うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

美術メモ

20240322 静岡県立美術館「天地耕作 初源への道行き」、または(現代)美術のひたむきさ

20240322@静岡県立美術館 「天地耕作 初源への道行き」の無料券をもらいながら、ずっと忙しくて行けないままでいたけれど、来週水曜で終わってしまうので、やや無理やりながら時間を作って足を運んだ。 spmoa.shizuoka.shizuoka.jp 正直な感想は、「これは…

20240303 『高畑勲展——日本のアニメーションに遺したもの』@静岡市美術館を観る。

20240303@静岡市美術館『高畑勲展——日本のアニメーションに遺したもの』は大変充実した展示だった。手書きのノートから絵コンテからイメージボードから原画まで、ポスターやちょっとしたインタビューやアニメーション映像まで、相当な点数があり、美術館が「…

20231201 アリックス・パレ『魔女絵の物語』(グラフィック社、2023)を読む。

魔女絵には、若き美女と、醜い老婆の、ふたつの系譜があるという指摘にまずハッとさせられるが、読み進むほどに、はたして両者を「魔女」というワードでくくることが妥当なのだろうかという気もしてくる。本書は西洋美術における魔女表象を、100頁ほどのコン…

20231016 「大大名(スーパースター)の名宝―永青文庫×静岡県美の狩野派展」@静岡県立美術館を観る

20231016@静岡県立美術館「大大名(スーパースター)の名宝―永青文庫×静岡県美の狩野派展」 知り合いが内覧会への招待券をくれたので、展覧会開始前日に見てきた。この手のオープニングセレモニーには初めて足を運んだけれど、来ているのはリタイア層がほとん…

20231015 「ブルターニュの光と風」@静岡市美術館を観る

20231015@静岡市美術館 「光」と「風」だけカラーで、妙に気合の入ったレタリングになっているし、目玉として謳われている画家のなかにモネやゴーギャンが入っているから、「なんだよ、またフランス印象派展か」と思っていたら、力点は「ブルターニュ」のほ…

20230915 糸で描く物語——刺繍と、絵と、ファッションと。@静岡県立美術館

20230915 糸で描く物語——刺繍と、絵と、ファッションと。@静岡県立美術館 焦点の定まらない展覧会というのが正直な感想。「糸で描く物語」というタイトルと、告知ビラやポスターから、刺繍やタペストリーによる具象的な作品なのかと思いきや、そういうわけ…

20230811 さくらももこ展@静岡市美術館

『ちびまる子ちゃん』はほぼリアルタイムで受容していたけれど、彼女が清水出身であることは意識していなかったように思う。漫画の中で次郎長のネタがあったと思うし、その他にも静岡ネタは仕込まれていた気はするけれど、さくらももこが市を上げて推すよう…

20230623 静岡県立美術館「Sense of Wonder」展をざっと見る。

20230623@静岡県立美術館。「Sense of Wonder」(驚きの感覚)はレイチェル・カーソンの同名の書籍にインスパイアされたものとのことだが、「Wonder of the Senses」(五感の驚き)と引っくり返してみてもよいだろう。事実、副題は「感覚で味わう美術」であ…

20230528@静岡市美術館「おいしいボタニカル・アート」を観る。

口当たりの良い、薄味の展覧会。趣味の良い、と形容する人もいるかもしれないし、あえて反論はしないけれど、そのようなコメント自体が趣味の浅薄さを露呈しているのですよと皮肉の一つも言ってみたくなるところ。 会場に4カ所だったか、19世紀のいくつかの…

20230506 静岡市歴史博物館に行く、または家康アンド家康アンド家康プラス近代静岡史

20230506@静岡市歴史博物館 家康アンド家康アンド家康プラス近代静岡史。印象としてはそんな感じ。印象としては、と言うのは、実際のところはちょっと違うから。家康率はおそらく半分行くか行かないかぐらいで、駿府=静岡という場の歴史がもう半分を占めて…

