ネヴィル・マリナーのジャンル的な演奏

ネヴィル・マリナーの演奏は凡庸だ。マリナーはカラヤンに次ぐ大量録音記録保持者らしいが、カラヤンが良くも悪くもトレードマーク的なスタイルを持っていた――カラヤン・レガート――のにたいして、マリナーの録音は特徴に乏しい。彼の演奏から聞こえてくるの…

充実した剥き出しの音楽:エリアフ・インバルのハミング

エリアフ・インバルは音楽を充実させる。マニアックな版でブルックナー交響曲全集を作ったり、マーラーやベルリオーズといった大規模な大作系の作曲家をコンプリートしたりと、ニッチなレパートリーを網羅的に録音しているわりには、細部を不自然なまでに強…

表現としての速度:マレク・ヤノフスキの音楽それ自体の表出

マレク・ヤノフスキは演奏の速度と音楽の強度を比例関係に持ちこめる珍しい指揮者だ。ヤノフスキは速度を、推進力や運動性ではなく、表現そのものに転化する。 テンポを上げればマスとしての音の凝縮度は高まるが、その一方で、個々の音は痩せてしまいがちだ…