2019-05-01から1ヶ月間の記事一覧
特任講師観察記断章。自分のスピーチパターンを自己検閲する。いま英語で話そうとすると、かなり自然に言葉は出てくるけれど、それは要するに、使えるレパートリーが限定的だから、選択肢の幅が狭く、迷う必要が少ないだけでもある。だからだろうか、英語で…
二人称で書かれた不思議な小説。読者を強制的に、しかし威圧的ではないかたちで、物語世界の住民のひとりにしてしまう手法は、たしか、イタノ・カルヴィーノがどこかで試していたはずだがーー『冬の夜ひとり旅人が』だっただろうかーー依然として新しく、依…
20190525@静岡市美術館 まるみ、しなやかさ、つよさ まるみをおびた線。円い顔、丸い頬。弱いわけではない。かよわいわけではない。柔らかく、しなやかで、すべてをやさしく受け入れてはきちんと跳ね返す。不思議な強さが宿っている。 小倉遊亀は戦後わりと…
平等「から」始める 知性と感性の平等というランシエールの議論の根本にあるテーゼは、考えるほどにわかりづらくなる。ランシエールにとって、知性と感性の平等は出発点であり、到達点ではない。不平等を存在論的な事実=真実として受け入れてしまえば、平等…
特任講師観察記断章。英語の音の連結や脱落のルールを教えるのはそれほど難しくないが、実践させるのはなかなか骨が折れる。 たとえば、どうすればNot at allが英語らしく響くか。Not/ at/ allという三つのブロックのあいだがつながる――子音で終わり母音で始…
「動物の目は偉大な言葉を語る言葉を持っている。動物は、その鳴き声や動作の助けをかりず、ただ目の力だけに頼るとき、自然から授かった自分の肉体の神秘や、生成の不安をもっともはっきりと示すものである。こうした神秘を知り、またわれわれにむかってそ…
""At present I would prefer not to be a little reasonable," was his mildly cadaverous reply." (Melville. "Bartleby.") 「「いまはすこし理にかなった感じでないほうがいいような」というのが彼のまったりと死体じみた返答だった。」(メルヴィル「バ…
20190506@静岡芸術劇場 歓喜にいたるには死を経験しなければならない、しかしそれは自分のものよりもはるかに痛ましい他の人の死なのだ、あなたの愛した人の死があなたを狂気の淵につれていく、しかし歓びは狂うことではない、狂うことのなかに歓びはない、…
特任講師観察記断章。かなり多くの学生に共通する間違いがある。あまりにも初歩的なものなので、なぜここまで正されずに来たのかと首をかしげてしまうような間違いがある。たとえば名詞末尾の複数形のSを読み落とす、Yes/No疑問文のイントネーションを上げ…
20190502@静岡芸術劇場 自伝についての映画についての劇についてのミュージカル 障碍についての自伝、 についての映画、 についての劇、 についてのミュージカル ロバート・ソフトリー・ゲイル『マイ・レフトライト・フット』の入れ子状の構造をわかってもら…
20190427@グランシップ映像ホール 『コンゴ裁判』はノンフィクション・フィクションとでもいうべきドキュメンタリー作品である。登場するのはすべて実在の人物であり、誰もが本当の言葉で語る。600万人以上の死者を出した20年以上にわたる紛争のなか、第三…
20190505@静岡市駿府城公園 ゴシップと/の真実、または明かすことのできない母の愛かなり軽い調子の、チャラいほどにお気楽な調子で劇が始まる。ゴシップから始まる。ボルジア家の悪評についてのゴシップ、なによりルクレチアの性的放縦さについてのゴシッ…
特任講師観察記断章。ここまで大多数の学生ができないとなると、学生のほうの努力不足ではなく、日本の英語教育の構造的欠陥ではないかという気がしてくる。アクセントとイントネーションのことだ。 カタカナ発音よりもよほど大きな問題だろう。アクセントが…
「そこで私が思ったのは、革命的な連帯は「最も疎外されていない人びと」と「最も抑圧されている人びと」、つまり「オルタナティヴな社会像を容易に想像できる人びと」と「最も熱心にオルタナティヴな社会を見たい人びと」、これらの間で結成されるのではな…