20230322 「近代の誘惑——日本画の実践」(@静岡県立美術館)を観に行く。

20230322@静岡県立美術館 「近代の誘惑——日本画の実践」は「日本画」というジャンルや概念それ自体を問う、なかなか挑戦的な展覧会だった。日本画は西洋との遭遇のなかで、参照項でもあれば、対峙すべき対象でもある洋画との関係のなかで、自己定義を重ねて…

20230319 『東海道の美 駿河への旅』(@静岡市美術館)に行く。

いちおう行くかというぐらいの気持ちで行ったけれど、この展覧会はどう捉えたらいいのだろう。東海道をめぐる「美術展」としては正直物足りないが、「歴史資料」の展示と見るなら悪くない。しかしキュレーターの意図はどうやら前者にあるようで、そこがどう…

圧倒的にモダンで、ノスタルジック:杉浦非水展@静岡市美術館

20230122@静岡市美術館 杉浦非水展を見に行く。日本におけるグラフィックデザインの立役者であり、1908年から34年まで、27年にわたって三越に務めるかたわら、ブックデザインや図版を手がけ、政府関係からの仕事も引き受け、官民の両方で活動し、晩年は多摩…

民話的なもの神話的なものの創作:鴻池朋子「みる誕生」

20230107@静岡県立美術館とその裏山 鴻池朋子の「みる誕生」展を終了2日前に見に行く。県美の自前の所蔵品は、風景画が中心であるがゆえに、わりと古典的でオーソドックスな絵が多いようであるし(少なくとも、所蔵品で構成された展示をこれまでに見てきた…

想像的に捏造された(のかもしれない)写真の誕生の諸瞬間:村上華子「du désir de voir 写真の誕生」

20221228@ポーラ美術館 村上華子の「du désir de voir 写真の誕生」は展示全体がひとつの作品になっている。それは写真の誕生の複数的な瞬間を創造的に(再)構築しようという試みなのだ。なるほど、たしかに、「写真」というものが具体的なモノとして誕生し…

ベルナール・ビュフェ美術館と井上靖文学館

20221217 ベルナール・ビュフェ美術館と井上靖文学館。クレマチスの丘と呼ばれる一角には、ヴァンジ彫刻庭園美術館に加えて、ベルナール・ビュフェ美術館と井上靖文学館がある。後者は1973年11月25日に同時開館したようだが、前者の開館は2002年4月28日。し…

得体の知れないおしゃれさ:インクルーシヴなヴァンジ彫刻庭園美術館

20221217。長泉町にあるクレマチスの丘に点在するヴァンジ彫刻庭園美術館とベルナール・ビュッフェ美術館と井上靖記念館を巡ってきた。 ヴァンジ彫刻庭園美術館は、イタリア人彫刻家のジュリアーノ・ヴァンジの作品を収蔵する美術館。庭園と冠されているよう…

ビジネス的なセンス:静岡市美術館「ピーターラビット展」

20221022@静岡市美術館「ピーターラビット展」 そこまで興味があるわけではないけれど、とりあえず足を運ぶ。わりと発見はあった。 ビアトリクス・ポターは博物学的な素養を身に着けており、キノコや菌類について論文を書いたほどだが、当時の学会の女性軽視…

巻物という特異なメディアのパノラマ性:静岡県立美術館「絶景を描く——江戸時代の風景表現」

20221021@静岡県立美術館「絶景を描く——江戸時代の風景表現」 無料鑑賞券を手に入れていたので、無駄にするのもよくないと思い、今週末には終わるこの展覧会に行ってきたわけだけれど、いまひとつピンとこない展示だった。ざっと流し見た自分が悪いのは承知…

リアリズムの歴史史料の美術性:兵馬俑と古代中国〜秦漢文明の遺産〜

20220827@静岡県立美術館 県立美術館は家のそばにあるせいで、「行こうと思えばいつでも行けるさ」という気になってついつい後回しにしていまい、気づいたらもう終わっていたことが一度ならずあるのだけれど、今回はぎりぎり思い出して、夜間開館日だったの…

