ビアズリーの絵には歪みがある。しかし、それは技術不足によるものではなく、表現として意図的に導入されたものであるようだ。人物の身体は薄く引き伸ばされる。衣服は独自の存在であるかのように舞い広がり、襞を作る。リアリズムは守られない。余白はパターン的な装飾で埋め尽くされるか、大胆に生かされる。神経質なまでに細い線、細かな点は、奥行きというよりも、平面に濃淡とリズムを与える。
(https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d7/John%2BSalome.jpg)
1872年に生まれ1898年に25歳で病死したオーブリー・ビアズリーがフロイトの無意識論やリビドー論を知っていたのかは寡聞にして知らないけれど、ビアズリーの絵はまるでフロイトの夢解釈の図像化であるかのように見える部分がある。あからさまに性的なのではなく、隠喩的に猥雑なのだ。男性器のように見える蠟燭立て、女性器のように見える孔雀の羽。執拗な描き込みにしても、デジタルな反復のように見えて、有機的な差異がある。不必要なまでに細部が肥大し、主題とは別の意味をはらむ余地を呼び込む。
たしかに、ビアズリーを有名にしたワイルドの『サロメ』の挿絵に見られるように、女性の胸が描かれていることはあるし、生活に困窮していたときに手がけたというアリストパネスの『女の平和』のように、男女の裸体をそのまま描くことはあった。しかし、ビアズリーの絵の妖しさは、そのような直接的な描写に起因するものではないようだ。
ビアズリーの絵は連想的なつながりによって構成されている。『サロメ』の終幕部、サロメが首を切られたヨカナーンの唇に口づけするシーンを描いた絵では、ヨカナーンの首から滴り落ちる液体は画面下に垂れ、水たまりとなり、そこから一輪の花が咲く。しかし、それは時の流れではなく、瞬間的で複数的な生成変化であるように見える。ヨカナーンの血を吸った大地が、後に、花を咲かせたのではなく、首は血であり、長く伸びる滴りであり、地に広がる液体であり、一輪の花である。
(https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/3c/Aubrey_Beardsley_-_The_Climax.jpg)
ロートレックのコレクションで有名な(と個人的には思っている)三菱一号館美術館がなぜビアズリー展をと思ったが、本展覧会を見ると納得できる。夭折したビアズリーの多様な試み――挿絵から雑誌表紙からポスターまで――を、彼に影響を与えた同時代的な文脈——前ラファエロ派、アーツ・アンド・クラフツ運動、アングロ・ジャパニーズ様式の家具や食器、象徴主義絵画など——とともに展示することで、ビアズリーの絵の独自ではない部分が浮き彫りになり、その結果、展覧会のタイトルにあるとおり、「異端の奇才」が浮き上がってくる。
個人的に興味を惹かれたのは、ワイルドはビアズリーによる『サロメ』の挿絵を気に入っていなかったという点。リヒャルト・シュトラウスによってオペラ化されもした『サロメ』は抜き差しがたいかたちでビアズリーの挿絵と結びつけられているように感じられるが、実はそれはワイルドからすれば好ましくない連想なのかもしれない。
ワイルドは愛読書であるユイスマンスの『さかしま』で称賛されているモローのスタイルを好んでいたという。濃密に隠喩的な、いわば夢のロジックに従う、意図的にアンバランスな構図を選ぶビアズリーと比べると、モローの絵画は冷めており、古典的な均整がある。モローの細部はリアリズム的ですらある。史実的に正確であるかはさておき、細かく描きこまれたものは装飾であり、主題に従属するものでしかない。モローのサロメがまとう衣装は、豪奢でオリエンタリズム的だが、それ以上でもそれ以下でもない。
しかしビアズリーの絵の細部は、単なる細部であれ、そこには何らかの隠された意味が潜んでいるように感じられる。ビアズリーがそのようなことを意図していたかどうかは関係ない。ビアズリーの絵の細部のひとつひとつは、隠喩的なレベルにおいて連関しており、それが目に見えるレベルとは別の淫靡な水準において、明示的ではないからこそいっそう猥雑であるような妖しさを醸し出す。それがビアズリーの絵に共通する退廃さの雰囲気の源泉であるように思う。この隠喩性は手塚治虫の絵と通底するものでもあれば、日本の70年代の少女漫画的な世界観につうじるものでもあるだろう。
(https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/bb/RapeLock7Cave_of_Spleen.jpeg)
その一方で、彼がもっと気軽に、一気に仕上げたのではと思しき、わりと太い線で描かれた人物スケッチには、そのような不健康さは皆無であり、ユーモアにあふれ、ポップですらある。鳥山明や江口寿史を思わせる部分がある。
(https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/86/Oscar_Wilde_Scketch.jpg)
それにしても、入館料が2000円越えというのは、東京では普通のこととはいえ、決して安くはない(静岡の相場は1000円台中盤)。にもかかわらず、ミュージアムショップは大盛況で、Tシャツなどのグッズを1万円以上買っていく若いカップルがいた。客層がやたらとお洒落なアート系の人々なのは、立地のせいか、展覧会の内容のせいか。




