2020-08-01から1ヶ月間の記事一覧
ハンス・スワロフスキーの超客観的演奏には、不思議な抒情性がある。誰のものでもないが、誰かのものではあるのかもしれない、非主観的で非人称的な匿名的感性だ。全体として乾いた音だというのに、潤いに欠けているわけではない。 あまり人好きのしない、ぶ…
シャーンドル・ヴェーグの音楽は、あたりまえのように表情が濃い。ひとつひとつの音が極限まで磨き上げられているけれども、アンサンブル全体としての音は、不思議なまでに音離れがよく、密集していない。凝縮しているのに、隙間があって粘らない。 静的な面…
生き物の世界では機会さえあれば、動物の美に対する主観的経験と認知的選択によって生物多様性は進化し、形成されてきた。自然界における美の歴史は終わりのない雄大な物語なのだ。(143頁) 進化生物学をそのルーツである優生学から完全に切り離すためには…
「人が後世と呼ぶものは作品の後世である。作品が後世を作り出していかなければならない(同時代にあって、未来のためによりよい読者を複数の天才たちが併行して準備することがありうる。そしてまたほかの天才たちがその読者の恩恵を受けるということが。た…
「地位と人間が表裏一体になっているなどと信じているのは、最初に分割不可能に見えただけで、もう分解して知覚することができないと考える者だけである。ある人間の人生を次々に継起する瞬間瞬間で捉えてみると、社会階層のさまざまな段階におけるそれぞれ…
エーリッヒ・クライバーの音楽には不思議な外連味がある。クライバーの指揮は、基本的に、見通しのよい構築的なものだ。建築的と形容してみたくなるほどに音楽の構造がクリアに立ち上がる。カミソリのように薄く尖った鋭角的で直線的なニュアンスは、彼がバ…
翻訳語考。inequalityは「格差」でいいのだろうか。そこそこ妥当な訳語ではある。「不平等」より耳なじみもいいだろう。しかし、「格差」は、彼我の相対的な差を記述するための言葉にすぎないようにも思う。目指すべき方向性やあるべき状態についての理念は…
コリン・デイヴィスの愚直なまでの生真面目さには生理的な心地よさがある。縦の線が気持ちよく揃っている。何が何でも合わせようとして音を置きにいったのではない。結果的にたまたま音がシンクロしているかのように聞こえるぐらいに、自然に、音のインパク…
「されど、一つの信仰が消えても生き残るものがある──しかも、私たちが新しい物事に現実性を与える力を失ったので、その力の欠如を覆い隠すためにますます強力になって。それはかつて信仰がかき立てていた古いものへのフェティシズム的な執着である。あたか…
セルジュ・チェリビダッケの音楽はどこか妖艶だ。とくに死後に発売された晩年のミュンヘン・フィルとのライブ録音は、実音の生の強度の存在感というよりも、倍音のエーテル的な共鳴の空間的拡がりを強く感じさせる。 極端に遅いテンポと相まって、どこか実在…
カルロ・マリア・ジュリーニの音楽を支配しているのは連綿とした歌だ。それは息苦しくなるほどに濃密だが、肌に張りつくような不快感はない。怖ろしく粘度は高いが、よどむことはない。トロリトロリと流れていく。濃厚だが、重たくはない。折り目正しいが、…