看板に偽りありのようでない、けれどもやはりなんとなく羊頭狗肉的:「THE HEROES 刀剣×浮世絵-武者たちの物語」

20220815@静岡市美術館 「刀剣✕浮世絵」と謳うにはずいぶん刀剣が少ないじゃないかと思いきや、最後のセクションにまとまって展示されていて、8割近くの展示を埋める戦記物のシーンを図像化した江戸中期から後期にかけての錦絵とのバランスはギリギリ取れて…

クリントの感化力:『見えるもの、その先に ヒルマ・アフ・クリントの世界』

ヒルマ・アフ・クリントの絵はニューヨークのグッゲンハイム美術館で展覧会が開かれていたとき、学会に出るためにたまたまアメリカ東海岸に滞在中で、クリント展だから見に行こうというのではなく——そのときクリントのことはまったく知らなかった———、「ニュ…

凡庸な作品の饗宴:静岡市美術館、スイス プチ・パレ美術館展

凡庸な作品をここまでまとめて見ることができるというのは、それはそれで貴重な機会。ビックネームの背後には数多の亜流がいたこと、というよりも、いまでは忘れられてしまった圧倒的多数が作り上げた流行があればこそ絵画が市場として存在していたこと、そ…

歴史的必然としての印象派:ランス美術館コレクション 風景画のはじまり コローから印象派へ

20220122@静岡市美術館 リアリズムの風景画で自己表現をしようというのは、根本において矛盾を抱える営為ではないか。そんなことを考えながら、会期終了間際の「ランス美術館コレクション 風景画のはじまり コローから印象派へ」を足早に一巡りし、逆走して…

リアリズムと印象派の融合、または非人称的な抒情性――吉田博展

20210829@静岡市美術館 吉田博が目指したのは、木版画におけるリアリズムと印象派の融合だったのだろうか。初期の水彩風景画から一貫して吉田は構図の妙、光のグラデーション、細部のニュアンスにこだわる画家であり続けた。しかし、風景を凍結された時間の…

地方の公立美術館がコレクションするべきもの(はなにか):『美の競演―静岡県美名品展』

地方の公立美術館が所蔵すべき品は何なのだろかと考えてしまう。地元にゆかりのある芸術家、地元を題材にとった作品だけを集めるのは、美術館というよりは郷土館の役割という気がするし、美を郷土愛=主義(パトリオティズム)に帰属させるのは的外れである…

工業的大量生産品をユートピア化する:静岡県立美術館「きたれ、バウハウス」展

20200523@静岡県立美術館 具体的に存在している物を抽象化し、抽象的なモノ――線や図形――に具体的な動きや流れやバランスを見いだし、それをふたたび物質として具体化する。具体的なものを純粋に具体的にするために、それを抽象的な要素として捉え直すという…

様式性のなかの写実性:「円山応挙から近代京都画壇へ」

20190916@東京藝術大学 円山応挙の写生画はいったいどこまでリアリズム的なのか。応挙がスケッチに心を砕いていたことは、彼の写生帖を見ればよくわかる。そこではまさに写実的に草花が写し取られている。デフォルメも誇張もなく、葉の一枚一枚、花びらのひ…

ミイラの鉱物性と樹木性:「古代アンデス文明展」

20190710@静岡県立美術館 ミイラの鉱物性と樹木性 体育坐りをするかのように膝を両手で抱きかかえたままミイラ化した女性。のけぞった頭のせいでむき出しになった顎の下のくぼみは老木の節のようである。肉が乾き、骨を覆うだけになった皮膚は黄ばんだ和紙…

具体性、主観性、永遠性:「小倉遊亀と院展の画家たち展」

20190525@静岡市美術館 まるみ、しなやかさ、つよさ まるみをおびた線。円い顔、丸い頬。弱いわけではない。かよわいわけではない。柔らかく、しなやかで、すべてをやさしく受け入れてはきちんと跳ね返す。不思議な強さが宿っている。 小倉遊亀は戦後わりと…