「人が後世と呼ぶものは作品の後世である。作品が後世を作り出していかなければならない(同時代にあって、未来のためによりよい読者を複数の天才たちが併行して準備することがありうる。そしてまたほかの天才たちがその読者の恩恵を受けるということが。ただし、いまは話を簡単にするために、その点を考慮しない)。それゆえ、もし作品が別に取っておかれて、後世しかそれを知らないとしたら、その作品にとって後世は後世ではなく、単に五十年後に生きている同時代人の集合体ということになるだろう。だから、藝術家は──すでにヴァントゥイユがしたように──もし自らの作品が本来の道をたどることを望むなら、十分深さのある場所に、まさに遠く離れた未来のただなかに作品を投げることが必要なのだ。」(プルースト、 高遠弘美 訳『花咲く乙女たちのかげに』)