うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

妖艶に乱反射する響き:セルジュ・チェリビダッケの音楽の歓び

セルジュ・チェリビダッケの音楽はどこか妖艶だ。とくに死後に発売された晩年のミュンヘン・フィルとのライブ録音は、実音の生の強度の存在感というよりも、倍音エーテル的な共鳴の空間的拡がりを強く感じさせる。

極端に遅いテンポと相まって、どこか実在感が薄い。音楽を鳴らすというよりも、空間を響かせることに心を砕いているのではないかという気さえしてくる。

 

チェリビダッケは指揮者としてのキャリアのなかで、基本テンポをスローなほうへシフトさせていった部類に入るけれど、全体の音のバランスは意外なほど変わっていない。40‐50年代の戦後すぐ、主要な指揮者たちが戦犯問題で不在のなか暫定的に音楽監督に就任したベルリン・フィルの演奏でさえ、弦楽器の重層的な旋律線を低音から高音までくっきりと描き出し、木管をスッと浮かび上がらせ、そのうえに金管を豊かに、しかしリズミックに折り目正しく、咆哮させるというスタイルは一定している。

 

それはいわゆるドイツ的な重たい音の重ね方ではないし、フランス的な色彩感重視の織り上げ方でもない。きわめて機能的で、フットワークが軽いところがあるけれど、アメリカのオケのような軽さとも違う。透明感のある音だが、ブーレーズのような極薄の透過性ではない。響き合う音の薄い厚み、色を美しく乱反射させる微妙な屈折。それはどこかジョルジュ・エネスクの音楽の響きの妖しい美しさに似ている気がする。

エネスクとチェリビダッケを、ルーマニアの音楽家という一点だけで引きつけるのは、あまりにも強引ではあるけれど、ふたりはともに、ルーマニア北東の出身であり、そこから、西ヨーロッパの大都市に遊学している。チェリビダッケが得意とした、印象派からポスト印象派の近代フランス音楽は、まさに、エネスクの音楽のバックボーンをなすものでもある。そうした西欧的な音楽言語で、エネスクは、ルーマニアの民謡を歌い上げたが、チェリビダッケが内面化していた響きの感覚には、エネスクと似たような、東欧から来た異邦人の意識が混ざり込んでいたのではないかという気もする(そう考えると、チェリビダッケが、エネスクと同じように、調性音楽の枠内にぎりぎりのところで踏みとどまっている音楽――どれほど否定的なはかたちであれ、調性和声というシステムを完全には否定できない音楽――しかレパートリーに入れようとしなかったのは、よくわかる気がする)。

 

異常なまでのリハーサルを要求することで悪名高いチェリビダッケだが、彼がそれだけの下準備を求めたのは理由あってのことだろう。チェリビダッケは古典をやる場合でもフルオケを求めたが、それは、オケに全力で弾かせないためだったという話をどこかで読んだ記憶がある。

周りと響き合う音を奏者に出させるには、ある種の脱力が必要になる。個の音量の総和ではなく、全体のマスとしての音響空間を作り出すには、奏者の意識そのものを、根本から変える必要がある。彼のリハーサルはそうした「学び捨て unlearning」のプロセスだったのではないかという気もする。

 

チェリビダッケの音楽を語る言葉にはどこかうさん臭さがあるし、晩年のスローテンポは、空間としての音響の拡散を重視するあまり、流れとしての音楽の生命が犠牲になっているように感じる部分もあるし、それは、メインストリームから追いやられたルサンチマンが転化した神秘化でなかったかという穿った見方をしたくなってしまうところがある。

けれども、彼のあふれ出すような唸り声や、自然発生的に表出する奇妙な踊りは、どれほど秘密めかしてみようと、その根底には、音楽することの原初的な歓びがあったことの証しであるようにも思う。

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