20241103@静岡芸術劇場ロビー、フランスのルーアン市立コンセルヴァトワール学生による「フランスの歴史をテーマにしたミニパフォーマンス」
王政時代を象徴するらしいラシーヌとリュリに始まり、フランス革命によって王殺しが成し遂げられる。近代市民社会の始まりを告げるドラクロワの民衆を導く女神は、ファム・ファタルなロマの民カルメンに生成変化する。1920年代だろうか、愛と戯れの三角関係は、戦後と思わしき社会変動のメタファーへと横滑りし、最後は、現代フランスの人種的文化的多様性を体現するかのように、アラビア調のダンスによって締めくくられる。
ここで劇化されていた「フランスの歴史」とは、端的に言えば、近代史のことであり、そこで表象されるのは、フランス革命を肯定的に捉える共和派的な歴史解釈——自由、平等、博愛の称揚――である。
しかしそれは、裏を返せば、フランス史の後ろ暗い側面——残存する貴族階級、カトリシズムと反ユダヤ主義、植民地主義と反移民——を隠蔽した願望充足的な虚構の物語でもあるだろう。
だからこそ、そうあって欲しかった過去をスペクタクルとして現出させ、それを〈いまここ〉にたいする虚構の前史として位置づけ、ありうべき未来のための基盤を想像的に創出することができる者たちは、権力にとって利用価値のある存在であると同時に、野放しに出来ない危険分子である。
その意味では、このような「正史」が、「市立」の教育機関で学ぶ若者によって演じられることは、まったく必然的な成り行きではあるだろう。その一方で、それでよいのだろうかという疑問も湧いてはくる。
しかし、その疑問を差し向けるべきは、フランスの公的機関ではなく、日本の演劇集団なのかもしれない。演劇というきわめて政治的で批判的なパフォーマンスを、単に美学的で私的な表象に留めておくことは原理的に不可能であり、だからこそ、もっと意識的なかたちでその不可避的な政治性と向かうべきではないだろうか。
とはいえ、「フランスの若者」という雑な括りでは到底まとめきれないほどに身体的にも人種的にも文化的にも多様な集団によるパフォーマンスは、それ自体が、異性愛主義のカトリック教徒の白人によるフランスを脱構築するものであったことを強調しておかなければ、パフォーマーたちや裏方たちに不誠実を働くことになるだろう。彼/女らがどこまで意図的にそのことを意識していたのかはさておき、ここで提示されたものは、表向きこそフランスの正史でありながら、実質的には、フランスに充満する多様性を増幅させるようなものであったのだから。
音響トラブルがあったのか、最後の締めくくりとなるダンスが始まるまで裏方はパニック状態にあったようだけれど、フランス演劇の王道たる言語的表現を封じられた状況のなか、踊りやパントマイムや音楽といった非言語的なレパートリーのみで演目をかたちにしなければならなかった困難を思えば、そこは大目に見て然るべき部分であっただろうと思う。
それにしても考えてしまう。これと同じような、近代市民社会の誕生のポジティヴな物語を、日本史から捏造してパフォーマンス化することはできるのだろうか、と。日本史のどの時点から始めようと――卑弥呼であれ、聖徳太子であれ、奈良平安であれ、鎌倉であれ、戦国であれ、江戸であれ、明治維新であれ、戦後であれ――、その道行のどこかで、天皇の問題と直面せざるを得ないし、それは20分ほどのミニパフォーマンスでは扱いかねる問題だろう。その意味では、王政(とその文化)をいわば乗り越えられた過去として異化できてしまうフランスのクールさをうらやましく思う。
などということに思いをめぐらせながらこのパフォーマンスを見守っていた層は少数派どころか皆無に近いとは思うけれども、だからこそ、そんなマイナーな意見をこのように書き留めておきたいと思う。